JSCシソポン「ソクエンさん」とかんぼれん

川地 千代
イエズス会社会司牧センタースタッフ

今年も1月下旬、「カンボジアの友と帯する会」(かんぼれん)のスタディ・ツアーでカンボジアを訪ねました。かんぼれんは、タイ国境から50㎞に位置するシソポンのイエズス会サービス・カンボジア(JSC)をパートナーとして活動し、数年前からはプノンペンの障がいのある子どもの家「Light of Mercy Home」にも協力し始めました。

2003年に初めて、シソポンのJSC事務所に立ち寄りました。そこで、責任者ソクエンさんやグレッグ神父に出会いました。分かりやすくまとめられたプロジェクト報告書を見ながら、ソクエンさんの熱くて心のこもった説明に、皆感銘を受けました。そして、参加者全員で即決!JSCシソポンを協働パートナーとして支援グループを作ろう!と。それから、かんぼれんは毎年シソポンを訪問し、13年が経ちました。

翌年、第1回目の支援は、13軒の障がい者や貧しい家族への3m×4mまたは4m×5mの家造りでした。村々を訪ねると、インドネシア人のグレッグ神父以外、初めての外国人だ!と言われました。シソポンのスタッフは、現地の貧しい人や障がいのある人たちと日頃から親しく関わっているので、優先すべき彼らのニーズを良く調査していますし、かんぼれんもツアーで訪ねて人々の考えを聞くことができます。現地のJSCスタッフとかんぼれんは、毎回、正直に話し合い、「人間を中心とした」プロジェクトに協力し連帯してきました。

今年のツアーでは、2006年に初めて支援した「牛銀行」のVun Sametさん家族を訪問しました。牛銀行は、母牛をJSCから借り、産まれた1頭目と3頭目を利息としてJSCへ返したら、2頭目と4頭目以降のすべての子牛と母牛もかれらのものになるという仕組みの、自立支援プロジェクトです。Vunさんは1984年、クメール・ルージュの兵士だったときに地雷によって左足膝下を切断し、現在も頭の中や足に地雷の破片が残っていて寒いときには痛むと言っていました。彼の家はタイ国境に近いO Ampil村で、牛を飼い始めたとき、あたりはまだ森で、少しずつ切り拓いていきました。牛は家の近辺で世話できるので、足に障がいのある彼には適した、収入を得られる仕事です。懸命に飼育して初めの母牛から利息分の2頭の子牛は返済し、今では孫の世代が母牛となっていて、その1頭は今妊娠中です。彼は他の人の牛も世話して収入を得、生活は楽になってきました。息子さんが深刻な病気になったとき、手術代として6頭の内の4頭を売らなければなりませんでしたが、治療ができ助かりました。Vunさんの深い皺が刻まれた笑顔は、自信に満ち溢れていました。

かんぼれんから、初め、5家族に1頭ずつの牛が支援されました。こうして産まれた子牛は他の家族へも受け継がれ、牛銀行プロジェクトの輪は広がり続けて、現在、このプロジェクトのために、かんぼれんからの新しい支援は不要になっています。

また、2011年から、タイ国境に近接するTuol Prasat村で、小規模な農業ローンの支援を始めました。その前年に、村長をはじめ村の世話役や小学生の親たちも含めて多くの村人たちが集まり、JSCスタッフ、かんぼれんの私たちも参加して、ニーズについて話し合いました。村人たちからは初め、日常の仕事のために道路が最優先という意見があり、子どもの教育のための小学校、村人皆で使えるため池、という順でニーズが出されていました。検討の末、かんぼれんはそれらすべてのプロジェクトに支援するゆとりはなかったので、小学校とため池を支援することになりました。そのためにはまず、CMAC(地雷除去NGO)に頼んで、小学校建設という目的が決まった敷地の、地雷を除去してもらわなければなりませんでした。その上で、3教室の木製の小学校と、その隣には、掘った土が学校の土台の盛り土にも利用できる、ため池を造ることにしました。親たちも、話し合いに積極的に参加し、子どもを小学校で学ばせたいし、繁忙な収穫時期などでも仕事を手伝わせるために、子どもに学校を休ませないよう約束しました。完成後、生徒たちは、その学校をきれいにして大切に使い、校庭には、生徒たちがグループ毎に植樹して、エコロジー教育も実践していました。もちろん、村人たちも管理に協力し、ため池も利用できます。

