日本の出入国管理法改正案の採決見送りを国際的観点から見る
安藤 勇 SJ
イエズス会社会司牧センタースタッフ
ご存知のように、日本政府は出入国管理及び難民認定法等の一部を改正する法律案を閣議決定し、5月に国会通過を試みましたが、マスコミや野党の反対が国民の多数に支持され断念せざるを得ませんでした。2021年3月6日にスリランカ人の若い女性が適切な医療を受けられなかったために名古屋出入国在留管理局で亡くなったという事実が、国民感情を揺るがす引き金となりました。彼女の罪状は、期限切れのビザで働いて日本に留まったことでした。
出入国管理法と日本の人権意識
どの国にも他国人に対して境界線を定める自由があるとはいえ、国際条約は尊重されるべきです。民主主義国がそれに合意して署名している場合はなおさらです。しかしながら、日本の入国管理センター(牢屋)での収容期間は、入国管理局が任意に定めています。外国人にとって、期限切れビザでの就労が判明した時、入国管理センター自体が当然受けるペナルティという存在でありつづけます。「難民」であると主張する外国人が難民申請できるのは、たった2回です。彼らの申請が認められなかった場合――2017年には過去最高の19,629人の申請者のうち、20人だけに難民の地位が与えられました――大抵そうなるように、国外退去命令で収容所(牢屋)に入れられます。それでも国を離れることを拒否した場合には、罰金が科せられます。ビザの有効期限が切れた人は、警察や入国管理局に捕まった場合、収容所(牢屋)に入れられます。入国管理局が認める保証人を見つけることができれば、多額の保証金を預けることで限定的な「仮放免」を取得できますが、これは就労不可、移動制限など非常に厳しい規制を伴うものです。
新しい「グローバル・コンパクト」
世界193カ国からなる国連総会(2018年12月10日)は、152カ国の承認を得て、移民のためのグローバル・コンパクトを可決しました。日本政府も2018年12月10日にグローバル・コンパクトに署名しました。
これは、国連の公式に署名された決定と明確な対立がある部分においては特に、国内の法と慣行を改正する必要を伴うものです。「移民に関するグローバル・コンパクト」は、大多数の国連加盟国によって採択された明確なコンセンサスであるため、法的なものではないとはいえ、拘束力があります。
グローバル・コンパクト:人権意識を有効に測る国際的な体温計
移民拘束について、「移民に関するグローバル・コンパクト」は、移民拘束は最後の手段に過ぎず、恣意的であってはならず、国際人権法に則り可能な限り短い期間で行われるべきであると明確に規定しています(第29条、c)。この内容は、人権に関する国の態度を測るある種のものさし(体温計)になると私は考えます。
現在、日本には7つの入国管理センターと収容所のネットワークがあり、それらの中には700人の収容能力を持つ牛久(茨城県)のようなものもあります。その実態は、このものさしにはっきりとした根拠を示しています。その収容期間は「恣意的」であり、その医療制度は、目撃者によると「脆弱」です。
先の5月に国会での可決を見送られた出入国管理法改正案は、「移民コンパクト」が提起する現実問題を解決するための、一つの契機となりました。現実に、入国管理局の牢屋での拘留は維持されています。自国で迫害されたと主張している人でも、2回申請を却下されるとその後は難民の地位を申請できなくなり、迫害されたとの主張を継続していても、国外退去命令に処されます。
現在、日本に住み、働いている多くの外国人(2020年12月の「朝日新聞GLOBE」によると2,885,904人)の嘆願に、日本社会はもはや沈黙を守ったままではいないと思います。
足立区での教育実践
ここで、私が他の皆さんと一緒に、2008年の初めから個人的に取り組んできた教育実践を紹介します。
