青い空と碧い海のもとで ―沖縄県宮古島より―
伊志嶺 節子
カトリック宮古島平良教会信徒
暮れゆく夜空に月と金星(宵の明星)が光を放ち、今日も宇宙の神秘を垣間見させてくれる。地球もその中のひとつなのに、世界で紛争や戦争が起こっていることが夢のように思われる。美しい自然と戦(いくさ)が共存しているこの地球。その闇の状況がこの宮古島にもじわじわとやって来て、希望を失いそうな不安を覚えている。
ここ宮古島は日本列島、沖縄本島の南に位置する人口5万5千の小さな島で、基幹産業はさとうきび。その季節になると一面の穂が白く輝き、圧巻だ。その上、美しい青空と碧い海に囲まれ、ブルーの島と呼ばれている。
この自然豊かな島に、2014年からあれよあれよという間に自衛隊が次々と配備され、現在は約700名在住となってしまった。
のどかであった保良(ぼら)という地には、民家から数百メートルの場所に訓練場ができた。弾薬庫が2つ設置され、2021年には弾薬が運ばれている。その演習の音が民家まで響くというから、何をか言わんやである。この地域は1944年に爆発事故があり、日本兵と住民が犠牲になった悲しい歴史がある。その上、地対艦・地対空ミサイル、反撃能力のあるミサイル基地ができてしまった。この現実をどう受け止めたらいいのだろうか。
そんな状況の中で現在、島の住民は、「何か起これば自衛隊が守ってくれる」と「軍隊は歴史が示すように守らない」とに二分されてしまった。自衛隊のブルーインパルスの曲芸飛行時も島人の態度は、一方で多くの歓声、もう一方では反対の叫びが渦巻いた。歴史をみるとわかるように、国は沖縄に対して常に飴と鞭で迫って来る。
そしていよいよ2020年からシェルターの検討、避難訓練、島外避難などなど、あおる様に島人を不安に陥れている。すべては戦のための準備が着々と進められている現実。沖縄本島には米軍基地の70%が集中し、続けて与那国島、宮古島、石垣島、そして最近の久米島でのオスプレイ飛行と際限なく要塞化が進み、基地のなかの沖縄といっても過言ではない。
中国の台湾有事の可能性を前提にすべてが動いている。外交の努力はせず、憲法9条を忘れ、日本は再び沖縄を犠牲にして何を求め、何に向かって戦争に参加しようとしているのだろうか。
沖縄は琉球王朝時代に中国との交流が行われ、影響を受けながら友好な関係があった。先に玉城デニー知事が中国訪問の折に沖縄の人達と交流し、その場で沖縄の伝統的な喜びの踊りカチャ-シーを踊ったことがSNSで「売国の舞」などと中傷の的となった。辺野古での防衛局職員による「気違い」発言、高江ヘリパットでの機動隊員による「土人が」などののしりの言葉。遠くは「人類館」事件を想起させるこの蔑み、沖縄への差別は延々と続いていることがやりきれない。勿論沖縄の人も日本兵として中国侵略に加担していることも忘れてはいけないと思っている。相手を差別することにより人は暴力に発展し、個人的というより構造的なものとなり、国と国との争いになりかねないのではと怖れてしまう。
以上のような基地問題とあわせて、宮古島にはもうひとつ「命の水」の問題がある。水がなければ人は生きられない。山も川もないこの島は、その多くの水を地下水にたよっている。
毎年観光客が増え、海の近くのロケーションの良い所にリゾートホテルがあちこちにでき、また公共施設、自衛隊施設などにより大量の水の消費と生活排水の増加が続いている。田畑にまかれた化学肥料(微量ながら複数の農薬成分が検出)、生活排水、その上自衛隊施設の大量の排水には種々の化学物質が含まれているのではないかと危惧される。これらすべては地下水に流れ込み、地下水の汚染が心配されている。近年の建築ラッシュや開発で森林も減り、その上雨が降らないとなると、私たちの生活は成り立たなくなり、死活問題である。
神の島と言われるこの祈りの島が、多くの開発により美しい風景と共に全く変わってしまったのが残念でならない。
夜空の月と金星が光輝くように、この混沌とした闇の世界に光を見出すことができるだろうか。そして、未来の子どもたちに戦争のない地球を遺すことができるだろうか。
