岡田 幸人 SJ
日本管区神学生
2022年10月31日~11月3日、社会使徒職委員会の日韓合同研修が長崎で行われた。日本管区から7人、韓国管区から8人の計15人が参加した。3年ぶりの対面での実施を皆が喜んでいた。
今回のテーマは「宣教と和解の巡礼」であり、日本二十六聖人記念館や大野教会などを訪れて、隠れキリシタンの歴史を学んだり、木村英人先生から徴用工の歴史を話してもらいながら、岡まさはる記念館や長崎原爆資料館、平和記念公園をめぐり、軍艦島(端島)を岸から見たりした。
今回の合同研修で、私は徴用工について何も知らないと痛感した。まず、二十六聖人記念館のそばに岡まさはる記念館があったことも知らなかった。岡まさはる記念館には、徴用工以外にも「慰安婦」問題や日本兵の非人道的行動についての記録が保存され、強制徴用された徴用工の食事が、豆ごはん1杯と雑草汁1杯が1日2回出るだけで、過酷な労働を強いられたという記録が残されていた。
また、軍艦島が見える岸にひっそりと建てられた南越名(なんごしみょう)海難者無縁仏之碑を訪れたとき、木村先生が、「この無縁仏之碑は、決死の思いで脱走しようと、泳いで陸に渡ろうとしたが、途中で溺死してしまった徴用工のために建てられた。しかし、無縁仏は遺体の身分や引き取り手がわからないときに建てられるものであって、遺族に彼らの死が知らされていたら、必ず引き取り、一族のお墓に弔うことができたが、日本側が知らせなかったので、戦後彼らの死を悼むために建てられた」と説明され、ここにも徴用工への待遇のひどさが浮き彫りになっていた。
さらに驚いたのは、無縁仏之碑の後に訪れた軍艦島資料館には、戦前からの軍艦島(端島)の炭鉱の歴史が紹介されていたが、そこで働かされていた徴用工の記述は一切なく、戦後~炭鉱が閉鎖されるまでの軍艦島に住んでいた人たちの暮らしだけにフォーカスされていたことである。このとき、原爆を落とされたことなどの被害者の立場はとても詳細に書くのに、徴用工や「慰安婦」についての加害者の立場のことは隠したり、無関心であったりするが、それを当たり前のように感じてしまっていたことに気付き、申し訳なさがあふれ、この事実もしっかりと伝えなくてはいけないと感じた。
それでも、最終日での分かち合いで、「現在も、力が支配する世界によって多くの悲劇が起きている。そのためにも私たち一人一人がイエズス会士として共に派遣されている」ことを皆で再認識できたように思え、希望を感じることもできた。次回の韓国開催を楽しみにしながらも、今回の研修での学びや、いただいた恵みに感謝するとともに、自分たちの使徒職に活かせるように、主に派遣されたミッションを生きていくことはどういうことか改めて考えていきたい。
最後に、この研修の大筋を計画してくださった中井神父、通訳を快く引き受けてくださった二十六聖人記念館館長の金神父、説明をしてくださった木村先生と二十六聖人記念館の宮田さんに感謝したい。