私は足立区に約30年間住んでいました。その経験から、移民問題はさておき、子供を含む多くの外国人が差別的扱いと不当な労働条件の犠牲者であることを知りました。その主な理由の1つは、彼らが日本語を話せないことでした。彼らの中から何百人もの人たちが私たちと一緒に、近くのカトリック教会を訪れそこで祈るようになりました。足立区は、東京23区の中でも大きな区で、現在691,298の人口を抱えています。数千の中小事業所や工場があり、足立の住民の雇用の場となっています。伝統的に、多くの在日コリアンが住んでいます。2020年の外国人の人口は34,040人で、日本国籍を取得したものの外国人と同様の状況にある人たちはこの中に含まれていません。
そのようにして2008年になり、私たちはこの問題への関わりを進展させる必要があると認識し、大人も子供も家庭にいる感覚で日本語を勉強できるセンターを立ち上げることにしました。それは、このような努力が必要であるというだけでなく、また可能でもあるということを示すための象徴的な行為でした。その後、4つのカトリック修道会が協力に合意し、一般ボランティアの方たちとともに、「NPO AIA」(足立国際アカデミー)と私たちが呼ぶこのセンターを13年の間、支援し続けています。
そこでは、7歳の小さな子供であろうと50歳の大人であろうと、一人一人の必要に寄り添いボランティアが個別に対応します。場所は家族的な雰囲気の普通の賃貸住宅です。2,000円の月謝を払えなくても、拒絶されることはありません。
数字は傾向を示すだけなので、分析が必要なものではありますが、AIAの利用者数を提供させてください。開校した2008年の時点では、AIAを訪れた人の数は年間で子供102人、大人125人、ボランティア307人でした。ピークは2017年で、子供748人、大人544人、ボランティア1,244人でした。その後減少し、新型コロナウイルスの世界的大流行の前の2019年には、子供652人、大人217人、ボランティア850人となりました。
新型コロナウイルスの世界的大流行により、2020年にAIAも閉鎖を余儀なくされましたが、オンラインシステムを取り入れることで、個々の必要に寄り添う教育を継続することにしました。私たちのサービスを利用する人たちには、パソコンを買う余裕がないことを承知していましたので、新しく5台のコンピューターを取り入れました。今は、子供たちや青年たちは私たちの場所に来て、ボランティアは各自の家から彼らに教えます。
AIAは現在NPOであり、今年、元クリーニング店だった場所を借り、引っ越しました。大半の足立区の住民、そしてそこに住む外国人がまず間違いなくそうであるように、私たちも常に賃貸生活を余儀なくされています。外国にルーツを持つ人々が私たちを必要としている限り、AIAは足立区にとどまります。
労働組合役員でカトリックの私が、「ヨセフ年」 にあたって 労働問題について考えていること
鳥巣 雄樹
日本カトリック正義と平和協議会委員
長崎県労働組合総連合(長崎県労連)事務局長
コロナ禍で、労働者が置かれている現状
今、感染症対策のため人々の活動が大幅に制限され、休業、時短営業、在宅勤務などを余儀なくされています。しかし、医療・福祉・ライフラインなどの労働者は、職場に出勤して感染リスクを顧みず働き続けています。このような、社会のなかで必要不可欠な業務に従事する労働者はエッセンシャルワーカーと呼ばれますが、その多くは低賃金で働く不安定雇用の非正規雇用労働者です。
完全失業率の増加と有効求人倍率の低下は著しく、民間シンクタンクの調査によるとパート・アルバイトの「実質的失業者」は150万人に迫り、とくに非正規労働者の7割を占める女性労働者が大きな影響を受け、自殺者も急増しています。昨年4月から8回にわたり全国で実施された「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守る なんでも電話相談会」(主催:同実行委員会)のとりくみでは、全国的に、労働や生活にかかわる相談の内容が回を重ねるごとに厳しいものに変化してきており、長崎でも例えば、勤務シフトが大幅に減らされて生活できないほどに収入が減って困っている、といった深刻な相談が寄せられています。
