今年のクリスマスに思うこと

梶山 義夫 SJ
イエズス会社会司牧センター所長

私は、エジプトにおける私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の前で叫ぶ声を聞いて、その痛みを確かに知った。それで、私は降って行って、私の民をエジプトの手から救い出し、その地から、豊かで広い地、乳と蜜の流れる地に導き上る。

(出エジプト記3:7-8)

ベツヘムに向かうマリアとヨセフ

 最近、西アジアのある国から4か月ほど前に苦労して脱出してきた父親と子どもたちに会った。彼は、三人の小学生の子どもと一緒に出てきた。父親は子どもたちを前に、日本の教育現場について私に訴えた。自分は母語と英語ができるが、子どもたちは英語も日本語もできない。子どもたちは小学校に行っても、毎日クラスで黙ってただ座っているだけ、教科書も配付資料も読めない、教師やクラスメートとの意思の疎通もできない。なぜ日本の学校は、そのような子どもたちを大切にしないのかと私に問いかける。父親と子どもたちを前にして、無力感を覚える。

 東南アジアの国から家族でやって来た中学生の学習支援の手伝いを時折している。彼らは日本語を話すことができるが、教科書を読んだりするのは難しい。教科書は学校に置いている。宿題も私たちがいる時だけしているとのことである。中学卒業後の展望も特に持っていない。その中学生と一緒にいると、本人の不安やあきらめが伝わってくる。

 ウクライナやアフガニスタンで、ミャンマーやイエメンで、エチオピアや世界各地の紛争地で、特に貧しい人々とその子どもたちはどのような状況で、このクリスマスや新年を迎えているのだろうか。またこの状況で、私たちはどのような気持ちで、このクリスマスや新年を迎えているのだろうか。

 今年もまた、苦しみをつぶさに見、叫び声を聞き、痛みを確かに知ってくださる方が、イエスをこの世界に送ってくださる。そのイエスとともに生きるとは何か、他者のために生きるとは何かを考えている。

日韓社会使徒職合同研修会2022 in 長崎 (1)

岡田 幸人 SJ
日本管区神学生

 2022年10月31日~11月3日、社会使徒職委員会の日韓合同研修が長崎で行われた。日本管区から7人、韓国管区から8人の計15人が参加した。3年ぶりの対面での実施を皆が喜んでいた。

 今回のテーマは「宣教と和解の巡礼」であり、日本二十六聖人記念館や大野教会などを訪れて、隠れキリシタンの歴史を学んだり、木村英人先生から徴用工の歴史を話してもらいながら、岡まさはる記念館や長崎原爆資料館、平和記念公園をめぐり、軍艦島(端島)を岸から見たりした。

 今回の合同研修で、私は徴用工について何も知らないと痛感した。まず、二十六聖人記念館のそばに岡まさはる記念館があったことも知らなかった。岡まさはる記念館には、徴用工以外にも「慰安婦」問題や日本兵の非人道的行動についての記録が保存され、強制徴用された徴用工の食事が、豆ごはん1杯と雑草汁1杯が1日2回出るだけで、過酷な労働を強いられたという記録が残されていた。

 また、軍艦島が見える岸にひっそりと建てられた南越名(なんごしみょう)海難者無縁仏之碑を訪れたとき、木村先生が、「この無縁仏之碑は、決死の思いで脱走しようと、泳いで陸に渡ろうとしたが、途中で溺死してしまった徴用工のために建てられた。しかし、無縁仏は遺体の身分や引き取り手がわからないときに建てられるものであって、遺族に彼らの死が知らされていたら、必ず引き取り、一族のお墓に弔うことができたが、日本側が知らせなかったので、戦後彼らの死を悼むために建てられた」と説明され、ここにも徴用工への待遇のひどさが浮き彫りになっていた。

 さらに驚いたのは、無縁仏之碑の後に訪れた軍艦島資料館には、戦前からの軍艦島(端島)の炭鉱の歴史が紹介されていたが、そこで働かされていた徴用工の記述は一切なく、戦後~炭鉱が閉鎖されるまでの軍艦島に住んでいた人たちの暮らしだけにフォーカスされていたことである。このとき、原爆を落とされたことなどの被害者の立場はとても詳細に書くのに、徴用工や「慰安婦」についての加害者の立場のことは隠したり、無関心であったりするが、それを当たり前のように感じてしまっていたことに気付き、申し訳なさがあふれ、この事実もしっかりと伝えなくてはいけないと感じた。

