コロナ禍での渋谷の野宿者

下川 雅嗣 SJ
渋谷・野宿者の生存と生活をかちとる自由連合(のじれん)

COVID-19は未だに猛威を振るっていて、私たちの生活に大きな影響を与えている。海外では、COVID-19によって、より貧しい人が被害を受けているとよく言われている。また、ペストなどこれまでの疫病は、社会における格差を縮小してきたが、今回のCOVID-19は格差をより拡大していると言われている(単に疫病の性質ではなく、多くの国々の対策・政策が貧困者を見捨てるものになってきているようにも思える)。本稿では、渋谷の野宿者たちのコロナ禍での状況、及びそれに対する支援団体(主に「のじれん」と「ねる会議」)の活動を紹介することによって、社会的排除の問題が、この期間如何に拡大し、露わになってきているかを記したい。

COVID-19の流行が本格化しはじめた2月最終週以降、渋谷周辺のみならず、東京のほとんどの炊き出し団体が活動を中止した。もともとは、渋谷、新宿、四ツ谷周辺で、私たちが把握しているだけで、教会・宗教団体、民間支援団体によって、毎週のべ約30か所(毎日必ずどこかで)で炊き出し・配食が行われていた。その中心的なもののほとんどが2月末以降、感染リスクを恐れて配食を中止してしまったのだ。結果として、この日本において「飢え」というものに直面せざるを得ない野宿者が出現した。

一般のイメージとは違い、渋谷周辺のかなり多くの野宿者は働いている。一番多いのは、繁華街でアルミ缶を集め、業者に売るという労働である。また、建設業などでの日雇いや臨時で働いている人もいる。彼らは、炊き出しに依存はしておらず、自分の稼いだ金で食べている。しかしながら、コロナ禍でアルミの買い取り価格は、1kg約110円から一挙に約40円まで落ちこんだ。中国のアルミ輸入が極端に減少したからと言われている。それだけではなく、繁華街でごみ箱に捨てられるアルミ缶自体が激減した。極めつけは、東京都の特別就労対策事業、通称『ダンボール手帳』の仕事出しの停止だった。これは東京都が発注する都立公園の清掃や都有地の草刈りなどの仕事で、現在、主に台東区(山谷)や渋谷・新宿の野宿者が約3000人登録しており、輪番制で仕事が回ってくる。平均して月に4日程度(一日約8000円)、つまり週に一回くらい回ってきていた。ところが、4月の新年度事業がコロナのために停止となった。このダンボール手帳を唯一の現金収入としていた渋谷の野宿者も多く(私の感覚的には渋谷周辺の野宿者の3割程度)、しかも前述したように炊き出しが次々になくなり、まさに「飢え」が現実的なものになったのである。私たちは、東京都に対して休業補償を要求したが、補償措置は拒否された。国は、雇用調整助成金制度やコロナウイルス感染症対応休業支援金・給付金で多くの労働者に休業補償を実施したが、野宿者たちは、都からも国からも見捨てられたのである。

のじれんの炊き出し

「のじれん」では、20年以上、毎週土曜日だけ共同炊事(炊き出し)をやっていた。しかし、4月8日の政府の緊急事態宣言後、共同炊事の場で、数日間何も食べられない人がいるなどの話が多く、急遽、4月21日から、毎週火曜と木曜の平日緊急炊き出しを始めることにした。つまり「のじれん」として、火曜、木曜、土曜の週3回炊き出しをやったのである。4月21日は115人、その後、回を重ねるごとに集まる数は増え、ゴールデンウイーク明けには159人、172人、185人と増えていった。緊急事態宣言解除の5月25日以降も180人前後が続いた。もちろん、感染リスクをさけるため、様々な工夫(例えば、公園でパック飯を受け取ったらその場で食べずに持ち帰ってもらって各自で食べる、配食時間に密集しないように時間帯を長くする、作る人たちは密にならないようにしたうえでマスクと消毒を念入りにする、電車に乗らないと来られない支援者は来ない、新しいボランティアは受け入れない、など)を試行錯誤でやった。

