キム チョンデ神父(イエズス会韓国管区社会使徒職委員会委員長)
イエズス会の韓国ミッションは、1955年に米国ウィスコンシン管区により始まり、その50年後の2005年に「韓国管区」ができあがった。それゆえ韓国 におけるイエズス会社会使徒職の歴史は短い。ともあれ以下において、韓国市民社会においてイエズス会社会使徒職がいかに始まり、発展してきたかを、時代の 流れに沿って追ってみよう。
第一世代の始まり
韓国イエズス会の社会問題との最初のかかわりは、イエズス会が経営母体である西江(ソガン)大 学に、1966年、労働経営研究所が創設されたことである。この研究所は、夕方に労働と経営に関する問題についてのコースを提供してきたが、2001年2 月に35年間の歴史を閉じた。この事業が韓国におけるイエズス会社会使徒職の始まりであるが、この活動を社会使徒職として捉えるということは、韓国イエズ ス会においては残念なことにあまりなかった。
大方のイエズス会員は、韓国における社会使徒職の草創は、ユン・イルウー(John V. Daly)神父であったと思っている。彼は1974年に、社会使徒職のパイオニアとして、都市で強制退去させられた貧しい家族との連帯活動を始めた。彼 は、1970年代終わり頃から1980年代にかけて、京畿道のシヒュン市に協力者たちと共に村を建設した。こうして都市貧困者への韓国教会の奉仕に大きな 役割を果たした。
1990年、ソウルにユン・イルウー神父、パク・ムンス神父と神学生たちが一緒に住む社会使徒職共同体である「ハンモム(一つのからだ)」の家ができた。
1980年代から1990年代にかけて、この活動から多くの若者がイエズス会に入ってきた。この世代の若者たちは、クワンジュ(光州)事件と軍 事独裁政治を直接・間接的に経験してきたので、社会正義の問題に大きな関心をもっていた。そして、彼らが韓国における社会使徒職の第二世代となっていっ た。彼らが第一世代の人々と共に暮らした経験は大きな糧となっていた。
第二世代
「ヌルク(パンだね)」共同体は、1994年にユン・イルウー神父により農業地域に開設された。後に若いイエズス会員がそこで農民たちと共に住み、有機 農業を行なった。他方「ハンモム」の家は、1998年にソウルの別の場所に移った。同じ年にそのメンバーの一人であったキム・ヨングン神父が、薬物中毒か らの更生のための「若者の新しい泉」共同体をソウルに設立した。「ハンモム」の家はまた「ハンヌリ地域子どもセンター」を1999年より使徒職として開始 した。パク・ムンス神父は1999年、ソウル大司教区の貧困者支援の特別ミッション「ムハクドン」小教区付司祭として、都市の貧困者のための奉仕に、より 一層尽力した。この仕事ために、彼は西江大学の社会学科教授職を辞した。
21世紀に入り、インチョン教区でさらに二つの社会使徒職の活動が始まった。「バオナエ(岩)」の家は2004年に、カフェ「いのちの窓」も同年に労働 者司牧のために開設された。労働者たちはそこにやってきて、ビールを飲み、日々の生活を分かち合った。他に、移住労働者への奉仕がある。2005年に「イ ウトサリ(隣人と共に生きる)イエズス会移住労働者センター」が、インチョン教区キンポ市で始まった。
新しい適応
上記のように、韓国における社会使徒職第二世代は、いくつかのセンターを運営し、若いイエズス会員もいくつかの分野で活動を展開している。韓国イエズス 会は、そうした働きにおいて貧しい人々とかかわり、彼らの必要を理解することができた。これは韓国における社会使徒職の特徴となってきた。しかし他方で、 韓国イエズス会には知的な活動に乏しいところもある。イエズス会の社会使徒職は「足と頭」によって特徴づけられるべきなのだが。
韓国イエズス会は、イエス・キリストのコンパッションをもって貧しい人々のもとに入って行った。若い世代のイエズス会員が、各センターを運営してきたの もそのためであった。これら「インサーション(住み込むこと)」活動は「足」の活動と特徴づけられよう。それに対して「頭」仕事は、社会分析である。
そこから韓国イエズス会においては、社会使徒職の調査研究センターの必要が指摘されてきた。このために、2009年末に「人権連帯研究センター」が開設さ れた。さらに、社会使徒職内の構造を現状に合ったものに立て直すべきだとの指摘もなされた。人の配置と財政をより適正にするために、いくつかのセンターを 精選し、そこに力を集中すべきだというのである。これを受けて、いくつかの使徒職は整理統合された。
社会使徒職共同体 | 使徒職センター | 人員 |
ハンモムの家(1990) | ①ハンヌリ地域子どもセンター(1999年) ②ムハクドン小教区(1999) ③人権連帯研究センター(2009) 「若者の新しい泉」共同体(1998開設、現在休止中) |
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ヌルク共同体(1994、ハンモム のサブ・コミュニティー) |
④センターは無いが、使徒職として活動中 | 1 |
バオナエの家(2004、ハンモム のサブ・コミュニティー) |
カフェ「いのちの窓」(2004開設、現在休止中) ⑤イエズス会移住労働者センター(イウトサリ、2005) |
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別の新たな道
以上のように、韓国イエズス会社会使徒職の過去において、カリスマティックな人物の存在が重要な役割を果たしてきた。しかしながら今日の社会使徒職においては、ネットワークの構築や協働がもっと重要となっている。
世界が互いにより近くなり、グローバル化する環境において、韓国イエズス会は、社会の諸問題に効果的に応えるための新たな道を探っている。韓国管区の社会 使徒職センターは、社会使徒職委員会の下に構成されているが、今後は、いくつかの活動と調査研究センターとを組織化する傘としてNGOを創設していくこと をも模索中である。