後藤 正

チェジュ訪問
  昨年12月(諸宗教チェジュ連帯訪問)とこの4月(5月末の日本正義と平和協議会の連帯訪問の下準備)、それぞれ4日間、韓国チェジュド(済州島)を訪問 する機会を得ました。6、7年ぶりの訪問でしたが、前回の訪問の時、すでに風光明媚なこの島に、韓国海軍基地を建設する実際的な動きが始まっていたという ことを知ることになりました。
  チェジュカンジョン海軍基地建設現場に行って、わたしが表題の言葉(叫びであったが)を初めて耳にしたとき、十戒の第五戒がすうっと思い起こされまし た。チェジュ第二の都市、ソギポ(西帰浦)市カンジョン・マウル(通常、村と訳されている)にはクロムビーという溶岩でできた特異な一枚岩がある。残念な がら、今やあったという表現が正確だろう。というのも、この5月末で、海軍基地建設のための爆破作業が、この5月いっぱいでほぼ完了してしまうからである。

チェジュドとは
  ここで、海軍基地建設が韓国政府・海軍によって強行されているチェジュドはどのような自然環境を保有しているのか、どのような歴史を歩んできたのかを振り返り、またをみてみたい。

チェジュドの自然環境
  まず、チェジュドの一番の魅力は、大自然のおりなす風景である。美しくも不思議な景観をおりなす大自然である。チェジュドは、韓国国内で有数の観光地で あり、新婚旅行のメッカとも言われているチェジュド。4月に訪問した際は、修学旅行生で飛行機も島内もあふれかえっていました。最近は、日本や台湾からだ けでなく、中国本土からの観光客をも引きつけている。韓国ドラマの効果というところもあるだろうが、それもチェジュドの持つ景観ゆえ、ドラマの舞台となっ ていると言えよう。
  チェジュドはハルラ山(1950m)が中央部に位置する火山島であり、溶岩がさまざまな景観を作り出している。チェジュドの自然は21世紀に入り、世界から注目され、高い評価を受け、相次いで、ユネスコなどから以下のような認定を受けている。

2002年 生物圏保存地域Biosphere Reserve
(生物多様性保全と自然資源の持続的な利用を結びつけた陸地と海岸地域(海洋生態系))にユネスコが認定
2007年 世界自然遺産World Natural Heritage
(ユネスコ世界遺産委員会が優れた地形・地質、生態系、景観を持つ地域を登録し、定期的な監視や基金を通じて保護)認定
2010年 ジオパークGeopark(地球活動の遺産を主な見所とする自然の中の「大地の公園」)認定
(2011年 世界七大自然景観選定)

  確かにチェジュド全域が上記の地域に認定されているわけではないが、実際に訪ねてみると、火山島である島全体が景観保全地域と称して良いことを実感でき る。実のところ、韓国政府による景観地域に基地建設作業(破壊作業)をしているカンジョン・クロムビー岩一帯が入っていた。(後に恣意的に取り消され た。)海に接しているクロムビー岩は長さが1.2km、幅が150m規模の溶岩でできた、世にも珍しい一枚岩である。そして、この岩の周辺の海域には絶滅 危惧種のカニなどが棲息している。
  太古からこの自然を受け継ぎ、山の幸、海の幸を生み出してきたチェジュド・カンジョンの人々が少なくとも400年つないできた生業や生活を基地建設は一網打尽にしてしまう状況を作りだしている。

チェジュドの歴史
  チェジュドの歴史に目を転じてみよう。チェジュドは独立性を保ちながら、朝鮮半島の百済、新羅、高麗、李朝などに服属したが、蒙古による侵略支配(100年)、また日本による侵略支配(36年)を受けた時代があった。

チェジュドの日本軍飛行場
  ここでチェジュドにおける日本軍の足跡をたどってみよう。日本軍は1920年代から朝鮮の人々を徴用しながら、チェジュドに大規模軍事施設を築き始め た。1930年代中盤にはチェジュド西部、ソンアクサン(宋岳山)近くの平地にアルトゥル空軍飛行場が完工し、1937年、日中戦争が勃発するや、この飛 行場から出撃した戦闘機が約700km離れた、中国南京を爆撃した。幅20m、高さ4m、長さ10.5m規模の格納庫が計20棟建設され、訓練機赤とんぼ を格納したという。2002年、この飛行場跡は韓国近代文化遺産に指定された。

