イエズス会サービス・カンボジア
プリヤディ・グレゴリウス SJ
イエズス会サービス・カンボジア、ディレクター
イエズス会サービスは20年間にわたり、カンボジアで活動してきました。1980年から、イエズス会難民サービス(JRS)は、カンボジアの内戦中、タイのキャンプでカンボジアの難民や避難民と同伴してきました。1989年に識別のプロセスを経て、JRSのチームは依然としてキャンプに残って、誠意をもって難民たちに奉仕し、もう一つのチームはカンボジア国内で奉仕することを決めました。1990年にJRSは、カンボジアの社会事業省と協定を結び、初めの6年間で障がい者の訓練学校や農村部の総合発展、平和と和解活動に協力することになりました。先駆けとなったグループは1990年にカンボジアに入り、プノンペンに事務所を設立しました。以後JRSは、カンボジアの貧しい人々に奉仕するためにイエズス会サービスを創設しました。
イエズス会サービス・カンボジア(JSC)は、カンボジアの社会業務省と連携して活動しているNGOで、外務省に正式に登録され、承認されています。JSCは1991年以来ずっとカンボジアで、村々の貧しい人々、障がい者(PwD)、地雷の被害者、難民、そして社会から取り残された人々の同伴と発展のために奉仕し続けています。
ビジョン
Meta(慈愛)、Karuna(憐れみ)、mudita(利他的もしくは共感的な喜び)、upekkha(調和)という4重のカンボジアの崇高な理想が、平和、正義、平等、そして全てのカンボジア人の生活の充実を生み出す社会を建設することをJSCは目指しています。
ミッション
貧しい人々の、権利、福祉、尊厳を支持し、貧困を和らげ、教育を改善し、カンボジア人社会と正しい関係を確立するプログラムを実行することで、恵まれない共同体と同伴し、共に活動します。
イエズス会サービス・カンボジアチーム
JSCチームは様々な人々から成ります。女性と男性、カンボジア人と多様な国籍の外国人、司祭、シスターと信徒、仏教徒とキリスト教徒、結婚している人と独身の人、などです。全ての人は国際的特徴をもったイエズス会サービス・カンボジアの大家族を形成しています。
2013年、23人のイエズス会員(司祭17人と神学生6人)と3人のシスター、そして6人のボランティアがいます。彼らは、異なる10の国籍で、多国籍の共同体としてイエズス会サービス・カンボジアとバタンバン教区で活動しています。
イエズス会サービスの活動地域
JSCはプノンペン、コンポントム、シェムリアップ、バタンバン、バンテイメンチェイ、カンダール、そしてコンポンチュナンとコンポンスプーの州境地域の7つの場所で活動しています。全てのチームはカンボジア人によって指揮されています。カンダールではBanteay Prieb(鳩センター)と呼ばれる障がい者(PwD)のためのセンターを運営しています。Banteay Priebではメコン車いすの生産もしています。ここには農家の連帯(Farmers’ Solidarity)とクメール女性協会(Khmer womens’ Association)のための農村開発プログラムの事務所があります。黒い地点がイエズス会サービスの活動する地域を示しています。
イエズス会サービスの活動
イエズス会サービスの活動は、Metta Karuna(慈愛と憐れみ)プログラムと特別プログラムに分けることができます。Metta Karunaプログラムは、社会的・教育的プロジェクトを通して農村地域に住む貧しい人々や障がい者への、アウトリーチ・サービスから成ります。このプロジェクトは、バタンバン、シソポン、シェムリアップ、コンポントム、コンポンチュナンとコンポンスプー両州の州境にある事務所によって調整されています。
教育プログラムの目的は、教育の質を改善すること、貧しい人々や障がい者への基礎的教育の提供です。このために、学校の改修工事、教員への訓練と手当による支援、奨学金、自転車、学校教育パック、図書館、そして一定のテーマについての農村教育によって貧しい学生たちの支援が行われています。
社会プログラムの目的は、基本的ニーズ、収入を発生させるプロジェクト、基本的健康サービスの提供を通して、生活の質を向上させていくための十分な資源を貧しい人々や障がい者が持てるように支援することです。障がい者のための車いす、貧しい人々と障がい者のための簡単な住宅、井戸、貯水池、トイレ、収入を発生させるプロジェクト(牛銀行、農業ローン、小規模ビジネスローン)、自家菜園、そして健康サービスの提供を行っています。
