ミャンマーの悲劇を振り返って
イエズス会ミャンマー地区デベロップメントチーム
「あまりにひどすぎる・・・。私たちの未来である若者を失うのはあまりにも辛い。子どもたちや母親の叫びを聞くのは、あまりにも耐え難い。適切な医療を受けることができず、安全で質の高い教育を受けることができず、生計を立てられなくなり、逃げ惑う人々を見るのはあまりにも痛々しい。ミャンマー軍の空爆や無差別砲撃により、村が焼かれ、子どもを含む民間人が死傷している。至る所で起きているこれらの出来事は、今年に入りさらに激化している。」
これは、ミャンマーで非常事態の最前線に立っているイエズス会の職員の言葉だ。これほど長くは続かないだろうと願っていたが、クーデターから2年が経過しても、この悲惨な危機には終わりが見えない。何百万人もの人々が家を追われ、困窮した生活を送る中、人々の心には恐怖と不安が募っている。連日、死者や行方不明者のニュースが報道される中、現地の人々は今、「世界が動き出すには何が必要なのか」と問いかけている。
イースターのわずか2日後、30人以上の子どもを含む少なくとも168人が、今回の残虐な行為で殺害された。サガイン地方のパジギ村では、行政庁舎開設のための親睦会が開かれ、家族連れが朝食を楽しむために集まっていた。子どもたちはご飯を食べながら遊び、両親はお茶を飲みつつ談笑していたが、戦闘機から爆弾2発が投下された。その後、負傷者を救助しようとする人たちにヘリコプターが発砲した。目撃者は、その惨状を語っている。家族全員を失った生存者の中には、くぐり抜けた恐怖と折り合いをつけながら、森の中で暮らしている人もいる。
ミャンマーの人権に関する国連特別報告者であるトム・アンドリュース氏は、ミャンマーの危機に対する各国の対応を非難している。氏は、ミャンマーは破綻状態にあり、事態は急激に悪化していると警告し、国際社会に対して、祖国と自らの未来のために戦う並外れた勇気を示している人々に背を向けないよう嘆願している。
「サガインでの空爆を含め、国軍による無辜の人々に対する攻撃を可能にしているのは、世界の無関心と国軍に武器を供給している者たちである。世界の首脳が、この殺戮を止めるべく強力な統一措置を取るまでに、どれだけのミャンマーの子どもたちが死ななくてはならないのか。」 (トム・アンドリュース、国際連合)
ミャンマーの状況は急速に悪化し、危機が深まるにつれ、すべての人の生活がより困難になっている。より多くの人々が絶望的な状態にあるため、状況はより厳しくなっている。何百万もの人々が飢え、家を失っている。都市部でも、停電、断水、道路閉鎖、インターネット接続不能、治安の悪化は日常茶飯事だ。
この苦しい状況の中、私たちは教育、社会、緊急支援プロジェクトを通じて、若者、貧しい人々、最も脆弱な立場にある人々に寄り添い続けている。これらのプログラムはこれまで以上に必要とされており、プログラムを通じて希望の種をまくことで、私たちは人々との連帯を示していくことができる。支援者や篤志家の支えによって、私たちは避難民に食料、医薬品、防水シートや毛布を配り、非常時の教育を支援し、国中の生活困難世帯に小口融資や生計支援金を提供することができる。
この活動は、現地にいる信徒、司祭、支援者たちの大きなネットワークを通じて、直接かつ、大きな裁量をもって行われている。これにより、困難は伴うものの、被災者に支援を届けることができる。多くの支援要請がこのネットワークから寄せられ、できる限り支援を行っている。先日も、極度の貧困と紛争が続く地域に暮らす修道女たちの共同体が、宿舎にいる子どもたちに安全な保護施設を提供し続け、就学できるようにするための支援をすることができた。
シスターの証言
「内戦が激化する中、この地域の離散家族は、村の家屋や財産が国軍の武器によって破壊され、苦境に立たされています。革命家として活動し、志半ばで倒れた我が子を失った人もいます。無辜の老若男女までもが、撃たれて殺されてしまうのです。
多くの家族が、ある場所から別の場所へ逃げる間に離ればなれになっています。家族は大切な人の生死を知ることもできません。多くの人がトラウマや不安、将来への絶望に苦しんでいます。