 それでも、最終日での分かち合いで、「現在も、力が支配する世界によって多くの悲劇が起きている。そのためにも私たち一人一人がイエズス会士として共に派遣されている」ことを皆で再認識できたように思え、希望を感じることもできた。次回の韓国開催を楽しみにしながらも、今回の研修での学びや、いただいた恵みに感謝するとともに、自分たちの使徒職に活かせるように、主に派遣されたミッションを生きていくことはどういうことか改めて考えていきたい。最後に、この研修の大筋を計画してくださった中井神父、通訳を快く引き受けてくださった二十六聖人記念館館長の金神父、説明をしてくださった木村先生と二十六聖人記念館の宮田さんに感謝したい。

日韓社会使徒職合同研修会2022 in 長崎 (2)

アルベルト キム ジュチャン SJ
韓国管区司祭

 2022年の典礼暦の最後の瞬間にあって、『花は咲く』を聴きながらこの原稿を書いています。日韓の社会使徒職では、韓国から7名、日本から5名、あわせて12名のイエズス会員が、「長崎の宣教と和解の巡礼」というテーマで集まり、木村英人先生の案内で、長崎の多くの史跡を訪ねました。

 天気も良く、道沿いに広がる海辺や丘の上の家々といった美しい景色、おいしい食事にプレミアムビール等々、どれもが最高でした。中でも、遠藤周作文学館から見下ろす海は本当に言葉にできません。しかし、私にとってさらに印象的だったのは、日本のイエズス会員の謙虚な態度、親切さ、歓迎のおもてなしでした。プログラムのコーディネーターとして、中井淳神父はすべてをとても良く準備してくれ、他のイエズス会員やスタッフたちも私たちを家族のように扱ってくれたので、私は実にアットホームに感じました。「ありがとうございました!」と言わなければなりません。

 梶山神父は、2022年の日韓社会使徒職会議を、歴史を振り返る行事だと説明しました。私たちは、日本二十六聖人殉教地・記念館、岡まさはる記念長崎平和資料館、軍艦島資料館、長崎原爆資料館、大浦天主堂、大野教会、出津教会、遠藤周作文学館、聖マキシミリアノ・コルベ記念館など、たった二日間でたくさんの歴史的な場所を訪れました。長崎宣教時代から第二次世界大戦までの時代は、罪と悲劇の歴史、そして神の恵みと信仰の歴史という2つの次元があり、それが歴史の一部として常に絡み合い、積み重なっています。

 初期の宣教師たちが福音宣教の希望に胸躍らせて長崎に到着したとき、その美しい自然に驚き、神秘的な文化に魅了されたに違いありません。しかしその後、そのようなロマンチックなものではなく、悪夢となりました。キリスト教が根絶するまで、長崎のすべてのキリスト者(キリシタン)に対して残忍で残酷な宗教迫害が勃発しました。死を恐れて棄教した人もいれば、隠れ(潜伏)キリシタンとして生きなければならなかった人もいました。あるいは殉教した人もいました。

 同様の悲劇は、後に日本軍が近隣諸国を侵略したときにも起こりました。一般の日本人が決して望んでいないにもかかわらず、罪のない多くの人々が暴力の犠牲となったのです。そして、ついに長崎に原爆が落とされました。実に恐ろしい、胸が張り裂けるような歴史の中で、人はこのように問うでしょう。「神はどこにいたのか? 罪のない人々が歴史の悲劇の中で死んでいったときに、神はどこにいたのか?」と。

 卓越した日本の作家、遠藤周作は、『沈黙』の中でこの問いに答えようとしました。「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」。「沈黙の碑」に記されたこの文は、人類の歴史の悲劇に対する彼の必死の叫びでした。しかし、彼が小説の中で本当に言いたかったのは、神はいつも私たちと共にいて、私たちと一緒に苦しんでさえいるということでした。「お前が苦しんでいるとき、私もそばで苦しんでいる。最後までお前のそばに私はいる」。

