西日本豪雨災害とキリスト教会呉ボランティアセンターの働き
小林 克哉
日本基督教団呉平安教会牧師
2018年7月6日(金)から7日(土)にかけての大雨により、わたしたちの教会が建つ広島・呉の町は大きな被害を受けました。教会員の中には水没していく車からどうにか脱出して命が助かった者があり(『信徒の友』に証し掲載)、家族の家が洪水被害を受けた者、家の敷地に土砂が流れ込んで来た者などもおりました。教会員の命は守られ、自宅が土砂で流されるような被害まではありませんでしたが、教会員の知人には犠牲となられた方、家屋が全壊した方がありました。呉の町は当初、土砂災害により主要な道路が寸断され、陸の孤島状態になったために物流が途絶え、加えて断水となり、スーパーやコンビニの棚の水や食料品が空になり、不安な日々を過ごさねばなりませんでした。
豪雨直後の8日(日)の礼拝は、物理的に教会まで来ることができない者がほとんどで、わたしが呉に着任してから最も少ない人数での礼拝となりました。教会が建つ地域は断水を免れたので、最初の一週間は給水や洗濯、シャワーのために来られる教会員への対応がわたしたち夫婦の主な過ごし方となりました。
そんな日々を過ごしている中、呉牧師会会長のインマヌエル呉キリスト教会内山忠信牧師より、呉平安教会をボランティアの宿泊場所として使用できないかと打診がありました。広島宣教協力会(福音派の諸教会の交わり)のもとにある広島災害対策室が、呉牧師会と協力してキリスト教会広島災害対策室呉ボランティアセンターを立ち上げることになったからでした。日本国際飢餓対策機構やサマリタンズ・パースが協力してくださることになりました。呉の諸教会は毎年市民クリスマスをいっしょに行うなど、日頃からの交わりがありました。ですから、当たり前のこととしてわたしたちの教会は宿泊受け入れを決めました。インマヌエル呉キリスト教会をセンターとして、日本基督教団呉平安教会、日本福音宣教団呉リバイバルセンター教会、ナザレン呉教会、アライアンス呉教会を宿泊場所として、7月17日(火)から8月10日(金)までボランティア活動が行われることになったのです。被災した教会員、教会員家族、教会員知人、教会の建つ地域の順でニードに応えていこうとするものでした。
通行止めが少しずつ解除され、16日(月)から礼拝に来ることができていない教会員や求道者を牧師として訪ねました。安浦地区に行き、洪水被害を受けた祖母宅で片付けを手伝っている姉妹を訪ねた時です。わたしも片付けを手伝い、一緒に小さな礼拝をささげました。この姉妹を牧師として助けたいという思いが強くなりました。牧会のスイッチが入ったと言ってもいいかもしれませんが、姉妹とその家族を助けるためにはキリスト教会呉ボランティアセンターの助けが必要です。ニードを伝えました。結果、わたしはボランティア宿泊受け入れだけでなく、現地に赴いての活動に加わることになり、気がつけば最初から最後までスタッフの一人としてご奉仕することになりました。
当初より、被災地の教会や牧師が倒れてはいけないと、ボランティア期間を4週間に限って活動を始めました。8月10日(金)で宿泊受け入れを伴うボランティアは終了しましたが、呉牧師会で話し合い、それまで関係をもって来た案件についてはできうる限り最後まで関わり続けることを決めました。8月半ばからは火曜日と金曜日にボランティアを募って活動を継続しましたが、9月28日(金)でその働きも終了致しました。
キリスト教会呉ボランティアセンターはこの期間、救世軍の関わりがある天応地区での重機隊も投入してのボランティア活動(救世軍、サマリタンズ・パース、日本基督教団からの支援を受け、社会福祉協議会と連携を取りながら、社協・行政が入らない場所などにも入り)、また各教会員やその関係者宅とそのつながりから安浦地区、川尻地区、広両谷地区、音戸地区での泥だし、洗浄、消毒作業、そして被災した日本福音宣教団安芸津キリスト教会の再建プロジェクトを遂行しました。その働きを終え、今までの働きを主の御手にゆだねたいと思います。播いた種を成長させ実りとすることができるのは主なる神だけだからです。
