ロバート ディーターズ SJ(1924年生)
上智大学名誉教授
アメリカにおける世論の反応
ニューメキシコ州ロスアラモスを拠点とする大規模プロジェクト:原子爆弾の開発と製造、精製前ウランとプルトニウムから原子爆弾の材料を製造する2つの大規模な工業用地。この計画のすべては、最高機密に指定されていました。また、議会は「軍事目的」に必要な数十億ドルを認可する必要があり、計画に直接関与したごく少数の主要な議員だけが実態を知らされていました。
1945年8月6日以降、アメリカの一般市民には「新しい爆弾」が広島を破壊したとだけ伝えられました。当時は、テレビはまだ十分普及しておらず、ニュースの主な情報源は、ラジオ放送・新聞・雑誌でした。日本の降伏と軍事占領後、アメリカ合衆国の記者と写真家は、厳格な監視下でのみ、被爆した都市を訪問することを許可されました。
アメリカでは、1945年8月までに、硫黄島攻略、フィリピン奪還作戦、特に沖縄占領、そして日本本土に対する焼夷弾爆撃が一般に知られていました。日本の敗北は明白であり、原爆はとどめを刺す最終兵器でした。「家族の元に帰って自分の人生を送れる」というのが、ほとんどのアメリカ人の気分でした。
アメリカ合衆国が何をしたかを知り、アメリカ人が熟考し始めたのは、1946年の初めになってからでした。ジョン・ハーシーの評論と報告書であり、6人の生存者の個人的な体験に基づいて記された『ヒロシマ』は、何百万人もの人々に衝撃を与えました。この3万語のエッセーは、多くの新聞や定期刊行物にそのまま転載されました。全文の朗読がラジオで放送され、「数十万」部の無料の小冊子が配布されました。ある歴史家がコメントしたように、「おそらく真珠湾攻撃以後初めて、アメリカ人は普通の人間である日本人と対峙した」のです。
広がる後悔と慰めの神話
ヒロシマとナガサキの被害が知られるようになった後、より思慮に富んだアメリカ人、特に私の友人でありアドバイザーであるヘンダーソン神父の声に、人々は徐々に耳を傾けていきました。
たとえば、8月17日に、US News & World Reportの編集者は次のように書いています。
「軍事的必要性が私たちの批判への答えですが、すべての文明国の中で、毒ガスの使用がためらわれているにもかかわらず、これまでで最も破壊的な武器を老若男女に対し無差別に使用することを躊躇しなかったこと、このことが私たちの心から消えることは決してありません」(ガー・アルペロビッツ、『The Decision to Use the Atomic Bomb and the Architecture of an American Myth』※、p. 438)。
※邦訳は『原爆投下決断の内幕――悲劇のヒロシマ・ナガサキ〈上・下〉』(ほるぷ出版、1995年)
キリスト教教会と一般社会の両方から、原爆投下に対する賢明な批判の小さな流れが、大きくなり始めました。この苦々しい批判を阻止するために、ハーバード大学のコナント学長は、政府で活動していた小さなグループを集め、決定的で詳細に記された解説を公開し広く配布しました。そこには、製造された原爆が、どのように、なぜ、投下される決定がなされたのかが記されていました。
このために、原爆を使用するというトルーマン大統領の決定を、合理的でバランスの取れたものであるとアメリカの人々が見なすよう教え込む論文を著すようにと、元陸軍長官のスティムソンを説得しました。論文の骨子は、大統領の直面した決断を説明することでした。トルーマン大統領は、日本に無条件降伏の要求をどう飲ませるかの判断を迫られており、決断の分岐点に差し掛かっていました。一つは、多くの米兵の犠牲を伴う日本本土への本格的な上陸作戦および軍事占領を命じるということ。あるいは、原子爆弾投下の衝撃によって、この恐るべき兵器が日本全土へ使用されることを日本の支配者に懸念せしめ、無条件降伏を受け入れさせるということでした。
この説明を説得力のある方法で書き、出版するために、コナントのグループは、すでに引退していたスティムソンの権威と名声を求めました。スティムソンの門下には、ある若い男性がおり、他の人物、特にコナントによってしばしば編集された論文は、定評のある全国紙Harper’sに、初版が掲載されました。TIME、New York Times、およびその他の影響力のある出版物に、論文の全部または一部を転載する許可が与えられました。出版物は、地元の主要紙だけでなく、ラジオ局や図書館にも送られました。論文は、明確かつ力強く書かれており、直接的に、あるいは講評や討論を通じて大きな影響を与えました。
論文における印象的かつ意図的な省略の一つは、1945年の夏、大統領に対し十分に討議され支持されたという提案の記録でした。それは、天皇制が非軍国主義の政体(国体)に保持され得るという保証を含めた、より詳細な降伏の条件を日本に伝達するという箇所でした。
この論文は、歴史の「正統な」解釈を一般の人々にしっかりと植え付けるという、その主な目的を達成しました。世論調査ではアメリカ人の90%以上が、そこに描かれているトルーマンの原爆投下の決定が合理的であると認めていたことが示されました。原爆を使用するというこの決定について広範囲に調査し、著述したガー・アルペロビッツは、この見解を「アメリカの神話」と呼んでおり、アメリカ人や他の多くの人々の良心の呵責を和らげました。
この神話は、今日でもアメリカや他の国々、そして日本においてでさえ受け継がれています。ほぼ80年後の現在、歴史家や一般の読者は、25年以上「秘密」であった多くの文書を読むことができます。しかし、世論調査によれば、今でもアメリカ人の少なくとも半数と、日本人の多くが、この作り上げられた神話を信じています。