キッチンカー「ロクス号」は夢をのせて
〜「子どもとみんな食堂」と「いのちの関門ネッツ」の歩み〜
中井 淳 SJ
下関労働教育センター所長
下関労働教育センターのミッションにUAPs(イエズス会の使徒職全体の方向づけ)を統合していこうと思いながら、祈り、活動してきた。コロナ禍の中で始まった子ども食堂、そしてその強力な助け手であるキッチンカーと、そこから繋がるネットワークの動きを見ていると、UAPsが統合されていっているように思う。貧困の問題へのこうした取り組みを紹介しながら、分かち合ってみたい。
「子どもとみんな食堂」とキッチンカー「ロクス号」
コロナ禍において、下関労働教育センターの従来の活動を継続することが難しくなっていた。そんなときに、センターに関わってくださっている信徒の一人から、「コロナ禍であぶり出された地元の貧困の問題に、センターが拠点となって取り組んでいく活動ができないか」と提案があった。その方は、下関のホームレスのための炊き出しに、長い間携わってこられた方だった。
その第一歩は、子ども食堂を立ち上げることだった。こうして「子どもとみんな食堂 “ロクスひよりやま”」がスタートした。子どもだけではなく、あらゆる世代の、出自も多様な人たちが集まれる“場”(ラテン語でロクス)には聖霊の風が吹くことを信じて、そのような名前をつけた。その提案を受け、センターの運営委員であり、山口フードバンクでも目覚ましい活動をし、様々な活動を通してネットワークも広い大城研司さんに助けを乞うたところ、山口県で子ども食堂の統括をされている方や外国人移住労働者のための支援をする方などに集まってもらい、助言をいただく機会がもてた。この方々と繋がり、協力していくためにも、具体的な一歩を踏み出さなければならない。
センターの位置する日和山には高齢者の方が多い。センターのスタッフがその一年も前から、地元の高齢者のために月に一回「ひよりやまカフェ」を開いていた。多いときには50人以上が集まる人気のカフェである。食事を提供する経験値があり、地元の方々にも支えてもらえるという、このような下地があることは本当にありがたかった。
また、近くの小学校を訪ね、挨拶をしにいった。子どもの数が少ない地域だが、教会の仲間たちが孫や知り合いに声をかけ、子どもたちが少しずつ増えてきた。きっと、雰囲気を喜んでくれるのだろう。一度来た子どもたちが、その後もリピーターとなって来続けてくれるようになった。
嬉しかったのは、下関市立大学や他の大学の学生たちがボランティアとして参加してくれるようになったことだ。北九州で勉強する韓国出身の大学生たちにも繋がれた。センターが取り組んだ活動に青年たちも参加してくれるということは、私が所長となってから今まではあまりなかった。子ども食堂という形は、青年たちも関わりやすいのだろう。この青年たちと共に歩んでいくということを、大切なミッションとして呼びかけられているのだと感じる。
各地の子ども食堂が一様に同じ問題を抱えているようであるが、待っているだけでは、生活困窮の状況にある家庭には届かないということがわかっていた。スタッフたちの熱い思いの中に風が吹いているのを感じ、スタッフと一緒にある家庭に食料を届けた帰りに、軽トラックの中古を見てみようと右にハンドルを切った。自動車屋の方が一生懸命に車を探してくれた。
センターにとっては大きな買い物である。しかるべき方に相談をし、仲間たちに思いを伝えた。「とにかくやってみたらいいよ」と背中を押してもらい、寄付が集まり、キッチンカーがついに手に入った! スタッフの一人が素敵なデザインを描いてくれ、キッチンカーはより愛すべき姿へと変容した。こうして、「ロクス号」は始動したのである。
私たちにとって、このロクス号は旗印である。「私たちは共にいる」という証、出向いていく教会の証である。クリスマスにもロクス号は出動し、市役所前での食料配布会では、用意した50食すべてがあっという間に子どもたちの手に渡った。喜んでくれる母子家庭のお母さんなどの姿を見ると、ロクス号を待っていた人たちがいるということを確かに感じた。
いのちの関門ネッツ
さて、子ども食堂の立ち上げとともに抱いていた構想があった。それは、生活困窮者を支援する様々なグループや人々が、公共機関とも連携しながら協力していけるネットワークを形にすることである。これまで私も様々な活動に関わりを持たせてもらいながら、外国人労働者を支援する北九州の人々やホームレスの自立支援に関わる人々と繋がりを作ってきた。