未だ具体策を見出せず懊悩する人間、そして力を尽くして行動していない私自身。今思い出すのはあの哲学者であり平和活動家であったシモーヌ・ヴェイユの言葉。何故戦争や暴力が起きるのかに対し彼女は、「それは各人が自ら善となるものを必死になって追い求め、しかも善であるものに真の意味で心を用いないからである」。この深淵な言葉に思いを巡らせ、善に向かうことができればとひそかに願っているのだが・・・。そして何よりも生きる原点である「人間を極みまで愛されたキリスト」に希望と平和を祈りつつ。
関東大震災から100年 朝鮮人虐殺をめぐる参考図書
1923年9月1日に発生した関東大震災から100年となる今年は、当時様々な要因によって引き起こされた朝鮮人らの虐殺について向き合う大切な機会です。 前号で紹介した『飴売り具學永〈ク・ハギョン〉』のほかに、いくつかの参考図書を編集部でまとめました。
『関東大震災 朝鮮人虐殺の記録 東京地区別1100の証言』
西崎 雅夫 (にしざき まさお)
現代書館 2016年 普及版 税別2500円
関東大震災時の朝鮮人虐殺事件の多くは、当時の政府によって隠蔽された。しかし著者は、当時出版された本や新聞、自伝や日記を調べ、また大震災を体験した人々からの聞き取り調査を丹念に行って証言を集めた。東京のあらゆる場所で、「朝鮮人暴動」の流言が飛び、朝鮮人が住んでいた地域で虐待や虐殺が起こったことがわかる。本書はその証言を東京の現在の23区別に分け、大震災に関連する写真とフィールドワークができるように地図を付している。
『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』
西崎 雅夫 (にしざき まさお)
ちくま文庫 2018年 税別900円
当時の子どもたちの作文、芥川龍之介ら文化人の当時の記憶やその後の回想、朝鮮人の証言、市井の人びとの証言、公的資料にのこされた約180編が収録されている。読むと当時の空気感が伝わってくる。
『関東大震災』 新装版
姜 徳相 (カン ドクサン)
新幹社 2020年 税別1500円
著者は、一橋大学や滋賀県立大学で教授として教鞭をとった。1975年に中公新書で出版されたが、絶版となったものの復刻版である。およそ50年前に出版され、その後分かったいくつかの事実を加えたものであるが、今日でも学術性は高く評価されていて、最初にひも解くならばこの本をお勧めする。
『九月、東京の路上で』
加藤 直樹 (かとう なおき)
ころから 2014年 税別1800円
著者には、「蟻の街」の形成に深くかかわった松居桃楼(まつい とうる)などに関する近現代人物論の記事もある。2013年に東京の大久保で行われたヘイトスピーチに抗議しながら、この問題を歴史的に掘り下げ、2015年に紀伊国屋が発表した「2014年人文書ベスト30」の第3位にも選ばれた。
『風よ 鳳仙花の歌をはこべ』 増補新版
ほうせんか編著
ころから 2021年 税別2000円
第一部は、東京墨田区、旧四ツ木橋周辺で起こった虐殺について目撃者や虐殺をかろうじて逃れた朝鮮人たちの証言を多数収録し、この地域で何が起きたかを伝える。第二部は、追悼碑建立の経緯や追悼式などについて記されている。追悼碑は、墨田区八広6-31-8にあるので、是非訪問してほしい。なお「ほうせんか」は、韓国の歌で、植民地時代歌うことも禁止された『鳳仙花』に由来し、追悼式の際に歌い継がれている。
『関東大震災 描かれた朝鮮人虐殺を読み解く』
新井 勝紘 (あらい かつひろ)
新日本出版社 2022年 税別1700円
著者は国立歴史民俗博物館助教授、専修大学教授、高麗博物館館長を歴任した日本近代史の専門家。竹久夢二の「自警団遊び」、本所区横川町(現墨田区)にあった本横小学校の生徒が震災後半年から一年後に描いた絵、河目悌二(かわめ ていじ)の虐殺絵、萱原白洞(かやはら はくどう)の『東都大震災過眼録』、淇谷(きこく)の『関東大震災絵巻』などの絵画を歴史的背景と共に解説している。最後に挙げた『関東大震災絵巻』は、2023年12月24日まで高麗博物館(東京都新宿区大久保)の企画展「関東大震災100年 隠蔽された朝鮮人虐殺」で公開されている。
