いと高き所には栄光、神にあれ
地には平和、御心に適う人にあれ (ルカ2:14)
梶山 義夫 SJ
イエズス会社会司牧センター所長
ミャンマー内戦、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル・パレスティナ戦争、アフガニスタン紛争、イエメン内戦、シリア内戦、アフリカ各地の紛争など、戦争や紛争が多発し続けています。また軍事的緊張が高まっている地域も少なくありません。局地戦のように思われる戦争や紛争がその場、その時には解決策のように思えても、その戦争や紛争は暴力の連鎖を引き起こして、地球全体を害し、新たなよりひどい戦争への扉を開いています。グローバリゼーションの発展の結果です。 「現代世界ではもはや、あの国この国で、戦争が『ばらばら』起きているのではなく、『ばらばらな世界大戦』が起きているのです」(『兄弟の皆さん』259)。第三次世界大戦がすでに始まっているのではないでしょうか。
今年はヨハネ23世の『パーチェム・イン・テリス 地上の平和』が1963年4月11日に出されて、60年の年月が経ました。この回勅の背景には、冷戦があります。この回勅が出されたのは、ベルリンの壁が建設されて2年後、キューバ危機の半年後です。米ソ間の戦争、それも核戦争が勃発する危険が極めて高くなった時期です。冷戦が進展する中で、東西陣営の単に社会体制が異なっていただけではなく、相互に疑心暗鬼の状態に陥っていました。深刻な不信と恐れが世界を覆っている状況で、教皇は教会だけではなく、「善意あるすべての人」に向かって回勅を出しました。
この回勅の重要な点の一つは、まず人間の尊厳と人権の内容の全体像を述べていることです。人権について『レールム・ノヴァールム』以降さまざまな教皇文書が触れてきましたが、包括的に述べたのはこの回勅が最初です。
「すべての人間には、生きる権利、身体の健康を保つ権利、そして尊厳ある生活水準に不可欠な手段を十分に得る権利があります。これは、とくに衣食住、休息、医療、必要な社会福祉に対する権利を意味します」(6)※。 ※ 以下、番号は『パーチェム・イン・テリス』の番号
「すべての人間は、人間として尊重される権利と名誉を保つ権利を有しています。また、倫理秩序と共通善に反しないかぎり、真理を探求し、自己の考えを表明し、それを広める権利を、また技術や芸術を習得する権利を有しています。なお、客観的な情報を得る権利も有しています」(7)。
「人間一人ひとりは、良心に従って神を礼拝する権利を有しています」(8)。
「人間は皆、自分の生き方を自由に選択する権利を有しています」(9)。
「経済分野においては、就労の権利ばかりでなく、そこで自由に活動するという自然法に由来する権利を、すべての人間は有しています。・・・とくに強調すべきものとして、労働者には、正義の規準に従って決定される報酬を得る権利があります」(10)。
「人間は、その本性上社会的存在であるゆえに、集会と結社の権利を有しています」(11)。
「人間は皆、・・・正当な理由により、他の政治共同体に移住する権利を有しています。特定の政治共同体の市民であるという事実によっては、人類家族の一員であることや、世界共同体の市民であることは、いっさい否定されません」(12)。
「人間の尊厳は、公共生活に積極的に参画し、共通善の達成のために自ら貢献する権利を内包します」(13)。
もちろん私たちにとって権利だけではなく、義務も重要です。ただし最優先の義務は、すべての人の権利を認め尊重する義務です(15参照)。
この回勅はなぜ平和を求める訴えを始める前に、人間の尊厳と人権について語るのでしょうか。それはまず、「戦争はあらゆる権利の否定であり、環境に対する無残な攻撃」(『兄弟の皆さん』257)だからです。またすべての人の人権がしっかりと守られていること、特に土地、住居、仕事が確保されていることが、真の平和への道だからです(『兄弟の皆さん』127参照)。