様相が変わってきたのは、6月8日、前述した東京都の特別就労対策事業(ダンボール手帳)の仕事が再開されたあたりからである。これによって、かなりの野宿者が炊き出しに頼らなくても自分の稼ぎで食事をとることができるようになった。さらに、その頃から徐々に他の教会等の炊き出しが再開された。これらの変化を受け、また平日炊き出しを中心に担ってくれた支援や野宿者の方々の疲弊も著しかったので、「のじれん」は6月11日(木)をもって平日緊急炊き出しを終了した。平日16回で2851食を作ったとのことである。

もう一つ記したいのは、特別定額給付金(10万円給付)の問題である。ご存知のように、首相が「すべての国民に10万円支給する」と明言し、総務大臣も「日本国内に住むすべての住民に」と発言した。このニュースや噂は、渋谷の野宿者たちの中にも伝わり、彼らの中には、ホームレスでも給付金をもらえるかもしれない、と期待をもった人もいた。私たちも、首相や大臣が明言しているからには、何とかなるかもしれないと思い、野宿者たちに知らせた。しかし、実際に一緒に給付金申請行動を行ったところ、一緒に行ったある人は住民票が残っていて給付されるが、ある人は住民票がどこにもなくだめだと言われ、明暗わかれることが続出した。もともと、野宿者は「社会から切り捨てられた」と感じている人も多いのだが、すべての人に給付すると謳われている給付金が受け取れないということは、そのことを野宿者に再確認させ、「自分は人ではないんだ」と呟く人までいた。このようなバラマキ給付金がなければそこまでショックを受けることもなかったのにと思う。これは、総務省が、住民基本台帳(すなわち住民票)をもとに給付すると決めたからである。多くの野宿者は住民票がないし、場合によっては住民票が取れない、取りたくない人も多い。

総務省前での署名運動「コロナ禍での渋谷の野宿者にも給付金を」

 私たちは、「住民票のない野宿者にも給付金を」という署名運動を行い、国会議員へのロビーイング、総務省との直接交渉などを6月から8月にかけて行った。その過程での私の驚きは、総務省の役人も国会議員も、なぜ野宿者に住民票がないのか、野宿者が住民登録するのが至難の業で、したくてもできない場合が多くあることを理解していないということだった。もしかしたら、本稿の読者にもその辺のところが曖昧な方がおられるかもしれないので、少しご説明したい。

年配の野宿者には建設労働者として飯場を転々としてきた人も多く、その過程で、住民票が消除され、住民票とは無縁の生活をしていた人も多い。また、例えばDVを受けたりなどで家を離れた人は、家族・親類に知られたくないから住民票を取ろうとしない。借金取りが怖くて住民登録ができない人もいる。公園等を寝場所にしている人たちは、実際に寝ている公園で住民登録したくても、役所は認めてくれない。ネットカフェで寝泊まりしている人も、今回の総務省の通知にはネットカフェで住民登録してよいと書いてあるにも関わらず、現実的には東京のネットカフェで住民登録のできるところは一か所もなかった。そして驚くべきは、生活保護を申請したとしても、その多くは住民登録ができていないのである。つまり、生活保護を申請した場合、本来の法律の規定とは異なり、無料低額宿泊施設(所謂「貧困ビジネス」の施設)での生活を強いられることが多い。総務省の通知では、ここに住民登録してよいと書いてあるが、例えば渋谷区で生活保護を取る際、渋谷区が利用する無料低額宿泊施設で、住民票を設定できる施設はたった一つしかなかった。ネットカフェも無料低額宿泊施設も民間業者なので、その事業者がOKしない限り住民票は設定できないからである。もちろん、野宿者の中には、これまで役所で差別され蔑まれる経験をし、また役所によって公園や路上などの元の寝場所から追い出された人たちも多く、役所に行くこと自体がトラウマになっている人も多数いるのは言うまでもない。

私たちは、総務省に対して、住民票によらず、かつ二重給付を防げる「戸籍附票を使用した代替のスキーム」をきちんと提示して交渉を持った。しかし、総務省は住民票をもとにした給付方法を変えようとはしなかった。その交渉の場に私もいたが、最後、「すべての住民に給付するのは嘘なのか」「野宿者を切り捨てるつもりなのか」という私の質問に対しては、「どこかで線を引くことは必要だと考えている」との答えだった。つまり、コロナ禍で、仕事や炊き出しがなくなり、生死の危険にさえ直面した住民票のない野宿者たちは「切り捨てられた」わけである。残念ながら、私たちの炊き出しに来ていた野宿者のうち約8割は、10万円を受け取ることができなかったように思う。

