デイビット マッキントッシュ

マイノリティ宣教センター共同主事

 

今年の7月24~29日に、フランシスコ教皇がカナダを初訪問しました。以前にもヨハネ・パウロ2世が教皇として3度カナダを訪れましたが、いずれの訪問でもカナダの先住民の代表と会い、その長い歴史や豊かな文化について言及するとともに、先住権・自治権・解放などのテーマにも触れて先住民の尊厳を称えつつ、彼らのキリスト者としての信仰と歩みを奨励しました。

 

昨年夏、カナダ西部のカムループス市に今も残る「Indian Residential School」(インディアン寄宿学校)旧校舎の敷地内に、何の墓標もなく215体の子どもの遺体が埋められていたことが発見され、カナダ内外に大きな衝撃を与えました。日本でも、そのニュースを見た方は多いと思います。その後、他にもいくつかの寄宿学校跡で遺体が確認されています。

「インディアン寄宿学校」とは、カナダ独立(1867年)の40年ほど前から、「キリストを知らない者を主に導く」との宣教概念の下で教会が、1883年からは先住民に対する国の同化政策の下で、約15万人の子どもたちを親・故郷から引き離して「教育」した学校網のことです。全国通算130箇所に設けられ、最も盛んだった1930年代には、全国の先住民の7〜15歳の子どもの4人に3人が寄宿学校に送られました。

「在学中に自分のことば(英語・仏語以外の言語)を話すと体罰を受け、辛くなって家に帰ろうと逃げ出せば、更に酷い罰を受けた。」「ある友だちが逃げた後、二度とその姿を見なかった。」このような証言に加え、性的虐待の証言も多く残されています。栄養失調や病気を含めると、寄宿学校で幼くして亡くなった子どもの数は、確認できるだけでも6000人と言われています。この寄宿学校制度は、「文明化」と「教育」の名の下で、最後の一校が扉を閉めた1997年まで続きました。カムループスの発見は、寄宿学校における子どもたちへの虐待や死について知っていた人さえもが、よろめくような衝撃でした。

寄宿学校制度が個人に、家族に、コミュニティに、次世代に負わせた痛みと傷跡は、あらゆる形で今にも及びます。例えば、カナダの先住民の自殺率は、カナダ総人口平均の4~5倍です。北方のイヌイットの間では11倍、ある地域に住むコミュニティでは40倍のところさえあります。この差のすべてが寄宿学校のせいとは言えません。しかし全国の先住民が数世代にわたり体験してきた差別・蔑視・周縁化・文化の破壊、尊厳と権利の侵害がすべて凝縮され、子どもたちに押し付けられた場が寄宿学校だったと理解すれば、法制上の差別はおおよそ消えた今も残る数々の格差の大きな要因の一つであることは確かです。

寄宿学校を支え、そこで働いた人々は、個々人が虐待行為をしたか否かにかかわらず、植民地政策と白人至上主義に加担していたと言わざるを得ません。これら寄宿学校の大半は、カトリック教会と聖公会が運営し(政府直営学校を除いた数の約3/5と1/4)、残りは長老教会とメソジスト教会(1925年の「合同」後は、カナダ合同教会)が運営していました。カムループス寄宿学校は、1978年までカトリック教会が運営していたものです。

今日これらの教会につながる者は、大抵、「カナダのジェノサイド」の罪の責任を負うとの自覚があります。この罪を神と先住民の兄弟姉妹の前に告白し、癒しと和解に向けて歩むべき道を当事者とともに模索することを約束する謝罪は、1986年にカナダ合同教会が(これは「植民地主義」に加担したことへの謝罪)、1993年には聖公会が、翌1994年にはカナダ長老教会が寄宿学校について謝罪し、1998年には再び合同教会が寄宿学校に特化した謝罪をしました。

カトリック教会も1991年に、カナダ司教協議会と、最も多くの学校を運営したカナダ・オブレート会が謝罪をしました。しかしその謝罪が教会の頭である教皇によるものではなかったことを問題視する先住民や人権活動家は多く、カナダ政府が2006〜2015年に行った先住民問題の「真実と和解委員会」でもこのことが課題となりました。これを受けて2017年には、カトリック信者でもあるジャスティン・トルドー首相が教皇に対し、カナダを訪れて先住民の地で謝罪をするよう求めました。これに応える訪問が実現しないうちに昨年のカムループスの発見と衝撃が起きたため、カトリック教会および教皇への批判が一気に高まりました。

これにどう応じるべきか、きっとこの頃にはカナダの司教協議会、バチカン、先住民の指導者、寄宿学校の生存者の間で盛んに意見が交わされたことでしょう。そして昨年秋に、カナダのカトリック司教協議会が寄宿学校に特化した謝罪文を出し、今年3月にはカナダ先住民会議の代表団と、寄宿学校の被害者や子孫、あわせて30名ほどがバチカンを訪れ、フランシスコ教皇と面会しました。代表団、当事者と対談した上で、そこで初めて教皇の口から謝罪の言葉が語られたわけです。これらのステップを経て、今年7月の教皇のカナダ訪問が実現しました。

私は、今年の6月半ばから7月前半にかけて、3年ぶりに母国カナダに帰国しましたが、私がつながる長老教会・合同教会の方と会うたびに、「教皇がこの歴史的な訪問でどのような言葉を語るのだろう」と話題になりました。今回の訪問で最重要課題となる寄宿学校の問題は、これまで3回の教皇訪問では全く触れられなかったという事実もあり、教会関係者、各地の先住民、一般のメディアからは、期待と悲観が交互に聞こえてくる、そのような時でした。