また、賃金格差の解消には「底上げ」が重要ですが、実際は低く抑えられたままです。コンビニや外食関係等をはじめ、時給が最低賃金と同額あるいは少し高いだけ、という職種が多いのが現状です。賃金の最低水準である最低賃金は、最低賃金法に基づいて都道府県ごとに設置される最低賃金審議会での審議を経て毎年決められます。一昨年までは、政府も年率3%程度を目途として全国加重平均で1,000円となることを目指すと明言し、不十分ながらも徐々に引き上げられてきました。しかし昨年は、感染拡大による経済の停滞を理由に雇用維持が最優先とする企業側の主張を政府が鵜呑みにし、中小企業支援等必要な対策もとられなかったため、各地の最低賃金の審議は政府の意向に沿う形になってしまい、全国加重平均902円となる1円(0.1%)の引き上げに止まりました。
日本における格差と貧困はコロナ禍の前からの問題であり、消費税の10%への増税をきっかけとして生活や経済が悪化していたところに、コロナ禍が追い打ちをかけたというのが今の状況です。5月3日と5日には、四ツ谷の聖イグナチオ教会で「ゴールデンウィーク大人食堂」(弁当や食料等の配布と相談会。聖イグナチオ教会福祉関連グループ、コロナ被害相談村実行委員会など6団体の主催)が実施され、2日間で658人が来場したとのことです。また、長崎を含む全国各地でも食糧支援などが行われています。これらのとりくみが実態を可視化し、国や自治体による「公助」が行き渡っていない現状を明らかにしています。
労働問題の解決は、労働組合があってこそ
働くことで困ったこと(残業代など賃金未払、解雇、ハラスメント等々)が起きたとき、一人で解決することは困難な場合がほとんどです。一人では心細くても、会社と対等の立場で団体交渉をすることができる労働組合に加入して、皆で力を合わせれば、働く人の権利が保障された、働きがいのある職場を作ることができます。
ところで、この記事をお読みの皆さんは、労働組合に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。堅い、古くさい、政治活動ばっかり…!? かく言う私も、就職当初は、労働組合はなんだか近寄りがたい存在で、関わりたくないと思っていて、先輩から「そろそろ、どうか?」と強く誘われるまで、加入をためらっていた方です。
しかし、働く世代の大半の人が労働者、即ち「自己の労働力を提供し、その対価としての賃金や給料によって生活する者」(デジタル大辞泉)である以上、労働組合は必要不可欠な存在なのです。
労働組合とは(実社会、そして教会での位置付け)
労働組合とは、「労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体」(労働組合法第2条)です。
国の最高法規である日本国憲法は、全ての国民が人間らしく生き、働く権利を保障しています。そしてその実現のために、第28条で「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」と定めています。ただし、憲法や法律に保障されてはいますが、「権利」は誰かが与えてくれるというものではなく、先輩たちの長年の「たたかい」があって具体的な中身が積み上げられてきており、私たち現役労働者も学んで要求していかない限り、維持発展していくことはできません。
では、カトリック教会は、労働組合についてどのように捉えているのでしょうか。組合の幹部役員になって間もない頃、気になって公文書を調べたことがあります。『現代世界憲章』には、「報復の危険なしに組合活動に自由に参加する権利」などは「基本的人権の中に数えられなければならない」と記されています(68)。また『教会の社会教説綱要』でも、「教会はその教導権において、労働組合によって果たされる根本的な役割を認め」るとしたうえで(305)、労働の尊厳、働く権利、労働者の権利などについて多くのページを割いて述べています。これらの文書は、私が安心して組合活動に没頭する拠り所となっています。