入管難民法の改悪に抗議し、難民・移民と共に生きる教会共同声明
呼びかけ:外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会(外キ協)
今年3月、政府は「出入国管理及び難民認定法」(入管難民法)の改定案を国会に提出した。これは、2021年に廃案となった「改悪案」をごく一部だけ修正したものであり、全国の弁護士会や市民団体、またマイノリティ宣教センター運営委員会や日本キリスト教協議会から反対声明が出されると共に、国会前シットイン、全国各地での抗議デモ・スタンディングが続いた。
しかし5月9日、衆議院で可決され、本日6月9日、参議院で可決・成立した。
私たちは、外国人に対する悪意に満ちた「稀代の悪法」成立に対して、怒りをもって抗議する。なぜなら、日本の難民認定制度は「保護すべき人」を保護せず機能していない。本来ならば世界人権宣言および難民条約に基づいて難民認定制度を抜本的に改正し、日本がすでに加盟している国際人権諸条約に沿って入管収容制度を改正すべきなのに、政府はそれをせずに、改悪法は「難民申請者」や、在留資格を失った「無登録外国人」(非正規滞在者)を、さらに窮地に追い込む立法だからである。
◆「難民鎖国」日本
改悪法ではまず第1に、認定率1%以下という現在の難民認定制度を改善する条文が欠如している。コロナ・パンデミックで世界の空港・海港が封鎖された 2020年の、各国の難民認定数と認定率を比較してみると、ドイツ63,456人(41.7%)、カナダ19,596人(55.2%)、英国9,108人(47.6%)となるのに、日本はわずか47人(0.5%)である。
このように日本の難民認定数と認定率が諸外国に比べて極端に少ないことは、認定制度が法務省と出入国在留管理庁(入管庁)によって恣意的に運用されてきたからである。
難民認定の1次審査では、入管庁の職員「難民調査官」が申請者から事情聴取し、出身国に関する情報などを参照した上で法務大臣が決定するが、その事情聴取も、入管庁が持っている申請者の出身国情報も、いかに粗雑なものであるかは、この間の難民不認定処分取り消し訴訟で明らかになっている。
また、1次審査で不認定とされた場合、申請者は不服申し立てができ、2次審査では「難民審査参与員」が3人一組で審査し、その意見書に基づいて法務大臣が最終的に判断することになっている。参与員111人のなかの一人は、2021年の審査件数6,741件のうち 1,378件、22年4,740件のうち1,231件を担当し、その数は2次審査総件数の2割を超える。また、もう一人の参与員は、参議院法務委員会での参考人として「1日に書面審査をまとめて50件処理した」「年1,000件以上を担当したこともある」と述べた。
一方、「全国難民弁護団連絡会議」(全難連)が実施した、参与員になっている弁護士への緊急アンケートによれば、回答した10人の平均担当件数は年間36件である。つまり、年に1,000件も、申請者のヒヤリングも含めて厳格に審査することは、とうてい不可能なのである。
おそらく入管庁は、1次審査の不認定を追認しそうな参与員に、より多くのケースを割り当て、その参与員は入管庁職員作成の文書を飛ばし読みをして「不認定」を量産しているというのが実態なのであろう。全難連の弁護士たちが指摘するように、「大半の参与員は専門性に欠け、2次審査制度は機能していない」のである。このように入管庁が恣意的に、そして一部の参与員によって乱雑に運用されてきた制度では、認定率が1%以下となるのは必然である。
しかし、それにしても、こうした難民認定制度のもとで不認定とされた99%の外国人にとって、これはあまりにも不条理な「日本の現実」なのではないのか。
政府は国連の人権機関の懸念と勧告に、真摯に耳を傾けるべきである。「委員会は、低い難民認定率に関する報告に懸念する」「締約国は国際基準に合致した包括的な難民法を早急に採択すべきである」(自由権規約委員会の総括所見:2022年11月)。
