下川 雅嗣 SJ
渋谷・野宿者の生存と生活をかちとる自由連合(のじれん)

 

  この25年間、年末年始は渋谷の公園にいて、野宿者と一緒に年越しをしている。渋谷野宿者越年越冬闘争である。「闘争」という激しい言葉を使っているのは、野宿者(野宿の仲間)にとって、極寒の冬を越すこと、そして役所も閉まり、日雇的な仕事がなくなる年末年始を過ぎ越すことが、如何に難しいかを示すためであり、仲間にとっては生き延びるための「闘い」だからである。

  今年は、寒さはさほど厳しくなかったが、野宿の仲間の居場所という意味では、厳しい闘いだった。というのは、25年間「のじれん」の共同炊事(炊き出し)の拠点だった美竹公園が、2022年10月25日に封鎖され、それ以降、渋谷区による野宿者排除の嵐が吹き荒れ、越年闘争の拠点となる場所が維持できるかどうかさえ怪しかったからである。結論から言うと、この越年期間(12月28日~1月4日)、仲間の命が一人も奪われることなく、全員で生き延びた。以下、年末に渋谷において、どのような野宿者排除が行われたのか、そしてどのような越年だったのかをまとめてみる。


 

美竹公園での排除

  美竹公園および隣接する公有地は、東京都・渋谷区共同の再開発事業である「渋谷1丁目地区共同開発事業」の対象となっている。これは、約1万平米を渋谷区・東京都がヒューリックと清水建設に70年間貸し出し、施設を建設・運営させる計画である。かつての児童会館跡地、渋谷区分庁舎跡地には14階建てのオフィスビルが建てられる予定である。美竹公園の部分は、地下を掘ってホールをつくり、土をかぶせた地上の部分が、あらたな「美竹公園」に指定される、ということになっている。つまり、公共施設が、営利目的のオフィスビルとなり、「美竹公園」は単なるビル前広場とされてしまう都市再開発計画である。

  再開発にかかわる工事は、2023年度4月以降から行われるというのが渋谷区による説明だったが、2022年10月25日(火)早朝6時半、渋谷区は100人程度の区職員、警備員を導入して、突然の美竹公園の封鎖を強行した。封鎖は当時公園に起居していた6名の野宿者に対して一切の予告なく行われた。さらに職員は、公 園の出入り口を締め切ると同時に、トイレと水道を使えなくした。野宿の仲間の抗議を渋谷区職員は無視し、封鎖作業が終わった段階で、「トイレが使いたければ公園を出てくれ。公園を出たら、もう入らせない」と言い放った。身体的・精神的苦痛をもちいて追い出しを行おうとする、とんでもない拷問であり、人権侵害である。

  美竹公園に起居する野宿の仲間のがんばり、および応援に集まった人たちの18時間にわたる抗議と数度にわたる交渉の末、日付が変わった頃にようやく公園出入り口のひとつの開錠をかちとった。以降一か月半の間、美竹公園は出入りができる状態が維持され、「のじれん」による共同炊事も12月10日(土)まで実施された。

  10月26日以降、美竹公園に起居していた野宿の仲間および「ねる会議」等は、渋谷区との話し合いを求めていたが、渋谷区は話し合いをズルズルと引き延ばし、その間に行政代執行による追い出しの手続きを始めた。さらに、ようやく話し合いに応じても、「福祉的アプローチを利用しろ」と繰り返すばかりだった。

  これでは進展の見込みが無いとの判断から、美竹公園に起居していた仲間は、行政代執行による追い出しの第3段階である「戒告」における荷物の撤去期日前日であった12月14日までに美竹公園から出て、近隣の区立神宮通公園(北側)に移っていた。予想通り、12月14日の午前8時、渋谷区は、予告なしに数十人~百人規模の渋谷区職員、警備員を動員して、美竹公園の再封鎖(仮囲い設置)を行った。

 

神宮通公園での排除

  さらに12月14日午後4時ごろ、神宮通公園(北側)に渋谷区公園課長ほか数名がやってきて、美竹公園から移ってきた仲間の荷物を移動するように、また神宮通公園(北側)が利用禁止になっている旨を連呼した。これに仲間と支援者が対応している間に、別の入口から数十人の渋谷区職員、警備員が公園内に入って人垣を作り、仲間と支援者が、荷物のある場所に戻れないようにした。その上で渋谷区職員は、公園内の荷物の撤去、運び出しを始めた。運び出した荷物はトラックに積み込まれ、移送された。その間に警備員の人垣は、仲間と支援者を取り囲む形で狭められ、最終的には10メートル四方程度の一角に拘束される状態になった。荷物の持ち主が目の前にいて、所有者であることを主張していたにもかかわらず、渋谷区は、すべての荷物を「所有者不明」として持ち去ったのである。

  拘束されていた人たちは身につけていたもの以外何もない状態で、したがって寝場所がない、毛布もない、靴も上着もメガネもない、持病の薬が飲めない、翌日の仕事に行けないといった状態で取り残された。このような暴挙は言うまでもなく命を直接的な危険にさらすものである。この強制撤去は、なんら法的根拠にもとづかない違法なもので、ただの暴力による強制、強奪であった。