ここでは、最低限の生活と教育のために、適切な指導と施設を必要とする多くの子どもたちがいます。貧困のために学校を退学せざるを得ない子どもたちも少なくありません。私たちの目的は、若者たち、特に危険にさらされている少女たちを指導することで、避難民に実際的な支援をすることです。現在、85名の子どもたちが、学校に通えるように修道院で生活しています。私たちは、ベッドや教室を提供していますが、教師の給料や毎日の食事、教科書や文房具を購入するための支援が必要です。また、音楽や裁縫の技術も教えたいと考えています。ミシンと先生は揃っていますが、楽器と布が必要なのです。」
ミャンマーからの声
「2年前のクーデターの日、私は人々の表情に、怒り、恐れ、悲しみ、そして不安を見た。クーデターが自分にとって、そして自分たちの国にとって何を意味するのか理解しようともがき苦しんでいた。
いまや、人々は自分たちの生活をほとんど掌握していない。深刻な経済的苦境、高騰するインフレ、増加する犯罪など、多くの苦難が数え切れないほどの家族を襲っている。しかし、私たちはこの衝撃を受け止め、この暗い物語をハッピーエンドにすると決意している。
さあ、私たちは、最も暗く沈んだ時にこそ、勇気を出さなければならない。希望を失ってはいけない。昔のミャンマーには戻れない。ロヒンギャをはじめ、あまりにも長きにわたって苦しめられてきた少数民族を含む、あらゆる人にとって自由で平等な社会を創ろう。――連邦政府憲法、平等、そして思いやりに基づいた、世界に感動を与えるミャンマーを。」
世の多様性が問い掛けること―― LGBTIQについての一考察 ――
竹内 修一 SJ
上智大学神学部教授
LGBTIQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、トランスセクシャル、インターセックス、クィア)という表現は、これまで以上に人口に膾炙している。しかしそれはいったい、何を私たちに語りかけているのだろうか。ここでは次の三点に注目してみたい。
まずこれらは、十把一絡げにして語ることはできない、ということである。なぜなら、それらが抱えている問題は、それぞれ異なっているからである。次に、しかし同時にまた、一つの共通点もある。それは、もしこれらが原因となって、ある人の権利が無視されたり、あるいは差別の対象となったりするなら、それは人間の尊厳を傷つけることになるからである。そして、それぞれが抱える諸問題は、単なる個人的問題に還元することはできないということ。つまりそれらは、同時にまた、共同体的・社会的問題でもあるのである。
多様性は、本来、矛盾・対立を意味しない。真の多様性の善さは、多様性における一致にこそある。それによって、私たちは、お互いの存在意義に気づかされるとともに、多様性における一致としての共同体へと育まれるのである。
人格としての性
「人間は人格的存在である」――と語られる。「人格」について、ボエティウスは、次のように語る――「人格とは、理性的本性を有する個的実体である。」ここで語られる「人格」(person)は、ラテン語のpersonaに由来し、その意味は、「顔、仮面、役柄」などが挙げられる。さらにその動詞personareには、「反響する、響き合う」といった意味がある。ではいったい、何が響き合うのだろうか。それは、人間と人間である。それゆえ、先の定義は、次のように解釈することも可能であろうか。「人間とは、お互いに響き合う存在である。」あるいは、「人間は、お互いに響き合うことによって、初めて人間となる。」
「性」という文字は、「忄」(りっしんべん)と「生」から成り立っている。「忄」は心を、「生」はいのちを意味する。それゆえ、性とは、「生まれながらの心」、あるいは「心をもって生きる」とも解釈できるであろうか。
以上の考察を踏まえるなら、人間の性は、人間にとって決して付帯的なものではなく、むしろ本質的なものと言えるだろう。その意味での性は、人格とほぼ同意義のものとして理解できるであろう。これが、“人格としての性”の意味するところである。