全国各地からキリスト者や求道者が来てくださいました。世界各地で伝道活動をしているチームの方、ハワイの教会、テキサス州、韓国からなど海外からも来てくださいました。その働きは、神さまがこの町を、この町に暮らす人々を愛しておられることのしるしでした。この町に、この町に住む人々に光が注がれていることの証しでした。呉の諸教会にとっても神がわたしたちを覚えていてくださることを示すものでした。教派を超えて、キリストの名によって結ばれる者たちが共に奉仕できたことは、神の恵みの出来事でした。改めてボランティアに来てくださった方々に心からの感謝をお伝えしたいです。そしてそのご労苦に主のねぎらいがありますようにと心よりお祈り申し上げます。
そのスタートから福音派の諸教会を中心とした働きではありましたが、日本基督教団であるわたしも呉山手教会の三矢亮牧師も加わりました。日本基督教団関係のボランティアや献金・献品、在日大韓基督教会からの献品があり、またカトリックの方もボランティアに来てくださいました。そのためこれまでにない超教派の災害支援の働きになりました。朝の送り出しの際にはこどもさんびかの「どんなときでも」を歌い、祈りをささげてそれぞれのボランティア先に出ていきました。夜のミーティングでも「どんなときでも」を歌い、5分間メッセージ、祈りがありました。また呉平安教会に宿泊された方々といっしょに祈ること度々でした。それぞれの働きに敬意と感謝を表し合いましたが、皆自分たちを用いて働かれ御業をなさる神をこそほめたたえて感謝する毎日でした。賛美と祈りに満ちたボランティア活動であったと思います。
呉市民クリスマスの寄付先である安浦地区にある小規模作業所を訪ねました。洪水被害で土砂が流れ込んでいました。見た目は大丈夫に思えた床板の下にも土砂があるだろうことを伝えざるを得ません。責任者の方がとても落ち込んだ顔をされました。こみ上げてくる思いの中で、「何の助けもできませんが、わたしは牧師です。神さまの御守りがあるように祈らせてもらってもいいですか。」と。「お願いします。」心を込めて祈りました。利用者の方々のため、施設の再建のため、労する責任者のため、光と希望が神から与えられるように、と。祈り終えお顔を見ると、目に涙を浮かべ、「ありがとうございました」と言われました。ここにも神の光は注がれている、神によって希望があるとほんの少しでも思ってもらえたならどんなに嬉しいことかと思いました。この期間、たくさんの方と祈らせてもらい、牧師にしかできないことは何かを考えさせられました。
9月22日(土)、ボランティア作業に入っていた当教会員家族のお宅で祝福式を行いました。10月から大工さんが入ることになり、工事の安全と新しく始まる生活に神の祝福があるようにと祈りを合わせました。詩編第46篇とコリントの信徒への手紙一第10章13節を読み、「いつくしみ深い」と「どんなときでも」を賛美しました。家主の方が、災害後最初にお会いした時の顔からは想像できないようなすてきな笑顔をしており、ここにも神の愛が注がれていることを思わされました。このような災害は無かったほうがよかったのですが、この出来事をも神の恵みの中で受け止めることができるようになるのだと感謝しました。
どんなときでも
(1) どんなときでも どんなときでも
苦しみに負けず くじけてはならない
イエスさまの イエスさまの愛を信じて
(2) どんなときでも どんなときでも
幸せをのぞみ くじけてはならない
イエスさまの イエスさまの愛があるから
豪雨災害発生から3ヶ月になろうとしています。この間、JRの運行停止区間の関係で、家から会社に通うことができない青年が牧師館で生活しながら通勤していましたが、それも終わります。妻が毎晩夕食を用意し、御言葉を読み祈りをささげ食事をする。これもまた主が与えられた特別な経験となりました。長くあっという間の期間でした。多くの方に祈られているのを感じて過ごしました。いろいろな方から災害支援の働き大変ですね等と声をいただきましたが、正直、牧師として、牧師夫婦として、ただ牧会・伝道の務めをし続けているうちにこの3ヶ月が過ぎたと感じています。呉のほとんどの場所が落ち着きをとりもどしていますが、被害が大きかった地区は大変な状況がまだまだ続いています。引き続き覚えてお祈りお支えいただければ幸いです。
キリスト教会広島災害対策室呉ボランティアセンターは、今後安芸津キリスト教会会堂再建の責任を果たし、心のケアの働きとして仮設住宅への訪問活動やコンサートなど視野に入れ活動していく予定です。皆さまが示してくださった主にある愛と交わりに改めて心からの感謝を申し上げます。皆さまの上に主の恵みと平安が豊かにありますようお祈り申し上げます。
