Cristo Rey、子どもたちのための挑戦

梶山 義夫 SJ
イエズス会社会司牧センター所長

1996年、教育の歴史に新たな一歩が踏み出された。シカゴ南西部のピルスン地域にCristo Rey Jesuit High Schoolが誕生した。

ピルスン地区は、チェコのビールで有名な都市名に由来することから分かるように、19世紀にはチェコからの移民が住民の大半を占める地域であった。1950年以降、メキシコからの移民が増え始め、1970年にはメキシコ系をはじめとするヒスパニック系移民がその地域の人口の大半となった。彼らのほとんどがその日暮らしの労働者であった。彼らが子どもたちに良い教育を受けさせようと願っても、公立学校は満杯で、校内でもギャングが幅を利かせていた。ヒスパニック系の高校生の退学率は50%を超え、大学への進学は1割程度であった。

クリスト・レイ運動は、シカゴ大司教ジョセフ・バーナーディン枢機卿が、増加するヒスパニック系移民――ほとんどがカトリック信徒――のためにカトリック教会として何をすべきか模索したことに端を発する。彼はイエズス会の協力も求めた。シカゴ管区長は枢機卿の要請を真摯に検討し、Jim Gartland神父を任命した。彼はまず街に赴き、地区の教会や学校で働いている人たち、そして街頭の子どもたちの声に耳を傾け、地域の市政調査データに目を通した。この地区に1万人の高校学齢の若者たちがいること、公立高校の退学者は75%にも及ぶこと、大卒は3%に過ぎないことを知った。また今までのような学校を創立しても、私立学校に対して公的補助支出が通常認められない米国では、このような家庭には学費を負担する余裕がないことも知った。

そこで思いついたのが、子どもたちが働いて、学費を稼ぐことである。学校と企業は新規採用レベルの契約を結び、4名のほぼ同一レベルの技量をもった生徒が一組になり、一つの部署に交替で派遣する。つまり授業を4日間、毎日50分授業を8コマ行い、後の1日を労働に充てる。米国の高校は4年制である。4学年が週5日の働きを分担する。例えば1年生は月曜日、2年生は火曜日というように4つの学年が働く曜日を定める。また残った一つの曜日には、4学年が交替して4週間に1度、同じ職場で働く。仕事はいわゆるホワイトカラーのアシスタントである。職種によって仕事内容は異なるが、例えば、サンホセのHP Inc.では、データベース構築、購入者サポートモデル調査、ゲームテスティング、ウェブサイト作成、マーケットリサーチなどを担当している。

Cristo Rey Jesuit High Schoolの初代理事長は、イエズス会シカゴ管区のJohn Foley神父である。創立にあたって彼の重要な使命は、Gartland神父をはじめとする会員とともに、子どもたちが働くことができる職場を見つけることと創立基金のための寄付を募ることだった。そこで寛大に協力したのは、イエズス会の教育機関の卒業生、特にシカゴのSaint Ignatius College PrepやクリーブランドのSaint Ignatius High Schoolの卒業生である。シカゴの学校は1870年に創立、クリーブランドの学校は1887年に創立され、共に特に地元のさまざまな分野に有力者を持つ。同窓会や有力な卒業生たちに働きかけて寄付を募り、かつてのチェコ人共同体の聖堂や学校を利用して、開校したのである。

当初、生徒募集と生徒の上級学年への進学は容易ではなかったが、基礎力をしっかりと育み、大学への進学を望む生徒や保護者は多かった。また子どもたちの仕事は単に学費をまかなうためだけではなく、生徒たちがたずさわる仕事自体に関心を持ったり、職場で働く人々と身近に出会い、将来に対する夢を抱いたりする機会となった。このようにして、全員に近い生徒が奨学金を得て、大学進学を果たすようになったのである。