この回勅の冒頭には、「真理、正義、愛、ならびに自由におけるすべての民の平和について」と記されています。つまり真の平和とは、この四つの要素が不可欠なのです。「人間社会の秩序は、・・・真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において、たえず新しく、より人間的な均衡に向けて形成されていかなければなりません」(20)。
真理
「人間社会は、真理の上に築かれるとき初めて、秩序を保ち、人間の尊厳にかなった、豊かなものとなります」(18)。また「政治共同体間の関係は、真理によって律せられなければなりません。真理は、何よりも、人種差別がその関係において徹底的に排除され、本性に備わる尊厳から人間が平等であることをすべての政治共同体が認めるよう要求します」(49)。
私たちは歴史的真理に基づいて、犠牲者の記憶を尊重することによってのみ、相互理解と平和を構築することができます。しかし世界には不都合な出来事を消し去り、事実を歪曲し、歴史を修正しようとする誘惑が強く働いています。今年は関東大震災が起きて100年となる年でした。大震災後、多くの朝鮮人が虐殺されましたが、その事件発生直後から、政府などによりその事実の隠蔽が図られました。その動きは今日も続いています。「うそつきは政治家の始まり」という言葉は漫画『クレヨンしんちゃん』初出とされますが、なぜか世界中に通用する意味になっているのではないでしょうか。
正義
社会でいちばん弱く脆弱な立場に置かれた人々、最貧困にあえぐ人たちや排除された人々が大切にされることが重要です。戦争や紛争において最も害を被るのは、このような人々であり、また自分を守るすべもない子どもたちです。子どもたちは強制されたり、戦争指導者から感化されたりして兵士として最前線に立たされる場合も少なくありません。戦争や紛争の多くは、貧困を背景要因としています。貧富の格差拡大はグローバル化した世界全体の問題です。平和をつくるためには、貧困問題に取り組まなければなりません。
教皇は『パーチェム・イン・テリス』の結びに、「特別な助けと保護とを必要としている、もっとも不利で、もっとも貧しい人々に恩恵をもたらすものとなるように」(91)願っています。日本も例外ではありません。日本の場合、特に子どもたちの貧困は最大課題であり、さらに海外につながる子どもたちの貧困と教育は危機的な状況にあり、教育事業に深くかかわっているカトリック教会にとって最優先課題です。
愛
「愛には恐れがありません。完全な愛は、恐れを締め出します」(1ヨハネ4:18)。戦争や紛争の起こる根本原因の一つは、相手に対する恐れです。「原子力の時代において、戦争が侵略された権利回復の手段になるとはまったく考えられません。・・・残念なことに、今日もまだ、恐怖の法則が、しばしば諸民族を支配しています。そのため、これらの民族は、軍事費に巨額を充当しています。これらの民族が断言するところによれば・・・その目的は攻撃的なものではなく、他者に攻撃を断念させるためだというのです」(67)。
「軍備縮小の過程が、人間の心にまで及ぶ徹底した完全なものでなければ、軍事力増強の停止、軍備の削減、さらに――これはもっとも重要です――その全廃は実現しません。人々の心の中から戦争勃発の予感に対する恐れと不安を払拭するために、すべての人は心から協力し、努力しなければなりません。軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります。わたしは、これが到達可能な目標であることを主張します」(61)。平和の実現のためには、よい政治が必要です。よい政治の重大な条件は、共通善を追求する愛であり、いちばんの弱者に対する優先的な愛です。
自由
「政治共同体間の関係は、自由を尊重しつつ律せられたものでなければなりません。それは、どの政治共同体も他の共同体に対し、不当な圧迫や干渉をする権利がないことを意味します」(64)。それぞれの政治共同体の中において、人間の尊厳と人権がしっかりと擁護されなければなりません。
