オドマロ ムバンギジ SJ

上智大学客員教授

 

 

はじめに

日本とアフリカの関係について議論すると、サハラ以南のアフリカと、日本との貿易と投資の問題が必ず出てくる。この問題は1970年代から続いており、国によっては、ウガンダのように1922年まで遡る。日本はウガンダの綿を輸入し、ジーンズを生産していたのだ。日本からアフリカへの最も一般的な輸入品は、トヨタ、日産、三菱などの自動車、テレビ、コンピューターなどの電子機器である。ウガンダの公共交通機関における最も大きな革新は、通称「Boda Bodas」と呼ばれるオートバイの利用であり、ウガンダのバイクのほとんどは、日本製のヤマハとホンダである。

 

経済的に大きな可能性を秘めた地域としてアフリカへの関心が高まる中、日本とアフリカの関係には大きな課題がある。日本を含む主要先進国による多くの援助、投資、貿易によるイニシアティブにもかかわらず、なぜアフリカは低開発のままであるのかということだ。これまでの政策とアフリカの内部事情に問題があるように思われる。

 

アフリカが提供する機会

アフリカと日本が効果的な協力関係を築くため、克服しなければならない大きな課題のひとつに、認識の問題がある。確かにサハラ以南のアフリカは、奴隷制度、植民地支配、武力紛争、経済成長の遅れ、HIV/エイズ、エボラ出血熱、そして今回のコロナウイルス感染症といった地球規模のパンデミックなど、経済的にも政治的にも多くの困難に直面してきた。しかし、これらの課題だけがアフリカ大陸を特徴づけているわけではない。よって、克服すべき最初の課題のひとつは、アフリカに対する認識の変化である。

アフリカ大陸は鉱物資源にも恵まれており、世界人口を養える耕地の約6割がアフリカにはある。また、アフリカは30歳以下の若者が人口の約6割を占めている。この若年層の多くは大卒の高学歴者であるが、そのほとんどが失業者である。

日本を始めとする先進国は、アフリカ大陸のリスクばかりに目が行く傾向にあり、アフリカに内在する大きな可能性にはあまり目を向けてこなかった。その結果、日本からアフリカへの主な投資は、南アフリカ共和国、モロッコ、チュニジア、エジプトなどのアラブ・北アフリカ諸国が中心となっている。サハラ以南のその他の地域は、主に安価な原材料、特に鉱物の供給源であり、工業製品の準備市場であることに変わりはない。

13億人以上の人口を抱えるアフリカは、世界の貿易における大きな市場である。この巨大な市場と安価な労働力の恩恵を受けてきた日本は、アフリカの若者の技術力を向上させるために、もっと努力する必要があるのではないだろうか。

 

 

日本のアフリカへの関わり:多様で矛盾に満ちたアプローチ

日本のアフリカへの経済的関与は、日本の外交政策および外交の一環として行われる。無償資金協力、技術協力、円借款、投資・貿易の4つの手法でアフリカ支援が行われてきた。世界第3位の経済大国である日本は、1988年以来、フランス、ドイツ、米国と同程度の政府開発援助(ODA)をアフリカに投じてきた。しかし、日本のアジア諸国へのODAはそれ以上である。また、考慮すべき重要なこととしては、アフリカには54の国があり、いくら援助しても大海の一滴のようなものである。

日本がこれまで、アフリカに対して継続的な関心を持っていたことは間違いない。しかし、本格的に関わり始めたのは、21世紀に入り、2005年がアジア諸国の間で「アフリカ年」と宣言されたときからである。1970年代から1990年代にかけて、アフリカ諸国と日本の間で貿易や投資が行われていたにもかかわらず、日本にはアフリカに関する一貫した政策がまだ確立されていなかった。例えば、1990年代の日本のアフリカにおける主要な貿易相手国である南アフリカは、日本の対アフリカ輸出の30%、対アフリカ輸入の50%を占めていた。1990年代前半、日本のアフリカへの輸出入は全体の1%程度に過ぎなかった。つまり、米国が南アフリカに経済制裁を科していた時期、日本はアパルトヘイト下の南アフリカとの唯一の主要貿易相手国として、多大な恩恵を受けていたことになる。