特別プログラムは、耳ケアプログラム、ブックレット製作、健康石鹸、職業訓練校、子どもセンター、農村開発、そして車いす製造、などのプロジェクトを通して人々に奉仕するものです。
1. 障がい者(PwD)のためのBanteay Prieb職業訓練校
プノンペンからおよそ25キロ離れた、カンダール州のAng Snoul地区に、JSCは障がい者のための職業訓練校を運営しています。ここは、Banteay Priebと呼ばれ、その意味は、鳩センターです。
このプロジェクトの全体的目的と具体的目的は、以下の通りです。
- 雇用可能な技術ときちんとした仕事を獲得するという障がい者のニーズに応えること
- 社会生活する上で必要な基本的能力を構築することによって障がい者を支えること
- 当事者同士の共同生活を通して、障がい者の自尊心、自信、幸せを改善すること
- 障がい者のコミュニティーで、彼らが社会・経済的活動に活発に参加することを保証すること
- 障がい者の家族やコミュニティーにおける、貧困と障がいの悪循環に取り組むこと
- 社会の価値のある貢献するメンバーになれることによって、障がい者に対する汚名を減らすこと
- 商品の製造や研究と開発、マーケティング、そして能力の強化を通して、障がい者が財政的に自立できるよう仕事と収入を作り出すことによって彼らを支えること
この学校は、縫製、彫刻、電気、機械、農業、そして靴作りの技能学習を提供しています。
毎年、100人の障がい者を受け入れ、彼らは一年間センター内に寄宿します。
2. 障がいをもった子どもたち(CwD)のためのセンター: Light of Mercy Home
このプロジェクトの全体的目的は、障がいをもった子どもたちが自立し彼ら自身の将来を作っていくのに適した、彼らの可能性を十分に引き出す教育、ケア、活動を受ける機会を与えることです。この施設には、視覚障がい、聴覚障がい、ポリオ、また他の様々な身体障がいをもつ42人の子どもたちが宿泊しています。彼らは、プノンペン周辺の州から来ています。JSCは彼らの障がいに応じて適した学校に通わせています。
3.耳ケアプログラム
イエズス会サービスの耳ケアプログラムは1999年に始まりました。その時、私たちのソーシャルワーカーとヘルスワーカーは村々の子どもたちを訪ね、聴覚障がいと耳疾患で苦しんでいる痛ましい数の子どもたちを見つけました。わたしたちの活動の目的は、彼らが直面している社会的統合の問題にうまく対処するよう助けることと同様に、聴覚に問題のある人々に医療的な支援を提供することです。私たちはプノンペンとバタンバンで耳のクリニックを運営しています。プノンペンのクリニックでは、私たちのチームは、耳鏡検査、聴力検査、適した補聴器を合わせること、外科的手術措置の必要性の査定を行っています。外科的手術はいつもバタンバン救急病院で行われています。シェムリアップで私たちは、スクリーニング試験、聴力検査、耳の洗浄、そして基礎的な治療を行っています。バンテイメンチェイでは、患者は初期治療を受けられ、そしてもっと必要なとき、プノンペンに紹介されます。
4.ブックレット製作
ブックレット製作の目的は、学生や子どもたちによい読む教材を提供することです。それによって、彼らの読解力は維持され、もしくは進歩し、読書の習慣をつけることの奨励、そして物語から道徳を学ぶことを助けます。一年間にJSCは22冊のブックレットを出版します。それらは教育プロジェクトの一部として、村々の図書館に配布されます。ブックレットは、また市場にも売りに出されます。幾つかのNGOは、彼らのプロジェクトに配布するために私たちのブックレットを買います。
5.健康石鹸
このプロジェクトは1997年に始められました。社会はまだ内戦の傷跡を帯びていましたので、公的な医療サービスは十分には確立されていませんでした。衛生は人々の関心事ではありませんでした。シラミや赤カビ病が流行っていました。こんな冗談がありました、水のあるところ、魚がいる、髪のあるところ、シラミがいる。人々の健康を促進するため、JSCは2種類の健康石鹸を作りました。シラミ用と、赤カビ用です。
6.農村開発(RD)
農村開発には、貧しい農家の連帯協会(Poor Farmer Solidarity Association, PFSA)とクメール女性協会(KWA)という二つの主な活動があります。PFSAは農家の生活を改善し、連帯と責任感を築き、彼らの生活、家族、共同体の持続可能な発展へ向けて連帯の本当の意味を追求することを相互に助け合うための農家の協会です。リボルビング・ローンの制度を通して、協会の会員に、財政的支援、農業の機会、小規模ビジネスや他の生活のプロジェクトに利用できる小規模ローンを提供します。
