梶山 義夫 SJ

イエズス会社会司牧センター所長

 

 

私は、エジプトにおける私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の前で叫ぶ声を聞いて、その痛みを確かに知った。それで、私は降って行って、私の民をエジプトの手から救い出し、その地から、豊かで広い地、乳と蜜の流れる地に導き上る。

(出エジプト記3:7-8)

 

最近、西アジアのある国から4か月ほど前に苦労して脱出してきた父親と子どもたちに会った。彼は、三人の小学生の子どもと一緒に出てきた。父親は子どもたちを前に、日本の教育現場について私に訴えた。自分は母語と英語ができるが、子どもたちは英語も日本語もできない。子どもたちは小学校に行っても、毎日クラスで黙ってただ座っているだけ、教科書も配付資料も読めない、教師やクラスメートとの意思の疎通もできない。なぜ日本の学校は、そのような子どもたちを大切にしないのかと私に問いかける。父親と子どもたちを前にして、無力感を覚える。

東南アジアの国から家族でやって来た中学生の学習支援の手伝いを時折している。彼らは日本語を話すことができるが、教科書を読んだりするのは難しい。教科書は学校に置いている。宿題も私たちがいる時だけしているとのことである。中学卒業後の展望も特に持っていない。その中学生と一緒にいると、本人の不安やあきらめが伝わってくる。

ウクライナやアフガニスタンで、ミャンマーやイエメンで、エチオピアや世界各地の紛争地で、特に貧しい人々とその子どもたちはどのような状況で、このクリスマスや新年を迎えているのだろうか。またこの状況で、私たちはどのような気持ちで、このクリスマスや新年を迎えているのだろうか。

 

今年もまた、苦しみをつぶさに見、叫び声を聞き、痛みを確かに知ってくださる方が、イエスをこの世界に送ってくださる。そのイエスとともに生きるとは何か、他者のために生きるとは何かを考えている。