  翌日以降、粘り強い交渉の結果、荷物の大部分は取り戻し、12月17日、24日は、「のじれん」による共同炊事も神宮通公園(北側)で実施された。しかし、公園の利用禁止は続き、起居している仲間を威嚇するように警備員が配置されていて、そのような不安定な緊張状態の中で越年闘争が始まったのである。

 

なぜ公園が必要なのか

  この一連の間、渋谷区はHPなどでしきりに、ホームレスに「福祉的アプローチ」や「ハウジングファースト事業」を勧めていると広報していた。この問題性について少し説明しておこう。

  ある程度長く野宿している仲間には、過去に福祉課窓口でひどい対応をされた者、「貧困ビジネス」施設で不当な搾取や暴力を経験するなど福祉的アプローチを利用した際にひどい経験をした者、高齢であることや保証人がいないために生活保護を利用した場合でも施設以外に居宅の確保が難しい者、生活保護申請に際する親族への扶養照会を望まない者、就業していて生活保護基準を上回る収入があるが借金返済の必要があり困窮している者等がおり、「福祉的アプローチ」を利用できない人も多い。渋谷周辺の路上にいる私の知っている仲間は、ほとんどがそのような人たちである。

  さらに、渋谷区の「ハウジングファースト事業」の場合は、当該施設の利用期間は原則三か月のみであり、その先の保障はないにもかかわらず、既存のテント等の放棄を当人に誓約させる形で運用されている。短期の利用期間終了後に、生活保護や就労自立に至らず、路上に戻らざるを得ないことを憂慮した仲間が、その後の生活状況のさらなる悪化を懸念して、利用を躊躇するのは当然と言えよう。

  さらに、共同炊事の場としての公園の必要性、これらの支援活動の公的性格についても述べておく。これらの支援活動は、失業等による生活困窮の結果、公園や路上等で起居することを余儀なくされている人々が多数存在し、かつそれらの人の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が公的な諸施策を通じて十分に保障されていない状況、すなわち公助の欠如があるためである。また、現在の経済構造と政策が続く限り、野宿者は常に新しく生み出され続けている。

  彼らにとって共同炊事は生き延びるための鍵となる。まずは、生きるために必要な食事の場である。さらには、仲間どうしの交流・情報交換の場であり、この場を通して、他の炊き出しの場や寝場所、段ボール探しなど、路上で生き延びるコツの習得が可能となる。さらには、医療や生活保護などの福祉的アプローチにアクセスする経由地にもなるのである。また、「のじれん」の共同炊事では、「あげるーもらう」の関係ではなく、一緒に作り、一緒に食べ、片づけるなどもやっているので、崩された自尊意識や人への信頼の再構築にもなる(コロナ対策のために、どんぶり飯ではなくパック飯にして、一緒に食べるのではなく各自の場所に持って帰るとした時点で、この特徴はほぼ失われてしまっているが)。

  これらは本来、人権を保障すべき行政が行うべきことであるが、それが十分機能していないため、民間でやらざるを得ないので、公的性格があると言えよう。また、このためには、物理的な一定空間が必要となるので、公共空間で行うのは仕方がないとも言える。

 

2022-2023越年闘争とこれから

  越年開始時、美竹公園を封鎖され、神宮通公園(北)が利用禁止とされ、神宮通公園(南)しか開いていない状態だった。神宮通公園(南)は狭く、かつ人通りが多く、また水場もなく、炊事をするのが難しい場でもある。そのため、炊事作業は北側で行い、出来上がったものを南側で配食することになった。しかしながら、「あげるーもらう」関係の脱却という観点から考えると、北で作って南で配食するのは、あげる側ともらう側の完全な分断を意味して、単なる炊き出しになってしまっていたのは残念だった。だが、この公園の状況、およびコロナの状況下、これ以上の手は思いつかなかった。

  越年闘争は、具体的には、連日16時集合、打ち合わせの後、共同炊事、配食(18-19時)、寄り合い(18時半)、集団野営、パトロール(夜回り)を行った。配食は100~150人程度の仲間が集まった。毎晩、寝る場所のない新しい仲間に寝られると呼びかけ、10名弱が集団野営をした。夜回りは2つのコースに分かれ、60~80人程度に声をかけ、ビラやカイロを置いた。コロナを警戒して、多数が集まるイベントは、31日の紅白歌合戦上映、年越しそば、1月2日の「さすらい姉妹」の芝居上演のみに抑えた。

 

  越年闘争は終わったものの、越冬闘争はまだ続いている。また、冬が終わっても毎週の共同炊事や夜回りは、渋谷に野宿の仲間がいる以上、続けていかなければならない。しかしながら、2023年1月現在、まだ神宮通公園(北)は利用禁止の状態になっていて、神宮通公園(南)は狭いため、北側と南側に分断されたままの共同炊事が続いている。また、南側は目立つ場所なので、もう少し目立たない場所に集まりたいと思っている仲間も多い。野宿の仲間が安心して居られる、集まれる安定的な場所は未だ確保できておらず、いつ、さらなる追い出しが行われるかわからないという不安の中にある。これからも読者の皆さんの注視、支援をお願いしたい。

◆のじれんHP⇒ https://nojiren.wixsite.com/index

 

『社会司牧通信』第228号(2023.2.15)掲載