高齢者、病気に苦しむ人、生活に困窮している人、外国籍の人々、住所を持つことができない人、さまざまな障がいを抱える人、依存症の人、犯罪被害者、受刑者、男女格差で苦しめられている人、LGBTQの人、離婚したり再婚したりした人、さまざまな形でハラスメントを受けている人、ひとり親の家庭、移住移動者や難民、劣悪な労働条件の下で働かされている人、在留資格のない人や入管施設に収容されている人がいます。この記事を読む人の中にも該当する人がいることでしょう。すべての人が兄弟姉妹として自由に向かって共に歩むように招かれています。
『パーチェム・イン・テリス』は、60年前に出されたものです。その後の世界の歩みはどうでしょうか。「現代の世界では、同じ人類に属しているという感覚が薄れ、正義と平和をともに築くという夢は、別の時代のおとぎ話のように見えます」(『兄弟の皆さん』30)。冒頭に挙げた、天の大群の神への賛美の中で、聖家族は平和について何を語り、また私たちに何を求めているのでしょうか。
お勧めの一冊
『いのちと性の物語 人格的存在としての人間の倫理』
竹内 修一 著 春秋社 2023年
著者は上智大学神学部で長年倫理について教鞭をとってきたイエズス会司祭である。本書は、倫理について最近問われているさまざまな課題について、いのちの尊厳を守ることや美しく生きることを根本的原点として定め、聖書からのメッセージを大切にしながら、信徒でない人にもわかりやすく説明している。
第1部は倫理に関する根本的な考えを、東西の古典哲学や聖書による徳や良心理論を参考に展開している。第2部は生殖補助医療、出生前診断、人工妊娠中絶、優生思想、脳死・臓器移植、安楽死・尊厳死、ケアリング、ホスピス・緩和ケア、死刑・死刑制度について取り上げている。第3部は人格としての性、関係性としての性、言語としての性、性と結婚について取り上げている。
ソウルでのイエズス会社会使徒職会合における考察――真の貧困について考える――
キム ミン SJ
韓国管区社会使徒職委員長/イエズス会人権連帯研究所
ペドロ・アルペ神父はかつて、貧困と富裕の極端な共存についてこう語った。「餓死する人もいれば、コレステロール過多で亡くなる人もいる。飢餓は不公正の当然の帰結であり、豊かな国々は不公正をなくすことができる。だが、そうしたくはないのだ」。ペドロ・アルペ神父の貧困に対する視点は、この一文に明白に示されている。貧困は構造的な不正義の問題であり、貧困と富は私たちの社会における切り離せない影と光だ。貧困の闇は、度を越した富を前にして、ますます強まるばかりである。
問題は、私たちのような修道者がどのように貧困を生きるかだ。私たちは確かに清貧の誓いを立てている。しかし、その誓いの文言は違う。私たちが儀式で唱えた清貧とは、英語では同じく貧困(poverty)だが、韓国語では「清く貧しく」なのだ。私たちが誓った貧しさは、なぜ呼び名が異なるのだろうか。私たちが生きようと誓った貧しさは、特別な貧しさなのだろうか。今や私たちは、その貧しさに差異を見出すことができる。日常生活の貧困と修道生活の清貧との区別。ペドロ・アルペ神父が、「イエズス会員の死因はコレステロールであって、栄養失調ではない」と言ったのはそのためだ。私たちが生涯誓った貧しさは、実践的というよりむしろ象徴的なもののようだ。
もちろん、この話が一概に当てはまるわけではない。私が出会った修道女や修道士の多くは、とても寒々として貧しい生活をしていた。しかし、「清く貧しく」という私たちに特有の言葉は、私たちの清貧の誓いを特徴付けているように思えてならない。
2023年11月2日から5日までの4日間、ソウルでイエズス会日本管区と韓国管区の社会使徒職関係者の会合があった。貧困が主題であった。私たちは貧困について学び、現場を訪れて語り合い、経験を分かち合うために、都市部の貧困者と共に活動している支援者や研究者を招いた。
