ギスラン チケンドワ マタディ SJ

テイヤール・ド・シャルダンセンター (コンゴ民主共和国、ジュマ)

 

 

  1. 個人的な体験、決定的な出会い

修練院での2年間(1994-1996)、私はイエズス会が「実習」と呼ぶものの一環として、2か月間、さまざまな病院で過ごしました。そこで私は、患者さんだけでなく、その親族や医療スタッフとも出会い、素晴らしい体験に恵まれました。1997年から1999年までの3年間、聖ペトロ・カニジオ大学で哲学を学んでいたとき、私はキンシャサ大学で法律を学んでいたムボンボに出会いました。ムボンボの早すぎる死は、私に多くの問いを投げかけました。「なぜ、彼女なんだ? なぜ、この若くてかわいい女の子が、私の友人が?」と。

それから私は、苦しみと死の謎を解き明かすために、その答えを探し始めました。一般的な苦しみや死についてではありません。ムボンボという、顔も物語も知っている具体的な人物の苦しみと死についてです。そして、彼女の苦しみと死によって生じた疑問は、多くの人々の苦しみと死へと広がっていきました。老若男女、黒人と白人、富裕層と貧困層など、自分の愛する人、友人がなぜ苦しみ死んでいくのかと、幾重にも思いを巡らせる人々についてです。この体験と疑問から、私の最初の本『苦しみを超えて ~ある患者の証言』が生まれました。初めて出版されたイタリア語版では、『神と人間の苦しみ ~ある患者の証言』というタイトルが付けられました。

この最初の本がきっかけで、2冊目の本が生まれました。『苦しみ、信念、希望 エイズに苦しむアフリカのためのヨブの知恵』です。この本の特徴は、私がムボンボに触発された体験だけでなく、コロナウイルス感染症により、残念ながら影が薄くなっているHIV/エイズの流行という文脈で、ヨブ記を読み直した結果であることです。この2冊目の本は、フランス語とドイツ語で読むことができます。

たとえコロナウイルス感染症が私たちを悩ませ悲しませたとしても、この手ごわい残酷なパンデミックに立ち向かうため、あらゆる方向から展開された感銘深く賞賛に値する努力もまた、同じ状況下で現れていることに目を向けましょう。このように、死と苦しみは決して最後の言葉にはならないことを示し、その無限の愛を示すため、神はその苦しみと死と復活によって私たちを贖ってくださったのです。

 

  1. 希望と生命(いのち)の神学に向けて...

私は、ムボンボや病人たちとの体験から、またHIV/エイズやコロナウイルス感染症のような伝染病の文脈でヨブ記を読み、黙想することによって、生命(いのち)と希望の社会学・神学を、次の4つの詳細に分類するに至りました。

 

2.1. 苦しむすべての人の尊厳を守る

ヨブの苦しみは、彼が神の僕と見なされることを、最後まで妨げるものではありませんでした。それどころか、苦しみに向かう姿勢により、ヨブは優れた神学者であるだけでなく、強いとりなし手でありました。

 

しかし今、雄牛と雄羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。わたしはそれを受け入れる。お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。 (ヨブ記42:8)

 

病にある人の尊厳を守ることは、経験によって最もよく学べる価値観です。HIV/エイズやコロナウイルス感染症のようなパンデミックの時代には、感染者を拒絶し、軽蔑する誘惑があります。特にアフリカでは、十分な医療インフラが整っていないため、この危険は非常に大きいのです。

 

2.2. 奇跡や魔術の代わりに、医学を特に重視すること

多くのアフリカ人は、あらゆる深刻な病気は魔術師によって引き起こされると信じています。特に、ムボンボのケースのように、若い人たちに病気が起こり、死に至る場合はなおさらなのです。そのような信仰は、人々が病気の本当の原因と闘うことの一助にはなり得ません。

HIV/エイズやコロナウイルス感染症が、まさ にそうなのです。多くの人々は、これらの大流行が魔術によって引き起こされ、魔術やあらゆる種類の呪文によって治すことができると考えているのです。生命の神学と社会学、そして生命の希望により、魔術に代わって、私たちが神から授かった、病気を治療するという人間の能力を主張しなければなりません。

何世紀にもわたって、アフリカ人は実績のある医療行為を発展させてきました。しかし、魔術や呪術を信じるがゆえに、それ以上発展しない危険性があるのです。魔術師のようなスケープゴートを探すのではなく、不幸や死を引き起こす原因について責任ある研究を行うことに重点を置くべきでしょう。生命の神学と社会学は、神によって創造された自然の中に癒しの力を見出すよう人々を励まさなければなりません。

 

2.3. 生への通過点として死の現実を考える

アフリカの通過儀礼とは、「男や女の生を永遠に刻み、その人が通常選択するよりも深く人生に引き込む出来事である。イニシエーションとは、その人が誰であるかを定義するものであり、その人から何らかの力を噴出させるものであって、その人の本質的な自己だけが残るまで、その人からすべてを剥ぎ取るものである。」*

イニシエーションとは、アフリカの男女が生と死の本質を学ぶ伝統的な学校なのです。通過儀礼から学ぶ最も重要な価値観は、生は死よりも重要であり、生を守るためにいかなる状況でも闘わなければならないということです。

実際、死は生への通過点と考えられています。生命と希望の社会学・神学では、死は、主イエスが豊かに与えてくださる満ち溢れる命への道のりであることを主張するために、これらの文化的豊かさに焦点を当てなければなりません(ヨハネ10:10、12:24)。HIV/エイズやコロナウイルス感染症のようなパンデミックは、苦しみや死さえも引き起こし、そして今ももたらし続けています。生命と希望の社会学・神学は、主イエス・キリストのうちにある満ち溢れる命への道のりとして、人々が死を受け入れられるように準備しなければならないのです。

 

* Malidoma Patrice Somé, The Healing Wisdom of Africa: Find Life Purpose through Nature, Ritual, and Community (New York, Penguin Putnam, 1988), p. 275.

 

2.4. 人間の性の尊厳を促進する

アフリカの人々は子どもをとても大切にします。多くの民族がそうであるように、子どもは神からの贈り物であると信じています。おそらく他の民族以上に、多くの子孫を残すことが神と祖先からの祝福のしるしであると信じています。

しかし、無責任な性行為はHIV/エイズを蔓延させる危険性を高めますし、ご存知のようにコロナウイルス感染症についても社会的距離を置かなければなりません。このような状況において、何が何でも子どもを産みたいという思いは、計り知れない結果をもたらすことがあります。HIV/エイズとともに生きる孤児の多さは、この事実の生きた証拠であります。生命と希望の社会学・神学は、性の表現が成熟した責任ある方法で行われなければならないことを、時宜を得ているかどうかを問わず、人々に思い出させなければなりません。

 

  1. より大きな責任への呼びかけ

私が個人的に経験したことを記してきました。苦しみが、これまでもそしてこれからも、決して最後の言葉ではないということを、私は未だに理解しようとしています。最後の言葉とは、命であり、神が私たちに与えてくださる貴重な贈り物です(ヨハネ10:10)。

コロナウイルス感染症のような深刻な危機の今こそ、超越への開放を促し、民族間の新しい形の連帯を進めることができますように。