 聖マキシミリアノ・コルベの生涯は、私たちと共にいる神の存在の象徴として、この旅の中で個人的に思い浮かびました。特に、二つの逸話が、神の献身的な愛により深く関わるようにと私を奮い立たせました。結核によって何年間も苦しみ、衰弱していた健康状態にもかかわらず、聖マキシミリアノ・コルベは仲間たちと共に、長崎に到着してからわずか一か月以内に日本語で『聖母の騎士』の創刊号を出版しました。そして彼は、アウシュヴィッツ・ビルゲナウの死の収容所で、仲間の囚人の身代わりとして死ぬことを願い出ました。

 残念ながら、人類の歴史の悲劇は今もまだ続いています。あまりに多くの人が必死に「神はどこにいるのか?」と叫び続けています。けれども、私自身は未来に対して依然として前向きです。人類の歴史は単に私たちだけのものではなく、「彼」のものでもあるので、私は「花は咲く」と信じています。平和の種は、この社会使徒職の集まりの参加者の心に蒔かれ、この旅で出会った人々、日本二十六聖人殉教地・記念館や長崎平和資料館にいた若者たち、そして長崎原爆資料館や長崎平和公園にいた若い学生たちに蒔かれました。いつの日か、それらの種が満開に咲き誇り、世界中に美しい香りを届けてくれると願い祈っています。

 最後に改めて、日本のイエズス会員とスタッフに「ありがとうございました!」と言って感謝したいと思います。また、歴史の誠実な証人として、声なき人々の代弁者となることに専念してくださった木村先生に特に感謝いたします。2023年という新しい年が、皆さまに豊かな祝福をもたらしますように。皆さまとその使徒職のために祈るとともに、次回は韓国でお会いできることを楽しみにしています。

日韓社会使徒職合同研修会2022 in 長崎 (3)

ヨハンナ ソ ハンナ
韓国カトリック司教会議 民族和解委員会 諮問委員

 2022年10月31日から11月3日まで、日韓イエズス会社会使徒職会議が長崎で開催されました。「宣教活動と和解」をテーマとした4日間の巡礼は、初日の夕食会から始まる予定でした。しかし、韓国から日本へのフライトの予期せぬ遅延により、再会の瞬間は少しだけおあずけとなりました。2015年から毎年、韓国と日本の間で開催してきたこの会議は、コロナの状況によって過去2年間延期となっていました。そのため、「諸聖人の日」である11月1日に、15人の参加者が一堂に会し、日本二十六聖人記念館での待望の再会が始まったとき、祝福された奇跡のように感じました! コロナ禍の発生により、両国間の物理的な会合はほとんど停止していましたし、日本がビザなし渡航を再開してから1か月も経っていませんでした。ビザも、隔離期間も、PCR検査も不要! 最高のタイミングでした!

 亡くなった人々を偲び祈る特別な月である11月に始まった巡礼路は、日本のカトリック史における宣教師や殉教者について学ぶ場所や、過去の戦争の傷を振り返るツアーでいっぱいでした。ある宣教師たちは、自らの意思で自国から長崎にやってきて福音を宣べ伝えましたが、ある朝鮮人たちは戦時中、故郷から強制的に炭鉱などに連れてこられて働きました。ある宣教師たちは、困難な時期に両国を結び付け、聖人たちの聖遺物の確保と安置を助けましたし、素晴らしい特別ガイドを務めてくださった木村先生を含む日本人たちは、忘れられた歴史的事実を伝えるために二国間交流を続けています。これらすべてが最終的に、参加者が韓国と日本の間の和解を考察するのに役立ちました。長崎にいる韓国人宣教師たちとの特別集会も続けられ、韓国から宣教師として来日した韓国人司祭が、韓国人参加者のために特別ガイドツアーを行ってくれました。

「長崎ちゃんぽん! 長崎カステラ!」

 長崎訪問計画を韓国人の友人に話したとき、最初に返ってきた言葉はすべて食べ物でした。実際、長崎の美味しい食べ物のおかげで、食事のたびに楽しい会話をすることができました。韓国の文化では食事に関する挨拶が多く、聖書でも食事にまつわるイエスの逸話がたくさんあります。