偶然にもフードバンクのボランティアで繋がった夫妻が事務局に加わってくれた。そして昨年の11月27日に、「いのちの関門ネッツ」の立ち上げ会が行われた。北九州と協働しながらセーフティネットのネットを構築していくという意味での「関門ネッツ」である。
北九州でホームレスの自立支援をしているNPO抱樸〈ほうぼく〉の代表の奥田知志さんが応援ビデオメッセージをくださった(https://youtu.be/ylTvCtxyhpYから視聴できる)。“支援”というと、ともすれば上から助けてあげるという感じになってしまう。「あなたの今のままではだめだ」と言っているような感じがする。私たちが投げかけるメッセージは「あなたのままでいい」ということだ。そして、失敗してもいい、私たちが支えてあげるから、という本当の意味のセーフティネットを作っていくことが大切なのだ、という、私たちが一番必要とするメッセージだった。
そして、集った30名がそれぞれの活動を報告した。その中には、子ども食堂、ホームレスの自立支援、外国人労働者の支援に携わる人々、そして、自然環境の問題に取り組む人もいて、多様な現場が垣根を越える形で繋がった。子どもたちの将来と、食と農の問題は密接に関わっているということを、子ども食堂を通じて強く感じてきた。私たちが共に暮らす地球を守るというミッションを生きていく萌芽も、このネットワークの中に感じることができる。
この立ち上げ会は、キッチンカー「ロクス号」のお披露目も兼ねて行った。労働教育センターだけでなく、志のある方たちが申し込んで自由にロクス号を使うことができるように準備をしていくのだ。
キッチンカーからぜんざいをもらうために屋外に出ると、ロクス号の上に虹がかかっているではないか!! このチャレンジへの神からの祝福の虹であると感じた。
このネットワークがどのような実りをもたらしていくのだろうか。この立ち上げ会に参加してくれた、食と農の問題にも取り組んできた仲間数人が、ホームレスの炊き出しにも参加してくれるようになった。そのことだけでも意味があるが、様々な現場を持つ人々が横断的に繋がることで、それぞれの現場の取り組みも深まっていくのだろうという希望を持っている。
それでも、代表という気負いと重圧がかかってしまうのが私の常なのだが、心配を吐露すると、参加してくれた彦島の子ども食堂の仲間が「どうなってもいいじゃないですか」と、良い意味での励ましをくださった。「時間は空間に勝る」という教皇の平和の四原則の一つを大切に、少しずつ一歩ずつゆっくりと歩んでいくなら、共にいることを大切にするなら、その輪は広がり、実りを生んでいくのだろう。
それでも、代表という気負いと重圧がかかってしまうのが私の常なのだが、心配を吐露すると、参加してくれた彦島の子ども食堂の仲間が「どうなってもいいじゃないですか」と、良い意味での励ましをくださった。「時間は空間に勝る」という教皇の平和の四原則の一つを大切に、少しずつ一歩ずつゆっくりと歩んでいくなら、共にいることを大切にするなら、その輪は広がり、実りを生んでいくのだろう。
貧しい人と共に、若者と共に歩むこと。地球を大切にし、守ること。この三つのミッションがこれからこの活動を通して深まっていくという予感がする。霊操と識別を通して人々を神との交わりに導くこと、という使命はどうだろうか。私にとっては未体験の連続であり、神が共にいてくれるという信頼がなければ、心がくじけてしまうように思う。
活動しながら、そしてこうして文章にしてみながら思うのは、仲間たちが引っ張ってくれ、そして踏み出すことで生まれる出会いがまた、さらに先へと連れていってくれるということである。得意なことを自力でやっているという気持ちは微塵もない。一歩先しか照らされていない道を歩みながら、その時々で仲間に助けられ、恵みによって支えられていることを切実に感じている。しかし、その歩みの根っこには霊操と識別があると確かに言える。そして、仲間たちと出向いていく教会のこの歩みを進めていくならば、その道が、私たちがどこに根を置いているのかということを証していくことになるのだと思う。キッチンカー「ロクス号」が、僕らの夢をのせて走ってゆく。
今日のメディアの役割:真理を広め、平和を促進する
アルン デソーザ SJ
イエズス会司祭 / 清泉女子大学講師