日本敗戦後の混乱、困窮
  日本の敗戦時、チェジュドには6万人もの日本軍将兵が駐留し、そして撤収していった一方で、チェジュドへは6万人の島民が朝鮮半島や日本から戻り、大変 な混乱の中で、多くの人々が苦しい生活にあえいでいた現実があった。このような混乱、困窮の根本原因は日本が作り、さらには、次に挙げる四・三事件の遠因 にもなったといっても過言ではないだろう。

四・三事件の勃発  
  そして、日本(韓国では歴史用語として、普通に、〈日帝〉という言葉を使う)の支配から解放されて、まもなく、最近まで、韓国では、さらにチェジュドで すら、自由に語ることのできなかった悲惨の極みの四・三事件(サーサム・サッコンと呼ぶ)が起きた。この四・三事件こそが海軍基地建設問題に大きな関わり を持っているのである。

四・三事件の経過
  チェジュ四・三事件は1947年3月1日、警察の民衆発砲事件を契機に、警察・西北青年団(西青、右翼団体を利用した)の弾圧に対する抵抗と単独選挙、 単独政府反対を旗印に1948年 4月3日、南朝鮮労働党(南労党)チェジュド支部武装隊(総数最大500人とされる)が武装蜂起して以来、1954年9月21日、ハルラ山立入禁止地域が 全面開放されるまで(1949年6月、組織的な戦闘は終わった)、チェジュドに起きた武装隊と軍隊・警察・西青からなる討伐隊間の武力衝突と討伐隊の鎮圧 過程で多くの住民が犠牲となった事件である。イ・スンマン(李承晩)大統領によって、11月17日、チェジュドに布告された戒厳令以降、大虐殺が始まっ た。宣布された当時の島民、28万人のうち、約10分の1(2.5万人~3万人)が虐殺された(米軍報告者ですらmass slaughter〈大殺戮〉と表記された)。犠牲者のうち、女性 21.1%、10歳以下の子ども5.6%、 61歳以上の老人が6.2%とほぼ4割を占めている。

四・三事件の背景
  長い間、<チェジュド島民に〈アカ〉のレッテルが張り付けられたが、それは妥当とは言えない。彼らは南労党に主導されはしたが、自分の利益を第一に動い ただけである>という歴史解釈が通説となりつつある。民心は抑圧する軍政当局から離れていた状況が横たわっていたのである。それは、1947年3月10日 の民間・官庁合同「3・10ゼネスト」(同年3月1日発砲事件やその後の軍・警察の対応への不満や怒りが背景にある)や1948年5月10日、総選挙で全 国200選挙区のうち、チェジュドの二選挙区だけ選挙が不成立で無効処理された(1949年5月10日、再選挙成立)ことに示されている(チュジュド島民 は南だけの単独選挙、単独政府に反対していた)。

韓国での四・三事件評価
  歴代政府が四・三事件をタブー視してきたが、キム・デジュン大統領がこの事件の真相究明に着手し、2003年10月31日、ノ・ムヒョン大統領が「国家権力によって、大規模犠牲」がなされたことを認定し、チェジュド島民と遺族に公式謝罪した。

四・三事件に対する立場~カン・ウイル司教~

 チェジュ教区長カン・ウイル司教(2002年着座)は、次のように四・三事件に対する立場を明らかにしておられる。
韓国の全国民は同胞であるチェジュド島民を国家権力によって惨憺たる非人道的な死に至らしめたことに対して共同責任を負う。
政府軍の無差別の暴力によってむごい扱いをされた犠牲者たちにゆるしを願わねばならない。
ゆるしを請うしるしとして、わたしたちはこうした歴史的真相を隠さず、ありのままに後世に伝え記憶することは必然だと思う。
そして、二度とこのような国家権力による非人道的な犯罪がくりかえされることのないよう、誓わなければならない。」
この見解は、わたしたちが歴史に向き合い、どう行動していくかの規準となりうるものではないだろうか。教皇ヨハネ・パウロ二世が「広島平和アピール1981」で何度も繰り返して強調された一節、「過去を心に刻み忘れないことは、将来に向かって歩みを起こすことである(To remember the past is to commit oneself to the future.)」というメッセージと相通じるものがある。