農業ローンでサトウキビの栽培収穫

そして翌年、農業ローンが始まりました。初めは100米ドルずつを、5家族1組になって30家族に貸し、種や肥料を買い、サトウキビや米を収穫しました。また、利息の一部はコミュニティに貯蓄され、村人が前年に当初希望していた、でこぼこだった2.5㎞の道路の修復や、道路に沿って300本の木を植えること、また、火事で家を焼失してしまった家族と教師のために、家を建てる支援にも利用されたそうです。農業ローンは、貧しい人や障がいのある人に優先される支援です。しかしそれは、それぞれの家族の経済的自立に留まらず、利益の一部をコミュニティで自主管理するので、村全体の発展につながりました。今では農業ローン利用者は47家族に増えたそうです。コミュニティの自立支援が上手く行っている事例です。

とは言え、万事が順風満帆に運ぶわけではありません。昨年、やはり、タイに隣接する村のコミュニティ発展を願って、共同のため池と30家族への農業ローンを支援したのですが、今年訪ねてみると、ため池の周りには背高く草が生い茂っていて、村人たちも少なかったのです。聞いてみると、昨年は雨がとても少なくて、米などの農作物は枯れて収穫が上がらず、やむなく、村人は国境を越えて、再びタイへ出稼ぎに行ってしまっていたのでした。育ったのはキャッサバ芋ぐらいで、その収穫に1日中働いても2.5米ドルしか稼げず、日当6~8ドルになるタイへ行かざるを得なくなったそうです。昨年、訪問して話し合ったときには、出来上がったばかりのため池の前で、村長は、村で人々が農業をして経済的に自立できるようになれば、タイに出稼ぎに行かなくてよくなり、子どもたちも学校に通えて勉強ができるようになる。そして、今もタイで働いている村人たちも戻ってきて、ここで安定して生活できるようになってほしいと願いを語っていました。今年は、その村で、幼い子どもたちと世話をする祖母に会いました。JSCは1年で諦めることはなく、農業ローンは5年間単位のプロジェクトなので、今年も挑戦することになっています。期待通りに上手く行かないのは残念ですが、そんな困難な時にこそJSCは、忍耐強く寄り添って、村人たちと一緒に乗り切ろうとしています。

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JSCスタッフは、かんぼれん会員とカンボジアの人々との架け橋です。2003年に、初めてシソポンで出会って以来、ソクエンさんは、その架け橋の最たる「顔」でした。そのソクエンさんが、JSCを退職されると聞き、突然で、かんぼれんの皆、ショックでした。ソクエンさん自身は、1975年からクメール・ルージュに苦しめられ、かけがえのない家族の命も奪われ、人生が一変してしまいました。しかし、彼女は、文字通り「奇跡的に」生き延びることができました。その経験は、それ以降の彼女の人生を、どう生きるのかをはっきりとさせたそうです。そして、JSCの場で、貧しい人、障がいのある人、困難にある人に尽くすことを選んだのです。彼女に出会ったかんぼれんの誰もが、本当にその通りの生き様、証しだと頷きます。彼女の専門分野は教育です。教室でも生徒に生き生きとした言葉で教え、教師の養成にも具体的に尽力し、信念をもって皆を励ましていました。また、村の人々へも、移動図書館やラジオ放送を使って、教育、アドボカシー活動にも積極的でした。かんぼれんの皆はソクエンさんに、心からの尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。他方、彼女はとてもチャーミングです。私たちのホテルの手配を頼むと、ホテルスタッフと共に、事前に入念な部屋のチェック、枕カバーの臭いまでクンクン嗅いで・・・とお茶目な仕草で、皆を爆笑させます。このようにホテルのスタッフに対しての教育だけでなく、村のレストランでも、村人に接するときにも、愛情たっぷりの「教師」です。彼女のJSCの職務からすれば、それによって彼女の評価が上がるわけでもなく、エネルギーを費やす必要もあるとは思えません。しかし、根っからの「教師」である彼女からほとばしるテキパキとした言動は、人々にいつも温かくて微笑ましいのです。彼女の、同じカンボジア人であるかれらへの熱心さには、スキルアップして自信をもってほしいという思いが込められているように感じました。