◆国際的原則からの逸脱
「締約国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍、もしくは特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見のために、その生命または自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し、または送還してはならない」(「難民条約」第33条)
これはノン・ルフールマンの原則とされ、いかなる外国人であっても難民申請中は強制送還されない「送還停止効」とされている。そして国連の人権機関は、日本政府に対して、この原則の重要性を繰り返し強調して勧告してきた。
ところが改悪法は、本国に送還されれば迫害を受ける難民申請者に対して、3回目以降の難民申請を認めず強制送還できるようにする。さらに、日本国内で3年以上の拘禁刑に処された者や、広義のテロリズムや暴力、破壊活動等に関与し又は助長した可能性が疑われる者に対して、1回目の難民申請中であっても強制送還できるようにする。
この「送還停止効」の解除は、明らかに国際人権法に違反するものである。国連人権理事会のもとに選任された「移住者の人権に関する特別報告者」「恣意的拘禁作業部会コミュニケーションに関する副議長」「宗教または信条の自由に関する特別報告者」は連名で、法案審議中の4月18日、日本政府に共同書簡を提出した。そこでは詳細に問題点を挙げ、政府改定案は「国際人権基準を下回っている」として、次のように厳しく指摘している。
「ノン・ルフールマン原則は、国際的な人権法、難民法、人道法、および慣習法の下で不可欠かつ逸脱不可能な保護である。この原則は、(日本も加盟している)拷問禁止条約の第3条、強制失踪条約の第16条に明記されている。送還禁止原則は、拷問およびその他の形態の不当な扱いの禁止に固有の要素として絶対的であり、いかなる例外や逸脱の対象にもならない」
◆悪意に満ちた立法
難民不認定とされた外国人や、日本で結婚し子どもが生まれ日本に生活基盤がある無登録外国人は、退去強制命令が出て、「帰れと言われても帰れない」のである。法務省はこのような人びとを“送還忌避者”と呼び、その数は4,000人という。
改悪法は、そのような人びとに対して、無期限の収容を強いるだけでなく、さらに刑事罰を科すことによって、帰国を間接的に――実質的に強制する。しかしこれは、「超過滞在」という行政法上の違反を「刑法違反者」に仕立て上げ、いわば「犯罪者」を量産することによって、「外国人=犯罪人」とする偏見と差別をさらに助長するものであり、悪意に満ちた立法であると言わざるをえない。
◆「仮放免」の子どもたち
この“送還忌避者”4,000人の中には、日本で生まれ日本の学校に通う「仮放免中」の子どもたち約200人も含まれる。子どもたちは、生まれた時から在留資格がなく、住民登録も健康保険もない。支援者たちの尽力によって小学校、中学校、高校、大学へと進学できても、就職の道がまったく閉ざされている。この子どもたちの未来を奪っているのが現在の入管難民法であり、改悪法は子どもたちの生存権を奪うものである。
日本は、子どもの権利条約に加入している以上、在留状況にかかわらず、すべての難民・移民の子どもたちは、子ども第一に、優先して考慮しなければならない。子どもの権利条約に謳われているすべての権利を、法律上も実質的にも享受できるようにしなければならない。国連の子どもの権利委員会が明確に述べているように、「いかなる子どもに対する入管収容も強制送還も、子どもの権利の侵害であり、子どもの最善の利益の原則と相容れない」のである。
それにもかかわらず、改悪法には子どもの強制収容/強制送還を禁止する規定が一切ない。
◆司法審査なしの収容、病死・自死が続く入管収容所
「すべての者は、身体の自由および安全についての権利を有する。……逮捕または抑留によって自由を奪われた者は、裁判所がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定すること、及びその抑留が合法的でない場合にはその釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を有する」(「自由権規約」第9条1項、4項)