これらの出来事は、もともと日本社会にあった格差、差別、排除が顕在化したに過ぎない。コロナ後かウィズコロナかわからないが、元の状態に戻るのでも、今の状態を続けるのでもなく、野宿者、排除された人々が、一人の尊厳のある人間としてより大切にされる社会につくり直していくように、私たちは呼びかけられているのではないか。

私の猫チビとアマゾン

ポール マッカーティン SSC
聖コロンバン会司祭、エコロジー・正義・平和担当

2019年8月、隣の空き家の裏に、小さな2匹の子猫を連れた母猫を見かけました。数週間後、母猫と1匹の子猫が私の家の庭に引っ越してきました(フェンスはありません)。夏の終わり、子猫はかなり衰弱して、3日間入院しました。獣医によれば、先天性の疾患があり、完全に治ることはないだろうとのことでした。子猫は回復しましたが、家に帰ると、母猫がその子を拒絶したことが分かりました。その頃、最初の子猫よりも大きい別の子猫が現れましたが、明らかに同じ母猫の子どもでした。私は大きい方をアニ、小さい方をチビと名付けました。アニとチビはとても仲良しで、よりエネルギッシュなチビは、アニに「戦い」を挑み続けています。

去年の秋のある晩、午後9時頃、私はいつもどおり散歩に出かけました。アニとチビが私についてきました! 子猫たちを連れて混雑した道を歩きたくなかったので、その日は1キロしか歩きませんでした。次の日の晩も、子猫たちが私を追いかけてきたので、交通量の少ない裏通りを歩くことにしました。私たちは6月まで、ほぼ毎晩歩きました。時折、私は子猫たちを約3キロの長いコースに連れて行きました。危険な橋を避けるため、一度昼間に、岩から岩へと飛び移りながら狩川を渡りました。チビはまったく物怖じすることはありませんでしたが、アニは帰りの交差点まで、私が抱きかかえなければなりませんでした。チビはアニよりも好奇心が強く、冒険好きで勇敢でした。

1歳になってもなお、チビはアニよりも明らかに小さく、小さな足で歩く様子は微笑ましかったです。おそらく先天性の疾患により、チビは声が出せず、何かが欲しい時だけかすかに鳴きました。

道行く人が立ち止まって2匹(たまに母猫も)を眺めますが、一番注目されるのはチビでした。私の庭のチビを見て、1台の車が止まりました。運転手の女性は「すごくかわいい!」と言っていました。チビがくれた最大の贈り物は、私を笑わせることだったのかもしれません。

悲しむ人々は幸いである。私は未だに、何が起きたのかを調べようとしています。人々は私に、猫の誘拐だと説明します。しかし…チビはただの猫で、私はチビとアニを飼うことを心配していました。2匹はたくさんのトカゲや鳥を殺したからです。生物多様性。私はアマゾンの破壊を思い浮かべます。ブラジルのボルソナロ大統領は、アマゾンを破壊するためのあらゆることを行っています。彼はそこに住む人々のことはもちろん、動物のことも気にかけません。植物のこともそうです。先住民族が殺害されています。動物や植物が生きたまま焼かれています。司祭やシスターたちは、アマゾンを保護しようとしているために、暗殺されています。今年7月のある朝、チビは朝食に姿を見せませんでした。普段なら、朝4時半頃に私を起こしに来るのです。午後3時半に電話があり、私の猫が上大井で交通事故に遭い、死んだと告げられました。上大井! 二つも隣の町です。チビはそんな遠くまで歩くことはできませんでした。どうやってそこにたどり着いたのでしょうか? チビはとてもかわいいので、誘拐される危険が高いと警告されたこともありますが、私は真剣に取り合いませんでした。警察からは、「誘拐」されるのは人だけで、何もできないと言われました。