どういうわけか、古来より貧者は富者から切り離されてきた。例えばローマでは、市民権を持てるほど裕福な人と、市民権を持てない人とが明確に分かれていた。私が育った頃の韓国もそうだった。私たちがムン村と呼んでいる場所――地価がとても低い山の名前からきているのだが――は貧困地域に分類されており、ムン村の子どもたちはマンション住まいの子どもたちとは隔てられていた。しかし、今とは違って一緒に遊んだものだ。離れていても区別はされていなかったのだろうか。
今日では、貧困層の住居のあり方は非常に特徴的であり、ある支援活動者は「非住宅集落」と名付けた。韓国では、住宅は金銭と同じくらい、いやそれ以上に富を生み出す手段である。住宅は今や投機の対象であり、居住のためではない。その結果、まともな家は貧者にとって絵に描いた餅(見ることはできるが食べることはできない)のようなものである。従って、貧しい人々は家ではない場所に住むことを選ぶのだ。このような特殊なタイプの住宅には、「考試院(コシウォン)」や「チョッパン」など、さまざまな名称があるが、共通する特徴がある。それは、家賃は安いが極めて非人間的な住環境であるということだ。貧困層が住む場所はもはや「家」ではなく、粗末な簡易宿泊施設の一種である。彼らが住むタイプの住宅は、韓国社会における貧困の悲惨さを何よりも象徴している。
とても皮肉なことに、国内は高度に工業化され、個人所得は以前より確実に増えているにもかかわらず、貧困層はより悲惨で絶望的になっている。かつては社会・経済的な階層を上るべく必死に努力していたのに、今ではあきらめてしまっているのだ。
ソウルでの会合中に龍山(ヨンサン)に行った。ある意味「ダークツーリズム」であり、興味深い場所だった。1980~90年代の昔の雰囲気がまだ残っていた。様々なことが起こった場所を訪れたが、そのひとつが「ナミルダン」ビルだった。2009年、相変わらず韓国では再開発プロジェクトは莫大な収益が約束されていた。古いビルを改築することによって、資産価値は何倍にもなった。問題は、そのビルに入居していた借家人だった。彼らは損害賠償を要求し、ビルを占拠した。1月9日、彼らを排除しようとした警察と、それを阻止しようとした借家人らとの間で衝突が起きた。6名が死亡した。この事件は韓国社会に大きな衝撃を与えた。
私は初めてその場所を訪れた。とても素敵な建物を見ることができたが、あの日のことを思い出す余地はどこにもなかった。悲惨な記憶を葬り去り、見栄えを良くするためのトリックだ。明らかな偽装だ。貧困は、今や華やかなファサードの陰に隠されていた。
この集いでは、他にも数え切れないほどの出会いと出来事があった。どれも貴重なものだった。しかし、私たちが話していた貧困がいかに浅はかなものであったかを思い知らされた。私たちが失ってしまったものへの郷愁だ。かつて、私たちの先達たちは貧者と共に生き、貧者が感じたことを感じ、彼らと共に闘った。今となっては多くのイエズス会員が、「貧しくある」という感覚を失いつつあることを嘆いている。
なぜ私たちは貧しくあるという感覚を失いつつあるのか。多くの理由がある。イエズス会が運営するセンターの制度化。これは正しい方針であり、私たちの施設や拠点の持続可能な仕組みを確立する必要があるためだ。私たちはイエズス会の施設に適切な運営体制を構築しているが、その代償は大きい。素晴らしい建物、良好な労働条件の優れたスタッフ。私たちをフロンティアや辺境に駆り立てる精神はどこにあるのだろうか。時折、一見すると素晴らしい仕事のために、最も大切なものを犠牲にしているのではないのだろうか。私はソウルで、私たちにとっての貧困の意味を考えている。
地雷除去ロボットの開発とCO2の削減
鈴木 隆
東京教区荻窪教会信徒
イエズス会霊性センター 「せせらぎ」 スタッフ
2017年のクリスマスから2018年の正月にかけて、JCAP(イエズス会アジア太平洋協議会)のユース部門が主催するMAGISプログラムが、カンボジアのシム・リアップのメタカルナ・リフレクションセンターで開催されました。そこにはイエズス会難民サービス(JRS)があります。私はもちろんユースの世代ではありませんが、日本から参加の若者の付き添いを兼ねて、スタッフとして参加しました。聖イグナチオの霊性を学び、自分の召命について深める集いでした。