「ヨセフ年」(2020.12.8~2021.12.8)にあたって
教皇フランシスコは、ヨセフ年にあたっての使徒的書簡「父の心で」で、聖ヨセフの7つの特徴の6番目に、労働者としての聖ヨセフについて取り上げています。聖ヨセフは大工、即ち労働者の一人でした。イエスは「大工の息子」(マタイ13:55)として聖ヨセフの背中を見て育ち、おそらく大工の仕事も一緒に行っていたものと思われます。
教皇は、使徒的書簡の中で「新たな意識をもって、尊厳を与える労働の意義と、この聖人がその模範的な保護者であること」を理解しなければならないこと、そして「聖ヨセフの労働から気づかされるのは、人となられた神ご自身が、労働を軽視してはおられなかったということ」を指摘しています。
また、教皇が言及している、「すべての人一人ひとりが尊厳ある生活を送れるようにと尽力すること」は、少なくとも、「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34ほか)と命じられているキリスト者、特に人の上に立つ立場にある者にとって、留意すべき事柄です。しかし現実は、長崎で労働問題に関わっていると分かるのですが、カトリック信徒が経営トップを務めていると思われる職場でさえも、職場の問題を改善するために声をあげる労働者を、経営側の意に沿わない者として排斥し、その結果労働争議に発展するという事例が時折みられます。カトリックにおける労働や労働問題に対する立ち位置を、より多くの信徒の皆さんに知ってもらう必要性を痛感しています。
「排除されるとは『搾取されること』ではなく、廃棄物、『余分なもの』とされることなのです」(使徒的勧告『福音の喜び』53)と教皇が指摘するほどに排他的になり、職場や社会にハラスメントがはびこり、心を病んでしまう人や自殺者が続出しているのが、今の社会の現状です。私が事務局長を務める長崎県労連、そして上部団体である全国労働組合総連合(全労連)は、「『仕方がない』と諦めるのではなく『みんなで変える』へ。格差をなくし、8時間働けば誰もが人間らしくくらせる公正な社会の実現をめざそう」と広く呼びかけ、行動しています。日々の活動を通じて、「すべての人一人ひとりが尊厳ある生活を送れるように」なるために私も取り組んでいきたいと思います。
難民の人々を歓迎できる社会に!
有川 憲治
NPO法人アルペなんみんセンター事務局長
世界の難民は8,240万人 10年前の約2倍に急増
世界の難民は8,240万人(2020年末、UNHCR:国連難民高等弁務官事務所)。10年前(2010年4,100万人)から約2倍に急増しています。全人類の1%以上、97人に1人が強制移動の影響を受けており、出身国へ帰還できる人も年々減少しています。
入国拒否され、送還される難民
日本にも年間1万人を超える難民が希望をもってやってきます。「経済的に豊かな国ニッポン」、「平和な国ニッポン」、「マダムサダコ(元国連難民高等弁務官・故緒方貞子さん)の国ニッポン」、「おもてなしの国ニッポン」。日本に行けば迫害から逃れて人間らしい人生を取り戻せると期待して、空港に降り立ちます。
しかし、その期待はすぐに裏切られることになります。空港で難民として保護してほしいと訴えると、難民申請すらできずに、入国を拒否され送り返されてしまいます。それでも、難民として保護してほしいと訴え続けると「速やかに出国しない場合」として退去強制手続きが取られ、入管施設に長期収容されることになります。
入国拒否されたRさん
本国で政治活動を行った際に、当局による身体的な迫害をうけ、命の危険を感じ出国。日本を選んだ理由は、高校生のとき、日本のことを学ぶ機会があったからだとのこと。先進国で平和なイメージ、ビザもスムーズに取得できたといいます。飛行機を4回乗り継いで、ようやくたどり着いた日本で入管職員に難民として助けを求めました。しかし、入国を拒否され、茨城県牛久市の入管施設に収容されました。