昨年のアマゾンの火災の報告を耳にした後、私はひどく腹が立ち、大統領の指名手配ポスターを作って、ブラジル大使館の外で抗議をしました。

私は今、日本の企業や金融機関がアマゾンの破壊に関与しているかを調べようとしています。

これはすべて、牛肉と大豆を生産するためです。世界のいわゆる「先進国」の私たちのために。アメリカンドリームに洗脳され、その一部になりたいと思っている何百万人もの中国人のために。約20年前、一人の司祭がブラジルから日本に来て、JICAに対して環境破壊をやめるように求めました。カトリック新聞がインタビューしました。私がJICAに手紙を出したところ、お決まりの返事が返ってきました。「JICAはいつも人々と環境をプログラムの中心に据えています。」

地球上のすべての人がこの「夢」を生きるためには、4つの地球が必要です。不可能です。あり得ません。ですから、誰もがほぼ等しい生活水準で生活するためには、「先進国」の私たちの生活水準を下げる必要があります。私たちの水準を引き下げなければならないのです。それが環境を保護し、貧しい人々の暮らしを改善するものでない限り、私たちはすべての研究開発をやめるべきです。5G、6Gなどは必要ありません。環境破壊を可能にしているのは、これまでに行ってきた研究開発です。まだ十分に使えるアナログテレビを処分場に持って行ったとき、そこに捨ててあるテレビの数に愕然としたことを覚えています。全国には何百もの処分場があるでしょう。すべてのテレビはどこに行きついたのでしょうか?

少し前に、あるアジアの国で開かれたビジネスイベントに参加した6人の日本人ビジネスマンの話を偶然聞きました。その後彼らは飲みに行き、全員が同じカトリック大学に通っていたことが分かりました。彼らはアジアでアメリカンドリームを売っています。彼らが教会の社会教説や環境への配慮の必要性について何かを学んだのかどうか、私には疑問です。自分たちの学生が世界をより良いものにする気がないなら、何のために教育機関があるのでしょうか?

アマゾンや他のすべての環境問題に対して、教会は何ができるでしょうか? 国会議事堂の前で、司教たちがデモをするのはどうでしょうか? 数時間でもいいので。あるいは、司祭や修道者たちと一緒にハンガーストライキをするのはどうでしょうか? メディアの報道も必要ですね。他の宗教指導者と一緒にするのはどうでしょうか? もしもCOVID-19によって実現が難しいという場合は、いっそバーチャルデモなんてどうでしょう? 創造的になりましょう! 9月25日、国会議事堂の周囲で若者によって企画された気候抗議行動は、いくつかのメディアが取り上げてくれました。私の参加した、横須賀火力発電所前での抗議行動は、メディアでは報じられなかったようです。

ある日曜日に、すべての小教区でのミサを中止して、その代わりに地球のために何かをさせることができるかもしれません。私たちは自らの信仰を世界と繋ぎ直す必要があります。イエスには使命がありました。それは、神の国を告げることです。神の愛とゆるし、平和、正義、いつくしみ。イエスの行ったすべてのことは、この目的のためでした。イエスを信じるということは、彼の使命を信じ、それを継続することです。

けれども私たちは、途中のどこかで、イエスの使命を忘れてしまいました。多くのカトリック信者にとって、今や信仰とは、いくつかの教義を信じ、ある祈りを唱え、日曜日にミサに行き、掟を守ることになっています。多くの人は、イエスが一体何をしようとしていたのかすら知りません。

だから私たちには、何か異常さがあるのです。カトリックの人々が、不正と環境破壊に関与しているのです。私の読んだいくつかの報告は、環境保護や移民のための正義は、エイミー・コニー・バレットにとっては優先事項ではないと示しています。彼女はハイチから二人の子どもを養子にし、「善良な」人のように見られていますが、他の何百万人のカトリック信者と同様に、彼女の世界観に完全には統合されていない信仰を有している一人です。あまりにも多くのカトリック信者が中絶には反対していますが、死刑には賛成で、彼らの政府が戦争を行っていることを支持しています。

教皇フランシスコが2013年に『福音の喜び』を発表したとき、私は笑ってしまいました。教皇は、イエスの福音が喜ばしいものであるということを私たちに思い出させる必要があると信じていたのです! 私たちのあまりに多くの人が、畑に埋もれている宝を見つける喜びを忘れていました。その宝はとても重要なので、私たちはひょっとするとそれを手にするために、他のすべてを喜んで手放すでしょう。