カンボジアでの支援は、衣食住の基本ニーズから、教育などのソフト面へシフトしていると思います。毎年訪れるこの十数年だけでも、開発や人々の豊かさへの変化は、目まぐるしいものがあります。一方、経済豊かで教育も普及した日本で、今、貧富の格差拡大を実感します。失業率自体は上昇していなくても、内実は非正規雇用が4割に増大していて、働いている人でも生活は不安定になります。子どもの貧困率は6人に1人と拡大、高齢者や女性の貧困化も深刻になっています。生命保険会社のように、「生産性」の物差しで人を査定するなら、子ども、高齢者、障がい者、女性などのポイントは低いのです。教育や公共の福祉がかなり「充実している」とは言え、一部の人はより豊かになる一方、一部の人はより貧しくなっています。その上、目に見えにくい、孤独、疎外、差別などが加わるから悲惨です。つまり、ちょっと反面教師として、これから益々経済的にも発展していくカンボジアの人々に対して、教育や経済自立支援と共に、自立できない人々のニーズにもまた優先度を下げることなく、車の両輪のように応え続けていくのだと思っています。

日本の“奴隷”労働制度
~国際貢献という欺瞞~

柳川 朋毅
イエズス会社会司牧センタースタッフ

人権“後進国”日本

2016年5月の末、日本の伊勢志摩において、G7の首脳が集うサミット(世界主要国首脳会議)が開催されました。サミットの実態やその意義はともあれ、少なくともこの7か国は、世界の“主要な先進国”であると自負していて、日本もその中に入っている訳です。もちろん、何において“主要”なのかといえば、それは第一に経済的に、あるいは国際情勢的にですが、それだけ大きな影響力をもっている以上、人道的な観点からも“先進国”であることが求められるでしょう。

「日本は、国連で2000年に採択された人身取引議定書を締結していない唯一のG7参加国である」。米国国務省から出された2015年版「人身売買報告書」の日本に関する部分は最後、その一文で閉じられています。米国の基準では、日本は第二階層(人身取引撲滅のための最低基準を十分に満たしていないが、満たすべく著しく努力している国)に分類されています。G7の他の6か国を含む31の国と地域が、基準を満たした第一階層に分類されているのに比べて、日本の人身取引撲滅に取り組む姿勢は、 “先進国”並とはみなされていないのです。

日本は国際社会から、その人権擁護の取り組みの遅さや不十分さを、再三勧告されてきました。2014年7月にジュネーブの国連欧州本部で行われた、国際人権(自由権)規約委員会による第6回日本政府報告書審査でも、いくつもの問題点が指摘されました。その中でも4つの項目、つまり死刑、「慰安婦」、代用監獄、そして技能実習生の問題がとりわけ重視され、日本政府の誠意ある早急の対応が求められました。

「委員会は、外国人技能実習生に対する労働法の保護を拡充する法制度の改正にもかかわらず、技能実習生制度の下において、性的な虐待、労働に関連する死亡、強制労働にもなりかねない労働条件に関する報告が数多く存在することに、懸念をもって留意する」(総括所見16項)と指摘されているように、日本の「外国人技能実習制度(TITP:Technical Intern Training Program)」は数多くの問題を孕んでいます。今回は、「強制労働の温床」、「現代の奴隷制」といった批判が相次いでいる、技能実習制度について考えてみたいと思います。

外国人技能実習制度の本音と建前

「強制労働の事案は、政府が運営するTITPにおいて発生している。この制度は本来、外国人労働者の基本的な産業上の技能・技術を育成することを目的としていたが、むしろ臨時労働者事業となった。『実習』期間中、多くの移住労働者は、TITPの本来の目的である技能の教授や育成は行われない仕事に従事させられ、中には依然として強制労働の状態に置かれている者もいた」(「人身売買報告書」2015)。米国からこう指摘されるように、この制度の一番の問題点は、その目的と運用実態がまるで乖離しているという点です。