主にありて
マイノリティユースフォーラム in 北海道を通して 〜和解とは〜
岡田 惟央
カリタス家庭支援センター相談員
「マイノリティ」と聞いて何を思い浮かべるだろうか? 私は普段、ソーシャルワークの仕事を通して障がいや病気を持つ人たちと関わる中で、社会の中で孤独を抱え、社会の流れや波にうまく乗れずに苦しみ、孤立している人たちを目の当たりにする。私自身もまた自分のこれまでの歩みや日々の生活の中で、自分が少数派で孤立しているのではないかと感じることがある。でも、社会の中で何を指してマイノリティ(少数派)で、何がマジョリティ(多数派)なのか。そしてマイノリティへの差別や排除はどこで生まれるのか。自分の中ではっきりしないものを抱きながら、少しでもその意味を考えたいと思い、私は、9月4日から7日までマイノリティ宣教センター主催の「第2回マイノリティユースフォーラム in 北海道」に参加した。
今回のフォーラムのテーマは、「和解の時を求めて」。講演や現地訪問を通して、アイヌ民族の歴史を学び、現代社会に存在するマイノリティに対する差別や排除を見つめ、参加者と共に考え和解を探る。参加者は、遠くは長崎から、海外はカナダや台湾、韓国から30名が集まり、この機会を通して、参加者それぞれのマイノリティ性や背景、教派を超えたエキュメニカルなつながりをつくることも目的としている。
アイヌ民族への差別、二風谷(にぶたに)を訪れて
初日の講演では、日本がアイヌ民族の住む北海道だけでなく、沖縄、朝鮮を侵略、植民地支配した歴史、貧困にあえぐアイヌ民族の保護を名目にできた旧土人保護法(実際は人々を農民に仕向けるためもの)がたった20年程前まで存在していたこと、2008年にアイヌ民族を先住民族であると政府は認めたものの、未だ遺骨返還など権利回復には程遠い状況にあることを知った。
翌日は、アイヌ民族の血を引く人が人口の7割と道内で一番多い二風谷を訪問。アイヌ民族の反対を押し切って二風谷ダムが建設され、それによって遺跡が複数なくなり、アイヌの主食である鮭の伝統行事やアイデンティティが奪われた。そして現在もあるアイヌ民族への差別によって、大和民族とアイヌ民族の結婚が反対されたり、アイヌであることを隠して都市部で暮らす若者も多いそうだ。また日本の学校教育では、アイヌのことがほとんど教えられていないことも知った。振り返れば、私自身もアイヌ民族について学校教育の中で勉強した記憶がほとんどない。アイヌ民族の歩みを聞いて、想像を超える苦難がそこにはあると思った。そして、萱野志朗さん(萱野茂二風谷アイヌ資料館館長)の「アイヌは先住民族、そしてマイノリティである」という言葉を耳にした時、そこに込められている意味を考えながら、現在も続く差別、アイヌ民族を取り巻く日本社会や私たち人間のこころに潜む闇を感じた。
和解への取り組み
カナダの参加者による発表では、1986年にカナダ合同教会(プロテスタント)が先住民族に行ってきた迫害に対して謝罪した文書が紹介された。その内容は、キリスト教の福音を伝えるばかりで、先住民族の文化、価値観などに耳を傾けなかったことへの謝罪だった。
「カイロス・ブランケット・エクササイズ」と呼ばれる、和解に向けた取り組みも紹介された。これは、先住民族を迫害してきた反省から生まれたもので、床にブランケットを敷いてカナダの先住民の歴史や入植者がどのように侵入してきたのかを知り、学ぶことでそこから和解を探り、重荷からの解放を目指している。私は、和解への実践的な取り組みをしていること、また、過去の事実に向き合う姿勢にとても考えさせられた。そしてこれを参考に、社会に存在するあらゆる差別等の問題にあてはめ、エクササイズを行ってみるのも互いを理解し合う方法の一つかもしれない。 発表の中で印象に残った言葉をここで紹介したいと思う。「和解とは、尊敬的な関係を築き、維持することである。近道などはない。」(マレー・シンクレア、カナダ真実と和解委員会委員長)
ひとりの人間として
この4日間の朝・夕の祈りの時間の中で、一人ひとりのルーツや経験、価値観、社会にある問題、様々な葛藤など、聞いた話はすべて考えさせられることばかりだった。社会の中で生活している私たちは、国や社会といった大きな枠組みから身近な職場や学校をはじめ様々な集団、組織に属している。集団に属すことは、生きていく上で必要な部分だと思うが、その中で自らを見失ったり、カテゴリーによって互いの違いを受け入れることができず、分断がうまれることがある。でも、互いにひとりの人間であり、私たちは自らの人生の主人公であるという当たり前の前提に立ち返ることも大切だとこのフォーラムの中で気づかされた。
