~WYD2016クラクフ大会に参加して~

柳川 朋毅
イエズス会社会司牧センタースタッフ

  2016年7月末に、ポーランドのクラクフで行われたワールドユースデー(WYD)2016に参加してきました。WYDとは、約30年前に聖ヨハネ・パウロ二世教皇の呼びかけによって始められた青年の世界大会です。初回のローマ大会(1985年)以降、2~3年に一度、世界各地で開催されてきましたが、14回目となる今回の世界大会はその聖ヨハネ・パウロ二世の故郷の町クラクフでの開催となりました。日本からは青年と同伴者を合わせて約130名が公式巡礼団として参加しました。

  クラクフでの本大会が始まる前、私はクラレチアン宣教会の巡礼団とともに聖ファウスティナが生まれ育ったウッチという町で過ごすことができました。聖ファウスティナは「いつくしみのイエス」が現れたことで有名なシスターで、彼女を列聖した聖ヨハネ・パウロ二世とならんで、WYD2016の守護の聖人とされていました。

  また、日本ともとても関わりの深いポーランド出身の聖人に、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父がいます。この旅の途中で聖コルベ神父ゆかりのいくつかの場所、特に彼が身代わりの死を遂げたアウシュビッツ強制収容所にも訪れることができました。

  WYDは、キリストの受難と復活の神秘を祝うために世界中から青年が集まる「巡礼」の旅です。祈りに満ちた毎日のプログラム――ミサ、カテケージス、十字架の道行、ゆるしの秘跡だけでなく、食事や歌や踊りにいたるまで――を通して、とりわけ世界の人々との出会いを通して、非常に大きな恵みと多くの気付きをいただくことができました。そのすべてを伝えたいものの、紙面に限りもあるので、私の感じたことをごく一部紹介したいと思います。

愛の反対は“正義”?
  9月4日のマザー・テレサの列聖を間近に控え、大会のプログラムにも彼女のことがたびたび登場しました。「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」という言葉は彼女と関連して、キリスト者ではない日本の多くの人にも知られています。ところが、ある日のカテケージスの中で、サレジオ会の佐藤直樹神父が私たちに「愛の反対はひょっとしたら“正義”かもしれない」という言葉を投げかけました。人が自分勝手な「正義」に固執することによって、愛の反対の行為が生み出されるのではないか、というのです。

  ポーランドのテレビでは日本以上に、連日、世界各地で起きたテロや暴力事件のニュースが報道されていました。ドイツで男が銃を乱射し・・・、妊娠中の女性が刃物で襲われ・・・。毎日のように繰り返される悲惨な出来事、増え続ける犠牲者の数に心を痛め、ただただ祈り続けるほかはありませんでした。

  さらに教皇フランシスコがクラクフに到着する前日の7月26日には、そうしたニュースに交じり、フランス北部の教会で、IS(自称「イスラム国」)の影響を受けたとみられる二人の青年によって80代のジャック・アメル神父が殺害された事件も報道されました。また、くしくも同じ日に相模原市の障がい者施設で起きた惨殺事件の情報もすぐに飛び込んできて、とても大きな衝撃を受けました。

  こうした暴力事件、とりわけ人の命を奪うという、およそ愛とは対極にあるかのような行為の裏側には、実は彼らなりの「正義」があるのでしょう。「宗教」という言葉を用いたくはありませんが、彼らの持つある種の「理念」や「価値観」によれば、彼らの襲った人々の命は、「いらない」もしくは「死ぬべき」命なのであって、そうした命を抑圧、排除し、死に追いやることはまったく問題がないどころか、むしろ賞賛に値する「正義」の行動だというのです。

  70年ちょっと前にアウシュビッツで行われた信じがたい虐殺も、まさに彼らなりの「正義のために」という理屈が引き起こした惨劇の一つでしょう。本による知識は持っていても、アウシュビッツの地に初めて実際に立つと、その場が放つ禍々しさにひたすら圧倒されました。「戦争は人間のしわざです・・・」から始まる、聖ヨハネ・パウロ二世による35年前の「広島平和アピール」が頭をよぎり、私はヒロシマのことを想わずにはいられませんでした。考えてみれば原爆の投下も、ある「正義」に基づいて行われたのであり、人間が「正義」の名のもとに行うことのできる悪のあまりの恐ろしさに戦慄を覚えました。

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ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)
 と記されているアウシュビッツ第一収容所の門

 

 

 

壁ではなく橋を
  そうした中で私の心を打ったのは、教皇フランシスコが大会中に何度も繰り返す「恐れるな」という言葉でした。人は恐れや不安から、自分とは異なる人との間に壁を築き、他者を攻撃し、排斥します。そうした一見、恐怖や暴力が支配しているようなこの世界にあって、私たちキリスト者が取るべき武器は銃や憎しみではなく、信頼であり、希望であり、愛です。キリスト者は「壁ではなく橋を築くように」と呼びかける教皇の言葉は、「敵を愛せ」(マタイ5:44)と言われるイエスの言葉と同じく、憎しみや報復の論理によってますます増大していく暴力の連鎖を断ち切る唯一の方法を私たちに示してくれているように感じます。

  2011年7月22日、ノルウェーでひとりの男性がわずか一日で77人もの人を殺害するという衝撃的な事件が起きました。彼が犯行に及んだ動機もやはり、その政治的・思想的信念に基づいた「正義のため」だったとされています。死刑のないノルウェーで、彼は通常の最高刑である21年の禁固刑という判決を受け、現在も服役中です。その刑期の“短さ”や刑務所環境の“快適さ”は、多くの人を驚かせました。