会場の小さな売店で目にしたのは、片足の膝から下のないイエスの像でした。会場となったシム・リアップは、1970年から1991年まで続いたカンボジア内戦の激戦地の一つで、ポルポト派が逃亡した際に、地雷を敷設した地域です。カンボジア和平協定が締結された後も、対戦車地雷も対人地雷もそのまま残り、それを踏んでしまった人が負傷する事故が続きました。殺戮と破壊の痛ましい傷跡が、今も大地に刻みこまれていることを心に留め、片足を失ったイエスが苦しみや悲しみをも担ってくださるようにと、祈りのひと時をささげました。
地雷は悪魔の兵器と言われています。一度敷設されると発見に手間がかかり、近づく者を無差別に殺傷します。対人地雷は、重傷を負わせることが目的の武器で、退却する際に追手を阻む手段としてあたりかまわずに散布します。手のひらに乗るくらいの大きさで、主な部分はプラスチックでできています。地雷で負傷した兵士は、同僚の助けを得て自陣まで戻ることになりますので、一発の地雷で3人の兵力を奪うことができます。ところが、どこにどれだけの数を散布したかを記録しませんので、戦闘が収まった後に、危険な地雷原として残されてしまうのです。
地雷原はカンボジアだけではありません。世界のおよそ60カ国に及んでいると言われています。そして、誤って地雷を踏んでしまう事故は、毎年6000件から8000件に及んでいますし、犠牲者の多くは民間人で、子どもも半数ほどになります。地雷の撤去には莫大な費用ととてつもない時間がかかります。地面に取り残された地雷の数は、世界で7000万個とも1億個とも言われていて、すべてを撤去するためには1000年の歳月が必要とされています。地雷の製作費は1個500円から5000円程度ですが、1個の地雷を除去するためには3万円から15万円かかると推計されています。
さらに厄介なのは、発見が難しいことと、発掘が危険であることです。発見されにくいように、金属部分を最小化してほとんどがプラスチックでできていますので、金属探知機に反応しにくいのです。また、掘り出す作業は手作業です。誤って事故になってしまうケースも、年間50件ほどに及んでいます。
このように、厄介な兵器ですので、対人地雷禁止条約(オタワ条約)ではその使用はおろか、貯蔵、生産、移譲等は全面的に禁止されていますが、今なおウクライナとロシアの戦争でも使用されています。過日、ウクライナの医師が地雷で片足を失った後も、負傷者の治療にあたっている痛ましい映像が、テレビを通じて伝えられました。
シム・リアップで年末年始を過ごした1年ほど前に、古くからの友人がロボットの研究開発を行うIOSという会社を立ち上げ、私も監査役として経営に関わるように依頼されました。人が担っている危険な作業に代わるロボットの開発が、会社の経営理念でした。当初はロケットの原理を応用して橋梁やトンネルの点検を行うロボットの開発に取り掛かりましたが、ドローン技術の急速な発展が妨げとなって成功しませんでした。新たな領域を模索しているときに、JICA(独立行政法人国際協力機構)と接触する機会を得て、地雷除去の現場で人に代わるロボットの開発が求められていることを知り、その開発が会社の理念と合致していることを確信して、それに取り組む方針を固めました。(https://ios-robot.com/)
カンボジアは、地雷除去技術では国際的に高い評価を得ていました。政府機関のCMAC(カンボジア地雷処理センター)と連携して、農民が自分で操作できる地雷除去ロボットDMRの開発に取り掛かりました。2018年に第1号機が完成し、CMACの敷地内に設置された仮想の地雷原で試掘を始めましたが、課題は山積でした。カンボジアの大地は粘土質で、雨が降ればドロドロですが、乾くとカチカチになります。ドリルを使って掘削を試みましたが、うまくいきません。発想を転換して、先端部にエアガンを用いることになり、この課題がクリアできました。