 今回の巡礼で改めて感じたのは、韓国にも日本にも、食事のときに用いる祈りのような表現があるということです。毎食、食事の前や後に、あるいは始業時や終業時のお互いへの挨拶にも同様のものが見られます。イエスが疎外された人々との食事を楽しんでいたように、韓日関係においても、誰も疎外されずに、楽しい食事を共にしていきたいと願っています。

《食事の前》 いただきます

⇒잘 먹겠습니다 (Jal meok-get-seum-ni-da)

《食事の後》 ご馳走様でした

⇒잘 먹었습니다 (Jal meo-geot-seum-ni-da)

《始業時》   よろしくお願いします

⇒잘 부탁드립니다 (Jal bu-tak-deu-rim-ni-da)

《終業時》   お疲れ様でした

⇒수고하셨습니다 (Su-go-ha-syeos-seub-ni-da)

 一方で、迫害下の宣教活動や潜伏キリシタンの話からは、北朝鮮におけるカトリック教会について考えさせられました。かつて、日本のカトリック司祭たちが平壌の長忠〈チャンチュン〉カテドラルを訪れたことがありますが、日本の教会が朝鮮半島の平和のために重要な役割を果たす方法がいくつもあると信じています。

 日本と韓国は、迫害と戦争の歴史を共有しています。それらの死から、私たちは何を思い出す必要があるでしょうか? 拷問や処刑の方法? 迫害の原因? 戦争の損害? 説明責任? 死に直面してもなお、より多くの人々に喜んで福音を宣べ伝えた殉教者たちの姿に見られる勇気と愛はどうでしょうか? 

 韓国と日本は、自然災害や様々な悲劇的な事故の記憶も共有しています。高い自殺率、貧困、および同様の社会問題は、両国に共通した問題です。私たちは傷を分かち合い、共に癒すことができます。梨泰院〈イテウォン〉のハロウィン雑踏事故のように突然多くの死者が出た社会で、このトラウマを癒すために必要なものは何なのでしょうか? 時には、悲しみや喪失に満ちた声、身代わりになる者への処罰を求める切なる叫びしか聞こえないように感じることがあります。私たちは、私たちに悪を為す人を赦すと告白しますが、社会において平和的に死を受け入れる赦しの声を聴くことは滅多にありません。争いの歴史よりも癒しの歴史を、赦しと和解の歴史を学ばなければならないのではないでしょうか?

「みんなを大切にして、お計らいに信頼をおく時にはじめて安らかな気持ちになれるのだ。この父もそうしてきたからこそ、お前達にこう言い切れるのだと思う」 (永井隆)

 長崎原爆資料館の一角で、ロザリオをもって祈る男性の写真が目に飛び込んできました。この写真を見たとき、なぜかとても慰められました。実際、コロナ禍の終息とウクライナ戦争の終結を祈りながら、祈る以外に何をすればいいのかわからず、無力感を感じることもたびたびありました。巡礼を終えて東京に戻り、永井隆のことをもっと知りたくて『長崎の歌』という本を買いました。1951年に亡くなる瞬間まで、彼が朝鮮戦争の終結を祈っていたということを読み、圧倒されました。長崎の人々が、鐘の音にあわせてお告げの祈りを祈っている姿を想像すると、私の心は新たな希望と、韓国と日本の和解の道をより多くの兄弟姉妹と共に祈りながら歩み続ける愛とで満たされました!

JCAP (イエズス会アジア太平洋地域協議会) は
ミャンマーにどのような働きかけができるでしょうか?

ギリッシュ サンチャゴSJ
イエズス会ミャンマー地区長


 ASEAN諸国は、「5つの合意」を一層精力的に達成するため、奮い立つことができるでしょう。すなわち、国内における暴力の即時停止、すべての利害関係者間の対話、特使の任命、ASEANによる人道支援、特使のミャンマー訪問によるすべての関係者との面談です。

 多くの難民が、インドとタイに身の安全を求めようとしています。これらの国々に、難民を受け入れるよう圧力をかけます。迫害の恐れが十分にある緊急の事案が複数あり、第三国への亡命を必要としています。

 イエズス会ミャンマー地区は、人権侵害を追跡し、考え得る対応についてより深い分析を行うため、その文書化と調査、およびトレーニングの能力を、慎重に強化したいと考えています。