このように国際人権法は、「身体の自由」を原則とし、「収容」は例外であることを定め、締約国に対してこの原則を遵守し、原則からの逸脱は例外的な場合に限るよう求めている。さらにそれは、締約国の国民に限定されるものではなく、難民申請者、難民、移民など締約国の領域にあるすべての者を対象としている。
しかし改悪法は、送還を拒否する/送還を拒否せざるをえない難民申請者や無登録外国人に対して、全件収容主義を維持し、収容するかどうかの「司法チェック」をしない。収容、仮放免、新設の監理措置の判断は、入管庁役人の自由裁量に任せる。つまり、2021年3月、ウィシュマさんを死に追いやった入管収容制度は何一つ改善されないのである。
これもまた、国際人権法に明らかに違反する。「収容を含むあらゆる形態の拘禁は、裁判官など司法当局によって命じられ、承認されなければならない」「収容は最後の手段であるべきで、合理性、必要性、正当性、比例性の観点から正当化されない場合、入管収容は恣意的拘禁となる」というのが国際人権基準なのである。
さらに改悪法では、1997年から現在まで、全国の入管収容施設で少なくとも21人の収容者が病死や自死で生命が奪われているにもかかわらず、真相究明も、根本的な改善策もとられていない。入管庁も法務大臣も、2021年以降「常勤医師の確保など、改革の効果が着実に表れてきている」と言うが、今年1月、大阪入管局の収容施設で、常勤の医師が酒に酔った状態で収容者を診察していたことが発覚した。しかし、その事実関係の確認も、懲戒処分もいまだなされていない。
◆75 年前の「世界人権宣言」を想起する
以上に見るように「改悪」入管難民法は、日本が加盟している国際人権諸条約に違反するばかりか、第二次世界大戦後、国際人権機関と諸外国が営々と積み上げてきた国際人権基準を破壊しようとするものである。
今年12月、国連総会で「世界人権宣言」が採択されてから75年を迎える。第二次世界大戦への痛切な反省から1948年12月10日、国連が発した人権宣言の意義は、それまで人権問題が各国の国内問題とされ内政不干渉とされてきたことに対して、人権の普遍性を確認し、その国際的保障、国際的実行の確保を図らなければならない、とする転換がなされたことにある。そしてこの世界人権宣言の第14条には、「すべて人は、迫害を免れるため、他国に避難することを求め、かつ、避難する権利を有する」と明記されている。
- 私たちは政府に対して、「改悪」入管難民法の実施に断固として反対していく。
- 私たちは国会に対して、国際人権諸条約に基づく難民保護法の制定と、包括的な外国人/難民・移民マイノリティ人権基本法の制定を求めていく。
- すでに「移民社会」となった日本の諸教会では、いま多くの外国籍の教職者・信徒を迎えている。私たちは教会において、とりわけ難民申請者や無登録外国人、その一人一人の命と生活を支える市民社会の働きに連帯し、具体的な取り組みを始めていくことを表明する。
2023年6月9日
◇「難民申請者らの命を守る緊急基金」への賛同と参加のお願い◇ (2023年7月3日)
6月9日、入管難民法の改悪案が国会で可決・成立しました。
私たち外キ協は、これに対して「入管難民法の改悪に抗議し、難民・移民と共に生きる教会共同声明」を出して全国の教会に賛同を呼びかけ、現在まで126の教会・関係団体の賛同が得られました。
私たちは今後、改悪法がいかに欺瞞にみちた悪法であるのか、その一つ一つを検証し、市民団体や弁護士団体と連携して、日本社会および国際人権機関に訴えていきます。とくに国会に対しては、難民保護法の制定と、入管収容制度を抜本的に改善する法改正を求めていきます。