数週間前、私は「システム・チェンジのためのグローバル対話(Global Dialogue for Systemic Change)」が企画したアマゾンについてのウェビナーに参加しました。誰かがカトリック教会の「被造物の季節(Season of Creation)」について言及しました。他の国のカトリック信者は、被造物の季節を発展させました。9月1日から10月4日(アシジの聖フランシスコの祝日)までの期間の特別な典礼、祈り、そして行動です。これを翻訳して日本に適応させ、すべての小教区で祝いましょう。

霊性と正義と平和
―慈悲:愛(アガペ)の溢れとしての正義と平和―

小暮 康久 SJ
イエズス会霊性センター「せせらぎ」司祭

霊性と正義と平和との間にはいったいどんな関係があるというのでしょうか。今、私が感じていることを分かち合わせていただきたいと思います。

テーマとして霊性、正義、平和という三つの言葉を受け取ったとき、私の心にはじめに浮かんできたのは、下記に紹介するティク・ナット・ハンの一つの詩でした。

「あなたへの提案」

ティク・ナット・ハン 島田啓介訳

私と約束してほしい
今日 いまここで
太陽が天頂にあり
あなたの頭上にさしかかるいま
約束してほしい

あの者たちが
渾身の憎しみと暴力で
あなたを打ち倒し
踏みつけ
虫けらのように踏みつぶしても
あなたの手足を引きちぎり
腹を引き裂いても
忘れるな 友よ
憶えておくのだ
本当の敵は人間ではない

慈悲の行いのみが あなたにふさわしい
揺るがず 限りなく 無条件の慈悲こそが
憎しみの眼には 人に巣食う獣の心が見抜けない

きっといつか あなたは見据える
ひとりきりで 自分の中の獣を
決然とした勇気と
慈しみと迷いのない眼で
(だれも知らないそのときに)
あなたの微笑みから
一輪の花がほころぶ
そのとき
あなたを愛するすべてのものが
生死を超えた三千世界から
あなたを見守るだろう

ひとりになった私は
ふたたび 頭を垂れつつ歩を進める
滅びぬ愛を胸にたたえて
果てのないでこぼこ道をゆく
太陽と月が
行く手をきっと照らしてくれるだろう

ティク・ナット・ハン(1926–)は、仏教の瞑想法から始まった「マインドフルネス」を欧米に紹介したベトナムの僧侶として有名ですが、ベトナム戦争時に渡米し、キング牧師やトーマス・マートンと共にアメリカに広がりつつあった平和運動に大きな影響を与えた「行動する仏教」運動の創始者でもあります。ベトナム戦争の最中、祖国で人々が苦しむ様子を目にして、人里離れた僧院で修行を続けるべきなのかと自問したティク・ナット・ハンは、僧侶たちを連れ「山から降り」て、人々の救済のために尽くすことを決意します。民衆の救済活動と仏教修行とを同時に行う「行動する仏教(Engaged Buddhism)」の始まりです。

この詩については、ティク・ナット・ハン自身が下記のように記しています。

「この詩を書いたのは1965年のこと、社会奉仕青年団(SYSS)の若者たちのためだった。戦争当時、日々いのちをかけて活動する彼らに、私は、憎しみを持たずに死を覚悟することを伝えようとした。すでに暴力によって殺された仲間もいたが、私は憎しみに負けぬよう忠告した。本当の敵は、自分自身の怒り、憎しみ、貪欲さ、狂信、他者への差別意識である。暴力によって殺されるなら、自分を殺す相手を赦すために慈悲の瞑想をすべきだ。慈悲を自覚しながら死ぬなら、人は目覚めた存在(ブッダ)の真の後継者となる。…心に慈悲をたたえて死ぬ者は、私たちの道を照らす松明となる。」

ティク・ナット・ハンの原点は、まぎれもなく、第二次世界大戦、インドシナ戦争、ベトナム戦争へと至った20世紀のベトナムが辿った過酷な戦争体験にあります。そこには、私たちが体験したことのないような怒りや憎しみ、恐怖が渦巻く状況があったはずです。この過酷な状況の中で、自らの内側からも湧き上がる怒りや憎しみを見つめ続けていたのは、ティク・ナット・ハン自身でしょう。「自分を殺す相手を赦すために慈悲の瞑想をすべき」という彼の言葉は、まさに自らも苦しみのうちに生き続けた言葉でもあります。次々に殺されていく師や仲間、若者たち、湧き上がる怒りや深い絶望。彼はひたすら歩く瞑想や座る瞑想を続け、じっと怒りの炎を抱きしめていました。