更なる発展は、KWAが創設されたことでした。それは、次のようなニーズから生まれました。1)よい衛生上の実践について共同体のメンバーを教育すること、2)子どもたちや大人に識字教室を提供すること、3)健康への関心と実践を呼びかけること、その他、村のそのようなニーズ。KWAはまた米銀行や村の図書館の責任も担っています。
7.車いす
車いす生産の目的は、障がい者の移動と、彼らが社会的・経済的生活に加わることを助けることです。特に障がいをもった学生が学校に行けるように、三輪自転車も製造されています。三輪自転車に乗ることで、彼らはよりたやすくより遠くまで移動することができ、あまり疲れなくなりました。最近では、私たちは三輪オートバイも製造しました。数人の障がい者がそれを買うことができ、ずっと長い移動が可能になりました。私たちは州のネットワークを通じて、車いすや三輪自転車を障がい者に配布してきました。障がい者のために活動する幾つかのNGOもJSCから車いすを購入しました。
平均的に、1年間に車いすを1,000台、そして三輪自転車を10台生産しています。そのほとんどが障がいをもった人々によって生産されています。
夢を生きるために目覚めること
ソク エン
イエズス会サービス・カンボジア、バンテイメンチェイ、コーディネーター
導入
女子学生として、この世の束の間の幸せに夢中だったとき、父はいつも私に、夜には大きな夢を見、翌日、その夢を生きるために目覚めなさい、と教えてくれました。父は私に、貧しい人々のために世話することを勧め、人生の価値と美徳を教え、彼が述べたことを彼自身が生きた方法で私を啓発しました。私はできる限り彼を見ならってきました。1975年、生活は良く、幸せと自由の香りがどこの空気にも充満していたとき、悪魔のようなポルポトのクメール・ルージュが私の国を襲い、徹底的に破壊しました。私はダムを作るためにバンテイメンチェイ州のPhnum Srok郡にあるTropeang Thmorに移動させられました。私たちは動物以下の扱いを受けて、どんなことへも権利を奪われ、あらゆることへの自由が、はぎ取られました。正義、愛、憐れみ、そして平和は、死んでしまったようであり、どこにもありませんでした。私の両親、3人の姉妹と2人の兄弟はこの時期に餓死しました。私は世紀のこの人為的な悲惨の苦難と残酷さを生き延びました。
私の妹はいつも、私たちが過ごした深い森の中で幽霊の夢を見ました。彼女は怖がりで、気の弱い性格でした。命を奪われるような夜に一体誰が夢を見ることができたでしょうか?誰も夢を見る余裕はありませんでした。しかし私は敢えて夢を見ました。敢えて自由を夢見ました。私は敢えて市民の幸せに価値を置く国家を望みました。私は敢えて、愛、平和、平等、そして正義を伝える教育を夢見ました。私は、私と共に歩み、働いてこられた神の存在を信じています。クメール・ルージュの混乱が終わったとき、私はタイにあるサイト2難民キャンプに移動しました。私はそこで夢を生きはじめました。イエズス会のジョン・ビンガム神父は、私に英語を教え、人生の単純な喜びにあふれていました。彼は私に、自己本位な目標を、よりよく他者の人生に関心を向けて、犠牲にすることを教えました。私はそのときどんな国であっても、教育が全体としての発展の唯一の鍵であるということを知りました。私は、子どもたちの教育を引き受けました。
状況
1993年に本国に帰還後、イエズス会サービスに加わり、開発、車いす、教育、健康といった様々のプロジェクトを通して、私 2014年3月13日付けのカンボジア・デイリー新聞によると、「実用的に読み書きのできる人々は、カンボジアの成人人口の37%ほどということが調査で分かりました。残りの人々は、完全に、もしくは基本的には、読み書きができません。国連開発計画の人間開発報告書2000では、タイの識字率は95%、ベトナムは92.9%、そしてラオスは46.1%です」とあります。
経験
私の経験では、読み書きの能力が、国の発展に強く影響を及ぼすということです。国の教育が改善されない限り、貧困の支配と残酷さは長く続くことになるでしょう。農民は勤勉に働き、彼らの田んぼで体力を使って汗をかきますが、金持ちは、農民が貧しく、時には死んだままで放っておいて、収穫の利益を受け取ります。私たちは、「牛銀行」「農業とサトウキビ生産のためのローン」といったプロジェクトを運営しています。私は、これらのプロジェクトで、貧しい人々や障がい者たちが自信をもち、幸せに暮らせるようになるのをみて、幸せです。Tuol Prasat村の農民Roth Saminさんは、イエズス会サービスに意見を求められたとき、「私はあなた方のプロジェクトのおかげで、今3頭の牛を飼い、毎年相当な利益を上げています。私が進むべきところが分からなかったとき、あなた方は歩むべき針路を示してくれました。そして、困難なときも幸せなときも、経済的にも気持ちの面でも支えてくれました。あなた方が私のためにしてくれたことにとても感謝しています」と言いました。