人間の尊厳
「尊厳とは何か」――この問いに答えることは、容易ではない。しかしその意味内容としては、“かけがえのなさ”と“ありがたさ”を指摘できるのではないだろうか。前者は、他に代わりがないということ、また後者は、極めてまれだということである。
人間の尊厳は、いったいどこにあるのだろうか。もしそれを聖書に求めるなら、例えば次の二点を指摘できるかもしれない。一つは、人間は“神の似姿”として造られているということ(創1:27)。もう一つは、人間には神のいのちの息が注がれているということ(2:7)である。
関係性としての性
人間は社会的存在である、と言われる。ならば、人間の性もまた、社会性を帯びているのではないだろうか。すなわち、人間の性は、自己完結したものではなく、むしろ他者へと開かれたものなのである。
先ほどは、「性」という漢字に注目したが、ここでは英語表記に注目してみたい。英語において、「性」は、例えば「セックス」(sex)・「ジェンダー」(gender)・「セクシュアリティ」(sexuality)と表記される。「セックス」は、主に、生物学的な意味における性(男・女)を表わす。「ジェンダー」は、社会的・文化的・歴史的に作られた性別・性差・性の役割などを表わす。そして「セクシュアリティ」は、これらを含みながらも、それ以上の意味内容を内包している。すなわちそれが、“人格としての性”にほかならない。それは、単なる性の意識や性行為以上の、より深い人間の実質を表わしている。ロロ・メイが次のように語る時、彼は大切なヒントを私たちに提示している――「人間だけが、顔と顔を合わせて性の交わりを結ぶ。」[1] この場合の顔とは、人格にほかならない。
性的指向と人権性的指向は、所与としての一つの現実である。それゆえ、ある人の性の現実が軽視されたり無視されたりするなら、それは、一つの人権侵害にほかならず、ひいてはその人の尊厳を傷つけることになる。教皇フランシスコは、2023年1月23日、バチカン広報室でのインタビューにおいて、次のように語った
[1] ロロ・メイ『愛と意志』小野泰博訳(誠心書房、1977年)、456-457頁。
――「性的指向は犯罪でも罪でもなく、人の性のありようや条件の一つである。」
S.クナウス(Stefanie Knauss)は、次のように語る。「異性愛を規範とすることは、人間関係の社会的あり方や相続などの法規、そして自由と人権と社会正義の実現に、大きな影響を及ぼしている。」[1] 彼女によれば、「クィア理論は、西洋的な二分法の思考(男性/女性)と、そこに由来する性的態度の規範(異性愛)が、人間によって構築されたものであることを暴くという問題意識を示す言葉である。」[2] すなわち、このような二分法的思考に固執するがゆえに、現実の多様性を捉えることができず、ひいては差別を生み出すのであろう。
また日本国憲法においても、基本的人権の不可侵性について明言されており(11条)、それに対する尊重の意義について語られている(13条)。一人ひとりは、かけがえのない存在として、尊重されなければならない。多様性の大切な意義の一つは、ここにある。
性の決定の曖昧さ
自然界において、明確な性の区別を持っている生物は少ない、と言われる。[3] 例えば、環境の変化によってオスからメスへ、あるいはメスからオスへと変わるものもあれば(魚類)、孵化する時の温度によって、性が決定されるものもある(爬虫類)。人間を一つの種としてこの延長線上に位置づけるなら、同様のことが言えるだろう。もちろん、人間の性は、それに尽きるようなものではなく、ユニークな特徴を備えているが(人格としての性)。
人間は、22対の通常の染色体に加えて、一対二本の性染色体を持っている。それによって、人間は、男女の区別がなされる。つまり、XXなら女、XYなら男となる。しかし実際は、XXで男になることもあれば、XYで女になる者もある。つまり、人間の性は、ただ単に遺伝的要因だけによって決定されるわけではないのである。さらに人間は、受精後七週くらいまでは「性的両能期」と呼ばれ、まだ男女の区別はなく、八週目になってようやく男性への分化が始まる、と言われる。
