イエズス会社会使徒職委員会

 

 

2021年2月1日、ミャンマーにおいて同国国軍がクーデターを起こしました。その背景には、2020年11月8日に行われたミャンマー連邦議会の総選挙があります。その選挙で与党の国民民主連盟(NLD)が改選議席の8割を超える396議席を獲得しました。この選挙に対して、国軍が支持する連邦団結発展党(USDP)は不正であると抗議し、ついにクーデターを起こして国家権力を掌握しました。

クーデターによる政権奪取に対して、NLD所属の一部議員らが国民統一政府(NUG)を設立し、少数民族とともに抵抗運動を続け、また多くの人々が抗議デモを行っています。国軍側はこの抗議活動を軍事力によって弾圧し、少数民族に対しても軍事行動を展開しています。クーデター以降、2000人以上の市民が虐殺されたといいます。また、今年7月、民主活動家4人の死刑が執行されました。

日本政府は、ミャンマーの軍事政権を承認していません。しかし、日本の外交姿勢に対してミャンマー国民から批判の声も挙がっています。欧米諸国が国軍やその関連企業に対して標的制裁(targeted sanctions)を発動しましたが、日本は厳しい措置をとらず、むしろ「独自のパイプ」をいかして国軍幹部にも働きかけを行うとしたからです。また、日本がミャンマーに供与しているODA(政府開発援助)について、クーデター後も実施中の案件を継続しました。さらに、ODAによる建設事業の一部が国軍関連企業に発注されていたこともわかりました。ミャンマーの人々の批判は、国軍関連企業とビジネスをしていた日本企業にも向けられています。

今年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻をめぐる報道によって、ミャンマーへの関心はかなり低下したように感じます。けれどもイエズス会アジア太平洋地域上級長上協議会とそのもとにある移民難民委員会は、7月に開催された会議において、ミャンマーの状況を緊急かつ最優先事項ととらえ、さまざまな角度からミャンマー支援を考察しました。その中で、イエズス会ミャンマー地区長Girish Santiago神父が上級長上協議会と委員会に行った提案、およびミャンマーからのある難民の声の要約を記載することにしました。また今後、イエズス会社会司牧センターや下関労働教育センターなどの活動を通して、ミャンマーに関する情報発信や支援活動を展開していきたいと思います。

ミャンマーからの難民の声

 

2021年2月1日以降の、私の故郷、ミャンマーの状況について共有したいと思います。私の個人的経験は、自分の町にいる時に始まりました。人々は町から避難するために準備をしていました。そのため、日曜日のミサに教会に行くことができませんでした。

娘から町を出るように言われた私は、自分の町から20キロほど離れた村に逃げました。私が到着した時には、すでに300人ほどがその小さな村に避難してきていました。難民を収容する場所を作るために会議を招集し、チームを作りました。それは混乱の始まりの頃だったので、その後次々と避難者が村に到着しました。何日か経って、ようやく事態が安定しました。私たちは、受け入れてくれる村があったので幸運でした。

クーデターから1か月が経って、家に戻りました。家に居る間にも、国軍と地元の抵抗軍の戦いが断続的に続きました。家に帰るなという命令が出ていました。パンデミックがその地域で起こりました。ある団体のサポートが得られたので、私たちは幸運でした。その団体に、この場を借りてお礼を言いたいと思います。

2021年11月には、身を寄せていた村に軍から圧力がかかったため、別の村に避難することを強いられました。村の家の多くが今に至るまで破壊されたままです。私たちが追い立てられて次の村にたどり着いた時、そこにはすでに何千人もの人たちがいました。6千人の人々は、そのほとんどが女性、子ども、そしてお年寄りでした。そのため、私たちが入る余地はありませんでした。私たちは他の人たちのように逃げることもできず、家に留まることもできませんでした。

私は地元の町に安全な場所を探しましたが、12月の終わりには町で激しい戦闘が起こりました。特に、2022年1月8日には町の南側の地区で非常に激しい戦闘が勃発しました。何千人もの市民が町から避難しました。私と私の家族は救援部隊によって1月9日に避難させられました。その時から、3か月以上、今いる場所に留まっています。私は一時的に支援してくれる友人がいます。しかし、今私とともにいる家族は5人だけです。娘たちと孫たちの幾人かは別の場所におり、彼らのことが非常に心配です。私がここにいる間にも、私の元いた町では戦闘が続いています。

 

これらが私の経験です。私たちは数日から数週間、物資に事欠いていましたが、私たちを迎えてくれた村では、家や物資を分けてくれます。彼らは、このような時には忍耐強くいることが重要であると教えてくれます。私はたまたま、この聖週間に人々が何をしているか聞きました。若者たちが子どもたちにカテキズムや読み書きを教えているのです。状況が許す限り、移動しながら活動するそうです。

この間、他にも多くの試練に直面しました。特に食料や水の不足は深刻でした。町が封鎖されたため、ほとんど何の薬も手に入りませんでした。もし手に入るようなことがあっても、食料や薬の値段が跳ね上がっていました。事態を悪化させたのは、人々の収入が途絶えたことで、家族の必要に応えられなくなったことでした。社会の中で弱い立場に置かれた家庭、女性たちは特に苦境に立たされました。

また、地域でコロナウィルス感染症が蔓延することも懸念の一つでした。一度は地域全体で大流行しました。自分たちで自分たちの世話をしなければならなくなり、難民キャンプでは、家族に必要なものも手に入りませんでした。生活用品などは通常の2倍の値段になりました。インターネットや電話も使えなくなりました。

IDP(国内避難民)の安全確保の重要性を特に強調したいと思います。多くのお年寄り、特に女性は、トラウマを受けました。私の妻も、今の村に来るまで、トラウマゆえに昼も夜も眠れなくなりました。私たちは、安全と、家に帰るための見込みあるアプローチを必要としています。今特に必要としているのは、国内避難民のための安全な場です。今、私たちにとってそんな場所はどこにもありません。

そして食料も必要です。雑草とトウモロコシをスープにしている人たちがいるほどです。薬も手に入りません。復興プログラムも必要です。家々は破壊され、収入の目途も立たないからです。子どもたちは1年半教育を受けていない状態ですから、彼らへの教育支援も必要です。

誰が指導権を握るとしても、人権を尊重してほしいのです。そして、パンデミックに備えてコロナウィルスのワクチン接種を早急に必要としています。田舎の人たちは接種が受けられていません。また、願わくは、国内避難民のために、やり甲斐のある就業機会も用意してほしいと思っています。今は難民キャンプや避難先で、みんな仕事を失った状態なのですから。