ある時、アメリカの北爆によってある村が全滅した時のこと、米軍の指揮官が「私は、その村を破壊しなければならなかったのだ。その村を共産主義から守るために」と新聞で語っているのを目にしたティク・ナット・ハンは激しい怒りを感じます。しかし、彼はブッダの弟子としての自分自身に立ち帰り、その激しい怒りを否定するのではなく、抱きしめ続けたのです。そしてついにその指揮官(加害者)たちへの慈悲を感じるようになるのです。「彼らは、“村を守る”といいながら、村の人を殺してしまった。しかしそれは彼らが『間違った認識の犠牲者』だからです。傷つけられた人たちと人を殺(あや)めることを命じられた兵士、共に怒りや憎しみ、欲望が生んだ戦争の犠牲者です。」こうしてティク・ナット・ハンは自分と他者の区別を越える慈悲の境地に至ります。すべてのものは繋がり合って、 支え合って存在している。インタービーイング(Interbeing:相互存在)という自分と他者の区別を越える慈悲の境地です。

このインタービーイング(Interbeing:相互存在)という自分と他者の区別を越える慈悲の境地とは、キリスト教でいうところの愛(アガペ)の境地でしょう。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」というあの箇所(マタイ福音書の山上の説教部分の5:21–48の反対命題と呼ばれる箇所)は、まさにこの慈悲:愛(アガペ)の境地からの眺めであり、自分の立場(エゴ:自己中心)から見た「善い」と「悪い」を区別する場所からは決して見えてくることはありません。

この自分の立場(エゴ:自己中心)から見た「善い」と「悪い」を区別する場所は、キリスト教で言うところの「罪(ヘブライ語でハター:的外れ)」の現実と関係しています。創世記の中で神が「食べると必ず死んでしまう」と言ったあの「善悪の知識の木の実」を食べた私たち、神の似姿として創造された私たちの中にあるもう一つの現実です。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈る」ことは、自分の立場(エゴ:自己中心)から見た「善い」と「悪い」を区別する場所からの自力だけでは決して実現することはできません。そしてそこから眺める「正義」と「平和」も自分の立場(エゴ:自己中心)によって歪んでいます。その意味で、反対命題と呼ばれる箇所は、私たちを自分の立場(エゴ:自己中心)から解放し、慈悲:愛(アガペ)の境地へと招く「窓」のような役割をもっているようです。

キリスト教の愛(アガペ)も仏教の慈悲も、「概念」や「主義」ではありません。恩寵(他力)とこの私の自由な応答(自力)が一つになったときに開かれてゆく、現成する「場」であり、慈悲:愛(アガペ)だけが溢れている「場」であり、本来の私がそこに在る「場」であり、真の現実です。

ヘブライ語の「平和」はシャロームですが、このシャロームの原義は「まったく欠けたところがない、満ち満ちた状態、球体のようなイメージをもつもの」です。つまり聖書が語る「平和:シャローム」において満ち満ちているものとは慈悲:愛(アガペ)であり、その慈悲:愛(アガペ)が満ち満ちた状態が「平和」ということなのでしょう。

教皇フランシスコも、2016年2月3日の一般謁見演説「いつくしみと正義」の中で、真の正義を成就させるのは神のいつくしみにほかならないと語っています。法に従って正義を行ったとしても、そこでは加害者と被害者を区別し、加害者を刑罰に処するだけで、それは因果応報の正義であり、悪を打ち負かすのではなく、抑制するだけであり、真の正義には至らないと。たとえそれが困難な道のりであったとしても、被害者がゆるし、加害者の幸せと救いを望むことによって、加害者が自分の悪行を認め、それを止め、善への道を再び見いだすよう助けられることにより、その不正義の人が正義の人になっていくことにこそ、真の正義と神のいつくしみの実現があると。