他の収容者から、一時的に収容を解かれる「仮放免」の手続きがあることを教えてもらい、面会ボランティアや支援団体に仮放免を相談。しかし、仮放免には、身元保証人、住居、保証金(法律上の上限は300万円)が必要だと知りました。保証金のための所持金はなく、保証人をお願いできる知り合い、住居のあてもなく、時間だけが過ぎていきました。
面会ボランティア経由で相談した弁護士に身元保証人を引き受けてもらい、2度目の仮放免申請で許可がおりました。収容期間1年6ヶ月。自由の身となりましたが、仮放免者は就労許可がでないため、働いて自立することもできず、自治体からの支援もなく、健康保険証ももらえません。
ホームレスになる難民たち
空港で無事、入国許可がおりた場合、入管での難民申請を行うことになります。例外はありますが、就労資格が得られるのは難民申請から8ヶ月後。それまでは、所持金と外務省の保護費、市民団体、友人知人からの支援で命をつなぐことになります。
外務省の保護費は、申請から数ヶ月後からの支給。希望する全員には支給されません。4ヶ月おきの見直しで、突然、支給停止される場合もあります。緊急シェルターは数に限りがあり、所持金もなくなり、保護費を受けられなく、路上生活を余儀なくされる難民も多くいます。中には、1年以上、公園でホームレス生活をした難民もいます。
そのような状況でも、入管への定期的な出頭、長時間のインタビュー、難民を立証するための書類の提出が求められます。生活基盤が脆弱ななか、書類等の作成に十分な準備ができず、結果として難民不認定になるケースがほとんどです。
2011年 国会決議の実現を
2011年11月、1951年の「難民の地位に関する条約」採択から60周年、また日本の同条約加入から30周年を記念して衆議院、参議院の本会議全会一致で「難民の保護と難民問題の解決策への継続的な取り組みに関する決議」が採択されました。
「国際的組織や難民を支援する市民団体との連携を強化しつつ、国内における包括的な庇護制度の確立、第三国定住プログラムの更なる充実に向けて邁進する。同時に、対外的にも従来どおり我が国の外交政策方針にのっとった難民・避難民への支援を継続して行うことで、世界の難民問題の恒久的な解決と難民の保護の質的向上に向けて、アジアそして世界で主導的な役割を担う」と決議されました。日本の難民政策が大きく変わると内外から期待されました。
国会決議から10年。「世界の難民問題の恒久的な解決と難民の保護の質的向上に向けて、アジアそして世界で主導的な役割を担う」ことは、残念ながら実現されていません。それどころか、通常国会で廃案になった「難民を収容し送還できるようにする改正入管法」に象徴されるように、難民の「保護」よりも「排除」する方向にむかっています。
国会決議当時4,250万人だった世界の難民は、2020年には8,240万人。毎年増加し、難民をとりまく状況は、深刻さを増しています。
アルペなんみんセンター開所
私は、1995年から2020年まで、東京教区の外国人支援センター「カトリック東京国際センター:CTIC」で、難民・移民への支援をさせていただいてきました。しかしながら、「今日、泊まる場所がありません」との相談に十分応えることができずにいました。特に、難民の場合、手続きには数年かかるため、その間、安心して生活できる住居が不可欠です。
2019年7月、長年「鎌倉黙想の家」として愛されてきた、イエズス会日本殉教者修道院が閉鎖になると聞き、難民のための緊急シェルターのために使わせていただけないかとイエズス会日本管区本部に相談に行きました。数日後、使用許可の連絡をいただきました。涙が溢れました。
