光延 一郎(イエズス会社会司牧センター所長)
秋から急速に日が短くなり、寒くなってきた日々がやがて冬至を迎え、そこからまた光を取り戻していきます。今年もアドヴェント・クランツに日曜日ごとに灯してきた火が最後のろうそくに灯されます。待ちに待ったことがやってくる、時が満ちる、歴史の焦点が現れる降誕祭がやってきます。
クリスマスの代表的な賛美歌「きよしこの夜」は、「静かな夜、聖なる夜( silent サイレント night ナイト holly ホーリー night ナイト )」と歌います。無表情に静まりかえった夜を、神の誕生を見つけることで聖なる夜、彩られ祝福された夜に変える「信仰」、あるいは「心の最後の力」をいただくのがクリスマスのテーマでしょう。今年も、異国の空の下であるか、仮設住宅や避難先で、あるいはビルの陰や公園の茂みの中で、家族や友人から切り離され、さびしくこの日を迎える人々がたくさんいます。クリスマスは、寒さが身にしみる夜の祭です。
その暗い夜に、神は、家畜が眠る場所で生まれました。その意味に気づいたのも、野宿する貧しい羊飼いと、真理を求めて星を追ってきた東方の三博士でした。永遠無限の神は、沈黙の内に、しかし身をもって、私たちのただ中に入られました。最も無防備でいたいけな裸の赤ん坊の姿で、マリアとヨゼフという善良ではあっても若い両親に一切の世話をゆだねる仕方で。これほど無邪気な信頼はないでしょう。
つまりクリスマスは、実は、貧しい者、貧しくされてしまった者の祭です。私たちの喜びと苦しみ、ため息とあえぎ、汗と涙が、すでに神の手の内に受け取られていることへの信頼と、この死すべき運命をも安心して受けとることができるという神の「祝福」を分かち合う時です。
真ん中に、身を投げ出して天を仰ぐ赤ん坊のイエスがいます。
その姿は、いかなる形にも閉ざされない可能性そのもの、自由そのもの、永遠の愛に自分全部を任せている姿です。このみどり子のありさまを私たちの内に生まれさせること、母たちが出産に耐えるように、私たちが神の愛の言葉を生み出すこと、それが “ silent (サイレント) night (ナイト) ” を “ holly (ホーリー) night (ナイト) ” に変える信仰です。この心の転換が、恐れとマンネリを破り、喜びと新しい心を生み、人間同士の信頼をよみがえらせる平和をもたらします。この世の様々なイルミネーションの偽の明るさで暗さをごまかすのではなく、まさに暗い闇夜にさ迷いながらも、家畜たちと見上げた空に灯っている星の輝きに思いを託す聖なる夜です。
「3・11」の災害と原発事故の後、混乱をつづけ、まさにメルトダウン状態だった日本の政治は暮れの選挙でどう変わったでしょう? 今、これを書いている段階では結果がまだ見えません。わけのわからない線香花火政党が烏合集散し、憲法9条改悪を公然とかかげるキナ臭い勢力が政権をうかがう状勢、長らく暴君のような知事が君臨した東京の新しい首長はどうなったでしょう?
待降節に「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」(イザヤ9・1)、「ひとりのみどり子が、わたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君と唱えられる」との預言を黙想してきました。これは、新しい年にどのような意味をもつのでしょう?どんな結果であったとしても、この「光」を見つめる目を澄ませ、「平和の君」を待ちわびる心を深めたいものです。貧しい馬小屋から響いてくるみどり子の小さな呼びかけの泣き声を聞きとり、その子を見守る聖母と聖ヨゼフの安堵と幸せを感じとることはできます。新しい年も、この希望のうちに、いっしょに行動していくことができるように、クリスマスの平和を祈ります!