結局、「霊性」とは概念や主義ではなく、慈悲:愛(アガペ)の境地という私たちの存在の深みに実質的に繋がっていく(ぶどうの木に繋がる)ことであり、その深みからの溢れとして、本物の(神の)「正義」や「平和」を知る(体験する)ということなのでしょう。そしてその本物の「正義」と「平和」だけが、私たちの真の幸いと関係するものなのでしょう。慈悲:愛(アガペ)のないところには、人と人の間にも、人と被造物の間にも真の幸いは実現しないでしょう。なぜならすべてのものは繋がり合って、支え合って存在しているからです―インタービーイング(Interbeing:相互存在)。この人間の世界に格差や紛争が絶えないことと、被造物たちが壊れていくことはまったく一つの現象なのでしょう。今こそ、私たちの存在の深み―慈悲:愛(アガペ)に実質的に繋がっていく霊性が目覚める時なのだと思います。

「共に生きるため」 は 「すべてのいのちを守るため」

遠藤 抱一
学校法人アジア学院副理事長、カトリック藤沢教会所属

栃木県の県北、那須塩原市(旧西那須野町)に、15か国ほどの人々から成る約60人の小さな共同体があります。アジア学院と呼ばれる途上国の農村開発指導者の養成を目指している学校です。有機農業によって自ら米や麦を作り、野菜を育て、豚や鶏を飼い、自給自足の生活の中から、途上国の農村の人々と共に生きるために必要な心と知識・技術の習得に励んでいる学生、教職員、そしてその研修を助けるボランティアたちの共同体です。

小史

アジア学院(以下学院)という法人名からだけではどんな教育をしているのかよく分かりませんが、学校名のアジア農村指導者養成専門学校と聞けば、その事業内容の見当が付くかと思います。学院は、前身が日本基督教団の農村伝道神学校(農伝・町田市)内の一コースであったため、プロテスタントの日本基督教団の関係学校となっています。農伝時代(1960年~1972年)には、学生は東南アジアからのみでしたが、1973年の学院創立数年後には世界中の開発途上国に門を開き、近年はアジアのみならずアフリカ出身者が増えています。

事業内容

農村開発指導者研修は開発指導者の養成で、単に農業技術の習得を目指すものではありません。サーバントリーダーシップなどの指導者論、環境と開発を考える開発論など座学を教室で学び、米・小麦や60種を超える野菜栽培の有機農業や豚・山羊・鶏・養魚の畜産等持続可能な農業及び技術を農場で実習します。また共同体の形成に関わる理解と実践も、学院のモットーである「共に生きる」を実現する大切な内容の一つです。約2週間に亘る熊本県水俣に至るまでのマイクロバスによる西日本研修旅行等も毎年秋に行われ、1年分のカリキュラムを、長期休暇抜きに4月から12月までの9か月に圧縮して実施します。

しかしより学院らしい特長は、こうした学校側が計画した教務内容以外に、学生は時間と場所を選ばず互いに学び合うのです。その一例を挙げれば、ある時の人参の作付けに関する授業の時でした。一人のスリランカの学生が、授業の最後に手を上げ、「先生、圃場の整え方や有機肥料の使い方はよく分かりました。しかし問題があります。象です。漸く収穫を迎える頃になると、必ず象の群れが来て、収穫物を食べてしまうのです。人参も例外ではありません。どうしたら防げますか?」 これには、教壇に立っていた教師も答えようがありませんでした。するとあるアフリカの学生が手を上げ、「自分の国では象の被害を防ぐため、作物を植えた畑の周りに、ゴマを植えている。試してみたらどうだ」と言ったのでした。なぜなら人参とともにゴマも生長し、収穫時期までにはちょうど象の腹に届く高さになる。象は腹が弱点だから、腹に当たるものがあると侵入しないとの説明でした。学生はそれぞれが、その土地の充分な農業経験者で、途上国農村の古来からの知恵を身に着けているのです。こうして学生は、新しい科学的な知識・技術を学ぶことに加え、互いの土地にある古来の農業の知恵をも学ぶのです。学院は、学校としてだけではなく学び合う共同体としての価値がその半分なのです。

