朴 未有

大学生

 

私は2022年8月22日から26日まで、韓国の坡州〈パジュ〉市とソウルで行われた日韓青年平和フォーラムに参加しました。主催団体の「日韓和解と平和プラットフォーム」は、歴史を正しく直視し記憶を共有しながら、互いの多様性を認めつつ、真実の和解と、核兵器や武力によらない平和を願って、日韓の市民と宗教者が共に集い、語り合い、交流し、また社会に向かってメッセージを発することを目的としたフォーラムです。

 

このプログラムに参加しようと思ったきっかけは、日本と韓国の関係と歴史を自分の目でみて感じ、学びたいと考えたからです。日本で暮らしていると、特に日韓関係の歴史に関する本以外の情報を日本語で得ることが難しく、韓国語が分からない私は知ることが困難でした。また、情報が錯綜しているため、何も知らない状態で探してしまうと、正しい情報の判断がより困難であり、さらにパンデミックの影響により国同士で自由に行き来ができない中で、交流すらも難しい状況でした。そんな中でこのフォーラムを開催していただき、そして無事に参加できたことは、私の人生に大きな影響を与えました。

 

ここで個人的な話になってしまうのですが、私は生まれた国、国籍、住んでいる国が全て異なります。韓国国籍なのですが、日本での暮らしでは通名を名乗り、日本語で話していたため、周囲の人たちからは日本人と思われ、そう扱われていました。国籍が韓国でありながら、朝鮮学校に通うこともなく日本の教育を受け、韓国コミュニティに属することも大学に入るまでは一切ありませんでした。

このように、自分のルーツがたくさんあるのだとぼんやりとだけ考えていた私が、選挙権がどこの国にもないことを知ったのは浪人生の時でした。当時の私は、親戚に会いにいくことと、K-POPが好きなこと、そして家で食べる料理に韓国料理が多いこと以外には、韓国との関わりがありませんでした。アメリカではアメリカで生まれた人にはアメリカ国籍が与えられたり、イギリスでは出生してから10年以上暮らすと市民権を申請できたりすることなどをちょっとした知識でのみ知っていました。政治についてもやっと関心を持ち始めた頃で、日本では選挙権年齢が18歳にまで引き下げられ、周囲の友人たちも意識していたこともあり、私の選挙権はどこにあるのだろうとワクワクしていました。もしかして、私のルーツのある国全てにあるのかもという期待までしていました。

その後に父に聞いた言葉は「私たちの家族の誰も、選挙権はどこにもない」というものでした。自分の意見で何も変えることができない、その資格がない、居場所がないのだという気持ちになりました。時代によって制度が変化したのかもとそれぞれの国の制度を調べて、それでも結局どこにもないことを改めて知り、人知れず涙したことが今でも記憶に残っています。

 

特に印象深かった二日目の最初のワークショップでは、「若者から見た日本社会の歴史認識の現状」について話しあい、質疑応答の時間がありました。中でも、日本の教育を受けた在日韓国人の視点として、また若者としてという両方の視点を持って参加することができた時間はとても有意義でした。

日本の教育を受けた在日韓国人の視点では、「物心ついた頃から周囲の差別と無理解に常に怯えながら、時に自分のアイデンティティを隠しながら生活しなければならず、そのため自分自身の存在について否定的になってしまう」というお話が特に自分と重なりました。私が韓国籍であると知られた場合には質問され、それに答えることを求められます。また、両親の世代は、韓国や在日韓国人に対する悪いイメージがあり、平気で日本人より劣っていると言う人がまだいます。

今、目の前で楽しく話している友人が私の国籍を知った時、それでも今までと同じように仲良くしてくれるとは限りませんし、仕事相手も同様に、またこれからも今までと同じような関係で仕事をしてくれるか分からないのです。そのくらい不安になるようなことで、デリケートなことであるにもかかわらず、信頼して伝えた相手に、勝手に自分の国籍のことを話されてしまうこともあります。知られると生きづらくなってしまうなどの懸念があるから信頼して話したことを、理解が乏しいゆえに簡単に心を潰されてしまいます。このワークショップでそのモヤモヤを言語化していただいたことにより、避けるのではなく向き合うことに意識が向きました。

若者としての視点からは、歴史を語ること自体がタブー視されていることにより、関心の向けづらさや、それを人に話せないことによってより離れてしまうということが挙げられていました。一緒に参加した友人と後から話したことなのですが、今回のプログラムで学んだような内容を日本で歴史を学んだ際、日本史を選択しても世界史を選択しても、日韓の歴史については深く学びませんでした。そのため、関心を持って熱心に調べない限りはインターネットによる記事などが情報源となってしまい、「韓国そして韓国の人は日本が嫌いなのである」といった偏ったイメージを持ってしまうのではないかと考えました。

2000年代の韓流ブームののち、ここ数年では、若者を中心にK-POPに関心を持つ人が増え、韓国人もしくは在日韓国人に対する関心を持つ人が増えていますが、そこから反差別のための行動に繋げることができないという点は、どちらの視点からも問題視すべきことだと考えました。

 

三日目、戦争と女性の人権博物館に行き、水曜デモに参加しました。戦争と女性の人権博物館は、日本軍性奴隷制生存者たちが経験した歴史を記憶・教育する場で、アートなどで表現されていて、より近くでハルモニたちを感じました。戦時性暴力という、今もなお続く問題と向き合うきっかけとなり、自分が世界で行われている戦争と紛争の動向を知ることができていないことを再認識しました。

水曜デモでは、韓国の立場としては、日韓関係だけでなく、広く東アジアの連帯と平和を望んで訴えていることなのであると知り、自分のルーツとは直接関係のない国にも目を向けて考えるという、私自身にできていなかったことの重要性を知りました。今もなお、苦しみ続けている人がいるという現実と、その人たちの心に寄り添い続けるだけでなく、きちんと名誉と人権回復を達成するために連帯するべきです。そのために私たち若者の世代が歴史を知り、訴えに耳を傾け、そして行動に移すことが不可欠です。この水曜デモへの参加は、特に日本側の若者の参加者にとって、政治や歴史に関する自分の意見を持ってはいけない、もしくは話してはいけないように感じられる日本での風潮から、自分の意見を持っても良い、言っても良いのだと気づくことができ、救いになりました。

 

三日目の日韓青年が願う「私たちの未来」のミーティングは、上で述べたような自分のルーツとアイデンティティから起きた苦しみと葛藤について、今回の旅で同じグループの参加者に初めて話した場所でした。私は日本にいる時は、説明することに対して毎度ストレスを感じていました。いくら説明しても理解されなかったり、信頼して話しても大勢の前で暴露されたりした経験もありました。そこから自分のルーツやアイデンティティについて話すことを避けるようになりました。しかし、日韓青年平和フォーラム2022に参加して、私の葛藤を理解しながらも、在日韓国人という「特異な」存在ではなく、ありのままの私と気持ちを理解しようとしてくださる素敵な方々と出会いました。

「社会問題との向き合い方」や「在日韓国人」についてすごく葛藤しているときの私に、こんなに素晴らしい出会いができたことを伝えてあげたいです。孤独を感じてきたことが多かったので、今回温かい方達に出会うことができて、傷ついた心が、諦めや放棄による一時的なものではなく、本当の根本から癒されたような気持ちになりました。

 

この素晴らしい旅と出会いが、今後も東アジアの平和のための連帯が続いていき、実を結ぶことを願っています。

最後に、企画運営してくださった全ての方々と、この旅で出会えたたくさんの青年たちに感謝申し上げます。