  その事件から5周年の特別報道を見ていると、命拾いをしたある人物が当時ツイートした次のような言葉が紹介されました。「ひとりの男性がこれだけの憎悪をみせることができたのです。私たちが共にどれだけ大きな愛をみせることができるか、考えてみてください」。生存者をはじめ、当時の首相にいたるまで、多くの国民がこの発言を重く受け止めました。そしてノルウェーの社会は、この憎悪犯罪(ヘイト・クライム)に対して、さらなる憎悪や重い刑罰によって憎しみを返すのでも、死刑によって犯人の命を奪うのでもなく、むしろ愛のある人道的な処遇を与えることによって、彼の社会復帰を目指すという選択肢を選んだのです。

  2015年11月13日には、パリで130名以上が犠牲となった同時多発テロが起きました。妻を失ったひとりのジャーナリストがテロリストに宛てて綴った「君たちに憎しみという贈り物は絶対にやらない」という勇気ある言葉は、「テロとの戦い」と称して報復論を過熱させる社会の中で、多くの人に希望の光をもたらしました。

  今回も、アメル神父の殺害事件を受け、テロとの戦いを声高に叫び、教会の警備強化を訴える人々がいる一方で、フランスのカトリック教会が取った対応は別の道でした。7月31日、フランス中の多くの教会は主日のミサにムスリムを招きました。その結果、感動的な祈りの時を共有でき、カトリック教会にとってもイスラムにとっても、とても意義深い交わりが生まれたそうです。宗教間に壁ではなく、橋を築いたのです。

  アメル神父の妹によれば、神父は生前からキリスト者とムスリムとの平和的共生を願い、そのために積極的に働いていたといいます。なのでたとえ「宗教」の名によって引き起こされた痛ましい事件だとしても、イスラムに対して憎しみや報復を返すのではなく、むしろ手を携えて平和な世界の実現のために共に歩んでいくことこそが、アメル神父の遺志であり、私たちはそこにこそ希望を見出すべきなのでしょう。

  相模原事件で19人の命を奪った26歳の青年は、この世には「劣った」命があるのだといういわゆる「優生思想」に感化されていたようです。ナチスの時代から70年経ってもなお人類の中に根強く残るこうした考えに対して、十字架上のイエスの姿、また聖コルベ神父のアウシュビッツでの最期を知っている私たちは、どのように応えていくことができるでしょうか。

あわれみ深い人々は幸いである
  自然と街並みの美しさや料理のおいしさ以上に、ポーランドで何より感動したのは、人々のびっくりするほどの温かさでした。ホストファミリーをはじめ、イベントのボランティアスタッフや私たちのお世話をしてくれた日本語学校の生徒さんたち、司祭や修道者だけでなく通りすがりの人まで、多くの人々が行く先々で私たちを心から歓迎し、深い愛情を示してくれました。

  実はポーランドは世界でも1、2を争うほどの親日国だということや、国民の9割以上といわれるカトリック率(イタリアよりも高い)も、その親切さと無関係ではないでしょう。現にホストファミリーから、「客が家にいる(のは)、神が家にいる(のだ)」というポーランドのことわざを教わりました。そうしたポーランド流のいわば「お客様は神様です」の精神の根底に流れているのは、客人をもてなすアブラハム(創世記18章)や、最も小さい者を世話する人々(マタイ25章)の姿と重なる、見返りを求めずに行う「あわれみ」であるように感じました。

  クラクフ大会のテーマは「あわれみ深い人々は幸いである、その人たちはあわれみを受ける」(マタイ5:7)という、真福八端からとられた言葉でした。ポーランドの人々のあわれみ深い態度に触れるたびに、この聖句の意味を単なる概念としてだけでなく、身をもって味わうことができたことは大きな恵みでした。これほどまでに、今回の大会のテーマにふさわしい言葉はないでしょう。

  また、私たちは現在、「御父のようにいつくしみ深く」(ルカ6:36)というモットーのもと、「いつくしみの特別聖年」を過ごしています。その聖年中に開催された今回のWYDでも、「御父のいつくしみ深さ」をことあるごとに感じることができました。特に、WYDのクライマックスともいえる最終日(7月31日)の教皇野外ミサ――前日の土曜日からキャンパス・ミゼリコルディアと呼ばれる広大な場所に数百万の青年が集まり、晩の祈りをささげ、野宿をし、翌日の閉会ミサを迎える――でも、教皇フランシスコは次のような説教をしました。

wyd  「人々はあなたを阻もうとするでしょう。そして、神は遠い存在であり、善には善で報い、悪には悪で報いる、かたくなで冷淡な方であると考えるよう、あなたを仕向けるでしょう。しかし、天の御父は『悪人にも善人にも太陽を昇らせます』(マタイ5:45)。御父は私たちが真の勇気を持つよう求めます。それは、すべての人を愛し、敵さえも愛することにより悪よりも強い人間となる勇気です。皆さんはいつくしみの優しく謙遜な力を信じているので、周囲の人々に笑われるかもしれません。しかし、恐れないでください」。

  ちなみに、聖ヨハネ・パウロ二世がWYDの開始を決めたのも、前回の特別聖年である「あがないの特別聖年」(1983~84年)のことでした。そこにも何かWYDの原点を想起させる不思議な縁を感じずにはいられません。

  不安や恐れ、憎しみ、無関心、無気力、そして羞恥心から、私たちは自分の周りに壁を作り、自分の殻に閉じこもってしまいがちです。けれども、福音の喜びを伝えるために、たとえ傷ついてもいいから外に出向いていこうと、教皇フランシスコは繰り返し私たちを励まします。聖ファウスティナが残してくれた「Jezu, ufam Tobie(イエスよ、あなたに信頼します)」という祈りをWYDの間幾度となく唱えました。この短い祈りからも、多くの勇気をもらうことができました。
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