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長いタイトルだ。この映画の元になっているのは、日本最大級の電子掲示板「2チャンネル」のスレッド(話題毎に設けられるコーナー)だ。「ブラック会 社」と呼ばれる、劣悪な労働条件で従業員を搾取する会社に勤めはじめた青年の2チャンネルへの書き込みと、それに対する返信が、1冊の本として出版されて 大反響を呼び、小池徹平というアイドルを主人公に迎えて、映画化されたのだ。
だから、どこまでが現実の体験で、どこからがフィクションなのか、疑問は残る(そもそも、2チャンネルのスレッド自体、バーチャルであることを前提に楽 しまれている)。だが、インターネットの世界では、バブル経済が弾けた後の、いわゆる「就職氷河期」の世代には、「ブラック会社」の存在は周知の事実だ。 その意味で、この映画は娯楽作品の体裁はとっているが、一種のノン・フィクション作品と言っていいかもしれない。
主人公は、いじめにあって高校中退後、長い間ニート暮らしをしていたが、決心の末、就職しようとする。だが、コンピュータ・プログラマーの資格は取った もの、学歴がないため、多くの会社から断られ、やっとのことでコンピュータ・システム・エンジニアリング会社に就職する。
IT産業とはいえ、もっとも底辺の下請け企業に過ぎないその会社では、クライアントからの厳しい注文に応じるため、連日の徹夜残業は当たり前。それを業 界のスラングで「デスマ」(デス・マーチ、死の行軍)と呼ぶらしい。そればかりか、経費削減のため、交通費も文具費も支払われず、いじめ・パワハラは当た り前。一度はプロジェクト・リーダーに抜てきされた主人公も、中卒という学歴から社内でいじめの対象にされ、神経をすり減らす。それでも会社を辞めないの は、「もう、後がない」という、追いつめられた危機感からだ。「ブラック会社」が後を絶たないのも、リストラや引きこもりなど、追いつめられている人が多 いからだろう。
この映画では、職場で唯一理解ある先輩に支えられて、主人公は引きこもりに戻ることなく、働き続ける決意を固める。つまり、一人の青年の自立と成長を描い た、一種の青春映画として見ることができる。だから、深刻なテーマにもかかわらず、この映画の後味はよい。しかも笑える。
それでも、エンディングでは、社長がまた新しい社員を採用した後で、カメラに向かって「ソルジャー・ゲット!」(新しい兵隊を捕まえた)と、ニヤリと笑 う。そう、社員がいくら苦しもうが、辞めようが、成長しようが、会社には関係ない。かわりの兵隊はいくらでもいるのだから。
インターネットでこの映画の感想を読むと、「私の会社も、実は『ブラック会社』です」というものが、ずいぶん多い。考えてみれば、「残業が多い」「必要経費をケチる」「社内にいじめが多い」というのは、日本企業の悪しき伝統ではなかったか。
「ブラック会社」といえば、昔は日雇い労働者が働く建設業界が有名だった。それが今では、IT産業から出版業、サービス業まで、ありとあらゆる業種に広 がっている。グローバル化と規制緩和の行き着く先が、「ブラック会社」の限りない増殖だったというのは、皮肉と言うべきか、当然と言うべきか。
今号の書評では、学校で人間関係に苦しむ子どもたちを取り上げている。学校で苦しみ、社会に出てからも「ブラック会社」に苦しむのでは、若者たちに希望はないではないか。子を持つ親として、他人ごとではない。
何とかしなければならない。でも、どこから手をつければよいのか。笑っている場合ではない。
柴田 幸範(イエズス会社会司牧センター)