改悪法の施行は1年以内とされていますが、すでに法務省・入管庁は、“送還忌避者”に対して仮放免の延長を認めず入管に収容。あるいは、これまでは「特定活動3カ月」「特定活動6カ月」の更新を認めてきた難民申請者に対して「更新保留」にするなど、仮放免者や難民申請者に有形・無形の圧力を加えています。そのSOSの叫びが、シェルターや支援団体・個人、弁護士団体、教会に届いていて、事態は急を要します。
私たちは、教会共同声明の最後に記したように、難民申請者や、在留資格を失った未登録の外国人、その一人一人の命と生活を支える市民社会の働きに連帯し、次の取り組みを始めます。
●アクション1
今月から1年間、全国の教会やキリスト教学校、キリスト者に、「難民申請者らの命を守る緊急基金」への献金を呼びかけていきます。 ⇒同封の「基金」案内参照
●アクション2
全国から寄せられた献金を、10月から、教会関係団体や市民団体が運営するシェルター、あるいは難民申請者らの支援をおこなっている団体・個人に送り、活用してもらいます。
●アクション3
シェルターや支援団体・個人から寄せられた情報から、日本にいる難民申請者や未登録の外国人の窮状を、広く各教会、海外のパートナー諸教会、日本社会に伝えていくと共に、難民保護法の必要性を訴えていきます。
「国」 による葬儀がなぜ問題なのか
星出 卓也
日本キリスト教協議会(NCC) 靖国神社問題委員会 委員長
各教派・教会・団体の皆さま
2022年9月27日に強行実施された、「安倍元首相の国葬儀」を改めて振り返ります。そのことで、日本のキリスト教各教派・教会・団体に深く関わる問題を明らかにし、日本での教会形成・福音宣教の使命に照らし、課題を共有したいと願います。
Ⅰ.「国葬儀」において演出された「自衛隊」「天皇」 「遺族」
中継から一番に感じたのは、自衛隊が突出して目立っていたことです。安倍晋三氏の遺骨を乗せた柩車は市ヶ谷の防衛省に立ち寄り、防衛省職員に見送られ、会場の武道館では自衛隊員に迎えられました。遺族の安倍昭恵氏は遺骨を両手に抱え、陸上自衛隊特別儀仗隊の演奏と空砲に送られつつ会場へ向かう厳粛入場の絵が演出されました。当日は1390名もの自衛隊員を動員。昭恵氏入場の際には19発の空砲を20秒間隔で鳴らし、儀仗隊の演奏に導かれて遺骨と共に静々と入場しました。遺骨は、岸田首相から儀仗隊へと手渡され、祭壇の一番高い位置に敬礼をもって安置されました。その後一同起立の中、皇族、上皇の勅使、天皇・皇后の勅使の順で入場し、最後の天皇の勅使が着座するまで、全員起立で迎えたのです。
続いて、日の丸の映像がクローズアップされての「君が代」演奏、そして大勢の儀仗隊が会場の中央をぞろぞろと行進、着剣捧げ銃の敬礼をする中、「黙祷」が行われました。そこで陸上自衛隊中央音楽隊が演奏したのが、「国の鎮め」という靖国神社参拝に用いる軍歌でした。歌詞こそは歌われませんでしたが、「国の鎮め」の歌詞は、「国の鎮めのみやしろ(御社)と、いつき(斎)まつろふ、神霊(カムミタマ)、けふ(今日)の祭の賑(二ギハ)ひを、天(あま)かけりてもみそなはせ、治まる御代を守りませ。」です。
そして「国葬儀」のクライマックスの、天皇の勅使による遺骨・遺影への拝礼へと続きます。そこでは「悠遠なる皇御國(すめらみくに)」が演奏されました。「すめらみくに」とは、天皇が治める国という意味です。「国葬儀」は、勅使・皇后宮使、上皇使・上皇宮使の拝礼、秋篠宮以下の皇族の供花、最後に参列者の献花という次第で進行しました。この「国葬儀」で演出されたのは、自衛隊の関わり、国のために殉じた者として高い位置に掲げられた遺骨、涙を流す遺族、そして天皇の勅使が、国に殉じた者を拝礼し、国のために殉じた者が最高の栄誉に与るという絵でした。
Ⅱ.再現された国に殉じた死の顕彰、新たなヤスクニ
このように、「自衛隊・天皇・遺族」の三つを前面に掲げ、国のために殉じた死を顕彰する演出がなされたことを見、靖国神社と全く同じ役割を持っていたことを感じました。