 私たちは、次の方々の提案を受け入れる用意があります。イエズス会総長と顧問団、JCAP議長および JCAPの上級長上、フィリピン管区長とその顧問たち。これは、ミャンマー地区がフィリピン管区に従属する地域であるからです。

 緊急援助のための経済的支援、すなわち救援活動(食糧、水、避難所の資材、医薬品)、国内避難民の子どもたちのための教育活動、若者が自活するために必要な技能の訓練、世帯が生計を立てるためのプログラム。私たちミャンマー地区は、2022年の緊急支援に月額約30,000ドルを費やす予算を組みました。危機は、確実に2023年にも波及するでしょう。支援の手が徐々に差し伸べられています。関係地域に支援を提供するための道筋を付けるということが、活動の主な障害となっています。

 イエズス会難民サービスミャンマーも最前線で活動し、紛争地帯における臨機応変なプログラムのやり繰りをするため、強固な緊急資金を必要としています。イエズス会難民サービスミャンマーの取り組みへの支援をするため、イエズス会難民サービスインターナショナルとイエズス会アジア太平洋地域難民サービスを歓迎します。

 カリタスインターナショナルを介し、現地の教会(カリタスミャンマー)の人道支援活動への資金を増やします。

 主要機関であるWFP(国連世界食糧計画)、UNDP(国連開発計画)、OCHA(国連人道問題調整事務所)、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)への支援を促し、必要な大規模支援がミャンマーの人々に届けられるよう橋渡しをします。

 イエズス会員と協力者の心にミャンマーを留め、祈ります。

解決を求めて

 解決策を模索するという点で、すべての外部関係者は、外界との接触をはねつける不透明な軍事政権からほとんど何も獲得できていません。

 海外の多くの機関に情報を提供しています。ヒューマン・ライツ・ウォッチ(人権擁護活動を行うNGO)、バチカン国務省など。

 チャールズ・マウン・ボ枢機卿のスピーチの準備を支援することは可能でしたが、目下のところ、侵略者である軍部とのコミュニケーションを保とうとしているため、枢機卿はより慎重になっています。それでもなお、ミャンマー国内で公に意見を表明することができる、非常に数少ない一人であり続けています。

 マッテオ・ズッピ枢機卿は、対話と交渉の機会があれば助力を辞さない構えでしたが、ボ枢機卿はご自身の道を歩まれたいとのことであり、私たちは他の解決策を見出すことができませんでした。

 未だに、現時点では、いかなる抗議活動も、情け容赦なく、組織的に弾圧されます。

他者と協働して危機を解決しようとする試み

 緊急社会支援プログラムとは、実際には最前線で活動する無数のパートナーと共に、情報網を駆使することです。そのパートナーとは、修道士の共同体、教区司祭、国内避難民キャンプでボランティアをしている民間の協力者の方々、教区職員、カリタスミャンマー、イエズス会難民サービスミャンマーなどです。

 教会は、個人および司教会議レベルで協力してきた私たちのパートナーです。かつては、教会の声は非常に強力でした。

 クーデター後、教会は平和と和解を唱え、人道支援活動をはっきりと目に見える形で訴える主要な担い手です。私たちはあらゆる面で、個別に地元の教会指導者と共に働いてきました。

 ローカルかつグローバルな視座で、志を共にする人々による個別の支援・擁護活動が続けられています。

 現在のところ、ミャンマーの脆弱な教会を団結させ、命を救う支援の具とすることが、対話と対応の積み重ねを通じて私たちが果たす重要な役割です。

国家としてのミャンマーに必要なことはなんでしょうか?

 3つの分野に国際的な配慮を: 平和を構築すること、人道的に差し迫った要請への強力な支援、何百万人もの失業者に就労の機会を生み出せる経済の再建。

 多元的な危機へしっかりとしてまとまりのある対応:コロナ禍、クーデター、経済の崩壊、コミュニティを破壊する紛争、避難と危機。人道支援を行うNGOへのアクセス、支援資金の流通に対する制約の解除。

 平和のための宗教間イニシアチブ。民主主義に立ち返り、不当に投獄された数千人を解放するという地域的圧力(ASEANにおけるイエズス会アジア太平洋地域協議会の役割)。

