渡部 瑞穂(福島県浜通り在住)
地震。津波。原発事故による放射能汚染。
この3つが、東日本大震災において、福島の土地を凄まじい惨状へと化した要因である。特に、放射能汚染による被害は、深刻かつ甚大であり、非常に長く険しい道のりを人にも自然にも架している。
地震被害、津波被害により、多くの犠牲が出た。さらに原発事故による放射能物質の拡散は、想像を超える被害をもたらし続けている。放射能は目にみえないが、確かに害あるものとして、知らぬうちに多くのものを変性していく。福島は、放射能という見えないものに絶えず脅かされることになった、「三重苦」の被災地なのだ。
職場の受付では、地震被害、津波被害で家を失った人たちが頻繁にやってくる。仮設住宅から新たな居住施設へ移るための手続きをするためだ。戸建住宅、アパート、井戸端長屋などが新しい居住先となる。希望をとり、説明会を経て、場所が決まっていく。希望者数が多い所は抽選になる。市内数か所に設けられた建設予定地では、まだ造成工事が進められている場所が多い。入居は早くても2013年11月である。
震災から2年近く経つのに、仮設住宅の生活が続いている。津波被害で家を流された、浜の人たちには高齢者も多い。凍えるような寒さの中、一歩一歩、身体をひきずるようにして、必死に手続きや問い合わせに来られる姿をみると、胸が傷む。
反対側の受付カウンターには、農家の人たちが育てた野菜をクラッシュして持ってくる。食品の放射能検査のため、にである。「食品の放射性物質濃度測定コーナー 予約制」の案内表示が大きく書かれている。頻繁に検査予約の電話も入るし、訪れる人も増えた。「今日はなあに?」「うん・・・チンゲンサイ」。そんな会話が頻繁に聞こえてくる。この現実って何? と違和感を抱かざるを得ない。育てた食品を売って生きるために、少しでも内部被曝を避ける努力をするために、慣れないことを強いられている人たちが大勢いる。
放射能のことを気にせず、地物の野菜を無作為に食べることは、内部被曝の確率を上げる。そのことはホールボディカウンターの、集団検診データからも明らかになっている。市内の小さな公民館で、放射能と内部被曝についての医師の講演がおこなわれた。意外にも、子供を持つ母親の年代の人たちはほとんど見受けられず、聴衆は年配の人たちばかりだった。講演会の趣旨は、隣の南相馬市で行われた約3000人の集団検診データ分析をもとに、食について気を付けるべきこと、であった。
相馬市では放射線量の高い山間部の玉野地区(平均2.0μSv/h)から優先的に、ホールボディカウンターの検査が始まっている。玉野地区は、全村民が避難した飯舘村と隣接する地域であり、乳幼児から小・中学生までの子供約30人も居住し続けている。「思ったよりもセシウムが検出されなかったことがわかり、ほっとした」と医師は話していた。「各家庭の食卓への配慮が、体内からのセシウム検出量を低減させたのであり、食品検査をクリアしたものを選択していれば問題ない」という話であった。他方で、原発事故以前と同様に、自家製の地物野菜を食品検査なしに食べている人は内部被曝をする。検査結果で体内セシウム量の数値が高いままの状態が続くことも明らかになっている。故に、「内部被曝を避けるため、食卓に出す食材に気を配ることは重要であり、そのことに気を付けていれば安心」という結論で締めくくられた。
自然に恵まれ、畑や田んぼの多いこの土地には、自家製の野菜を大切に育てて食している人たちが多かった。それが当たり前の生活スタイルだった。もちろん、陸だけでなく魚介類を採って食べる人たちも多かった。すべて過去形になってしまった。
この現実は、重く受け止めなければならない。直視し、熟慮し、方向性を導きださなくてはならない。土、水、大気、動植物を含む自然が、突然の原発事故で放射能に汚染されるという現実が何をもたらしたのか。放射能汚染の意味もわからず、土をいじることをとめられる人。魚が泳いでいるのに、漁をして生活することもできない人。生きる術、生きがいを失った人が現実にいる。農業をやっていた近所の人と震災後に話したときは、放射能汚染がもたらした状況の残酷さを噛みしめ、涙が出た。「本当に悔しい」「みんなかわいそうだぁ・・・」。その悔しさと哀しみは未だに継続中である。