日中戦争からアジア・太平洋戦争に至る時期は、数千から数万単位で大量の戦死者が靖国神社に合祀される「臨時例大祭」が繰り返されました。その際、愛する家族を戦死によって失った遺族たちの痛みと悲しみを、靖国神社に「英霊」として合祀することを通して、その死を名誉ある死とし、遺族たちの悲しみにも名誉ある死との意味が付与され、慰めと感激の感情に変えていきます。これが、「国のために命をささげる」という死の意味を国民に付与するヤスクニのシステムです。戦没者の家族が「誉の遺族」とされる経緯の中で、大切な家族を失った不幸と苦しみの感情が、名誉ある死に与ったという喜びの感情に転換させられ、今度は遺族たちが、国のために死ぬことを推進する者となります。この「国のために死ぬ」という「死」の意義を教化する働きを担ったのが靖国神社です。それはさらに戦争に協力する精神を準備する役割でもありました。
安倍晋三元首相の死は、「戦死」ではありません。しかし、安倍政権下で強行された安保法制など、戦争の仕組み作りを「国のために貢献した偉業」として褒め称え、その死を「国のために殉じた死」として強調した演出は、「国葬儀」において靖国神社と同じ役割を演出する試みと言えるでしょう。安保関連三文書の閣議決定以降、軍備費増強等の戦争準備の仕組みが近年急速に推進されています。やがて戦死者が出る準備として、「国のために殉じた死」を顕彰する靖国の役割が、「国葬儀」を通しての予行練習であり、大きな宣伝活動であったと言えます。
Ⅲ.教会が本来の信仰を「戦争推進のための信仰」に歪めること
上記で「国葬儀」が戦争遂行の精神的準備として「第二の靖国」の役割を果たす問題を指摘しました。同時に、教会自身が戦争を遂行する国や社会に迎合し、自らの信仰を戦争遂行に協力するための信仰に歪め、靖国神社と同様の役割を果たした歴史を覚えなければなりません。
1940年10月17日の「皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会」は、神嘗祭の日に神武天皇即位紀元2600年を記念するため、青山学院に2万人のキリスト教信徒を集めて開かれました。大会は宮城遥拝の国民儀礼で開始し、この日のために創作された天皇を賛美する「讃美歌」が歌われました。大会は、「吾等は全基督教会の合同の完成を期す」と宣言し、それに基づいて日本基督教団が成立します。その後会衆は、こぞって明治神宮に参拝しました。
司会者の富田満牧師は「開会の辞」で、「皇統連綿という無比の歴史に意味があり、日本人の誇りはここにある。キリストの十字架の精神こそ滅私奉公という精神に最も近い」と趣旨を語っています。今泉真幸牧師は、「二千六百年の昔に、神武の御門が大和の国をはじめ、皇国の基をすえたまいしことを感謝し奉る。爾来二千六百年の間、列聖相継いで皇国を知らしめ給い、大八洲(おおやしま)の民草(たみくさ)広く深くその御恩に与かりしことを感謝し奉る。将士に一死報国の精神をあたえ、真にあなたの息子息女となることを得しめ給え。斯くすることに由って大君の赤子(せきし)にふさわしい者とし、皇国の民草としての忠誠を全うさせてくださるように。」と祈り、千葉勇五郎牧師も「一心一体祖国の使命達成のために、御国建設の為に、我らの身も魂も尽くすことをゆるしてくださるように。新しき天と新しき地を地上に実現する者となることができるように。」と祈りました。ここでのキリスト教信仰は、本来の信仰から「大東亜戦争のために役に立つ信仰」へと歪めたもので、教会自身が国の遂行する目的のために有用な教会へと変容し、戦争に貢献する精神性を養うための信仰に自ら迎合したことに他なりません。再び戦争を遂行しようとする国や社会の動きの中、教会の信仰がまたもや「国の戦争遂行のために役に立つ信仰」へと歪める道を歩むのか、それとも「国や他の何ものにも利用されず他の何ものにも依存せず、神の言葉にだけ立つ独立した信仰」を守り続けるのかが問われます。歴史の反省に立ち、どのような時にも神の言葉にだけ立つ教会となることが、今日の教会形成と宣教の重要な課題です。
同時に教会は、政府が再び戦争準備のために宗教を利用しないよう、政教分離原則を空文にしようとする動向に注視し警告し続け、教会の信仰が時の動向に利用されず、自らの信仰を歪めないことと深い関係にあるものとして、見張りの役目を果たし続けなければなりません。
2023年5月23日