あらためて思うマイノリティ、和解について
このフォーラム期間中、突如襲った北海道胆振(いぶり)東部地震。私たちも食料不足に陥り、海外からの参加者の中には地震そのものを経験したことがない人もいた。夜が明け、今後の食料の調達や情報収集のためプログラムは一旦中断。その間、互いに不安を口にしながらも、不思議と交流や互いの分かち合いが増えた気がした。そんな中、宣教師の方が私に「こういったことが起きることは、ある意味では離れていた仲間と仲直りするチャンスでもある」と。私はその言葉を聞いて、今回のフォーラムのテーマ「和解の時を求めて」を思い出した。
共に「地震」という共通の体験をしたこともまた、私にとって大きな意味をもたらした。そして再びマイノリティ、差別や排除を考えた時、気がついていないだけで、誰もがマイノリティ性を持っているのかもしれない。そこに気づき向き合い、自分と他者との「違い」をどこまで「違い」として受け止め、共に歩むことができるのかが、私たちに問われている。そしてその先に、和解の一歩があるのだろう。
今回出会った韓国の友人からは、このフォーラム、地震を通して共に関わった中で、日本に対する見方が以前より良い方に変わったという言葉をもらった。和解は、身近な出会いの中で、地道に築いていくこともまた大切だ。最後に、この場が与えられ、互いの背景、教派を超え、共に集えたことを心から感謝したい。そしてこのつながりを今後の歩みにつなげていきたいと思う。
カトリック教会は全世界で死刑が廃止されるために意を決して努力をします
柳川 朋毅
イエズス会社会司牧センタースタッフ
日本カトリック正義と平和協議会「死刑廃止を求める部会」
2018年の夏、死刑に関して、二つの「ビッグニュース」が入ってきました。一つは悪いニュース、もう一つは良いニュースです。
13名の大量執行=虐殺(ジェノサイド)
悪いニュースとは、オウム真理教による一連の事件で死刑判決を受けていた13名全員が、7月に次々と処刑されたことです。もちろん、被害に遭われた方々やその家族の未だ十分に癒えていない心身の傷を目の当たりにするとき、私は胸がつぶれる思いがし、彼らの犯した罪の重さに戦慄します。けれども、それほどまでに重大な事件の加害者を安易に抹殺することでは、被害者は真の「癒しと救い」を得られず、社会には本当の「正義と平和」も実現されないと思うのです。
☜ 7/6の一斉執行の情報は、テレビ各局でまるでショーのように「実況中継」された
7月の二度にわたる一斉執行は、相次ぐ大規模自然災害、特に西日本の各地に甚大な被害と200名以上の死者を出した豪雨災害のまっただ中に行われました。さらに二度目の大量執行日は、相模原の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた戦後最大の大量殺傷事件からちょうど2年に当たる命日でした。19名の尊いいのちが無残にも奪われたことを悼み、二度とこのような惨禍を繰り返すことのないようにとの決意を改めて確認する日に、わざわざ大量の人命を処刑するという無神経さに、驚きと怒りを禁じ得ません。
今回、オウム13名の処刑を命じた上川陽子法相に対して、その「勇気」と「英断」を称える言説もあふれました。一回目の執行前夜に酒宴に興じていたことへの批判も、どこ吹く風なのでしょう。人を殺したことがここまで賞賛される日本社会に、おぞましさを覚えます。相模原事件の加害青年が、彼の言うところの「不幸を作ることしかできない」いのちを抹殺することを「褒めて」もらいたくて、自民党に手紙を書いたことが思い出されます。「生産性」をめぐるとんでもない持論を披瀝し、物議をかもした某国会議員と、彼女を擁護した政党幹部の面々も頭をよぎります。人命と人権、とりわけ平和的生存権を保障し擁護すべき政府が、むしろ率先して多くの国民のいのちを奪っているという矛盾に私たちは向き合わなければなりません。
『カトリック教会のカテキズム』改訂