原発事故を繰り返さない努力はするべきである。日本において、原子力発電所の事故を100%止めることは可能だ、と言うことは、福島の原発事故による放射能汚染が人体に100%影響を及ぼさない、と言い切ることに等しい。前者、後者ともに、答えはNOである。
日本列島の地震の歴史、原子力発電所の所在地図をみると一目瞭然だが、日本は地震国であるにもかかわらず、全国に原子力発電所が点在している。いつ大地震が起きてもおかしくない場所に原子力発電所が乗っている。原子力発電所が100%安全である、という考えは安全神話であり、それを鵜呑みにすることはもはや欺瞞である。今回の福島第一原子力発電所の事故を教訓にしてもらわなければ、多くの犠牲が意味もなく踏みにじられることになる。
ひとたび放射能に汚染されてしまえば、それを取り除くことは至難の業なのだ。放射能汚染が招いた惨状と、放射能汚染により非日常的生活を強いられる人たちを同じ人間だと感じるのであれば、次のような感覚は捨ててもらいたい。「原子力発電所って、なんとなく安全でしょ」。←この感覚は相当に甘ったるい。
相馬市街地にある公園の平均的な放射線量値は、相変わらず0.25μSv/h前後である。つまり、相馬市内の平地は、低線量被曝地域である。低線量被曝について、講演者の医師に質問をした。返答内容は、「哲学的、神学的な話になってしまうのだが、・・・・・」(?)という曖昧なものであった。
別な講演会にも赴き、チェルノブイリ原発事故後の検証活動を続けている医師[i]にも同じ質問をした。返答は「低線量被曝については、はっきりとした定義づけはなく、医学的、科学的に明確に説明することはできない」というものであった。つまり、人体にいかなる影響が出るかは定かではない、ということなのだ。住み続けていて安全なのか?と問われれば、決してそうだといいきれるわけではないのだ。
放射線はDNAを破壊する作用がある。だから、汚染された場所からは遠く離れるべきなのだ、と聞かされたことがある。私は放射能の専門家でも科学者でもない。放射能の性質、生物に及ぼすさまざまな影響について、いかに知らないことが多いか。いかに知ることが困難な状況に置かれているかを思い知らされる。放射能の危険性についての認識の度合い、意識の違いは、人によって実にさまざまである。危険性の認識度がたまたま低いことが、守るべきものを守れない無防備な行動に走らせる。
放射性物質を除くために除染をおこない、放射線量を下げる必要性は知らされている。だが、人工的に造られた原子力発電所の事故で、高濃度の放射性物質が、近辺の大気や海へ放出されていながら、生活圏内における放射能の危険性について、近隣住民は十分に知ることができていない。十分に知らないことは、防げるはずの危険をも防げない状況を作りだしてしまう。ここに、重大かつ悲劇的な構造がある。
2012年の冬は、12月はじめからたびたび雪に覆われる寒い日が続く。原発事故以前には、真っ白な雪がつもると、愛犬たちは喜んで雪の上を跳ね回っていた。原発事故以降は、放射性物質が落ちてきている可能性を考えて、外に出すのをためらってしまう。全く出さないわけにはいかないから外に出してみるときもあるが、犬たちは知らぬうちに被曝しているかもしれない。ほとんど毎日、犬たちは、窓の外の雪景色を眺めて一日を過ごす。ガラス越しに差し込む日差しがそんな彼らを温める。せめてもの慰めにと犬の身体をさすってマッサージをする。犬に触れている自分が慰められているようでもある。
触れることのできない自然が、目の前にある。不安感と理不尽さが寒さとともに身に沁みる。年が明け、東日本大震災は、おととしの出来事となった。しかし、放射能に汚染されて2年目を迎える土地では、放射能がらみの非日常的な事柄がこれからも続いていく。
教育対策委員会 科学技術問題研究会【編著】 明石書店 2012.7.25初版刊行 に執筆されている。