これまで日本政府は、外国人労働者の受け入れについて、高い専門性や技術を有する者は受け入れるが、いわゆる「単純労働」の分野では、日系人などを除いて受け入れないという姿勢を貫いてきました。

けれども、一部の産業において労働力の供給が追いつかず、特に「3K(きつい・汚い・危険)」といわれるような職種では、深刻な人手不足が生じていました。それゆえ産業界からは、安く酷使できる労働力として外国人労働者を求める声が強くありました。

そうした政府の国策と労働市場からの経済的なニーズとの間で、まるで抜け穴のように考え出され、その後拡充されてきたのが外国人研修・技能実習制度です。25年近くにわたりこの制度を推進してきた公益財団法人・国際研修協力機構(JITCO)によれば、「この制度は、技能実習生へ技能等の移転を図り、その国の経済発展を担う人材育成を目的としたもので、我が国の国際協力・国際貢献の重要な一翼を担っています」と説明されています(公式HPより)。つまり先進国である日本の進んだ技能・技術・知識を外国人に対して教えてあげることで、開発途上国の経済発展に協力してあげる、「国際貢献」のための制度だというのです。

こうした受け入れ方は、1981年に「研修」という在留資格が導入されたことによって正式に始まりました。けれども「研修」というのは名ばかりで、実際には多くの企業で過酷な「労働」を研修生に行わせているという実態が指摘されるようになりました。研修生の行っているのは技術を習得する「研修」であって「労働」ではないのだから、労働の対価としての報酬も発生しないという理屈で、労働者としての権利も保障されず、最低賃金以下の報酬で働かされていたのです。

その後、いく度かの法整備を経て、この制度はますます拡充していきました。ただし、それはもっぱら、一番の当事者である外国人研修生の視点からというよりは、受け入れる日本企業側の使い勝手の良さが第一に考えられた政策でした。

例えば、1990年には大企業だけでなく中小企業でも研修生が受け入れられるようになり、1993年には、1年間の研修後、試験に合格した研修生は技能実習生としてもう1年滞在することが可能になる「技能実習制度」がスタートしました。また1997年には、実習の最長期間が2年に延長され、研修期間と合わせれば最長3年間日本に滞在できるようになりました。

そうした中で、いくつもの問題、特に深刻な人権蹂躙が疑われる事案が相次いで明らかになりました。例を挙げればきりがありませんが、「人件費」を切り詰めようと最低賃金以下の低賃金で長時間働かせていたり、失踪を防ぐ名目でパスポートや預金通帳を取り上げ、法外な罰金や違約金を課したりといったことが平然となされていました。長時間労働や安全対策が十分でない作業によって病気やケガが頻発し、最悪の場合、過労死や自死に至ってしまった外国人もいます。そうした「労災」ですら、多くの場合は表ざたにならないようにもみ消されます。また、労働以外の生活の面でも、劣悪な住環境や食事しか提供せず、それにもかかわらず家賃や食費として多額の天引きを行うなどの非人道的な待遇も多く報告されています。外出や外部との連絡も厳しく制限され、中には恋愛や宗教上の行為までも規制されるという事案も見られます。もっとも悪質なのは、「強制帰国」をちらつかせることで、彼らの不満を封じ込めて逆らえないようにし、その支配関係の中でセクハラやパワハラといった犯罪的な行為が行われることです。

制度のこうした運用実態が明らかになり、国内外から批判の声が高まる中で、2010年7月に「改正入管法」が施行されました。それによって、技能実習生は基本的に労働者として労働関係諸法令の保護下に置かれることになりました。けれどもむしろ不正が巧妙化して実態が見えにくくなっただけで、相変わらず深刻な人権侵害が多発しています。

もちろん、すべての受け入れ先企業がこうした不正を働いているわけではなく、中には良心的な研修を行っている企業も存在します。けれども厚労省の監督指導では、毎年8割前後の実習機関で労基関連法違反が認められており、この制度が人権をないがしろにした労働の温床になっていることは明らかです。

奴隷ではなく兄弟姉妹として

教皇フランシスコは、2015年1月1日の「世界平和の日」メッセージの中で、次のように語りました。「とりわけ問題なのは、国の法律によって移住労働者が雇用者に構造的に依存する状況が生み出されたり、それが許されたりしている場合です。たとえば、法的な在住許可が労働契約に左右される場合です。そうです。私は『奴隷労働』について考えているのです」。

