光延さんの記事で紹介されているように、「日韓併合100年」の今年、NHKは「プロジェクトJAPAN・シリーズ日本と朝鮮半島」と題して、この100年の日韓関係について全5回の番組を放送しました。以下は、その放送日とタイトルです。

第1回 韓国併合への道 伊藤博文とアン・ジュングン(2010年4月18日、1時間15分)
第2回 三・一独立運動と“親日派”(2010年5月16日、50分)
第3回 戦争に動員された人々 皇民化政策の時代(2010年6月20日、50分)
第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後(2010年7月25日、54分)
第5回 日韓関係はこうして築かれた(2010年8月1日、1時間15分)

  日韓関係に関わってきた市民団体の方々にとっては物足りない内容だったとも聞いていますが、NHKがスペシャル番組の5回シリーズで、「韓国併合」を正 面から取り上げたこと自体、評価すべきことだと思います。内容も、素人目には、なかなか力の入ったものだと思いますので、簡単にご紹介します(なお、当セ ンターで全5回分をDVD録画しています。視聴ご希望の方はお問い合わせください)。

第1回:韓国併合への道
「韓国併合」の出発点となった、1894年の日清戦争と1904年の日露戦争から、日本の「韓国植民地化」への流れを紹介します。明治維新後の欧米列強に よる「不平等条約」の押しつけに対して、対外強硬論が強かった明治政府。その中で伊藤博文は、対外協調によって国力を養うと同時に、アジア諸国に対しては 「自治植民地化」を目指していたと言います。しかし、大韓帝国国王コジョンがあくまで独立を目指したため、伊藤は日本軍の力を背景にコジョンを退位させ、 朝鮮半島を完全な植民地とします。当初は日本を、アジアの解放者と賞賛していたアン・ジュングンは、伊藤の行動に失望し、ついにはハルピンで伊藤を暗殺し ます。アン・ジュングンは今でも韓国で、独立の英雄として称えられています。

第2回:三・一独立運動と“親日派”
1914年の第一次大戦後、アメリカのウィルソン大統領が唱えた「民族自決論」によって、世界の植民地で独立の機運が高まります。韓国でも1919年、 三・一独立運動が起こり、各地で民衆が蜂起します。そこで日本政府は、武力で押さえつける政策から、文化的な融和を図る政策へと舵を切ります。その中で両 国の橋渡し役として育成されたのが、今日では裏切り者として非難されている、対日協力者-いわゆる「親日派」でした。

第3回:戦争に動員された人々
日中戦争から太平洋戦争へと戦線が拡大するにつれ、融和政策は「皇民化(日本人化)政策」へとエスカレートし、朝鮮半島の人々は日本風の名前や日本語によ る教育を強制されます。やがて、兵士として戦地に送られたり、労働者として日本国内で強制労働させられたりするようになります。

第4回:解放と分断 在日コリアンの戦後
日本の敗戦後、在日コリアンの多くは在日本朝鮮人連盟(朝連)の展開する民族教育に、民族のアイデンティティを見出そうとします。しかし、アメリカ占領政 府(GHQ)は朝連と共産主義との結びつきを警戒し、民族教育を弾圧します。一方、日本は1948年のサンフランシスコ平和条約で独立を回復すると同時 に、在日コリアンを外国人とみなす「外国人登録令」を発布します。ここから、在日コリアンに対する差別政策が始まります

第5回:日韓関係はこうして築かれた
朝鮮半島は1950年の朝鮮戦争で、韓国と北朝鮮に分断されます。韓国にはパク・チョンヒ軍事政権が誕生し、「日韓国交正常化」が実現します。しかし、そ の陰では、日韓併合をめぐる歴史認識の対立や、戦争被害の補償問題、竹島をめぐる領有権争いなど、さまざまな対立が放置されていました。

  こうした100年の歴史が、日韓両国の関係者の証言で詳しく検証されています。ぜひご覧ください

柴田 幸範(イエズス会社会司牧センター)