2017年、日本の対アフリカ輸出額は約175億ドルであり、そのうち南アフリカ向けは25億ドルである。輸入に関しては、同年、日本はアフリカから683億ドルを輸入している。明らかに日本とアフリカの間には大きな不均衡がある。それでも、アフリカから日本への輸入額のうち、57%は南アフリカが占めている。これは、日本と南アフリカの貿易関係が古く、南アフリカがアフリカでも有数の経済大国であり、高い工業力を有しているからにほかならない。

その背景には、かつて東西冷戦の対立を回避するため、非同盟運動を含むアジアとアフリカの国々を結ぶ枠組みである「南南協力」の議論が常に行われてきたことが挙げられる。日本は国際政治に対して平和主義を志向していたため、冷戦の地政学に巻き込まれることを避けようと企図し、そのことがアフリカと距離を置いたことに影響していると考えてよいだろう。冷戦時代、1960年代から1990年代初頭まで、アフリカは超大国間の代理戦争の舞台であった。冷戦下の武力紛争に巻き込まれた国々は、ソマリア、アンゴラ、モザンビーク、ナミビアなどである。しかし、これは冷戦時代の独裁的な政権と貿易を行うことで、日本が間接的にその政権の権力維持と戦争資金の確保を可能にしたことも意味している。

日本がアフリカに地政学的な関心を持ち始めたのは、1990年代初頭である。1993年、日本は国連平和維持活動の一環として、モザンビークに自衛隊を派遣した。同年、日本は有名な「アフリカ開発会議(TICAD)」を開催した。直近のTICADは2022年8月27日から28日にかけてチュニジアで開催され、アフリカ支援のために300億ドルの拠出が約束された。日本は南スーダンに平和維持軍を派遣しており、2011年にはアフリカの角における海賊対策という国連の取り組みの一環として、ジブチを拠点とする軍隊を設置した。

アフリカにおける日本の関心は、国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指していることと関連している。54か国からなるアフリカは、国連総会で一定の影響力を持っている。つまり、援助や技術協力は、国益と切り離すことができない。日本は援助を外交の道具として使っているのである。

 

 

おわりに:政策転換の必要性

日本のアフリカ外交は、所有と自立の原則、そして国家による介入というアジア型開発モデルによって導かれてきた。しかし、日本のアフリカへの関与が、意図した結果をもたらすためには、いくつかの矛盾に対処する必要があると指摘されている。机上では問題がないように見える政策の枠組みも、実行に際して困難を来たす。ほとんどのアフリカ諸国はまだ開発アジェンダを自分のものとしておらず、自立していると言えるアフリカ諸国はほとんどない。アフリカの開発政策は、いまだに資金を拠出する機関により大きく左右されている。

自立は、アフリカの国々が人的資本を十分に発達させ、それが雇用の創出につながる場合にのみ実現するであろう。国家の介入を重視するアジア型開発モデルをアフリカに適用すると、一部の独裁政権を強化してしまう傾向がある。政府が公共サービスを提供できない場合、民間部門、それも非営利の部門に権限を与えることが必要である。学校、病院、社会開発、環境保護プロジェクトは、往々にして信仰に基づく組織によってよく行われ、日本の開発機関から資金を得ることはほとんどない。

技術移転もまた、日本の対アフリカ協力が大いに役立つ分野である。アフリカの労働力の増加を考えると、日本はアフリカに低い生産コストで工場を設立することができる。アフリカの鉱物を輸出し、付加価値をつけないという政策が、アフリカを低開発にとどめている大きな要因の一つである。

日本が投資できる他の分野は、通信、農業、金融サービス、再生可能エネルギー、特に太陽光発電と風力発電であろう。日本はまた、より良い移民政策を導入することで、アフリカの教育された労働力を利用することができる。つまり、情報通信技術の分野で21世紀に必要とされるスキルに重点を置いたアフリカの高等教育への投資は、日本が長期的にアフリカから熟練労働力を確保し続けるためのひとつの戦略である。

この小論の写真に見られるとおり、アフリカの公共交通機関は大きな課題である。日本は、自らの経験に基づき、公共交通機関の管理に関する技術的なノウハウによって、アフリカ諸国を支援することも可能である。日本がアフリカの道路や鉄道のインフラに投資することも考えられる。また、日本は長年、化石燃料に依存した自動車をアフリカに供給してきたため、アフリカへ電気自動車のみの輸出に徐々に移行するなど、アフリカの気候変動の緩和・適応策に貢献する必要がある。