チェジュ海軍基地建設推進の略史

1993年 海軍、本部海軍基地建設提起
2005年 当初候補地、ファスン港地域住民反対
2007年 2月 国防省、チェジュドに建設同意要請
           4月 村会臨時総会(80名だけ参加の抜き打ち総会)、建設誘致決定
           5月 チェジュド、海軍宛基地建設同意
           5月 ノ・ムヒョン大統領、建設必要性言及
           8月 カンジョン村会総会、基地建設反対表明
2010年 2月 海軍基地着工、無期延期
         11月 ウ・グンミン道知事、基地受け入れ公式発表
2011年 8月 チェジュ地裁、工事妨害禁止
2012年 3月 クロムビー岩爆破作業開始
2012年 4月 ムン・ジョンヒョン神父重傷
       (警察ともみ合う中で、防波堤から墜落)
  以上の推進の動きの中に、民主的手続きの欠 如がみられる。また、チェジュドを2005年、「平和の島」に宣言する一方で、海軍基地建設推進を同時並行的に本格化させたノ・ムヒョン大統領に対し、カ ン・ウイル司教は四・三事件の歴史を説きおこしながら、基地再考を促すメッセージを送付している(2007年5月)。

チェジュ海軍基地建設のねらい
  韓国独自の国防というより、中国、ロシアの軍事的台頭を牽制しようというアメリカの戦略的意図が基盤にあり、海軍基地建設が進められていると判断できる。いまなお、有事の際は、米軍が韓国軍を含め、指揮する(韓米相互防衛条約(1954年発効)の存在)。

なぜ、海軍基地問題に向き合うのか~カン・ウイル司教~(JP通信、2012年1月他) 

当初、国家プロジェクトへの反対表明逡巡
チェジュド島民に寄り添う(教会の使命)
軍事基地建設反対(善意の市民たちと連帯して)は悔い改めのしるし
天文学的な軍事支出はだれのためか
アジアの平和、世界の平和を危うくされるのを傍観してはならない
人間のいのち、共同善、信仰の真理に反するものならキリスト者は拒否すべき
イエスは神の国とその義のために闘った方
キリスト者は生きている現実に関わるべき

カンジョン村に寄り添い、連帯支援を先導するカトリック教会
  カンジョン村会は、カン・ドンギュン会長の粘り強いリーダーシップのもと、6年にわたって、座り込み、断食、上京闘争などを継続的に展開してきた。その 間、連行、逮捕、罰金などの嵐に抵抗する住民を韓国カトリック教会はカン・ウイル司教(現在、韓国カトリック司教協議会会長でもある)が全面的に支援して きた。たとえ、基地建設が強行され、完工したとしても、この連帯支援の歴史は確実に記憶されるだけでなく、神の国は確実に実現しているととらえることがで きよう。

チェジュドと沖縄は双生児か
  美しい自然、歴史、戦略的な地理的位置を並べてみると、チェジュドと沖縄はなんと似ていることだろう。単純な比較は禁物だろうが、チェジュドをよく知れば、沖縄のことが、沖縄をよく知れば、チェジュドのことがより深く理解できるだろう。

リーダーシップとスチュワードシップ
  この半年、チェジュ海軍基地問題を追跡しながら、チェジュ教区の牧者カン・ウイル司教とカンジョン村カン・ドンギュン会長の存在感の大きさである。大胆 さと繊細さを併せもったリーダーシップ(指導力)、痛み苦しむ人々に寄り添うスチュワードシップ(奉仕力)がどれほど人々を励まし、あるいは目覚めさせ、 連帯の輪を広げたことだろう。

問われる私たち
  日本にあるわたしたちは過去のことを水に流す、過去の事はしかたがなかったのではないかと、またお上が決めたことだからとか、世間ではそうなっていると か言って、責任を問わず、責任を負わず、歴史を問おうとしない生活文化の中に生きている。社会の福音化ということが教会の大切な使命の柱というのなら、ま さに歴史、社会への向き合い方をテーマとしないわけにはいかないだろう。