ただ、そこからが大変です。イエズス会日本殉教者修道院は建物面積2,000㎡(600坪)、敷地面積27,739㎡(8400坪、東京ドームの60%)の巨大な施設です。運営資金もスタッフもありません。既存の団体に、共同運営を打診しましたが、断られ続けました。それなら、新しい運営団体を作るしかないと、、、。長年、難民支援に共に取り組んできた友人と共に法人を設立することにし、2020年11月にNPO設立申請、2021年1月に神奈川県から法人設立許可、イエズス会との契約にいたりました。契約時に「御法人の活動の目的と活動内容は、イエズス会の宣教活動の目的に完全に合致することからこの度、黙想の家を御法人に使っていただくことになりました。黙想の家は宗教施設であり、御法人の活動も宗教活動であると私どもは理解しています」との言葉に、また、涙が溢れました。
団体名称は、アルペなんみんセンター。イエズス会第28代総長ペドロ・アルペ神父様のお名前を頂戴しました。アルペ神父様は、管区長在任時に日本殉教者修道院を宣教師の日本語学校として建設されています。また、総長就任後、インドシナ難民の惨状に対応するためにイエズス会難民サービス:JRSを設立されました。JRSは現在世界56カ国で難民支援活動をおこなっています。アルペなんみんセンターは、日本の難民支援活動のみならず、JRSと連携して、世界の難民問題にも関われるような団体になるように育てていきたいと考えています。法人設立日は、2020年2月5日。アルペ神父様の命日、修道院名由来の日本26聖人殉教者の日です。
開所以来、ウガンダ、カメルーン、コンゴ、イラン、パキスタン、スリランカ、ミャンマー、インドネシアなどからの難民認定申請者19名を受け入れ、現在10人が居住中です。設立2年目の今年4月からは、スタッフ7人の体制で、多くのボランティアと一緒に活動しています。2019年来日した教皇フランシスコのメッセージ「日本に逃れてきた難民たちを、友情をもって受け入れることをお願いします」に応えるべく、これからも、「難民の人々を歓迎できる社会に!」の実現のために尽力してまいります。皆様のご支援、ご協力をお願い申し上げます。
シャルル・ド・フコーの霊性と日本の部落差別の現在
おおた まさる
福音の小さい兄弟会
シャルル・ド・フコーは、20世紀初頭、トラピスト修道院の禁域生活を出て、イエスの生きたナザレトでの隠れた生活を召命として、観想的祈りの生活を普通の庶民の生活の中で実現させました。その多様な直観に光を当てるのに、「3世紀末のエジプト砂漠の師父の隠遁者の伝統」を再発見する点から伝記を書いて、20世紀初頭のフランス宗教界にブームを巻き起こしたルネ・バザンがいますが、2020年10月のフランシスコ教皇の『Fratelli Tutti』=皆の兄弟は、シャルル・ド・フコーの霊性に「一番見捨てられている兄弟姉妹との一致」の観点から光を当てています。アルジェリアのサハラ砂漠の中で禁域を伴う隠遁者生活から、脱皮して「世界から顧みられることも無かったトアレグ人の一人」となり、自己変革を怖れず「すべての人の兄弟」へと変容を遂げたシャルル・ド・フコーの霊性に、コロナ禍に打ち勝つ生き方を見だそうとフランシスコさんは提案をしているかのようです。
シャルル・ド・フコーは、サハラ砂漠の奥地に入り込むのに、フランス軍の前進基地を足場にしていましたから、アルジェリア政府としては、シャルル・ド・フコーは植民地拡張の先兵であり、なかなかその存在の意義を認めようとしませんでした。これには一理があり、16世紀スペインの宣教師たちの日本布教と同じ限界を彼の活動も持っていました。しかし、シャルル・ド・フコーの心意気は、植民地主義からは遥かに遠く、アフリカの一部族の人びとに溶け込んで、彼らの一人のようになって生活することでした。人類全体が免疫を獲得しなければ収まらないコロナ・パンデミックに向き合うためには、ワクチンの特許の権利を捨て去り、アメリカ人もアルジェリア人もどの小国の子供も、「すべての人の人権が尊重される人間にやさしい社会」だけがコロナ禍に打ち勝てるのですから、シャルル・ド・フコーの「みんなの兄弟になる」霊性は、今の私たち皆の緊急の課題でしょう。