シカゴで始まった教育方法は、アメリカ合衆国大都市の必要性に合致し、現在35校、12,012人の生徒が学ぶ。多くの学校はCristo Reyの名前を受け継ぐが、たとえばアフリカ系移民が多い地域では、Christ the Kingという名前を持つこともある。また2003年にデンバーで開校した学校はArrupe Jesuit High Schoolと名乗っている。各校は独立した法人であり、独立した会計を持つ。保護者からの校納金は、1割にも満たない。各校は一般に支出のおよそ5割をcorporate work study program、5割を企業や個人からの寄付によってまかなっている。
 

Cristo Rey Networkに属する学校に通う子どもたちには、日々忍耐強く学校生活を送ることが求められる。学校によって多少異なるが、シカゴのCristo Rey Jesuit High Schoolの場合、企業に働きに出る子どもは午前8時には登校する。その前に無料の朝食をとることもできる。8時には朝礼があり、普段の仕事と異なることなどがあれば説明を受け、職場に向かう車に乗り込む。その際、服装のチェックも受ける。仕事は法規に則り、1日8時間以内である。4週間中5日間仕事に出るため、授業がある日もハードスケジュールである。午前8時から1時間目が開始し、午後4時に9時間目が終了する。学年別に、4時間目から6時間目の間に無料の昼食をとる。9時間目は、個人的な復習や読書、成績不振者の補習などに利用される。授業後、スポーツなどの課外活動を行う。

子どもたちの学校生活を支えるのが、教師とスタッフである。授業面で特筆すべき学校は、カリフォルニア州サンホセのCristo Rey San Jose Jesuit High Schoolである。ここでは、individualized learningが徹底している。授業には講義や小グループ活動の要素もあるが、生徒一人ひとりが自分のコンピュータを持ち、生徒と教師はコンピュータソフトを駆使して、一人ひとりの生徒にふさわしい学習を展開している。さすがシリコンバレーの学校である。

スタッフ面では、corporate work study programのためのスタッフが数名いて、朝礼から始まるさまざまな活動を指導するだけではなく、生徒の仕事に関する評価をはじめ企業との連絡などに従事している。またCristo Reyの学校は大学進学を前提とする教育を展開している。そこで重要なことは、学業成績面だけではなく、十分な奨学金を取得できる大学を選択しなければならない。専門スタッフが子どもたちの希望を丁寧に聞きながら、大学と連絡を取り、アドバイスを行っている。また心理的なカウンセラーも重要である。勉学の基礎的な能力や生活能力の低さで躓いてしまう子どもたちも少なくない。また家庭問題、周辺社会での暴力被害などで苦しむ子どもたちもいる。この点では、宗教カウンセラーも協力している。

シカゴでの新たな一歩から、22年の歳月を経た。子どもたちの悩み、生徒募集、協力企業の発掘、教職員募集など、さまざまな課題を抱えるCristo Reyも少なくないが、子どもたちの未来に奉仕しようとしている。日本でも外国につながる多くの子どもたちの将来のために何をなすべきか、社会、そして教会が問われている。

「正義と平和」名古屋大会2018 第7分科会

私が牢にいたときに訪ねてくれた ~死刑囚との交流から~ 

柳川 朋毅
イエズス会社会司牧センタースタッフ
日本カトリック正義と平和協議会「死刑廃止を求める部会」

2018年11月23日・24日の二日間、第40回目の「日本カトリック正義と平和全国集会」が名古屋で開催されました。「共に生きる地球家族 ~今問われる私たちの選び、私の決意~」というメインテーマのもと、1日目には世界のゆがんだ経済格差についての全体会が、2日目には全部で16もの分科会が開かれました。

私たち日本カトリック正義と平和協議会「死刑廃止を求める部会」が主催した第7分科会は、死刑囚と長年交流を続けてこられた4名のキリスト者をお招きし、「私が牢にいたときに訪ねてくれた ~死刑囚との交流から~」と題した特別シンポジウムを行いました。日本聖公会正義と平和委員会にも共催いただきながら、登壇者も参加者も、とてもエキュメニカルな形で開催することができました。7月にはオウム真理教関係の13名の大量執行があり、その後『カトリック教会のカテキズム』の死刑に関する項目(2267項)の改訂があったせいか、予想以上に多くの人が集まり、会場のカトリック膳棚教会パウロ館は超満員となりました。