職業選択(職場移転)の自由がなく、強制帰国を脅しの材料に、むちゃくちゃな労働条件や生活環境を強要する。何か問題を起こしたり、労働力として“使えなく”なったりしたらクビにして送り返す。これはまっとうな労使関係ではなく、支配-服従の隷属関係です。国際的な基準に則れば、日本の外国人技能実習制度はまさに、「現代の奴隷制度」以外の何物でもありません。

奴隷状態に置かれたり、苦役に服せられたりすることは、日本国憲法第18条でも、世界人権宣言第4条でも禁じられています。奴隷労働からの自由は、人類普遍の基本的人権といってもいいでしょう。労働者の権利を守る法律の筆頭である労働基準法も、強制労働を固く禁じています(第5条)。その証拠に、第5条違反には労基法上もっとも重い罰則が定められています(第117条)。ところが日本政府は、技能実習制度によって虐げられた外国人を、これまで一人も強制労働の被害者とは認定せず、加害者を人身取引犯として訴追することも行っていません。起きている被害に目をつぶれば、支援も対策も必要なくなるからです。

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現在日本には20万人近くの外国人実習生がいるといわれています。特に最近は、これまで主流だった中国人に替わり、ベトナム人が増えてきています。私の関わっている日本JOC(カトリック青年労働者連盟)でも、数名のベトナム人実習生と繋がりをもっています。私たちと繋がれているという時点で、彼らは“幸運な”ケースで、その裏には助けを求める手段すらなく、声にならない叫びをあげている外国人実習生の存在が容易に想像できます。

こうした人権軽視の労働を支える制度の根底には、「ガイジンだから」といった差別がまかり通っている現実があります。外国の人々を正しく「人間」として、「労働者」として、「隣人」として、「兄弟姉妹」として扱うのであれば、こうした横暴を許す制度を容認することはできないはずです。国際貢献というまやかしの言葉に騙されてはいけません。また同時に、安く使い捨てられる労働力を求めてしまう私たち自身の罪深さをきちんと認めるとともに、それを支えている私たちの消費行動も常に考え直す必要があるでしょう。

東アジアの移民労働者のためのイエズス会ネットワーク

安藤 勇 SJ
イエズス会社会司牧センタースタッフ

伊勢志摩で開催されたG7サミットの閉会式から数日後、マスメディアは現代の奴隷制についての衝撃的な報告を発表しました。それはギャラップ調査によって客観的に裏付けられた、グローバルな調査結果です。詳細なデータや、国と地域の報告に関する分析は、Webサイトの「Global Slavery」で読むことができます。調査の衝撃的な最終結果によれば、まさにこの2016年現在、世界の167か国で、約4580万人もの人々―その多くは女性と子ども―が、現代の奴隷制の何らかの犠牲者になっているというのです。中でも、アジア太平洋地域が特に深刻な影響を受けていると思われます。(ジャパン・タイムズは2016年5月31日に、「現代の奴隷制に日本は取り組んでいないと研究が非難」という記事で、この事実を明らかにしました。)

日本が世界で41番目に悪い状況の国とされている現実を知れば、日本の多くの人々はきっと驚くでしょう。世界の奴隷制調査の「国別:人口における現代の奴隷の推定割合」という箇所では、日本は全人口1億2700万人のうちの29万人、およそ0.22%の人が現代の奴隷だと考えられています。

移民デスクでの経験から私たちは、こうした現代の奴隷の大部分は、日本で働き、生活している外国人労働者であると考えています。もちろん、それが一般的傾向だとまでは言い過ぎでしょうが、同時に、それはごく稀な現実だとか、単なる反日のプロパガンダに過ぎない、という考えはナイーブでしょう。

先日日本に集結したG7の首脳たちは、地球上で最も裕福で、最も影響力のある国の代表です。彼らは世界の経済システムの再構築について扱い、ヨーロッパにおける現在の移民危機についても触れました。けれども、現代の奴隷制と外国人移民労働者の危機的状況については、彼らの議題の中にありませんでした。

