アルン デソーザ(イエズス会神学生)
8月15日から22日まで、世界各国からの約200万の若者たちがカトリック教会の旗印の下、ワールドユースデイ(WYD)に参加するためにマドリードに 集結した。経済危機が多くの人々の命に影響を与えており、神の存在が疑問視され、若者が多くの解決すべき問題を抱えている現代に、これほど多くの若者がス ペインに集まったことは、単なるビッグイベントにとどまらない大きな意味がある。欧米は今や日常生活のあらゆる側面――人間関係、家族、社会、財政、発 展、文化、信仰――に影響を与える危機を経験しているということは周知の事実である。
WYDの一週間の準備として、世界中からの参加者はさまざまな巡礼の道を旅してマドリードまでやってきた。参加者は祈りや振り返り、分かち合いや信仰体 験の共有の時間をもった。WYDの一週間を通じて、参加者がイエスへの信仰を経験し表現するための助けとして、さまざまなセミナー、祈りの集い、展示、 ミュージカル、巡礼が催された。なかでも2011年WYDマドリード大会のメインテーマである「キリストに根ざして生きる」(コロサイ2章7節)――これ はさらに「信仰を養い分かち合う」と簡略化された――に焦点を当てたカテキズムは特筆に値するものであった。
最終日前日、200万人以上の若者は、晩の祈りと翌朝の教皇ミサに与るためにクワトロ・ビエントス飛行場まで行進した。WYDの体験の中でもっとも心に 残る瞬間が晩の祈りの最中に訪れた。強風が吹き荒れた後、教皇が参加者を聖体礼拝へと招いた時のことであった。一人の例外もなく、皆が静まり返ったのだ。 皆が動くのをやめ、会話をやめ、旗を振るのをやめた。この晩の祈りはきっと参加した人の心にずっと残り続けるに違いない。教皇が「あなたがたの信仰はどん な強風よりも強いのです!」と言った時、私たちの信仰は確かに強固なものとなった。翌朝、わたしたちは教皇と共に閉会ミサを捧げ、2011年WYDマド リード大会は幕を閉じた。
今WYDに参加した自分自身の体験を振り返ってみて、それは単なる集団が休暇や娯楽的なイベントのためにスペインに集結したのではなかったと私はつくづ く思う。WYDに参加した巡礼者は皆、ただ一つの目的――イエスへの信仰を告白すること――を心の中に持っていた。私は世界各地からの多くの若者たちと話 す機会に恵まれたが、誰もが共通の何かを持っており、それを共有していた。彼らがスペインに来たのはイエスのためである。このことは参加者一人一人の大胆 な証しと隠れた犠牲から明らかである。
経済的な観点から言えば、世界は確かに破産へと向かっている。教会の秘跡に基づく信徒の生活に目を向けるなら、もはや秘跡は若者たちの間で「人気」がな いことは明らかである。カトリック教会は教会を離れていく多くの人々のことを危惧している。しかし、イエスへの信仰がなければ、これらすべての若者たちが 高額の出費を払ってスペインまで行くだろうか。
ある特定の事柄に対する大衆の熱狂が自然消滅していくことは歴史が証明している。しかしWYDの第一回大会が福者ヨハネ・パウロ2世によって1985年 に始められてから、WYDにはつねに新たな刷新が加えられ続けてきた。それが信仰を告白する機会であることは、年月を経ても決して変わっていない。過去の WYD大会はいずれも一人一人の信仰を祝い告白する機会となってきた。WYDは世界各国の若者たちが一堂に会する機会であった。WYDはカトリックの信仰 を祝い、宗教的信条に関わらず、すべての若者たちに開かれている。
教皇ベネディクト16世がWYD巡礼のためのメッセージで語ったように、現代も、またいつの時代においても、若者は真理と連帯に基づく人間関係を心の底か ら求めている。自身の青年時代を振り返りながら、教皇は、安定と安全は若者の心の大半を占めている問題ではない、と指摘している。通常、若者が欲している のは、型通りの普通の生活に落ち着くことではなく、何か偉大なこと、新しいことを求めることである。青春の真っ只中では、誰もがいのちそのもののあらゆる 偉大さと美しさを見つけ出したいものである。日常生活と安定した職業の向こうにある何かを熱望することは若者であるということの一部である。私たちは偉大 な何か、無限のために創造された。より意味のある人生に対する望みは、神が私たちを創造され、私たちがその「刻印」を抱いていることのしるしである。
世界を見回すと、多くの地域、とくに欧米において、現代の文化や人間の傾向は神を排除し、信仰を単なる個人的な問題におとしめて、隣人と完全に切り離さ れた社会生活にとってまったく無意味なものとしてしまっている。このため教皇は私たちの主イエス・キリストの父である神に対する信仰を強くするよう若者た ちを励ましたのである。教皇によれば、今の世代こそが社会と教会の未来なのだ!しかし残念なことに、私たちの周りにいる多くの人々は自分自身の人生が根ざ す確固とした規準を持たず、そのためにとても不安定な状態になってしまっている。今や相対主義的なメンタリティーが蔓延しており、すべては等しく有効で、 真理や絶対的な規準などというものは存在しないと主張されている。しかしこうした考え方をしていては、真の自由に至ることなどできず、かえって不安定や混 迷に陥ったり、一時的な流行に盲目的に飛びついたりするだけである。現代の若者には選択と人生の基盤のための規準を前の世代から受け取る権利がある。ちょ うど若木が深く根を下し、実を結ぶたくましい木へと成長するまで確固とした支えを必要とするように。
先述の教皇のメッセージは今の若者たちの現状と刷新の必要性および新たな輝かしい地平への渇望をまとめている。スペインに集まり焼けつくような夏の暑さと 予想外の肌寒い強風にも耐えた200万の若者たちにとって、カトリック教会の一員であるということは、単に世界的なイベントに参加したということよりも大 切なことである、と私は確信している。こうした背景に照らして、今回のWYDの目標は達せられたと思う。「キリストに根ざして生きる」という2011年 WYDマドリード大会のメインテーマはより多くの人々を神へと導き、より多くの実を結び、彼らの人生にいっそう多くの意味と色彩を与えることだろう。そし てこのことによって私たちはイエスに根ざした堅固な信仰の新しいレベルに至ることができるだろう。