今回のカナダ訪問は、おそらくフランシスコ教皇の健康と体力を鑑みて、エドモントンとケベックの2都市だけを拠点としました。それぞれの地で大規模なミサが行われましたが、最も注目されたのは、先住民との出会いの場と、そこで語られた教皇の言葉でした。教皇がどのような心と姿勢で今回カナダを訪れたかは、エドモントン到着の翌日、そこから80キロ南にあるマスクワシス先住民居住区で開かれた集会で語った挨拶の中で簡潔に表明されました。

 

「今日、私はここ、太古の記憶とともに、まだ開かれたまま傷跡が残されているこの土地にいます。私がここにいるのは、あなたがたの間での悔い改めの巡礼の第一歩が、再び赦しを請い、深くお詫びすることであるからです。私が謝罪するのは、多くのキリスト教徒が、残念なことに、先住民族を抑圧する植民地化の考え方をあらゆる方法で支持したことです。お詫びいたします。特に、寄宿学校制度を生んだ当時の政府によって促進された文化的破壊と強制同化の政策に、教会と宗教共同体の多くのメンバーが協力したことについて、赦しを請います。」

数多くの先住民コミュニティから招待を受けた教皇は、特に今回の訪問の大きな動機となったカムループスを訪問地に選ばなかったことについて批判の声が上がっていたことに対し、次のようにも述べました。

「それ(招かれたすべての地を訪問すること)は不可能ではありますが、私の想いと祈りの中に皆さんがいることを知っておいてください。私は、この国のあらゆる地域で先住民族が経験した苦しみとトラウマ、困難と課題を認識していることを知っておいてください。この悔い改めの旅で私が話す言葉は、すべての先住民のコミュニティと人びとに向けられたものです。愛情を込めて皆さんを抱きしめます。」

教皇はまた、「悪」とも呼んだ寄宿学校制度について、「深い恥と悲しみを感じている」と個人の想いを度々述べ、植民地主義と同化政策への加担については、教会の頭として、「教会の名の下で二度とこのようなことが起こらないように」と悔い改めの言葉を語りました。そして、これから和解に向かう歩みについて、次のように述べました。

「私は、この国のキリスト教徒と市民社会が、先住民族のアイデンティティと経験を受け入れ、尊重できるようになることを信じ、祈っています。すべての人が共に歩むことを学べるように、これらの人々がよりよく知られ、尊敬されるようにするための具体的な方法が見出されることを願っています。私としては、引き続き、先住民族を支援するすべてのカトリック信者の努力を奨励していきます。これには時間と忍耐が必要であることを理解しています。人の心を貫くようなプロセスが求められます。私がここにいること、そしてカナダの司教たちの決意は、この道をたゆまず歩む私たちの意志の証です。」

教皇のカナダ訪問と謝罪の言葉がカナダ各地の先住民にとってどれだけ必要なものだったのか、その訪問を見て深く実感しました。フランシスコ教皇の謝罪が心からのものであり、また歴史的なものであったことは確かであり、先住民を含む大半のカナダ人がそれを認め、評価したようです。

しかし同時に、「教会の数多くの子たちの先住民に対する罪」と表現して、一つの体、一つの組織としての教会の責任告白には不十分であるとの批判や、カナダでも長らく議論されてきた聖職者による女性・子どもへの性的虐待の問題については、今回の訪問で語られなかったことについても、不満の声が残されています。カナダ政府や他の教会と同様に、カトリック教会も、謝罪の後にどのような行動を取るのか、これからもなお注目されます。罪から癒しと和解へと通じる道のりは、教皇が述べた通り、時間と忍耐を要する長いものです。「…だとしても、長く待たずにできることがある」との声にも頷かされます。バチカンに残されているであろう寄宿学校関連史料の閲覧を先住民や研究者に許すことは、その一つでしょう。

 

最後に、私がこの夏カナダに帰国した時の話をもう一つします。7月1日には、カナダが155年前に英国から独立した日を祝う「カナダ・デー」がありました。私はここ10年以上日本に住んでいるため、カナダでこの日を迎えるのは実に11年ぶりでした。かつてこの日は、英国からの「独立」と、英・仏系カナダ人による「開拓」と、先住民を含む「多文化共生」を祝う日でしたが、今年は違いました。先にも触れた2006~15年の「真実と和解委員会」以来、カナダ各地でその地域に住むFirst Nation(先住民)がカナダ・デー式典の企画に積極的に関わるようになり、この日のテーマが過去の「入植者が創った国を共に祝おう」から、「先住民も祝える国を共に創ろう」へと大きく変わっていました。

バンクーバー市中心街の歩行者天国に設けられた大ステージでは、様々な移民コミュニティの歌や踊りが披露されましたが、最も印象に残ったのは、先住民の出演者が登場する前に舞台に立った地元グァワエヌク族の首長、ロバート・ジョセフさんの言葉です。 「どうぞ皆さんも、(真実と和解委員会から出た)『94の行動への呼びかけ』などを読んで、和解のために自分が居る場所でできることを考えてください。和解は、あなたから始まるのです。和解をあなたの生活の中にも取り入れてください。」

その3週後に、カナダを訪れたフランシスコ教皇が似たメッセージを語りました。主よ、キリスト者として、一市民として、不義の罪を負うものとして、意志を持って和解に努める者とさせてください。アーメン。