冒頭、司会進行である私から、日本に112名(当時。袴田巖さんを含む)いる確定死刑囚の置かれている現状について簡単に説明をしました。拘置所での処遇は、食事や睡眠、入浴、運動といった日常生活上の制限に加えて、面会や手紙で他者と交流することが厳しく制限されています。そうした中で死刑囚たちは、いつ訪れるかわからない「執行の日」の恐怖と、孤独に闘い続けているのです。以下要約する4名の方々のお話はどれも、知られざる死刑の現実を私たちに突きつける、衝撃的な内容でした。
 
聖母訪問会のシスター、原田従子さんは、これまで30年近くにわたり、44人もの死刑囚と関わってきた方です。そのうち11人は既に死刑執行され、6人は獄中で病死――刑死よりはまだ“嬉しい死”だという――しています。また、5人はその後の裁判で無期懲役になり、中にはすでに社会復帰している人もいるといいます。交流を通して洗礼を受けた人もいますし、たとえ洗礼までは受けなくとも、死刑囚たちの熱心な信仰から修道者として逆に学ばされることも多くありました。オウム真理教の元死刑囚からは、瞑想のやり方を教わったこともあります。

現在の日本では、いつ死刑が執行されるかは、家族や支援者どころか本人にすら、当日の朝まで知らされません。これまで多くの死刑囚との「突然の別れ」を経験してきた原田さんの口からは、長年の過酷な拘禁生活で精神を病み、早く天国に行きたいと訴え続けた結果、あろうことか「聖金曜日」に処刑されてしまった女性信者の話、病気の高齢死刑囚に暖かなシーツの差し入れをして間もなく処刑された話、執行の知らせを聞いた直後、その死刑囚が2日前に書いた最後の手紙が届いた話など、死刑囚と身近に接し続けた彼女にしか語れない話が多く出ました。さらに、実際に処刑に携わる刑務官の苦悩へも心を寄せ、死刑執行のボタンを押す仕事だけは人間のする仕事ではないと訴えました。

2007年に日本基督教団から日本聖公会の名古屋聖マルコ教会に移ってきたという牛嶋敦子さんにとって、現在交流している死刑囚は自分より前から聖マルコ教会のメンバーであり、信仰の上でも「先輩」だといいます。悲惨な家庭環境で育ち、少年の時に事件を起こしてしまった彼は今、特別に許可された作業から得られるお金を、被害者だけでなく、虐待や貧困の中にある子どもたちを支援する諸団体にも送り続けています。

確かにかつて重大な事件を起こしてしまったわけですが、今会う40代の彼は素晴らしい信仰者で、毎日、祈りと他者のための働きをしながら生きている姿に、むしろ自分の方が学ばされることが多いと牛嶋さんは語ります。神ではない私たちが見ているのはその人の一側面にすぎません。人は変わりうるということを信じて目の前の人と真摯に向き合っていかなければならないと、牛嶋さんは繰り返し呼びかけました。

名古屋聖ステパノ教会の池住圭さんによれば、日本聖公会中部教区の司祭たちは長年にわたり、名古屋拘置所で「教誨師」として奉仕してきたといいます。教誨を通して司祭の人間性に触れ、聖書の勉強をする中で、そのうち洗礼・堅信を受けたいと願う死刑囚たちが出てきました。個人としてではなく「教会」として、そうした死刑囚を支え、死刑制度について勉強し、教誨師を支えていくことが教会内で確認され、信徒たちも積極的に死刑囚と関わるようになっていきました。

残念ながらこれまで5人の教会員が処刑で命を失いましたが、はじめて死刑囚の死と向き合い憔悴しきった司祭の顔を、池住さんは今でも忘れることができません。その日は共に朝まで祈りました。また、死刑囚とだけではなく、家族や被害者遺族、刑務官たちと接する機会も多くあり、死刑に対するそれぞれの思いを聞くことができました。遺族の中には、犯人の死刑を望まない方もおられたということも事実です。