 100万人近くが避難している紛争多発地域に、人道アクセスの差し迫った必要。

 国際社会の介入により、市民、村落、生計手段や資産に対する、広範囲にわたる非人道的な攻撃を阻止すること。

 統計データ: 国民の半数が貧困の状態にあり、命を救う必要のある800万人、日々の食糧が必要な80万人、避難民およそ100万人、攻撃された教会は14、縮小した経済、殺害された2千人、クーデター後に投獄されたおよそ2万人。甚大な被害をもたらした人災です。

 可能であれば、国外(おそらくフィリピン)にミャンマーのための窓口を開くことで、イエズス会ミャンマー地区を通し、財政的に当地への援助を組織し支援することができるでしょう。

害を加えること 害を被ること ―カルト問題に際して―

ステパノ 卓 志雄(たく じうん)
日本聖公会東京教区司祭、日本聖公会管区事務所宣教主事
インマヌエル新生教会牧師

 27年ぶりだ。日本の社会がこのように宗教について――否、宗教問題・カルト問題にか?――大きな関心を寄せていることは。宗教団体が本来果たすべき役割を忠実に行わずカルト化し、権力と結託しながら反社会的犯罪を起こす。そこへのめり込むことによって家庭が破綻、心と財産、そして魂までもが破壊される人々の問題は、1995年のオウム真理教による「地下鉄サリン事件」だけではなく、今も起きている。これからも起きるかもしれない。このような問題は事件として発展し、必ず加害者と被害者が存在する。

 今年7月8日に起きた安倍元総理大臣の銃撃事件による被害者は、言うまでもなく安倍晋三元首相であり、ご遺族の皆さんである。害を加えたとされている者は山上徹也さんで、起訴されるまで彼の名前には必ず「容疑者(被疑者)」が付き、起訴された後には「被告人」になる。人を殺害した者を加害者とするのは明らかな事実であるように思われた。

 しかし銃撃事件後、山上容疑者の犯行動機が知らされるようになり、刑事事件としての区分ではなく、思いとしての加害者と被害者の区分に困難を覚えるようになってきた。山上容疑者が犯行直前にあるジャーナリストに送った手紙には「〈前略〉母の入信から億を超える金銭の浪費、家庭崩壊、破産…この経過と共に私の10代は過ぎ去りました。その間の経験は私の一生を歪ませ続けたと言って過言ではありません。個人が自分の人格と人生を形作っていくその過程、私にとってそれは、親が子を、家族を、何とも思わない故に吐ける嘘、止める術のない確信に満ちた悪行、故に終わる事のない衝突、その先にある破壊。〈後略〉」とある。

 私は、「エホバの証人王国会館放火事件」という、 29年前に韓国で起きた痛ましい出来事を思い出した。

 1991年5月頃からAさんの妻(当時34歳)は「エホバの証人」の集会に通い始めた。韓国内のエホバの証人と言えば、輸血拒否、兵役拒否などの社会問題を起こしている集団である。Aさんは「エホバの証人」の集会に通い始めてから家事などを疎かにしている妻が集会に行くことに反対したが、妻は夫の反対を「サタンの迫害」と退け、より熱心に集会に通った。

 事件当日の1992年10月4日、職場から帰ってきたAさんはエホバの証人の集会に行かないように妻を説得したが、夫婦喧嘩となった。妻が自分の意見に従わず集会に行ったことに怒りが爆発したAさんは、ガソリンスタンドでガソリンを購入した後、集会が行われている韓国・原州〈ウォンジュ〉市の王国会館(エホバの証人の施設)に行き、入口を遮り、「妻を出せ」と叫んだ。

 怒りを抑えきれなかったAさんは結局、ガソリンを撒いて火をつけ、火は王国会館内のカーペットなど可燃性物質から建物全体に広がり、多くの人命被害を引き起こした。事故当時、妻は夫Aさんの叫び声に怯えて逃げ出したので助かったが、この火事によって15人が死亡、25人が負傷した。

 拘束後起訴されたAさんは、裁判で1993年に死刑確定判決を受けた。現在も光州〈クァンジュ〉刑務所に収監中であり、韓国国内の死刑囚の中で最長期服役死刑囚である(2005年に肝がん末期診断を受けたが、肝切除手術が成功し、現在も服役中)。