その一方、良いニュースとは、『カトリック教会のカテキズム』の死刑に関する項目(第2267項)が改訂されたことです。近年、特に聖ヨハネ・パウロ2世教皇以降の歴代教皇は死刑に反対するカトリック教会の姿勢を繰り返し表明してきました。バチカンのこうした姿勢を受け、日本の司教団もかねてより死刑廃止を目指す立場を明確にしてきました。2001年に発表され、昨年増補新版が出版された『いのちへのまなざし』でも、死刑については一つの項目を設けて司教団の考えを丁寧に説明しています。
世界的にも国内でも、死刑廃止の機運が高まっています。日本弁護士連合会は2016年に、「2020年までに死刑制度の廃止を目指すべき」とする宣言を採択しました。また、2017年、アントニオ・グテーレス国連事務総長は10月10日の「世界死刑廃止デー」にあたり、「私はこの野蛮な慣行を続けているすべての国に訴えたいと思います。死刑の執行を停止してください。死刑は21世紀に相応しくありません」と呼びかけました。
新たなカテキズムにも引用されている「死刑は許容できません。それは人格の不可侵性と尊厳への攻撃だからです」という教皇フランシスコの発言は、その翌日(10月11日)になされたものです。その際、「死刑はそれ自体、福音に反しています」という表現まで用いて、改めて死刑に強く反対する姿勢と『カテキズム』を改訂する必要性を訴えました。
『カテキズム』改訂は「教義」の変更ではありません。けれども時代の変化にあわせて、「時のしるし」を見極めて、教会の教えの解釈は変化していくものです。もちろん、日本人の中に、そして日本のカトリック信者の中にも、死刑制度を支持している人が少なからずいるということも承知しています。ただ、人を殺すことでしか問題を解決できないのだとしたら、「正義」を実現できないのだとしたら、それは人類にとっての敗北宣言に等しい行為です。キリスト者として、「いのちの尊さ」を本気で信じているのであれば、どうしたらそれを傷つけない形で、平和で安全な社会を築いていけるかを真剣に話し合わなければならないでしょう。
「教会は全世界で死刑が廃止されるために意を決して努力をします」といみじくも改訂『カテキズム』が宣言しているように、未だ死刑制度を維持している日本において、私たち日本のカトリック教会は他の国にもまして、死刑廃止に真剣に取り組む責任があります。
社会使徒職のイエズス会的アイデンティティを育成する
梶山 義夫 SJ
イエズス会社会司牧センター所長
今年8月13日から17日にかけて、チェンマイのイエズス会黙想の家Seven Fountainsで、アジア・太平洋地域の社会使徒職が主催する研修会が開かれ、32名が参加した。日本からは中井神父と筆者が参加した。主要な内容は以下のとおりである。
「私たちの社会センターとNGOの違いは何か。私たちのセンターに関してイエズス会とは何か。」このことを私たちはしばしば自らに問うが、この問いかけを本当に真剣に受け止めているだろうか。多くの社会センターは個々のイエズス会員によって始まり、会員の存在は彼らの組織のアイデンティティの目印とみなされてきた。しかしこれで十分だろうか。
アジア・太平洋地域社会使徒職分野の今年の研修主題は、「社会使徒職のイエズス会的アイデンティティを育成する」である。この研修会ではこの問いかけに答え、イエズス会の社会センターでしばしば見受けられる組織の弱点に取り組んだ。
研修会は、4つの部分で構成されていた。研修会の最初の部分では、アジア・太平洋地域上級長上協議会議長Tony Moreno神父が、36総会のメッセージと現在作成中のイエズス会全体の使徒職優先課題に基づく和解のメッセージの観点から、アジア・太平洋地域のイエズス会が取るべき新しい方向性について語った。
次いで、Xavier Jeyaraj神父(ローマの社会正義とエコロジー事務局秘書)は、本会が長年にわたってたずさわってきた社会正義をめぐる関心と今後の新たな課題について述べた。私たちは、今日、特に民主主義の危機、エコロジー面での深刻な悪化、移住の増大から、深刻なチャレンジに直面している。
アジア・太平洋地域の社会使徒職担当者であるBenny Juliawan神父は、社会経済的格差の拡大、工業化と工業化がもたらすさまざまな課題、終身雇用の終焉と新しい搾取形態、政治的ポピュリズムの4つの状況に関して問題提起した。