「処刑は自分で最後にしてください」と記して処刑された死刑囚の遺書を紹介した池住さんは、それを最後にできなかったどころか、死刑制度を容認し、国家による殺人に加担し続けている日本人の無自覚さを嘆きました。また、犯罪が起きる根本原因は命を軽視するこの社会の在り方にあるのではないかと問いかけ、キリスト者としてそうした社会を変えていくことが必要だと力説しました。
 

日本長老教会志賀キリスト教会の浅野眞知子さんは、約25年前、ある死刑囚が『百万人の福音』というキリスト教雑誌に書いていた「救いの証し」を読みました。その死刑囚に対してというよりも、死刑囚に接する神の愛に感動し、はじめて死刑囚に手紙を書きました。その方は既に執行されてしまいましたが、彼を通して別の死刑囚との交流が始まりました。

今交流している人とは、ちょうど20年前にはじめて面会に行きました。今でこそ「かあさん」と呼んでくれるまでの関係性になりましたが、その間、かなり長い間の葛藤があり、もう会いに行くものかと思ったことも何度もあります。けれども、そのたびに導きがあり、再び会いに行くようになりました。苦しく辛いことも多かったですが、彼との交流を通して、人は変われるのだということを学び、何よりもイエスととても親しくなるという恵みを受けることができたといいます。

元々社会問題にはまったく関心がなかったという浅野さんですが、死刑囚との交流を通して様々な問題が見えてくるようになりました。「自分には罪はない」と思っている多くの人は、悪いことをしたのだから死刑で当然だと考えます。死刑制度に関しても、自分たちとは関係のない遠い話と考えてしまいます。私たちは皆、主の前にあって罪びとなのだという自覚が足りないと主張する浅野さんは、死刑によっては癒されない遺族の姿、執行の精神的負担に苦しむ刑務官の姿も分かち合ってくれました。

最後に、麦の会(被拘禁者更生支援ネットワーク)や、無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会からのアピールもなされました。とりわけ、刑務所に4回、計30年間入っていた元受刑者の男性から語られた、獄中で誰からも見捨てられ、すべてを失ったと思った中で麦の会から届いた一通の手紙がどれだけ嬉しかったかという体験談は、会場の人々の心を打ちました。獄中でキリストと出会った彼は、出所した今では、教会や麦の会の活動に熱心に取り組んでいるといいます。

もちろん、それに伴う覚悟と苦悩は決して並大抵ではありません。けれども、テーマの通り、受刑者・死刑囚という「最も小さな者」のもとを訪れること(マタイ25:36参照)が、キリスト者としていかに重要な愛の実践であるかを実感できる貴重な会となりました。

実際、このシンポジウムに触発された私は、1か月後の12月25日、大阪拘置所の、ある死刑囚のもとを訪れました。実は私にとって、死刑囚と直接面会するというのははじめての経験でしたが、クリスマスの日に彼と、そして「牢の中にいるキリスト」と出会えたことは、とても意義深いクリスマスプレゼントとなりました。

ただ、そうした素晴らしい出会いも、極めて残酷な形で水を差されました。私が訪れたわずか2日後、大阪拘置所で2名の死刑囚が処刑されたのです。日本の死刑の理不尽さを改めて痛感しながら、複雑な思いで降誕節を過ごすことになってしまいました。

外国人労働者、日本社会とカトリック教会への挑戦

安藤 勇 SJ
イエズス会社会司牧センタースタッフ

移民デスク担当

2018年11月末、2日間にわたって名古屋で開催されたカトリック正義と平和全国集会では、全部で16の分科会が行われた。東京のイエズス会社会司牧センターの移民デスクスタッフも参加し、第一分科会「移住者と日本社会やカトリック教会」を担当した。

この分科会の主な狙いは「移住者」、つまり「移民」への関心を深め、参加者みんなで可能な行動を探し求めることだった。そのためにまず、移住者本人たちの体験に耳を傾け、参加者みんなで話し合うことにした。ところが、予算などが足りなかったので、私たちとかかわりのある移民(移住者)の厳しい現実を中心に2本のビデオを作ってみた。