ジャーナリズム業界の最高の名誉とされるピュリッツァー賞の1994年度企画写真部門は、南アフリカ出身のフリーランスのカメラマン、ケビン・カーターが受賞した。カーターが撮影した写真「ハゲワシと少女」の一枚は、1993年3月26日金曜日のニューヨーク・タイムズ紙に写真が掲載された翌日から、読者からの強い反響があり、世界中で多くの議論を巻き起こすことになった。スーダンのアヨド村の近くで、やせ衰えた幼い少女が国連の食料センターに向かう途中でハゲワシに狙われている状況の写真である。
「カメラマンはなぜハゲワシから少女を守らなかったのか」、「近くに国連の食料センターがあったにもかかわらず、なぜそこへ連れていかなかったのか」との非難は、報道現場に携わっている人々の良心をかき混ぜるような議論となった。
当時、疑問視された「写真を撮る以前に少女を助けるべきではないか」に関して、カーターの友人で、現場にいたフォトジャーナリストのジョアォン・シルバは、写真の構図は母親が食料を手に入れようと子どもと離れた短い時間にできたものであったと述べている。カーターは写真を撮った後、実際にハゲワシを追い払い、少女は自分で立ち上がり、国連の食料配給センターの方へと歩きだしたと手記に記している。
この出来事をもとに、ジャーナリストは人命を優先すべきか、事実を記録することに専念すべきかという「報道か人命か」の二つの立場を巡るジレンマが生じている。カーターの写真はしばしばメディアで取り上げられ、現在に至るまで報道現場に携わっている人々の「アイデンティティー(存在)」と「プロフェッション(職業)」に関する議論を生んでいる。
現代における急速な科学技術の発展は、コミュニケーションの技術を進化させ、社会の情報化が加速している。そのような中で、マス・メディアは、情報・文化の促進・教育のための重要な役割を担っている。また、マス・メディアは、真理を広め、そして、真理がもたらす平和を促進することについて責任を持っている。マス・メディアの社会に与える影響が大きくなっている中で、メディアが果たす役割はますます重要になっており、メディアとメディアの従事者は、建設的な報道をすることが求められている。
民主主義社会において、マス・メディアには少なくとも主に二つの役割がある。第一に、人々が意思決定を行うために必要な情報を提供する役割である。マス・メディアが、国内の時事問題・政治情勢について人々に伝えることがなければ、人々は社会や政治で何が起こっているのか知る術がなくなる。そのため、人々に正確な情報を届けることは、マス・メディアの役割であり、責任である。
第二に、「ウォッチドッグ=番犬」としての役割である。これは、政治家や権力者が不当な行いをしていないかを主権者である市民に代わって監視することを意味し、不正行為が発生したときには、マス・メディアは関係者を取り調べることが求められている。この権力の監視は、民主主義社会におけるマス・メディアの最大の役割であり、責任である。しかし近年、日本を含め多くの民主主義の国家において、上述したようなメディアの機能は制限され、また失われつつある。
また、現代の民主主義社会において、マス・メディアは「公共圏への奉仕」といった社会的役割と営利・権力者との狭間にある。このような中で、メディアには正確な事実の伝達と社会を繋ぐための公共的な空間の担保が求められており、そのためには良心的で誠実さに導かれた情報を発信する従事者のリテラシーを育成することが重要な課題である。
教会においては、第二バチカン公会議以降、全世界の社会的なコミュニケーションの機関の存在が認められ、それらの使用が勧められるようになった。教会は、メディアや報道機関を全人類にメッセージや情報を伝達する装置であるとともに、人々の習慣や日常、文化や伝統を形成・発展させ、信仰に基づいた社会観を広める目的を持つものと位置付ける。また、マス・メディアに対して、社会における善と公正と真実に基づいた生活を守り支えなければならないことや、「正義」、「尊厳」、「倫理」、そして「真理」がその礎となると強調する。
加えて教会は、マス・メディアと娯楽産業に、次世代を担うメディア従事者の養成、人々のメディア・リテラシー(=メディア教育)を呼びかけている。社会の中で、メディアが建設的な役割を果たし、積極的に評価されるよう促すために、共通善への奉仕のために必要な三つの段階、教育と参加と対話(教皇ヨハネ・パウロ二世の2005年の使徒的書簡『急速な発展』11項参照)が重要だといえる。