イエズス会の移民労働者ネットワーク

イエズス会東アジア太平洋管区連盟(JCAP)がカバーしている東アジア地域には、二つの異なるタイプの国が共存していると考えられます。一方では、東アジアのいくつかの国は、自国の貧困の解消や緩和を期待して、外国に何十万人という労働者を送り出します。その一方で、東アジアの他の国々は、自国をより豊かに発展させるために、そうした労働者を喜んで受け入れています。古典的な国際表現を用いるのであれば、そこにははっきりとした「南北問題」が存在します。日本、韓国、台湾、そして香港(?)は、豊かな北半球の中心に位置しています。その他の東アジア諸国の人々は、仕事を得るために、あるいは貧困から逃れるために、自分たちの生活をよくするために、外国へと出稼ぎにいくのです。

イエズス会は一般にどちらの国にも、数は多くありませんが、移民労働者と関わる小さな機関をもっています。韓国はその取り組みをまさに再編成したばかりで、新しいユウッサリ・センターが建てられ、3人のイエズス会員がそこで働いています。台湾では、レールム・ノヴァールム・センターを通して、外国人労働者との関わりについて、大きな成果をあげています。フィリピンでは、UGATという機関とイエズス会のいくつかの高等教育機関の様々なネットワークのもと、しっかりと組織されています。インドネシアでは、移民労働者との長い関わりを再編成中です。日本では、イエズス会社会司牧センターを拠点に、外国人労働者に寄り添い、必要な法律サービスや、子どもと親に対する基礎的な教育を提供しています。ベトナムでは、国内の移民労働者に同伴し、彼らが地方から都市部に働きに来る際に訓練を提供し始めました。イエズス会難民サービス(JRS)タイは、ミャンマーからの何十万人もの移民労働者をケアしてきた長い伝統があります。

JCAPの現在の変化

非常に重要な変化と挑戦は、JCAPの長上たちが、優先課題についての長期的な計画(「ソーシャル・マッピング・レポート2009」)を受け入れ、発表したことによって生じました。東アジア太平洋地域における移民労働者とエコロジーが、イエズス会の主要な優先課題とみなされたのです。

移民労働者の状況という観点から、過去に行われてきたどちらかといえば個々の努力は、JCAPのネットワークの中で、より調整されるようになりました。そのネットワークは、2011年5月15~17日にソウルで行われた、移民に関するイエズス会の初のワークショップによって活発になりました。それ以来、ワークショップは毎年のように開催され、2012年にはマニラ、2013年にはジャカルタ、2015年には台北で開かれました。

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最近では、2016年4月19日に、東アジアのイエズス会移民ネットワークの7か国から、13人の代表者がベトナムのホーチミンに集まりました。このネットワークのコーディネーターを務め、今回の会議を招集したのは、インドネシア人のベニー神父(Fr. Benedictus Hari Juliawan)です。会議の中では、共通のプログラムと、外国人労働者の現状に焦点を当てた3年間の研究プロジェクトについて話し合われました。研究プロジェクトの主要テーマは、外国人労働者の自国への帰還、もしくは彼らが暮らし働いていた社会への統合、そしてブローカーの闇の世界です。実際に、この最初の共同研究プロジェクトは、6月中に英語で出版される予定です。

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こうしたテーマに関する文献は、確かに数多く存在します。けれども、このネットワークが目指しているのは、移民労働者のために場を提供し、彼らの真のニーズに対するより良い対応を見つけることです。ネットワークの強みの一つは、外国人移民労働者を送り出す国の中で実に精力的に携わっている人だけでなく、受け入れている国の中で働いている人もいることです。例えば、韓国のユウッサリは、韓国に働きに来るカンボジアの若い女性たちのために活動しています。台湾では、台湾に家政婦として働きに来るインドネシアの若い女性たちのために活動しています。日本では、日本の小さな工場で働いているフィリピン人、ベトナム人、アフリカの人々のために活動しています。イエズス会は、外国人労働者と寄り添い、送り出し国と受け入れ国の二つの側で協力して活動しようとしています。