教育は、国と国民の総合開発の鍵です。一教師として私は、学生たちの知識を深めるために、彼らに「感じること、そして味わうこと」を教えました。イエズス会サービス・バンテイメンチェイは教育プロジェクトを通して、よい教育を訴え、奨励し、促進しています。私たちはこれまでに、教育のニーズにあまり応えることができなかった村々に12の学校をつくり、13の移動図書館を開き、遠く離れた農村地域の高齢者と若者両方のために識字教育の授業を行い、親が地雷の被災者か貧しい学生たち100人以上に、毎年お金かコメか学用品を通して奨学金を提供してきました。私たちの学校は村人たちによって運営されています。教員たちの給与は政府に支払われています。もし教員たちが彼らの仕事に熱心でなければ、学生たちは何も学ばないでしょう。
振り返り
古いことわざが言うように、「魚を彼に与えるよりも、魚の取り方を彼に教えなさい」ということを、私は苦労して学びました。私たちは村々で教育の促進にベストを尽くしてきました。奨学金を配布するとき、学生の進度をチェックするひと通りのテストがあります。私たちは学生に、暗記から経験に基づいた学習までを勧めます。私たちは、学生に環境を守ることを教えるために、学校の周りに木を植えます。彼らは各々、グループで一本の木の世話をします。私たちは定期的にその過程を評価し、彼らを励ますために、報奨として文房具を与えます。人びとの意識を喚起するために、「女性の日」「子どもの日」「環境の日」「地雷喚起の日」「障がい者の権利の日」「人権の日」などの事柄についてラジオを通して放送します。私たちは移動図書館を使って、村の年配者と同様、学生たちにも読書を勧めています。一年に一度、物語コンテストを行っています。学生たちは移動図書館で読んだ本から物語をひとつ選びます。彼らはその物語を記憶するだけでなく、きれいにそれらの物語の教訓を吸収するのです。これら全てのプロジェクトは長い期間運営されていて、期待される結果を生み出しています。
行動
私たちの子どもたちには、物事をうまくやる能力があります。しかし、十分な設備がないため、もしくは、政府が教育を優先することに無関心なために、彼らの能力にたどり着くのに十分な手段がありません。それで私はイエズス会サービスを通して、小規模な方法で、私の国のためによりよい変化をもたらすよう、行動しています。私はイエズス会が世界中で教育を扱っている方法に感銘を受けています。今や彼らはカンボジアで教育事業を始めようとしていて、私はよい教育を受けられないたくさんの貧しい子どもたちが、新しくできる「ザビエル・イエズス会学校Xavier Jesuit School」を通して教育を受けるだろうと信じています。日本、オーストラリア、シンガポール、そして韓国からの恩人たちは、いつも私たちと共にいて、行く手が困難なときも、心配する必要がないということを私たちに思い出させてくれました。特に、「かんぼれん」は過去11年間、寛大さと親切さをもって、私たちを支援し続けています。
私はシンガポールの教育省の綱領が好きです。というのもそれは私たちがカンボジアのここでやりたいタイプの教育をはっきりと説明しているからです。そこで言われているのは、「教育サービスの使命は、国の将来を作ることです。それは私たちの子どもたちにバランスのとれた教育を与え、彼らの可能性を十分に発展させ、彼らを家族、社会、国に対しての責任を自覚したよい市民へと育て上げることです」。(“Ministry of Education”,2010,para.2)
評価
私は綱領に基づいた、イエズス会サービス・バンテイメンチェイの教育プロジェクトを高く評価しています。その綱領には次のように書いてあります。「カンボジア社会で、貧困を緩和し、教育を改善し、正しい人間関係を確立するという実行プログラムによって、貧しい人々の権利、福祉、尊厳を支持しながら、恵まれないコミュニティーと同伴し、活動すること」。私はいつも限りない満足と幸せを感じます。私はイエズス会サービスがカンボジアの総合的な成長を促進するフロンティアであることをはっきりと確信しています。
- 私たちは、教育に手が届かない村々に学校を建てました。私たちは教育の質を改善するため、定期的に村の指導者、教師、そして学校の生徒たちを動機付け、付き添ってきました。