教会が強調しているマス・メディアに従事する人々の役割を、藤田博司(上智大学文学部新聞学科教授:1995-2005年)の言葉に言い換えれば次のようになる。ジャーナリズムを担う報道機関とその現場に関わる人は、真実を報道するための手立てとして、特別な権利、便宜が与えられている。報道機関の従事者は、取材目的のために、普通の市民が会えない人に会い、立ち入れない場所に立ち入ることがある。それは市民の「知る権利」を報道機関が代行するためと考えられている。この特権には当然、果たすべき義務を伴っている。それは、市民が必要とするニュース、情報を速やかに、適切に報道する義務である(『ジャーナリズムの規範と倫理』45頁)。時間と空間に制限されている中でも、ジャーナリストの「公共への奉仕」に従事する態度を重視する使命感を持つ人が少なからずいることは、民主主義にとって大きな励ましになる。
「バチカン・ニュース」によれば、教皇フランシスコは、今年開催される第56回「世界広報の日」(2022年5月29日、ただし日本の教会では5月22日)のテーマとして、「聴け!」という一言を選んだ。このテーマを発表した聖座は、「教皇フランシスコは、世界にもう一度、耳を傾けるよう求めている」と述べている。「行くこと」と「見ること」に焦点を当てた2021年のメッセージに続き、2022年の世界広報の日のメッセージで、教皇フランシスコはコミュニケーションの世界に、再び「聴くこと」を学ぶように呼びかけている。
現在のコロナ禍は、私たち全員に何らかの影響を与え、生活を一変させた。今この時こそ誰もが耳を傾け、傾けられ、そして慰め、慰められる必要がある。また教会は、耳を傾けることを、良いコミュニケーションの条件であるとも強調している。教皇フランシスコによれば、すべての対話、すべての絆は、聴くことから始まる。このため、プロフェッショナルな視点からも成長するためには、私たちはよく聴くことを学び直す必要がある。イエス自身、私たちがどのように聴くかに注意を払うよう求めている(ルカ8:18参照)。
真に耳を傾けるためには、勇気と、偏見のない自由と開かれた心が必要である。教会全体がシノドス教会となるために耳を傾けるよう招かれている今、メディアもコミュニケーションの根本に立ち返る必要がある。良いコミュニケーションのために不可欠な「聴くこと」を再発見するようにという招きを受け入れ、報道現場に携わっている人々の「アイデンティティー(存在)」と「プロフェッション(職業)」を再考する機会としたい。
映画『標的』が私たちに問うもの
西 千津
カトリック札幌教区
日本カトリック正義と平和協議会は、ドキュメンタリー映画『標的』を推薦映画として認定しました。この映画は、たくさんの弁護士、教育関係者、ジャーナリスト、そして市民の方々が、たった一人の男性のために集い、一緒に戦った記録です。彼が1991年に書いた元日本軍「慰安婦」の証言を伝える記事が「捏造」とバッシングされたのです。他のメディアも同じ様な記事を伝える中、何故彼だけが標的になったのか? 民主主義の根幹を揺るがすジャーナリズムの危機を問いかけています。そして、匿名でも発言することができるインターネット空間において、私たちがいつ次の標的になるかもしれないという危惧を伝えています。この映画に至るまでの日々を改めて振り返ってみたいと思います。
2014年9月8日、私は「北星学園大応援メールのお願い」という1通のメールを受け取りました。そこにはこんな記載がありました。
ここに記載されている「植村さん」とは、元朝日新聞社記者で、2016年3月から2021年2月まで韓国カトリック大学で客員教授をされていた植村隆さんのことです。彼は、2014年に突然、「捏造記者」とされ、当時彼が非常勤講師として働いていた北星学園大学には、「植村をやめさせろ」という嫌がらせのメールや抗議の電話が相次いでいました。
実は、この「北星学園大応援メールのお願い」というメールを受け取った時、私が心配していたのは植村さんではなく、大学側の方でした。この大学で働く知り合いに「こんなメールが出回っているが、広げても大丈夫ですか?」と連絡しましたが、私が心配する暇もないほどあっという間にこの働きかけは全国に広がり、多くの支援者が集まりました。私は、この素早い広がりに改めて事の重大さを感じていました。
そして、もうひとつ、事の重大さを感じた出来事がありました。当時、私はとある法律事務所の事務職員として働いていましたが、このメールが出回り始めた頃、弁護士の間にも何か大きな風が吹き始めていました。詳しいことはわかりませんでしたが、弁護士たちの会話から、植村さんと北星学園大学のことで今までにないことが起こっていることが感じられました。後からわかったのは、「植村隆氏名誉棄損札幌訴訟」を札幌地裁に提訴するために、札幌弁護士会に所属する弁護士(約700名)の内、札幌を中心に95人の弁護士が訴訟代理人として名前を連ね、他の地域も含めると100人以上の大弁護団が結成されようとしていました。