第2部では、私たちのアイデンティティとは何かを追求した。Julie Edwardsさん(Jesuit Social Services AustraliaのCEO)は木のイメージを用いて、私たちの使徒職を説明した。木の根にあたる部分は、私たちの信仰、そしてイグナチオの遺産とイエズス会の伝統、つまり聖書、特に福音書に示されるイエスの生きざま、そして『霊操』と会憲、最近の総会文書である。そこにしっかりと根付いていることが、イエズス会の使徒職に不可欠であり、それは会員のみでなく、使徒職にかかわるすべての人、特に指導的立場にある人はこの部分をしっかりと身につけることを求められる。幹の部分は、組織の諸活動における基本理念、活動の枠組み、運営方法を表す。葉は、組織で奉仕する人々、活動の成果であるが、同時に組織に活力をもたらす希望と喜びの源でもある。
Garry Roachさん(JSS AustraliaのPractice Development総責任者)は、これらの原則をどのように実践できるかを説明した。彼は、組織で奉仕する人々に一致をもたらす物語やストーリーを形成すること、その人々にわかりやすい形でそのストーリーを語ること、さまざまな形で、しかも言葉と行いで、語られている内容を実現させていくこと、語られている内容を実現する過程を評価すること、組織で奉仕する人々を雇用の最初から最後までサポートすることに注意を払うよう、参加者に勧めた。
第3部では、イエズス会の社会センターがしばしば抱える2つの状況、すなわち緊張関係が生じやすい環境で仕事をしなければならないこと、また社会的な研究と活動をいかに組み合わせるかについて取り上げた。本質的に、イエズス会の社会使徒職は、政治的に微妙な状況で働いたり、旧来の伝統に挑戦したりしながら、問題を解決しようと努める。
Fernando Azpiroz神父(マカオのCasa Ricci Social Services所長)は、中国での経験に基づいて、政治的に制約された状況の中での対話の枠組みを概説した。イグナチオの霊性とイエズス会の伝統は、この点で多くの洞察を提供している。
またPedro Walpole神父(イエズス会アジア・太平洋地域における創造との和解分野のコーディネーター)は、ミンダナオにおけるさまざまな研究と実践、特に地域共同体と共に社会変革を行うための研究方法を説明し、学術研究と地域の人々のニーズとのギャップを橋渡しする戦略を提案した。
第4部では、以上の提起された内容を参考にしながら、地域別に使徒職の在り方を振り返り、全体で分かち合った。あまりにもしばしば、イエズス会の社会センターはその設立者のカリスマや創立当初の活動に縛られている。
Christina Khengさん(East Asian Pastoral Instituteで教会運営などを教えている)は、「計画立案しても、通常ごく少数の人々しかかかわっていない。プログラムを実施するスタッフを忘れている」と言う。使徒職の計画作成のもう一つの重要な課題は、組織の基本的な使命をいかにして行動や活動に接続、再接続するかということである。「私たちの仕事は、基本的に教会のミッションであることを忘れないでください。それは単なる仕事でもビジネスでもない」と彼女は語った。
5日間の研修であったが、事前学習として多数の資料を読み、また当日も講話、個人的振り返り、グループの分かち合いなど、多様な方法を用いて研修が進められた。この方法は、社会使徒職を実践するに際して有益であろう。
Kristiono神父は第三修練を終えたばかりであるが、ジャカルタ大司教区のコミュニティ開発事務局長に任命された。彼は、「イグナチオの精神は、社会への私たちの奉仕職に強固な基盤を与えると確信している」と語った。マカオ政府のソーシャルワーク部門の責任者だったCasa RicciのPeter Auさんは、「これは、特に私たちの日々の仕事に意義を与えるミッションを常に意識する点に関して、政府の働き方とはまったく異なる」と語った。また中井神父は、「イエズス会の中で、同じ使徒職にたずさわる人々が年に一度集い、共に学び、共に祈り、共に楽しいひと時を過ごすこと自体、重要である」と話した。
Benny Juliawan神父(インドネシア管区)は、この研修会をもって、イエズス会アジア・太平洋地域社会使徒職コーディネーターの仕事を終える。彼は次のように述べた。「この研修会が、ほとんどが小規模で、会員以外の協働者に頼っている私たちの事業体に欠けている大切なことを穴埋めすることに役立てばいいと思います。」