 当時、Aさんの弁護人側は「理性を失った被告は残酷な結果と事態を予測できない心身衰弱の状態で犯行に及んだ」と主張し、精神鑑定を要請したが却下された。また「被害者は一命をとりとめたにもかかわらず、輸血拒否というエホバの証人の教義のために輸血を受けられず、それにより被害が増大した」と主張したが、受け入れられなかった。生き残った被害者たちは全身に深刻な火傷をして、輸血をしても事実上、生存の可能性が極めて低い状態だったからである。

妻が通っているエホバの証人の王国会館を
放火したAさんの現場検証(韓国MBC)

 しかし後に、Aさんが加害者、エホバの証人側が被害者という見方に変化が見られるようになる。Aさんは収監された後、刑務所内で受洗し、プロテスタント教会に入信した。彼が属する宗派では、エホバの証人を含め異端および反社会的な問題を起こしているカルト団体を断固としてゆるさなかったので、放火事件はエホバの証人側にも責任がある、Aさんを減刑させてほしいという嘆願書を提出した。

 また、Aさんを弁護する意見もあった。Aさんの妻がエホバの証人に入信しなかったなら、Aさんは残酷な犯行を行っていなかったはずだというのである。他にも、Aさんこそカルト団体による被害者であるという見方もあった。Aさんが放火犯になった理由はエホバの証人であるという主張である。

 しかし、いくら「エホバの証人」が韓国の教会から教理的に異端とされても、あるいは反社会的なカルトとされても、それが全てを正当化する理由として認められなかった。尊い命が失われる現実があったからである。

 現在、韓国は実質的死刑廃止国家なので、Aさんは事実上、無期懲役状態で引き続き収監されるものと見られる。Aさんの場合、犯行動機が突発的で(計画性はなく)、模範的な収監生活を行っていることなどから減刑対象者として検討はされているが、犠牲者が多すぎるという点で毎回減刑対象から除外されているという。いくらエホバの証人が社会的な問題を起こしているといっても、国家がエホバの証人側に対する加害者を容易に減刑することは、私的制裁を許すことにつながる恐れがあるので、減刑は難しいかもしれない。

 被害者が加害者となり、被害者を作り出す悪循環は、カルト問題だけでなく社会の様々な場所で起きている。加害者になってしまった被害者を巡る議論からその真実を探ること、そして根本的な原因究明を巡ってすべてを論じるには紙面が足りない。またその正解は私にはわからない。多方面における緻密な分析と研究、そしてその作業の結果に対する共通理解が得られるまでには相当のプロセスが必要であると感じる。

 加害者か、被害者か、あるいは両方か。今は一つだけ考えよう。絶望の只中、人知を超えて存在する全知全能の神による癒しと慰めを求め信じただけだ。それなのに、救いを求めた先がカルト団体であったが故に、カルト団体の横暴により神にかたどって造られた人間の尊厳(Imago Dei)が抑圧され、悲しみと苦しみを余儀なくされている多くの人々が存在している現実を。

 山上容疑者の犯行動機が明らかになってから、宗教的虐待の実態や、その影響で成人後も苦しんでいるいわゆる「宗教2世」の存在が注目されるようになった。山上容疑者のように凶行に走ることはないが、親が多額な献金をすることによる家庭の困窮や、組織的な信仰の強要とそれに伴う様々な人権侵害によって、絶え間なく苦しんでいる宗教2世についての報道が増えている。そして、統一協会によって心身ともに被害を受けている人々の証言が止まらない。その対策として、統一協会による悪質な献金を規制する「被害者救済新法」が12月10日に成立したが、その有効性については議論の余地がある。

 何れにせよ私たちが直視しなければならないのは、心も体も魂も疲れ果てて悲しんでいる、立ち上がって歩んでいくことのできない、叫ぶ力のない人がいるという現実だ。カルト集団によって被害者となってしまった人々に対するケア(救出)は「するかしないか」の問題ではない。「どのようにするのか」の問題である。

 今、社会の一員である教会という共同体として、どのような姿が求められているだろうか。今この時も苦しんで嘆いている人々の涙を、どのように拭い取ることができるだろうか。この問いは、カルト問題の解決という事務的な手続きのプロセスではなく、教会の宣教における先決課題である。