教皇フランシスコの思い
ホルヘ・マリオ・ベルゴリオが、教皇フランシスコとなって10年の月日が流れた。彼は、2013年、ブラジル訪問の帰途、次のように語った。「本人が良心に従って神のみ旨を探し求めているとすれば、どうして私にその人を裁く資格があるでしょうか。」また、こうも語る。「私には、誰をも教会から追い出す権利はない。」
私たちが何かについて判断を求められる時、その時の根本基準は、イエスの語る福音、すなわち愛徳にほかならないだろう。これに基づいて、その他のことは相対化される。すなわち、たとえ同様の行為であっても、その意味は、その行為がどのような文脈・背景においてなされたのか、それによって変わり得るのである。それゆえ、フランシスコは、使徒的勧告『愛のよろこび』において、ある人について何らかの判断が求められる時、決してその人の性的指向ではなく、その人の人間としての尊厳そのものに注意を向けることの大切さを強調する(250項)。
彼のこのような思いに関して、J.マシアは、同性婚を巡る問題に触れながら、次のような4つのポイントを指摘する。[4]
①「同性婚の方々」の尊厳と権利を尊重すること。
②その良心的な識別を尊重し、裁かないこと。
③すべての差別やヘイトスピーチなどを拒否すること。
④教会の中で受け入れ、誰も教会から排除しないこと。
フランシスコはまた、次のようにも語る。「善意の人で神を求めている同性愛者を、私たちが裁くことができるでしょうか。」「信仰者が罪を告白すれば、神はその人の罪を赦す。同性愛的傾向を持っていても、神を信じて正しく歩もうとするならば、私にはその人たちのことを裁けない。」
私たちは、どこに自らの立ち位置を定め、このようなデリケートな現実に相対することができるのだろうか。ある時、シモンというファリサイ人が、イエスを食事に招いた。そこには、“罪深い女”と呼ばれる女性も同席していた。彼が、彼女のことを不快に思っていると、イエスはこう語った――「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」(ルカ7:47)。
【参考図書】
平良愛香 監修
『LGBTとキリスト教20人のストーリー』
日本キリスト教団出版局(2022年、2000円+税)
キリスト教信仰を生きるLGBT当事者を中心にした20名分の証言(体験記)を収録。
[1] ステファニー・クナウス「キリストの虹色の体とクィア神学」『神学ダイジェスト』No. 124(2018年夏):9頁。
[2] 同、10頁。
[3] 多田富雄『生命の意味論』(新潮社、1997年)、101-117頁参照。
[4] ホアン・マシア「カトリック倫理の発展と教皇フランシスコ――同性婚論争を背景に――」『福音と社会』327号(2023年):23頁。
飴売り具學永(ク ハギョン)の物語と記憶に触れて
五十嵐 望美
一橋大学大学院生
5月、日韓青年フォーラムの参加者有志で、埼玉県の寄居を訪ねるフィールド・ワークの時を持ちました。これまで日韓青年フォーラムでは、日韓間が共有する平和や和解に関する課題について、日本と韓国の青年たちで互いの想いを分かち合いながら学びを深めるプログラムを昨年から行ってきましたが、今年は関東大震災から100年という節目を迎えるにあたって、震災時に各地で多くの朝鮮人が犠牲となった虐殺事件について取り上げることになりました。そこで虐殺事件の実態を理解するために、事前学習として犠牲者の一人である具學永(ク・ハギョン)の物語を描いた『飴売り具學永』(キム・ジョンス著、展望社、2022)を読み、今回その具學永が眠るお墓がある寄居を訪れました。
関東各地に残された数々の証言記録から、大震災によって首都圏を含む関東地域一帯が甚大な被害を受けて大混乱の中、「朝鮮人が暴動を起こした、放火した、井戸に毒を入れた」といった根拠のないデマ(流言)が広がり、それを受けて当時の日本政府も戒厳令を公布した上で軍隊・警察の動員や住民に自警団の組織を促し、「不逞鮮人」とみなされた人々が手当たり次第に逮捕・虐殺されたことがわかっています。その犠牲者の数は6000人を超えるともされていますが、これまで大規模な調査が実施されていないため、犠牲者の名前や身元も不明なケースが大多数であり、その実態や真相はほとんど明らかになっていません。