第一分科会には驚くほど多くの人々が参加し、午前10時から午後4時まで、60人近い参加者がお互いに熱心に討論した。

午前には、移民デスクスタッフと埼玉県の川口教会のシスターLe Thi Langの計画で作成された短いビデオを上映してから、60人の参加者を5つのグループに分け、話し合いを行った。2本のビデオでは、移民たちが直面しているテーマが扱われている。一つは入管収容所内の病気の収容者の医療の状況で、もう一つは外国籍労働者の不当解雇の実例である。両方とも、事実に基づいた移民たちのつらい体験が描かれている。

また、午後のセッションの担当者であった港町診療所(横浜)医師の山村淳平先生は、自分で作ったビデオを見せながら、実習生の医療問題や労災をめぐる状況を説明した。そして、参加者を午前と同じグループに分けて、分かち合いに入った。最後に各グループからの発表が行われた。

セミナー参加者の反応と主な考え方

時間が大変限られていた中で、参加者は熱心に討論していた雰囲気だった。多くの参加者はすでに移民との接触があり、話し合いの内容は豊かだったという印象を受けた。移民に対する日本社会とカトリック教会の態度を厳しい目で見ていて、小教区のレベルでも移民に対する協力を何もしてくれないという発言があった。確かに言語の問題があり、お互いの理解が乏しく、教会の中でも「カベ」ができているという意見がよく聞かれた。社会は移民を受け入れようという姿勢を示すよりも、彼ら/彼女らを安い労働力として使い捨てているという状況になっている。

教会に属する者として、どういう行動が可能なのだろうか。それが今回のセミナーの大事な課題だった。時間の制限があったにもかかわらず、具体的なヒントがいろいろ出された。例えば、日常の生活でも交流を行なう必要があり、家庭のような温かい場を提供するとか、相談できる人間関係を作るとか。お互いに知らないから話し合いの場を開き、難しい話ではなく日常会話から始めようとか。特に、教会の評議会や委員会に外国籍の人も出席してもらうとか。そして、言葉の「カベ」の解消を狙って、日本語の勉強会を開くとか。聞く姿勢から始めて、彼ら/彼女らの体験談を聞くとか。出向く態度も大切で、彼らの現場へ行ってみるとか。

教皇フランシスコの表現を使えば、教会に存在する「カベ」を壊して「橋」を造ってみる。とにかく、教会共同体は彼ら/彼女らを積極的に歓迎する魅力的な場である。違う言葉を話し、異なった文化の中で育てられてきた者だとしても、彼ら/彼女らは同じ人間であり、多くの場合同じ信仰を抱いている。私たちの教会に立ち寄る実習生、日本に出稼ぎにきた方々は元気な若者で、厳しい状況にいる自分たちの家族を助けるために来日した。同時に、将来についての夢をもって日本に来ている。日本の教会にとって大きなチャレンジである。

「移民アンテナ」と「セミナーハウス」の計画

それから約3か月が経った今、セミナーに参加したみなさんは自分の小教区やそれぞれの場で何をしているのか、好奇心をもって知りたい。きっと、多くは今までの活動を続けているに違いない。こちらの移民デスクとしては、みなさんから学んだことを活かそうとしている。

国会レベルでははじめて、実習生、外国籍の単純労働者をたくさん受け入れようという動きが頻繁に討議され、一般の国民は新しい状況に目覚めた気がする。

移民デスクは「移民アンテナ」を作り、Eメールの情報システムを通じて、日本国内を中心に情報を収集して、この問題に関心をもっている人たちと団体に伝達を始めている。もっとお互いに「横のつながり」を強める必要性を感じているからだ。それに合わせて、他の団体と協力しながら、移民を対象にした「セミナーハウス」設立の可能性を探っている。  