言葉の壁は、日本や台湾、韓国に来る外国人労働者にとって、大きな障害になっています。言葉の知識が不足しているせいで、彼らの多くは入国した新しい社会から締め出されてしまいます。彼らは支援者や、真に信頼できる情報をもっていないからです。こうした事情は一般に、彼らの生活状況や職業選択を耐えがたいほど悪化させてしまいます。私たちの司牧活動や教会は、彼らに手を差しのべ、限られた方法ではありますが、小さくされた人々に対して、仲間として支援を提供することができます。国が外国人労働者を受け入れるのは、国の経済成長のために、安くて若い労働力を必要としているからです。けれどもベトナムやインドネシア、あるいははるか遠くナイジェリアなどから来た労働者は、自分たちの家族が貧困から抜け出し、よりよい暮らしと教育、自由な機会を得ることを求めています。私は50代のフィリピン人労働者と出会いました。彼は、ビザの期限が切れているため、フィリピンに強制送還されるのではないかと恐れていました。また、フィリピンに残した彼の家族が生活するために必要な週7000円のお金をこれ以上送ることができないということに、不安を抱えていました。けれども日本や台湾、韓国にとって興味があるのは、単に安くて若い労働力です。外国人労働者は、一時的に滞在することはできますが、やがて帰らなくてはならず、代わりに新しい人がやって来ます。「ギブ・アンド・テイク」、それがこのゲームの名前です。

移民労働者とその家族の人間としての尊厳を認め、彼らの人権を尊重することは、私たちのネットワークを強化し、非キリスト教的環境の中でキリスト教的価値を証しするために、大きな力をもっています。活動領域と可能性は、無限大です。

東ティモールの開発と教育

村山 兵衛 SJ(神学生)

今年2016年、東ティモールは独立を実現して14年目となりますが、経済や社会や教育の分野で様々な困難に直面しています。「復興」から「開発」へと舵を切り、他国に依存しない産業の育成と雇用創出を通して、東ティモールは持続可能な社会づくりと貧困削減を政策目標としています。しかし問題が山積しております。

東ティモールは国の収入の大部分を石油資源に頼っています。コーヒー産業も有名ですが、他の産業は極めて弱いです。そのため、人口の約半数を占める未成年者が今後参画することになる労働市場、その未成年者を教育する教育機関の人材・インフラ不足は政府にとって大きな課題となっています。

また環境問題も深刻です。手間のかからない焼き畑農業と無計画な森林伐採のゆえに、緑が少なく地滑りの危険に絶えずさらされている山々があります。ごみ処理問題も、分別やリサイクルに対する意識・知識不足のため、多くの改善の余地を残しています。

のどかな国民性という反面、海外からの投資が進まない理由として、職場における労働者の倫理不足や政府の能力不足が指摘されています。とくに、一部の退役軍人や遺族に高額の社会保障が偏って支払われる政府の不適切な予算配分は、かえって貧困削減を阻害する汚職ではないかと批判されています。政府は人材開発を優先すべきはずなのに、国家予算に占める保健・教育分野の割合は、ASEAN諸国と比較して低い結果を示しています。

そんな中で人口は急増。教育現場は深刻な課題を背負っているといえます。教育の機会に恵まれなかった親のもとで育ち、現在の不十分な学校教育に依存しながら、東ティモールの子どもたちはまさに開発の担い手となるよう求められているのです。

今年で4年目となる「聖イグナチオ・デ・ロヨラ学院」は、海外からの寄付に多く頼りながら、この国の子どもたちに少しでもより質の高い教育を提供しようとしています。同学院が建つ地元の村から通ってくる生徒たちは、奨学金制度や入学前の学習サポートの助けによって、首都ディリ出身の生徒と一緒に勉強をしています。生徒間の学力の差が大きいため、教育の現場では常に識別と創造力が求められます。私も中1のクラス担任の一人として、生徒間の学習パートナーづくりなどを促進しながら、この国の将来を担う子どもたちに同伴しています。助け合って勉強する彼らの姿のうちに、私は東ティモールの希望を見ています。

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参考文献: 世界銀行、『東ティモール社会扶助、公的支出、およびプログラム実行報告書』(Timor-Leste Social Assistance, Public Expenditure and Program Performance Report)、 2013年。