しかし、『飴売り具學永』では、青年ク・ハギョンがどのような経緯で虐殺に巻き込まれてしまったのかをイラストを交えながら、子供から大人まで理解しやすいように描かれています。また、今回のフィールド・ワークでは、虐殺現場の近くに友人が建てた彼の名前や出身地と亡くなった年齢が刻まれた墓碑を目にできたことで、彼が100年前の震災で虐殺されてしまったという事実をさらに実感することができました。
このような虐殺の実態を伝える『飴売り具學永』の物語を知った時、私は大きな憤りと無念さを感じました。なぜなら、この物語を読む中で、これまで私が大学院での研究を通して学んできたアメリカにおける黒人に対する人種暴力や虐殺の記憶に関する歴史と、多くの点で既視感を覚えたからです。そして、これらを重ね合わせて考えた時に、「人種・民族の違いを理由にした差別に基づく大量虐殺という出来事が起きてしまった」という忘れてはならない歴史であるはずのものを、これまで私たちはいかに忘却して過ごしてきてしまったのかを痛感せざるを得なかったからでした。
特に、関東大震災が起きた20世紀初頭の時代は、アメリカにおいてもきわめて人種差別的なステレオタイプによる根拠のないデマをもとに、黒人を標的にした暴力や虐殺(リンチ)が各地で激化していた時期でした(1921年にオクラホマ州のタルサで起きた人種虐殺事件が、その事例として挙げられます)。そして、現在に至るまで、黒人コミュニティにとってはそのような歴史が忘却されることが最も屈辱的なことです。自分たちの先祖が経験した記憶を忘却してきたような社会で生きる限り、自分たちや身近にいる人たちの命や人権がいつどんなときに蔑ろにされても構わない状態と地続きになっている恐ろしさを日々感じているのです。だからこそ、これまで度々押し寄せてきた忘却の波に対してなんとか声をあげて抗いながら、その記憶を取り戻してきたことを、私は研究を通してわずかながら感じてきました。
しかし、一方で、同じく100年の時が過ぎようとし、東京に住んでいる人でさえそうした虐殺の出来事があったことをほとんど知らずに過ごしてきた中、いまだに日本政府が朝鮮人虐殺事件の犠牲者に対して謝罪をすることもありません。また、近年はむしろ、毎年横網町公園で行われる犠牲者を覚える追悼式典での追悼文の送付を現都知事が拒否し続けています。そんな状況が長年続いてきてしまったことで、私たちもこのような忘却の波に押し流されるばかりだったのではないかと感じました。
『飴売り具學永』を読んだ感想や、今回のフィールド・ワークを通してク・ハギョンのお墓が残る正樹院や彼が殺されたであろう現場(寄居警察署自体は現在は跡形もなく、虐殺が起きたことを伝えるものは何もありませんでした)を訪ねた感想などを分かち合いました。そのときに重ねて言及されたのが、この虐殺事件で起きたことを過去の歴史的事実として捉えるだけではなく、今私たちが生きている現代の社会で起きている出来事と地続きにあるものとして捉えることでした。特に、今は当時よりも多様な情報ツールができたことで、人々が気軽に様々な情報にアクセスすることができるようになりました。その一方で、災害などの非常事態が起きたときには、ネット上の言論空間などでも根拠のないデマの拡散や、人種差別的なヘイトスピーチが激化するなどの現象は変わらず起きており、今も差別や暴力が根絶されていない現状を改めて認識する時間になりました。
『飴売り具學永』は、100年前に関東各地で起きた虐殺事件のうちのごく一部分ではありますが、忘却されてきた犠牲者の痛みを伝える貴重な物語です。と同時に、彼の親しい友人や地域の人々がク・ハギョンに起きた出来事を忘れてはならないという想いが積み重なったからこそ、今に生きる私たちも知ることができている物語でもあります。そのことを覚えながら、この歴史を踏まえて私たちに何ができるかを引き続き考えていきたいと思います。