- 私たちは、社会的に責任ある人間として学生たちの人格を確立するのと同様に、彼らの知識を高めるために、移動図書館を開きました。
- 私たちは、若い人の心の中に環境を守る意識を喚起するために、学校のキャンパスに植樹をします。
- 私たちは、社会もしくは家族の事情で、学校に行く余裕がない学生たちに奨学金を提供します。
- 私たちは、各自の権利の意識を喚起し、社会の不正の犠牲者と共感するために、重要な社会問題に関してラジオを通して、彼らの代弁者になっています。
- 私たちは、学生たちもしくは彼らの親が病気になったとき、病院で支援しています。私の経験では、私たちの支援を受ける人の多くは、彼らに財政的な支援をするよりも、苦しいときに彼らと共にいることを高く評価します。
シソポンでのザビエル・イエズス会学校の開校で、社会を創造していく社会的責任感のある市民という豊かな収穫があるでしょう。即ち、その社会にはMeta(慈愛)、Karuna(憐れみ)、mudita(利他的もしくは共感的な喜び)、そしてupekkha(調和)といった4重の崇高な理想に基づいて、平和、正義、平等、そして全ての創造に向けられた生活の充実がもたらされるのです。総合的な成長は、道徳的に高潔な人間を促進するので、重要です。国家は、知識があっても道徳的価値を持たない国民をもつことはできません。道徳的価値は若いときから各人個別の内に教え込むべきで、これらの価値は私たちがどこに行くにしてもついてくるものなのです。それゆえ、学術的科目だけでなく、総合的教育もまた強調されることが最も重要なことです。
旅すること、建てること、宣べ伝えること
アマラン・タイナセ SJ (イエズス会中間期生)
イエズス会サービス・カンボジア、バンテイメンチェイ
旅すること
人生は、旅です。生きていくことは安楽なことではありません。喜びや悲しみ、試練や誘惑、浮き沈みの時があります。これらのすべてが人生の部分です。人生から学ぶ人たちは祝福され、旅を前に進めることを決してやめません。私は、イエズス会員の養成課程に従って、バンテイメンチェイにあるイエズス会サービスで中間期をするために、2012年にカンボジアへ来ました。私はイエズス会の小さな家に一人で生活しています。そこは世界の他のどんなイエズス会共同体よりも精神的にも物質的にも贅沢のないところです。初めは、その状態は厳しいものでした。しかし私は前進しました。すべての道行きにあってイエスの精神と共に私は前進しました。イギリス人歌手ビリーオーシャンの有名な歌にあるように、「状況が厳しくなると、強者たちが動き出す」(“when the going gets tough, the tough gets going” )。一人で生活することは、イエスに出会うための恵み であり、「彼」に近づくチャンスです。私はここシソポンで、私の旅でイエスに出会えて幸せです。私は、祈りの中で、ミサの間、寝る前の「良心の糾明」において、彼に出会います。
私は「ニーズ査定Need Assessment」を行うために多くの村に出かけていきます。地雷による障がい者、貧困者、孤児、夫を失った女性たちの調査をします。私は彼らのニーズを査定し、可能であればイエズス会サービスは彼らの生活の質が向上するよう支援します。貧しい人々、障がい者、困っている人々、そして子どもたちに会うことはいつも、貧しい人々の神に出会うよい機会でした。私は、彼らとの単純で平凡な会話から幸せを受け取ることを学びました。彼らが浮かべるやさしくて美しい笑顔は、いつも、私へのキリストの人から人へと移る愛を伝え、運んできてくれます。私はイエスにおいて微笑み返すことを学んだのです。
カンボジア人の受容と励ましの態度は、ここで言及する価値があります。私は肌が浅黒く、大してハンサムでもなく、たくさん間違いながらクメール語を話すことを知っています。しかし、村人たちとの対話の間、彼らはいつも私に、「あなたはハンサムでとてもクメール語が上手ですよ」と言いました。彼らはいつも私を励ましてくれ、私が歓迎されていないと感じさせないようにしました。私は彼らとの親交を大切に思っていますし、この励ます態度を身につけたいです。
私は、その道中にある水田や山々、そして可愛くて小さい花たちといった美しい風景を決して見逃しませんでした。その道は私の心と精神を静まらせ、エリヤによって体験されたあのそよ風を通して私をイエスに出会うことができるようにします。私は、村々から植物を採取し、種を集め、そしてそれらを美しいイエズス会サービスの庭に加えるのです。