経営

学院では留学生やその所属のNGOから学費を取りません。自らの研修の場である農場の生産物や畜産物による自給自足を実現し、また学院構内の各学生寮で共同体生活をしていますので、生活費も限られた額で済みます。しかし学生一人に要する年間の養成費用は400万円を超えます。年間予算の4分の1程度は、農場の生産物や短期セミナーの開催など学院の持つ生産力やノウハウから得られますが、不足分は国内の個人や社会奉仕団体・財団・教会に加え、先進国世界のキリスト教系の支援団体による奨学金や寄付金・助成金により支えられています。

学生(パティシパント)

学院で農村開発指導者研修に参加しているのは、原則アジア、アフリカ、オセアニア、中南米等開発途上国で農村開発事業に携わっている現地NGOの専従者です。日本人で青年海外協力隊志望者や途上国での農村開発事業に関心のある若者などの数名を加え、毎年ほぼ30名を受け入れます。学院ではパティシパントと呼ぶ海外からの学生は、既に農村開発の現場経験を数年有することが必須で、50才未満の、また途上国女性の社会経済的地位向上を願って、毎年女性の参加も重視しています。平均年令は35才前後、ほぼ半数は既婚者です。牧師も一定数いますが、神父やシスターも入学します。スリランカからお坊さんが来たこともあります。研修修了後は元の職場に復帰するのが原 則です。授業と日常生活の共通語は、途上国の中で最も広く使われている英語を採用しています。

入学希望者が個人として学院に入学願書を出すことは出来ません。所属しているNGOの推薦が選考の条件です。学院では、本人以上にそのNGOの活動内容や実績を重視します。今ではそのための調査活動を、全世界58か国に居る1,400人を超える卒業生が支えてくれます。これだけの調査能力と途上国の開発現場に通じていることは、学院の特長の一つです。

職員とボランティア

教職員数は、嘱託やパートも入れて約25名です。学生募集等を担当する教務課、フードライフ課は有機農業や畜産、給食を担当、募金や農場生産品を扱う国内事業・募金課、共同体生活をより豊かに送るためチャプレンも置かれています。教員の多くが海外での農村開発援助事業の経験があり、国籍も5か国以上に及び、卒業生も複数います。

また毎年国内及び海外先進国からの幅広い年齢層の男女10名を超えるボランティアが、1年の長期間共同体に加わり、農場、食堂、学生寮、事務室などで学生の研修や学院の運営を補助し、更に共同体の多様性を豊かにします。また短期や通いのボランティアも毎年多数受け入れています。

宗教

学院の依って立つ背景はキリスト教ですが、学生の宗教的背景は問いません。学院は新旧を問わずキリスト教会のネットワークに強みがありますので、学生の多数派はおのずと様々な教派のキリスト教徒になりますが、毎年数名のモスレム、ヒンズー、仏教徒など他宗教の学生も受け入れます。食堂はそれぞれの宗教に合った食材の調理に対応しますし、例えばイスラム教徒がラマダンの時期に入れば、その飲食の時刻にも配慮します。

学期の当初は、異なる宗教に互いに違和感を抱いたり戸惑うこともありますが、時が経つにつれそれぞれの信仰を認め合うようになります。このことが、特に北米やヨーロッパの海外のキリスト教支援団体から、エキュメニカルを超え異なる宗教、いわばインターレリージャスの学院コミュニティが、小規模ながら平和的共存を実現していることに、世界の分裂ではなく融和への期待を持たせる試みとして特に注目・評価されている点ではないのかと思っています。この点で学院が、日本という立地を得たのは偶然ではないとも感じています。ヒンズーやイスラム、キリスト教等宗教色の強い社会の中では、学院のような存在が許容されるのは極めて困難ではないかと感じます。特定の宗教に特に強い否定的反応を示さない、寛容或いはある意味宗教に強い関心を持たない国民性が、キリスト教を標榜し且つ他の宗教も受容する学院の存在を許して来たとも思います。

学院の創立当初からのモットーは、「共に生きる」です。私たちはまた、フードライフという言葉を造りました。フード(食べもの)とライフ(命)は本来分けられないものと考えたからです。食べ物を作ることは命を守ることだから、食べものを持続可能的に作る方法を学ぶことは、共に生き、「すべてのいのちを守るため」につながると思うのです。