第2回在日ベトナム人カトリック青年全国大会ーシノドスの精神 「若者の声に耳を傾ける」ー
ヨセフ グエン タン ニャーSJ
カトリック麹町聖イグナチオ教会助任司祭
5月の連休中、4日から5日にかけて、静岡県にある聖心会裾野黙想の家で、第2回在日ベトナム人カトリック青年全国大会を行いました。天気に恵まれて、日本全国からベトナム人の青年が約1600人集まりました。
今回の大会のテーマは「愛の源を汲む」です。このテーマを選んだ理由は、愛の源である神に立ち戻ることがすべての信者には大事なことであり、その愛の源である神に愛されることを再確認して、現代の人々に神の愛を宣べ伝えたいと思うからです。
母国から離れて日本で生活しているベトナム人の若者たちは、言葉をはじめ、いろいろな面で困っていると感じています。その中で一番苦しんでいるのは、ベトナムにいる時と同じように自由に教会に行けず、信仰生活を支えてくれる司祭や修道者や両親などがそばにいない現実です。教会から遠いところで働いているため、教会にあまり行けないこと、そして教会に行っても言葉を理解できず、同世代の人々に出会うことができなくてとても寂しいというベトナム人の若者たちの声をよく耳にします。彼らが少しでもこの状態から抜け出し、たとえ目の前にいなくても彼らのことに気を配っている日本のカトリック教会の責任者、そして日本で働いている司祭と修道者がいることを伝えたいというのが、このような青年大会を開催するもう一つの理由です。
ベトナムから移住民担当者ヨセフ・グエン・チー・リン大司教、そして日本カトリック教会の移住民担当者マリオ・山野内倫昭司教が来場しました。リン大司教は「私はあなたたちの両親と家族のメンバーのあなたたちに対する愛情と期待を携えて日本に来ました。両親と家族のメンバーはいつもあなたたちのことを考え、心配していると同時に誇りをもっています」という言葉で青年たちに話しかけました。また、「日本で生活することは、すべてのベトナム人の青年たちにできることではありません。日本にいることを感謝しなさい。カトリック信者であるあなたたちはただ単に勉強やお金を稼ぐためだけではなく、一人ひとりの生き方を通して、この日本でイエスの福音を宣べ伝える使命をもっています」ということも話してくれました。
そして、マリオ・山野内司教は次のような言葉で青年たちに呼びかけました。「皆さんのお陰で、日本のカトリック教会が新たになりました。日本のカトリック教会のミサに参加してくれる皆さんのお陰で、教会の雰囲気が変わりました。言葉の問題があるかもしれませんが、それに負けずに、ミサだけではなく、小教区の行事にも参加するようにしてください。掃除やイベントなどを計画して、小教区全員で一緒に動いてください。皆さんはお客さんではなく、教会の一員として関わってください」。
大会は十字架賛美式からスタートして、十字架にかけられたイエスのみに人類の希望を見つけるということを再確認します。その後、シノドスについて、リン大司教の講話があり、カトリック教会はすべての信者、特に青年たちの声を聞きたいと強調して話してくれました。大司教の話が終わると、少人数のグループに分かれて、教会に対する自分の期待と教会に訴えたいことというテーマで話しあってもらいました。
翌日、各グループからの代表にグループで話した内容を発表してもらい、その場で、司教と司祭たちが各グループから出た質問に答えました。青年たちからの質問は、教会全体が抱えている問題ばかりでした。例えば、「なぜ、教会は同性婚を認めないのか」、「福音宣教に関する諸問題」、「日本にいる期間、信仰生活をどううまくやっていけるのか」。その中で、多くのところには教会がないため、ミサや秘跡にあずかることができないことや、時々教会に行っても、言葉を理解できなくて、ミサや秘跡に十分参加できないことなどについて話してくれました。そして、霊的なニーズ以外にも、日本語ができないため、労働ルールや日本の慣習を理解できないので、毎日の生活にも困っていることが多いと訴えていました。特に、職場での問題をなかなか解決できないのです。