後に作成された弁護団活動報告の序文には、このように記載されています。「重大な人権問題が生じた時、多くの弁護士が集まり、弁護団を作り訴訟で戦うことは、札幌弁護士会の良き伝統の一つと教えられてきた」。幸いなことに私はその良き伝統の一つと思われる現場に、ほんの少しですが、立ち会えたのだと思います。結果として、植村さんの訴えは札幌・東京ともに最高裁判所で棄却となり敗訴しましたが、報告の中で弁護士たちは大きな成果を感じていました。そして、原告である植村さんは、「試練はたくさんの出会いを与えてくれたのです」と書いています。
北海道で始まったこの支援の動きに多くの友人が関わるようになり、私はいつしか植村裁判の支援者の一人になりましたが、支援者といっても何もしていませんでしたし、私自身が詳しい状況をわかっていませんでした。そのため、2015年7月に「カトリック札幌地区正義と平和委員会」の学習会の講師として植村さんをお招きしました。
個人的に植村さんときちんと話したのは、その年の12月、駐札幌韓国総領事館でのイベントでした。そこで、植村さんが韓国カトリック大学で教える予定であることを知り、それがきっかけとなり、いろいろなお話をするようになりました。裁判の支援をしている中で、何度か植村さんと信仰について話をする機会がありました。勤務されていた韓国カトリック大学に金寿煥(キム・スファン)枢機卿の名前を冠した建物があり、植村さんはそこのゲストハウスに住んでいました。また、植村さんは、金枢機卿の人生を描いたドキュメンタリービデオを大学の授業の教材に使っており、金枢機卿の生き方に強い影響を受けていたようでした。
2018年4月、私は仕事で韓国へ行く機会があり、明洞教会の売店で「結び目を解くマリア」の絵が描かれている置物を購入しました。2015年に公開された映画『ローマ法王になる日まで』を観て心に残っていましたし、当時、いろいろなことで悩み、相談を受けていた女性を元気づけるためにと考え、買いました。ところが、帰国後に渡したところ、持っているから他の方にあげてくださいと言われてしまい、手元に残っていました。
韓国語の説明付きの置物…誰がもらってくれるだろうかと考えた時、浮かんだのは植村さんしかいませんでした。当時、女手一つで育てくれた植村さんのお母様の体調が思わしくなく、植村さんが少し落ち込んでいることを知っていました。裁判も含めて、本当に全てのもつれがほどけたら、どんなに植村さんの心が軽くなるだろうと思っていました。植村さんには映画『ローマ法王になる日まで』の中で、現教皇が迷っていた時に出会った絵だから、きっと植村さんにもいいと思うという、よくわからない理由を言った記憶があります。思いつきで渡した絵は、実は、神様の計らいだったのかもしれません。
その後、植村さんからカトリック教会で洗礼を受けたいという相談を受けましたが、植村さんの生活のベースが韓国にあったため、韓国カトリック大学の関係者に相談してはどうかとお伝えしました。その結果、関係者から「では、是非韓国で…」とすぐにシスターを紹介され、洗礼に向けた勉強が始まり、それからはあっという間でした。11月に大学内の聖堂で学生と一緒に洗礼を受け、12月には札幌で開催された講演会で、カトリック信者としての視点も入れて「日韓問題と東アジアの平和」というお話をされました。
提訴した頃の植村さんは戦うジャーナリストでした。ところが、少しずつ植村さんのお話の中に、「感謝」や「恵み」という言葉を聞くようになり、密かに嬉しく思っています。多くの人との出会いが植村さんを支え、戦いを通して、植村さんは祈る人になりました。
自分の知らない人々が自分を狙っていて、逃げることもできない状況を想像できるでしょうか? 植村さんの置かれた状況を知った多くの人々が、これは植村さんだけの問題ではなく、私たちにも起こる問題であり、私たち社会の問題であると感じて立ち上がりました。
映画『標的』は、植村さんの裁判を中心に捉えていますが、植村さんご自身と家族とのシーンの中に一人の息子として、父としての姿があります。加えて、一人の信者としての姿もあります。たった一人の人に起こった出来事はけっして、特別な人に起こったことではありません。映画を通して、私たちの社会を考えるきっかけになっていただければと思っています。