建てること
私は、自分の「ニーズ査定」作業を通して、私たちが障がい者や貧しい人々のために家やトイレをたくさん建てることができたのを幸せに思います。しかし建てることは、石材や木材そして固い構造でいつでもなされるのではありません。それ以上のものがあります。即ち、村人たちの相談に乗ること、彼らの悩みや心配を聴くこと、学生たちに激励の言葉を送ること、彼らの重い心を明るく楽しくすること、これらはみな愛、憐れみ、平和、そして正義の共同体を築くための私の戦略です。私はこの経験を大切にしています。
宣べ伝えること
私はイエズス会員であり、キリストに従っています。私はイエズス会サービスで働き、同様にNGOのアイデンティティも持っています。私は初め、ここの村で仏教徒と何の仕事をするのかを理解するのに苦労しました。「もし私たちがキリストを宣べ伝えないなら、物事は間違いへ行くだろう」という教皇フランシスコの言葉を私は思い出しました。教皇フランシスコがキリストを宣べ伝えると言った意味は、街角で聖書を読んだり、スピーカーを使ってキリストを宣べ伝えることではないと私は確信しています。彼の意味するところのキリストを宣べ伝えるということは、社会から取り残された人々や困っている人々、そして貧しい人々に、憐れみ、慈悲深く、謙遜でやさしくあることだと私は信じます。「言葉よりも私たちの行動は影響力がある」(“our actions speak louder than words”)と信じます。私が人々に仕え助けるとき、彼らは私を見るのではなく、私を通して働かれるキリストを見るのですから、彼らからキリストは隠せません。村人たちが私は’Ongkha Preah Isu’(イエスの組織)の者と言うのを聞くと、私は圧倒されます。
不動産業者はここシソポンでは私に好意的です。イエズス会サービスの職員は注意深く仕事を計画し、すべての活動のプログラムを作り、それらは確実に100倍、60倍、50倍の実を結びます。私はこれらの経験をイエズス会員として、今後の私の人生に携えていき、それらを常に大切にしていきたいと思います。
書評:『教会の社会教説―貧しい人々のための優先的選択』
小山英之著 / 教文館 / 2013年12月
光延一郎SJ
就任以来、教会と世界に新風を吹き込んでいる教皇フランシスコは、最新の使徒的勧告『福音の喜び』においても、社会と福音のかかわりについて力強く語っています。たとえば「宗教は個人的な領域にのみ限定されるべきであり、天国へ導くため、魂を備えるためだけに存在している、などと主張することは不可能です」(182)。「社会と国家の公正が政治の中心的な責務であるならば、教会は正義の闘いにおいて傍観者になってはいけません」(183)。そして「貧しくなり、そしていつも貧しい人や見捨てられた人の近くにいらしたキリストへの私たちの信仰は、社会の最も無視されているメンバーたちへの関心の本質的な基盤です」(186)と言われるのは、彼がなぜ「フランシスコ」の教皇名を選んだのかを示していると思います。
「教会の社会教説」とくくられるカトリック教会の公式的な見解は、変動する世界において、福音に基づいて、その時代の社会問題に最もふさわしい解決への指針を与え続けてきました。もちろん時代の制約がありましたが、それらの教説の理解は絶えず拡がり成長してきました。
その全体を知るために『教会の社会教説綱要』(2004年教皇庁正義と平和評議会編、日本語版2009年刊)は有益ですが、テーマ別に編集されたこのぶ厚い本を読み通すのは難儀です。また『なぜ教会は社会問題にかかわるのかQ&A』(日本カトリック司教協議会社会司牧委員会編)はとても手頃ですが、歴史は手薄です。私たちイエズス会社会司牧センターがかつて刊行した『カトリック社会教説――歴代教皇の教えに見る』(ドン・ボスコ社、1989年)は、重要項目のリスト集でした。
このたび小山英之神父が出版した本書は、「社会教説」の歴史的軸を示しています。教皇フランシスコの根本的関心である「貧しい人々のための優先的選択」に注目することで、これまでともすると断片的にしかつかめなかった社会教説のつながりが明らかになります。現教皇がどうして今このように語るのか、その解が本書の中にあると思います。
カトリック世界のニュース(176)
アルン デソーザ SJ(司祭)
村山 兵衛 SJ(神学生)
教皇と米オバマ大統領 ― 信教の自由、生命問題、移民について会合