移民デスクは既に、ボランティアグループと一緒に「移民アンテナ」を始めた。日本の深刻な人手不足を解消するために外国人労働者や実習生の受け入れを増やすという政府の政策にしたがって、日本が直面しているこの重要な問題に関する社会的意識を高めるべく、私たちは日本語と英語で資料を提供している。興味のある人は誰でも、私たちに連絡をすれば、それらを読むことができる。私たちは情報やアイディアの交換をするために、個人や団体に参加を呼びかけている。

一方で、移民労働者や外国人技能実習生を支援するための「セミナーハウス」を立ち上げるという計画も既に始まっている。協力者やボランティア、維持管理費の調達、基金設立といった諸要件を整えて、関東や関西に「セミナーハウス」を立ち上げていきたい。移民グループを含み、他の諸団体が協力してくれれば、「セミナーハウス」は一年後には利用可能になるだろう。私たちと協力してくれる人々を探している。

アジア諸国からやってくる実習生はみんな、家族を助けたい、より良い未来を築きたいと夢見る若者だ。彼ら/彼女らは既に多くの団体が提供している支援を必要としているが、ほとんどの者ははじめて日本に来て、日本の現実、その文化、制度などがわからない。なぜなら、情報を見つける機会がなかったからだ。私たちは最も弱い立場にある人々を助けたいのだ。

マリオ山野内倫昭司教(さいたま教区)とベトナムからの人々
△マリオ山野内倫昭司教(さいたま教区)とベトナムからの人々

改正入管法について

鈴木 雅子
弁護士(いずみ橋法律事務所)

はじめに

平成30年(2018年)12月8日、第197回国会(臨時会)において、①在留資格「特定技能1号」「特定技能2号」の創設、②出入国在留管理庁の設置、を主な内容とする「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律」が成立しました。

上記の二点について、以下詳しく見てみることにします。 

特定技能1号・特定技能2号の設置

特定技能制度の意義

「中小・小規模事業者をはじめとした深刻化する人手不足に対応するため、生産性向上や国内人材の確保のための取組を行ってもなお人材を確保することが困難な状況にある産業上の分野において、一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人を受け入れていく仕組みを構築すること(「特定技能の在留資格に係る制度の運用に関する基本方針」)」とされ、外国人労働者の受入れが目的であることを正面から認めています。

Point
1

「特定技能1号」「特定技能2号」とは

新設される在留資格のうち、「特定技能1号」とは、特定産業分野に属する相当程度の知識又は経験を必要とする技能を要する業務に従事する外国人向けの在留資格であり、「特定技能2号」とは、特定産業分野に属する熟練した技能を要する業務に従事する外国人向けの在留資格とされます。

「特定産業分野」とは、介護、ビルクリーニング、素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業、建設、造船・舶用工業、自動車整備、航空、宿泊、農業、漁業、飲食料品製造業、外食業の14分野であり、特定技能2号は建設、造船・舶用工業のみ受入れ可とされています。

「特定技能1号」の在留資格を得る外国人としては、新規入国予定の外国人、技能実習修了者、留学などで既に日本に在留している外国人に大きく分けられます。「特定技能1号」の在留資格を得るには、原則として技能試験及び生活や日本語試験に合格する必要がありますが、「技能実習2号」を修了した外国人については、これらは免除されます。同在留資格の在留期間は、1年、6か月又は4か月(更新可)であり、通算で上限5年まで同在留資格での在留が可能です。家族の帯同は基本的に認めないとされ、また、後述する受入れ機関または登録支援機関による支援の対象になります。

「特定技能2号」の在留期間は、3年、1年又は6か月(更新可)であり、技能水準は試験等で確認しますが、日本語能力水準については新たに試験等での確認は不要とされています。また、一定の要件を満たせば、家族(配偶者、子)の帯同は可能となります。受入れ機関又は登録支援機関による支援の対象にはなりません。

Point
2

受入れ機関、登録支援機関とは

外国人に対する入国前の生活ガイダンスの提供、住宅の確保に向けた支援、日本語習得の支援、1号特定技能外国人の支援は、特定技能の在留資格で在留する外国人が所属する機関である受入れ機関が支援の実施主体となるものとされています。ただし、受入れ機関は、登録支援機関(本制度により新しく想定される機関。新しく出入国在留管理長官に登録が必要)に支援を委託することができます。