今、植村さんの手には「希望」があります。植村さんが韓国カトリック大学を去る時、同大学へ招聘してくださった朴永植(パク・ヨンシク)神父(前学長)からもらった記念品の表面には「HOPE」、裏面には「Be joyful in Hope」とあります。もしかしたら、それが植村さんの結び目の答えなのかもしれません。
オーストラリア・イエズス会社会サービスのCOP26に関する考察
ジャック パイパー
オーストラリア・イエズス会社会サービス 環境問題担当
オーストラリア・イエズス会社会サービスは、社会正義の追求や犯罪の抑止など、さまざまな領域で活動しています。精神的、社会的に良好な状態であること、地域福祉事業と共同体の構築、ジェンダー正義、そして教育と雇用の分野です。教育と雇用においては、すべての人々が最大限の可能性を発揮できる、公正な社会を構築することを目的としています。
気候変動、環境悪化、社会的不平等の拡大といった、ますます複雑化する時代において、公正な社会の構築に向けて、新たな課題が現れています。これに応えて、イエズス会社会サービスは、2008年以来、組織全体にエコロジカルな正義を取り入れるよう取り組んできました。
エコロジカルな正義とは、社会正義と環境正義の両方を意味します。エコロジカルな正義は、「すべてが相互に関連している」という原則に基づいており、環境分野における倫理的行動は、社会的不平等に対処する中核です。
回勅『兄弟の皆さん』と『ラウダート・シ -ともに暮らす家を大切に-』によって、そしてまた司法制度に直面した人々、最近到着した移民、ホームレスを経験している人々に私たち自身が寄り添うことによって、気候変動がすべての人々に影響を及ぼすことは明らかです。最も貧しく、限界に追いやられている人々が、最大の影響を受けます。2021年11月に、グラスゴーで開催された国連気候変動サミット(COP26)での交渉は、「地球の叫びと、貧しい人々の叫びの両方を聞いて」行われました。
COP26を振り返る
COP26の結果を称賛する人もいますが、排出量の増加とそれに伴う気候変動の影響の軌道を急速に修正するのであれば、進展の多くは不十分です。確かに各国が、炭素市場を通じた緩和に関する国際協力の規則を確立したことは、讃えられるべきではあります。しかし、「規定書」は未完成のままで強制力は弱く、温室効果ガスの排出を避けることが、炭素クレジット(排出枠)の創出に使用できるかどうかを未だ明確にしていません(排出の削減および除去とは対照的に)。森林破壊とメタンに関する世界的な合意は、緊急対策を強調する重要な変化をもたらしましたが、石炭火力発電の「段階的な廃止」ではなく「段階的な削減」でありました。この結果、交渉の場における化石燃料ロビーの影響力が明らかになったと思われます。
2021年8月9日に発表された、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次評価報告書は、「気候変動は、すでに地球上のすべての地域にさまざまな形で影響を及ぼしている」ことを強調しており、2030年代には、世界の平均気温が摂氏1.5度上昇することを見込んでいます。向こう数十年の間に何ら対策が取られない場合、2050年までの二酸化炭素ネットゼロは、もはや達成不可能になるでしょう。それは、「円滑に運営されている私たちの社会を維持できないレベルで、不可逆的な地球規模の気候変動が起きる大きなリスク」を伴うことを意味します。
COP26は暫定目標(2030年に設定された目標と政策)に関するものであり、世界の指導者は今後数年間にわたって、これらのコミットメントを毎年更新することに同意はしましたが、COP26で作成された2030年の目標では、世界は摂氏1.8度から2.4度ほど温暖化に向かうと見込まれています。
全世界で変化に適応するための資金を増やし、世界的な適応目標を定めようという呼びかけは、称賛に値するものです。世界は、気候危機に最も責任のある裕福な国が、その影響と危険に最もさらされている国を支援するため、どのようにさらに力を入れるかを見守っています。
世界中の先住民コミュニティは、COP26の結果を受け、「意味のある気候変動対策を延期し、企業の利益を保護するために、世界の指導者は私たちを犠牲にした」と強く非難しました。化石燃料のロビイストは、COP26において単一国の代表団の数を上回りましたが、先住民の声、および土地と水管理に関する伝統的な知識は、ほとんど除外されていました。
イエズス会社会サービスにエコロジカルな正義を取り入れる