3月27日 (CNS) : 教皇フランシスコは3月27日にバチカンで、就任以来初めてオバマ米大統領を迎え入れた。議論はカトリック教会とホワイトハウスとが緊張関係にある諸分野にわたった。バチカンの声明によると50分間の会議の中で両首脳は、「移民制度改革の問題および信教の自由、生命、良心的兵役拒否の権利行使といった米国教会に特に関連のある問題」を議論した。
米国司教たち、国境でミサ ― 15年間で6,000人の移住者が死亡
4月2日 (Agenzia Fides) : 「このミサは、(米国とメキシコの国境が真ん中に通る町)ノガレスの国境壁の近くだけで亡くなった6,000人に上る移住者と、1,100万人の移住許可証なき人々、および両親が蒸発した30,000人の孤児たちのためです。この近くの砂漠では、合衆国への入国を試みた400体の男女と子どもの遺体が発見されました」。この荒々しい表現は、ボストン大司教S•P・オマリー枢機卿(OFM)が4月1日のミサの中で表明したものである。同枢機卿と8人の司教たちはアリゾナ州ノガレスの砂漠を歩いて祈りながら、米国入国を試みる「痛々しい旅路」で死亡した数千もの中米移民を思い起こした。オマリー枢機卿の説教は、米国が移民の国であったこと、彼らの祖先の犠牲が「米国の成功の秘訣だった」ことを強調している。
教皇、ルワンダ司教へ「和解の道具となるように」
4月3日 (Vatican Radio) : 教皇フランシスコは4月3日、教皇庁定例訪問で来たルワンダ司教たちを迎えた。バチカンでの謁見講話で教皇は、同国の大虐殺とその20年を振り返った。94年4月6日に始まった3ヶ月に及ぶ大暴乱で少なくとも80万のルワンダ人が殺害されている。教皇は宗教、民族、政治的所属を問わず、すべての犠牲者と遺族および全ルワンダ人のために祈りをささげ、さらに癒しと和解へ向けて粘り強く身を投じる司教たちを激励した。教皇は、「福音的価値のなかで子どもや若者がとくに神のみことばに親しみを抱くよう養成することは、教会の義務なのです。みことばは彼らの道しるべとなるのです」と語った。
ヘイトスピーチの不安、中央アフリカで
4月5日(Vatican Radio) : 中央アフリカ共和国内の反政府組織Selekaに味方するチャド政府は、中央アフリカから軍の撤退を決定した。アフリカ和平解決策の一部になるはずだったものが、この1週間でチャド軍の手により死者30名と負傷者300名が出るという結末に終わった後で、この決定は行なわれた。
中央アフリカに関する国際調査委員会のベルナール•ムナ理事は、国内のヘイトスピーチ(憎悪表現)問題を指摘し、次のように述べた。「気づいたのは、いっそうひどいことに、暴力が続いていることです。毎日人が殺されています。私が気づいた2つ目のことは、憎悪の言葉の拡大です。[中略]他の宗教や民族の人々を誹謗中傷し、名前をつけ、同胞の民に対して祖国に相応しくない、よそへ行けと言うとき、これは常に大量虐殺の始まりなのです」。
暴動から2ヶ月後に司教団が警告:ベネズエラ政府の「全体主義」傾向を批判
4月3日 (Agenzia Fides) : ベネズエラ・カトリック司教団は、全体主義的支配体制をめざす政府を非難し、声明を発表した。声明は「ベネズエラが経験している危機の根本的な原因、つまり背後に全体主義統治の強制を隠す通称「祖国治安計画」を目論むニコラ•マドゥロ大統領政府の要求」を強調している。
紛争の火種となる資源のヨーロッパ持ち込み規制法案の不徹底――活動家が警告
3月5日 (JRS News) : 人権活動家たちによると、鉱物調達に伴う責任に関して欧州委員会が提案した法律が不十分なため、欧州企業が鉱物を購入する際の資金調達をめぐる争いや人権侵害が後を絶たず、法案は期待外れなものとなっている。EUに拠点を置く広範囲の企業に供給網監視(これは「相当な注意due diligence」として知られる)を求める厳格な法制度を敷く代わりに、3月5日の欧州 委員会は、ヨーロッパ市場へ鉱物(加工品と未加工品)を輸入する企業にのみ適用される自主的措置を発表しただけであった。同法案は錫、タンタル、タングステン、金の分野の企業を対象としているが、活動家たちは、同委員会の提案では欧州企業の大半が天然資源を調達している方法に対してごくわずかな抑止力しかもたらさないと警告している。
鉱物の違法採収によって死者、破壊、住民立退きが引き起こされている。紛争地域から採られた金属はコンピュータ、電話、電球、自動車などの工業製品となって、日常的にEUに入っている。
人権活動家たちはさらに、欧州委員会の提案が他の天然資源に対処しておらず4種の鉱物に限定していることへの失望感を表明している。60以上の国際NGOが、昨年発表した論文の中で、国連と経済協力開発機構(OECD)によって設定された既存の「相当な注意」の基準に基づく厳格な法制度の必要性を指摘している。