Point
3

当面の実施状況、予定

本年4月以降、5年間で最大34万5150人の特定技能の外国人を受け入れるとしています。

上記14分野のうち、「特定技能1号」の取得試験を本年4月から行うのは、介護、宿泊、外食の3分野です。介護分野は過去の技能実習生の受入れ期間が特定技能1号への移行に必要な3年間に満たず、宿泊、外食分野は実習制度の対象外であるため、3分野とも試験をしなければ4月に特定技能者を受け入れることができません。

また、日本語試験は、当面ベトナム、フィリピン、カンボジア、中国、インドネシア、タイ、ミャンマー、ネパール、モンゴルで実施するものとされ、これらの国と本年3月までに二国間協定を締結するものとされています。国内での日本語試験も実施する見込みとされていますが、詳細はまだ明らかにされていません。

「特定技能2号」のうち、造船・舶用工業の取得試験は、2021年度から行われる見込みです。建設については、既存の技能検定を活用することにより、本年4月の取得もありうるとも言われています。

Point
4

出入国在留管理庁の設置

今般なされるもう一つの大きな改正が、出入国在留管理庁の設置です。法務省の下に置かれるという点では、従前の入国管理局と変わりませんが、入国管理局が内部部局としての位置づけであったのに対し、今後は、公安調査庁公安審査委員会などと同様、外局として位置づけられることになります。

法務省の説明によれば、これにより、法務省の任務のうち、出入国管理に関する部分が「出入国の公正な管理」から「出入国及び在留の公正な管理」に変更されることになり、その任務は、ア 出入国及び在留の公正な管理を図ること、イ アの任務に関連する特定の内閣の重要政策に関する内閣の事務を助けることとされます。また、その長は、出入国在留管理庁長官となります。

上記のとおり、あくまでも目的は、「管理」であることになります。報道されているところによれば、新たに設置される出入国在留管理庁においては、「出入国管理部」と「在留管理支援部」に分かれ、新たに外国人の生活支援が業務に加わるようです。

しかしながら、出入国在留管理庁はあくまでも外国人の「管理」を目的としています。また、実際にもこれまで外国人の生活支援については、地方自治体にそのほとんどが委ねられ、国レベルではあまり行われてこなかった業務であり、これを出入国在留管理庁が担当することが能力的に可能か否かも憂慮されます。

まとめ

日本は、長い間、いわゆる単純労働を目的とする外国人の入国在留は認めないというスタンスをとってきました。しかしながら、実際には、単純労働を担う国内の労働力は十分でなく、非正規滞在者、日系3世、技能実習生、留学生、、、と、時代ごとに様々な外国人が、その表向きの目的とは異なり、実際には単純労働を担ってきました。

今回の新たな外国人受入れの枠組みは、この本音と建前の使い分けの状態から、ついに人手不足に対応するための外国人労働者の受入れが目的であることを正面から認めたことは前進と言えるかもしれません。

他方で、「国際貢献」を名目とし、極めて問題の多い技能実習生を存続させ、そこからの移行をあてにした制度であること、特定技能外国人の支援が受入れ機関側に丸投げされていること、技能実習制度などでかねてから問題とされている送り出し国におけるブローカー排除のための対応が不十分であること、特定技能1号外国人については5年の長期にわたり家族帯同が認められていないことなど、問題も多くあります。また、そもそも外国人に対する人権保障が極めて脆弱であり、外国人が日本で生きていく基盤である在留資格の与奪が政府の極めて広範な裁量に任され、ひとたび在留資格を失った外国人が非人道的な状況に置かれている状況が見直されずに受入れだけを加速させることは、外国人の人権保障の観点からは極めて問題が大きいと言わざるを得ません。

特定技能制度については3年後の見直しが予定されており、今後、これらの新しい制度がどのように運用されていくかをしっかり見て、声をあげていく必要があります。