彼の列聖に関わる象徴的なエピソードは、2020年5月にシャルル・ド・フコー列聖の決め手になった奇跡が、「un miracle de preservation=予防の奇跡」というもので、救われた青年がシャルル・ド・フコーを知らない、しかも信仰を持っていないという「隠れたナザレトの生活」を召命とする彼らしい奇跡だということです。具体的場面は、フコーの列聖を祈る祈祷会が行われていた教会の近くの工事現場で16メートルの高さから転落して即死のはずの青年が奇跡的に軽症で助かったという「予防の奇跡」です。僕は個人的には、列聖とか奇跡とかはあまり興味がなくて申し訳ないのですが、こういう神秘的でもなく日常生活にかかわる奇跡というのは好きです。すべての人の兄弟になるということも、すぐに出来ることではなく、自己変革・脱皮を怖れず、日常的に少しずつ積み上げていくものだと思います。
思い返してみれば、30年以上前に東京生まれの自分が、小さい兄弟らしく、埼玉県秩父の安定した鉄工所仕事を辞めて、和歌山の被差別部落に2人の兄弟と共に引っ越してきて、皮なめしの仕事を始めたのも、日常生活での積み上げを通しての自己変革を求めたということだと思います。具体的に、部落解放運動で○○という成果を挙げた、とかの目覚ましいことは一切なく、生活レベルでの「あ、共箸でいいんだって。」と訪ねた家で、職場友達から台所の奥さんに言葉が伝わって行くようなことの繰り返しの中で、パン種が膨らんでいくような波長の伝播が何度も何度も起きれば良いと願っていました。
皮革工場勤務の10年の内で、華々しいことと言えば、「部落解放基本法制定運動・全国行進」に和歌山県の分だけですがシスター橋本とガレロン神父との3人で参加したことくらいでしょうか。カトリック教会内部では、大阪教区の「カトリック部落差別と人権を考える信徒の会」でのアンケート3部作(信徒と司祭とシスターの差別意識調査)作りに参加したことは記憶に残ります。信徒の会での小教区教会への「出前」を私たちが繰り返す中で、本体の解放運動は1965年の「同和対策審議会答申」で部落問題の解決は国民的課題であると国に認めさせ、大きな前進を遂げました。日本全国で6000部落300万人の被差別部落民を率いて運動してきた解放同盟は最盛期の1986年には2300支部、同盟員18万人にまで浸透しました。
江戸時代には、差別することが封建社会を守るために当然の義務だったのですが、明治以後の近代国家では、国家の統一のためには、国民の平等の権利が保障されなければならず、さらには1945年の敗戦後の日本国憲法では、個人の人権は侵すべからざる重みをもっています。
しかしながら、コロナ禍の下、社会的少数者、社会的弱者、外国人労働者は、日本社会の持つ差別体質に直面し、声を挙げざるを得ない状態に追い込まれています。「すべての人の人権が尊重される人間にやさしい社会だけがコロナ禍に打ち勝てる」(ハンセン病市民学会の共同代表・和泉眞藏)のですから、フランシスコ教皇の「皆の兄弟」の精神、シャルル・ド・フコーの自己変革・脱皮の努力をテコにして、コロナ禍の日常を乗り切ってゆきたいものです。そして、具体的な日常の生活から立て直していきながら、社会的に問われているインターネット上の被害救済、「全国部落調査」復刻版の問題、さらには国際的に問題となっている「ラムザイヤー論文」の論破などにも注目していきたいと思います。
運動が国際化していく中で、構造的問題が出てきていることも付け加えておきます。つまり、外国人差別の底にある「労働力だけ輸入して、外国籍の人間には、家族は入国させない政策」が、部落差別の起源と言われる平安時代の「京の都の清掃労働問題」とそっくりだからです。都の疫病死者の遺体の片づけを河原者(かわらもの)に命じながら、住まいは強制的に都の外・洛外に追いやっていたのです。さらに付け加えれば、部落差別がいまだに無くならないのは、それによって利益を受けている人たちがいるからですが、この外国人差別についていえば、利益を受けているのは、私たち日本人です。差別を止め、家族の入国を許可し人間的な処遇をするには、国は予算を組み、私たち平均的国民は「無意識の異国人排斥心理」を改める必要があることを胸に刻みたいと思います。