JRSカンボジアによる「世界宗教間調和週間」
3月28日 (JRS News) : イエズス会難民サービス(JRS)カンボジアは2月8日、ミンドル・メッタ・カルナ(カンボジア)で世界宗教間調和週間 (World Interfaith Harmony Week) を記念する宗教間交流イベントを行なった。イベントには、とくに最も貧しくて排斥された人々を持続的に支援する正義、平和、開発のための協働を望む諸宗教の人々が集まった。
『木を植える―環境に配慮する人々の物語』“Plant a Tree: Stories of People Caring for Environment”と題したJRSの小冊子の中で、E・Jurgensen氏は、「植樹活動によって、実質的かつ象徴的に、持続的な発展などの共通目的のためにさまざまな宗教団体の人々が集まります」と語る。カンボジア人は皆信仰の違いを越えて森林伐採の悪影響を受けており、地域社会で、宗教団体と最高指導者の間で、信仰の垣根を越えた協働に取りかかる必要がある。
街のそよ風:イエズス会サービス・カンボジアのスタッフに、感謝を込めて
垣美幸 かんぼれんスタッフ
1. イエズス会社会司牧センター主催のカンボジアスタディツアーに参加して
2003年に、初めて、スタディツアーに参加しました。まだ、その頃は、カンボジアも道路や街の整備が遅れており、車の移動も土煙の中、ぼこんぼこんと揺られつつ、村々を巡りました。その中で、イエズス会サービスカンボジア(JSC)の支援は、教育・医療・車いすなどの障がい者福祉サービスや農業支援など多岐に亘っていました。特に、地雷などで障がいを負って貧しい生活を強いられている人、女性、教育を受けられない子どもたちと、弱い人々への支援を第一に考えていることが、強く印象に残りました。また、ポルポトの虐殺時代に、人々の信頼関係も壊され、村のコミュニティ再生に向けた話合いの場をもつことや若い教師のスキルアップのための育成など、将来に向けての支援は、親身で粘り強いものでした。「ソクサバーイ(お元気ですか~)」と笑顔で挨拶しながら、街の中心から、遠く離れた村々を廻るスタッフの活動に感心しました。今でも、毎年、私たちのツアーを快く迎え入れてくれる、親切で温かい“おもてなし”に感謝しています。
2.シソポンのスタッフとともに
2003年スタディツアーの後半、プノンペン、バタンバンの見学の後、ちょっと立ち寄ったのがシソポンJSC事務所でした。庭は美しく手入れされ、にこやかなグレッグ神父はじめ、小鳥や犬までもが歓迎してくるような穏やかなオフィスでした。そこで、シソポンの活動指針と年間計画を、パワフルに説明してくれたのが、スタッフの責任者ソクエンさんでした。教師をしていたということもあり、教育に対しての熱意も技術もスペシャルでした。支援の記録も充実していました。タイとの国境近くで、地雷の除去もまだ進んでいない地域で、まだまだ支援が必要だという状況でした。ちょうど、オフィスの台所近くのスペースで、若い教師たち6人ぐらいで「教え方の研修」をしていたのも印象的でした。
この出会いをきっかけに、その年、ボネット神父を中心にして一緒にツアーに参加したメンバーたちが「カンボジアの友と連帯する会~通称:かんぼれん~」を立ち上げました。かんぼれんの活動も、今年で11年目を迎えています。シソポンのスタッフとともに、どのような支援を行うのか、その後、人々の暮らしはどうなっているのか、毎年のツアーの中で対話を続け、メールでやりとりしながら、その苦労と喜びをわかちあっています。
3.カンボジアの友とともに
プノンペンの「鳩センター」は、障がいを負った人たちの職業訓練校ですが、市内に「ピースカフェ」を開店し、訓練校で作られた彫刻やクラフトの製品をおしゃれに販売しています。携帯電話修理の技術やメイクアップなどの新しい技術の習得、メコン川の環境問題も捉えた、樹木の育成、家畜の飼育法など、新たな取り組みも次々とされています。
シソポンやバタンバンなど、遠くの小さい村々から訓練校に来て技術を習得し、村に戻って自立した生活を送れる。そのようなソーシャルネットワークサービスの実現が、JSCのスタッフの力で、実現されていました。私は、ツアーで行く度に、カンボジアの人々の温かい笑顔とおいしい料理に、ほっこりと癒されます。そして、ソクエンさんやシェムリアップJSCのスレイモンさんに元気をもらいます。日本でも、仕事に向かいながら、彼女たちの仕事に対する姿勢をよく思い起こします。これからも、体に気をつけてともにがんばりましょう。また、お会いしましょう。