彼らの話を聞いている時、まず、彼らの霊的なニーズに十分応えられていないということをその場にいる人々、特に司教と司祭たちは強く感じました。しかし、この現実をすぐには改善できないことを知ってもらいたいと応えるしかないのです。なぜならば、日本で働いているベトナム人司祭は約46人だけしかいないからです。北海道から沖縄まで、全国各地には何人かいますが、全然足りていないのです。この司祭たちはベトナム人の司牧だけではなく、各修道会と教区の仕事をもしなければならないのです。ベトナムから司祭を連れてきて、ベトナム人司牧をさせたらどうかということも考えられますが、とても難しいです。日本語ができないので、その司祭の生活も誰かが世話しなければならないため、なかなか進められないのです。
今のところ、唯一の方法として考えられるのは、在日ベトナム人が日本語をもっと勉強して、日本語のミサに出るように頑張ってもらうことです。そして、何らかの形で年何回かベトナム語のミサを行い、その時に、ゆるしの秘跡などをするしかないのです。
社会的な問題に関して、以前はコロナ禍によって労働問題が目立っていたため、日本カトリック難民移住移動者委員会(J-CaRM)をはじめ、イエズス会社会司牧センターや他の労働団体と一緒に、ホットライン相談の活動を始めました。現在まで続けられています。約2か月に一回、全国からの相談を受け、一緒に解決しようと働いています。
大会は参加者の青年たちのレクリエーションの時間を設け、第一日目の夜7時から10時まで、各グループが準備した歌や踊りなどを提供して、一緒に楽しい時間を過ごしました。10時からテゼの祈りがあり、聖体賛美式もありました。翌日、朝5時30分から体操でスタートして、朝ご飯の後、運動のゲームの時間があり、昼ご飯が終わってから、荘厳ミサを行い、派遣式で大会は終わりになりました。
今回の大会には、日本のカトリック教会とベトナムのカトリック教会の代表者として参加してくれた二人の司教をはじめ、日本で働いている司祭たちとベトナムから来た司祭たちを合わせて約40人、そして修道者たちも約40人参加し、とても印象的でした。教会は若者のことを大切にしているというメッセージが強く伝わったと感じました。母国から離れていても一人ではない、孤独の中に生きているのではないということを参加者の若者たちが感じていたそうです。彼らが教会の将来を担う人間になるために、まず、教会が彼らのことを大事にしているということを理解してもらわないといけません。このような大会を通して、若者同士が互いの信仰を支え合って、社会のため、そして、教会のために、一緒に担っていくことができるように願っています。
≪新刊案内≫
『新版 森と魚と激戦地 はじめて明かされる太平洋の住民たちの受難と抵抗』
清水靖子 著 三省堂書店/創英社、2023年、本体2700円+税
メルセス会のSr.清水靖子が1997年に北斗出版から出した本に、現地と日本の四半世紀分の情報を新たに加えた「新版」。森を、海を、大地を、そしていのちを、日本(軍・政府・企業…)によって太平洋戦争中も戦後も蹂躙されてきた太平洋の島々。それでも人々は必死に、かつしたたかに抵抗を続けてきた。 収められた多くの資料と証言からは、 現代日本に暮らす私たちに向けられた強烈なメッセージが浮かび上がる。 「パプアニューギニアとソロモン諸島の森を守る会」については、本誌216号(2021年2月)も参照。
【内容】 かつて日米の戦いの激戦地だった太平洋。その海と島々は今、環境破壊の激戦地となっていた。踏み込まれた住民の受難と抵抗。歴史の闇に埋もれさせてはならない出来事の数々を綴った。
● 太古の森と海に暮らす人々
● ラバウル恐怖の軍政と「日本皇軍慰安所」
● ティンブンケ村民虐殺事件
● ガダルカナル島秘話
● 日本軍占領下のムンダやベララベラ島では
● 海軍による捕虜への生体実験〈トラック諸島〉
● 民間人を集団処刑した秋風事件
● バラライ島で英軍捕虜と住民を集団虐殺
● 昔戦車、今ブルドーザー──日系三大伐採企業
● 誰が太平洋のマグロを消してきたのか
● 女たちのココナツ・ワイヤレス ほか