ヨハンナ ソ ハンナ

韓国カトリック司教会議 民族和解委員会 諮問委員

 

 

 

2022年10月31日から11月3日まで、日韓イエズス会社会使徒職会議が長崎で開催されました。「宣教活動と和解」をテーマとした4日間の巡礼は、初日の夕食会から始まる予定でした。しかし、韓国から日本へのフライトの予期せぬ遅延により、再会の瞬間は少しだけおあずけとなりました。2015年から毎年、韓国と日本の間で開催してきたこの会議は、コロナの状況によって過去2年間延期となっていました。そのため、「諸聖人の日」である11月1日に、15人の参加者が一堂に会し、日本二十六聖人記念館での待望の再会が始まったとき、祝福された奇跡のように感じました! コロナ禍の発生により、両国間の物理的な会合はほとんど停止していましたし、日本がビザなし渡航を再開してから1か月も経っていませんでした。ビザも、隔離期間も、PCR検査も不要! 最高のタイミングでした!

亡くなった人々を偲び祈る特別な月である11月に始まった巡礼路は、日本のカトリック史における宣教師や殉教者について学ぶ場所や、過去の戦争の傷を振り返るツアーでいっぱいでした。ある宣教師たちは、自らの意思で自国から長崎にやってきて福音を宣べ伝えましたが、ある朝鮮人たちは戦時中、故郷から強制的に炭鉱などに連れてこられて働きました。ある宣教師たちは、困難な時期に両国を結び付け、聖人たちの聖遺物の確保と安置を助けましたし、素晴らしい特別ガイドを務めてくださった木村先生を含む日本人たちは、忘れられた歴史的事実を伝えるために二国間交流を続けています。これらすべてが最終的に、参加者が韓国と日本の間の和解を考察するのに役立ちました。長崎にいる韓国人宣教師たちとの特別集会も続けられ、韓国から宣教師として来日した韓国人司祭が、韓国人参加者のために特別ガイドツアーを行ってくれました。

 

「長崎ちゃんぽん! 長崎カステラ!」

長崎訪問計画を韓国人の友人に話したとき、最初に返ってきた言葉はすべて食べ物でした。実際、長崎の美味しい食べ物のおかげで、食事のたびに楽しい会話をすることができました。韓国の文化では食事に関する挨拶が多く、聖書でも食事にまつわるイエスの逸話がたくさんあります。

今回の巡礼で改めて感じたのは、韓国にも日本にも、食事のときに用いる祈りのような表現があるということです。毎食、食事の前や後に、あるいは始業時や終業時のお互いへの挨拶にも同様のものが見られます。イエスが疎外された人々との食事を楽しんでいたように、韓日関係においても、誰も疎外されずに、楽しい食事を共にしていきたいと願っています。

《食事の前》 いただきます

⇒잘 먹겠습니다 (Jal meok-get-seum-ni-da)

《食事の後》 ご馳走様でした

⇒잘 먹었습니다 (Jal meo-geot-seum-ni-da)

《始業時》   よろしくお願いします

⇒잘 부탁드립니다 (Jal bu-tak-deu-rim-ni-da)

《終業時》   お疲れ様でした

⇒수고하셨습니다 (Su-go-ha-syeos-seub-ni-da)

一方で、迫害下の宣教活動や潜伏キリシタンの話からは、北朝鮮におけるカトリック教会について考えさせられました。かつて、日本のカトリック司祭たちが平壌の長忠〈チャンチュン〉カテドラルを訪れたことがありますが、日本の教会が朝鮮半島の平和のために重要な役割を果たす方法がいくつもあると信じています。

日本と韓国は、迫害と戦争の歴史を共有しています。それらの死から、私たちは何を思い出す必要があるでしょうか? 拷問や処刑の方法? 迫害の原因? 戦争の損害? 説明責任? 死に直面してもなお、より多くの人々に喜んで福音を宣べ伝えた殉教者たちの姿に見られる勇気と愛はどうでしょうか?

韓国と日本は、自然災害や様々な悲劇的な事故の記憶も共有しています。高い自殺率、貧困、および同様の社会問題は、両国に共通した問題です。私たちは傷を分かち合い、共に癒すことができます。梨泰院〈イテウォン〉のハロウィン雑踏事故のように突然多くの死者が出た社会で、このトラウマを癒すために必要なものは何なのでしょうか? 時には、悲しみや喪失に満ちた声、身代わりになる者への処罰を求める切なる叫びしか聞こえないように感じることがあります。私たちは、私たちに悪を為す人を赦すと告白しますが、社会において平和的に死を受け入れる赦しの声を聴くことは滅多にありません。争いの歴史よりも癒しの歴史を、赦しと和解の歴史を学ばなければならないのではないでしょうか?

 

「みんなを大切にして、お計らいに信頼をおく時にはじめて安らかな気持ちになれるのだ。この父もそうしてきたからこそ、お前達にこう言い切れるのだと思う」 (永井隆)

長崎原爆資料館の一角で、ロザリオをもって祈る男性の写真が目に飛び込んできました。この写真を見たとき、なぜかとても慰められました。実際、コロナ禍の終息とウクライナ戦争の終結を祈りながら、祈る以外に何をすればいいのかわからず、無力感を感じることもたびたびありました。巡礼を終えて東京に戻り、永井隆のことをもっと知りたくて『長崎の歌』という本を買いました。1951年に亡くなる瞬間まで、彼が朝鮮戦争の終結を祈っていたということを読み、圧倒されました。長崎の人々が、鐘の音にあわせてお告げの祈りを祈っている姿を想像すると、私の心は新たな希望と、韓国と日本の和解の道をより多くの兄弟姉妹と共に祈りながら歩み続ける愛とで満たされました!