イエズス会社会サービスは、組織全体で気候危機に対応しています。本年、この気候変動分野において、エコロジカルな正義における働きを活発にするための戦略を完成させます。
イエズス会社会サービスは、すべてのセクターにわたる気候変動対策の緊急性と必要性を理解し、カーボンニュートラル(脱炭素)な組織になるための第一歩として、カーボンフットプリント(CO2・温室効果ガス排出量)を算定しています。また、支援活動にエコロジカルな正義を取り入れています。たとえば最近では、気候変動とホームレスに関する支援活動の広報を行いました。また、気候変動によって引き起こされた強制移住の危機の際に、緊急かつ相互に結びついた対応に賛同し、「庇護を求める人々のためのカトリック連合(CAPSA:Catholic Alliance for People Seeking Asylum)」に建物を設置しました。
イエズス会社会サービスの「Ecological Justice Hub」は、気候危機の影響を最も受けやすい人々を支援するため、「Just Energy Saver」プログラムを試験的に実施し、メルボルンの低所得者向け住宅を改装して、夏の極端な熱波をしのげるよう支援しています。
コミュニティサービス組織(CSOs)は、地域社会で最も疎外されている人々に、極めて重要な支援を提供するため最前線で活動しています。これは、山火事、熱波、暴風雨、干ばつなどの異常気象の時期に特に当てはまります。これらの異常気象により、地域社会の隅に追いやられた人々が、まず初めに最も大きな影響を受けます。ただし、CSOs自体は、必要性が高まっているこれらの期間を通じて支援を中断しなければならない脆弱な状態に置かれています。
イエズス会社会サービスが新しく設立した「Centre for Just Places」は、公共部門と地方自治体に、気候への適応と回復力を訓練するワークショップを提供しています。公共機関や自治体が、気候変動の影響を理解し、地域社会と自分たちの支援が持つ意義を理解する力を構築することを目指しています。また、最も危険にさらされている人々の健康と福祉を保護するために、自らが対応するのだという責任を自覚するよう促してもいます(詳細はEcoJesuitを参照)。
私たちは、社会正義と環境正義の問題における共通部分について、自らの理解を深めることに取り組んでいます。イエズス会社会サービスが発行する、キャンベラ大学が作成した最新の「Dropping Off the Edge」レポートでは、オーストラリア全土のすべての地域社会における不都合な状況の指標を調査しています。
2021年のレポートには、熱ストレス、大気汚染、樹冠遮断(green canopy)などの環境指標が初めて含まれています。被った損害の対策を考えるとき、環境要因がしばしば頭に浮かぶことはありません。しかしデータからは、劣悪な環境と他の不都合な指標との間に、相関関係があることは明らかです。
気候変動が起きている今日において、確かにCOP26の結果は、各国の指導者たちに求められていた期待を下回っています。そしてまた、世界中のすべての地域社会で、緊急の行動を起こす必要性が高まっています。これは、気候緊急事態を宣言した37か国の2047の管轄区域によっても明らかにされています。これらの管轄区域には、10億人を超える市民が暮らしています。この草の根運動は成長しており、オーストラリアの社会福祉部門の他の多くの人々とともに、イエズス会社会サービスは緊急行動の呼びかけを支持し、気候変動の影響を最も受けている人々のニーズに焦点を合わせ続けています。Centre for Just Placesを通じて、新しいプログラムや活動する領域を切り拓き、組織全体にエコロジカルな正義を取り入れる活動をするなど、私たちは貢献を続けています。
訳注: エコロジカルな正義(ecological justice)
「環境的正義」が環境を間接的に益する人間の間の「正義」に焦点を当てる、いわば「環境のための正義(justice for the environment)」を意味する概念であるのに対し、「エコロジカルな正義」とは、人間以外の自然、生態系、動物、植物などの要求に対して人間社会が応答するという「環境に対する正義(justice to the environment)」を意味する概念。
〔引用・参考文献〕 池田寛二(2005)「環境社会学における正義論の基本問題:環境正義の四類型」、『環境社会学』第11巻、6-21頁。