改良を重ねた結果、2022年3月に第5号機が完成し、7月にはCMACでのIOS社製のDMRの製品採用試験に合格し、11月には地雷原での実用が開始されました。地雷撤去作業員の人的被害をゼロに抑え、しかも迅速に掘削を行うことができるロボットの完成です。現在、量産化に向けて、第6号機の製作にあたっています。
残された大きな課題は、DMRを市場に出すための資金調達です。開発に費やした6年の間は売り上げがゼロです。支援金や助成金などで開発費の一部を賄ってきましたが、数千万円が費やされ、それをいかに回収するかも課題です。クラウドファンディング等の方法も視野に入れながら、DMRを世界中の地雷原に配備できるようにと、企業努力を続けていかなければなりません。
明るい展望も生まれています。地雷原跡地を利用して、IOS社は脱炭素化社会の実現に向けた貢献を検討しています。ウチワサボテンのプランテーションです。人手もかからず、栽培が容易なこと、美容オイルの原料だけでなく、野菜として食用にもなりますし、畜産飼料にもなります。国連のFAO(食糧農業機関)は将来の世界的食糧問題の解決策の一つとしてサボテンの消費を推奨しています。
近年注目を浴びているのは、サボテンのCO2固定能力です。通常の植物は、光合成の際に吸収したCO2を植物繊維として体内に固定化し成長します。この過程で大気中のCO2は削減されますが、枯れて微生物に分解されたり、燃焼されたりすれば、CO2は再び大気中に放出されます。ところがサボテンは吸収したCO2をシュウ酸カルシウムとして固定化するので、枯死しても酸化カルシウムに変わり、800度以上の熱を加えなければ、CO2に分解されないことが分かってきました。
今、地雷原跡に、ウチワサボテンを植える計画を立てています。カンボジアでは内戦で、全土の登記情報が消失してしまいました。2001年に新土地法が制定されて、全土の土地が私的所有の対象となりましたが、農村部では依然として登記情報の回復がなされずに、土地や家屋を持たない人たちも多数存在しています。そこで政府は、国有地の再分配を行うことになりました。地雷除去が終わった田畑を、土地を持たない人々と協力してウチワサボテンのプランテ-ションとしてよみがえらせ、あわせて脱炭素化社会に貢献しようとするプロセスがスタートしています。
社会貢献事業として取り組んでいるIOS社が、一つひとつ課題を克服していく道に、何か大いなるもの、神の導きと支えを感じます。
「アンソレーナさんと“開発”を語ろう」~低コスト住宅をとおして、貧しい人とともに歩む~
川地 千代
イエズス会社会司牧センタースタッフ
アンソレーナさんに久し振りにお目に掛かり、お話を伺いました。セミナーの時と同様、穏やかな口調と明晰さは変わりませんでした。インタビューはあっという間に2時間。それをもとにセミナーを振り返りながら、まとめてみたいと思います。
社会司牧センター主催のセミナーで、1994年~2018年の25年間、一度も穴を開けることなく、100回に及ぶセミナーの講師をしてくださいました。アンソレーナさんは毎年、夏から翌年3月迄は世界中のスラムを訪問し、日本にいる4月~7月に4回(毎月1回)、アップデートしたての内容を皆に共有してくださいました。セミナーのタイトルは「アンソレーナさんと“開発”を語ろう」で、サブタイトルは、スラム民衆による開発(1994)で始まりました。以降のサブタイトルをご覧いただければ、内容の概要や時代の特徴もある程度想像できると思います。
住民のエンパワーメント(1995)、リーダーたちの人物像から(1996)、第三世界における、貧しい人々の開発の過程(1997)、貧困者・NGOと、政府との新しい協力関係を模索して(1998)、下からの街作り 新しい“開発”の試みと発展(1999)、ラテン・アメリカにおける居住運動(2000)、政府の貧困対策に変革をもたらす住民組織とNGOsの活動(2001)、貧困脱却をめざす住民の創造的活動と政府の新対策(2002)、途上国における希望の兆し(2003)、ラテン・アメリカにおける住民運動と政府の貧困対策(2004)、途上国における、草の根住民運動の広がり(2005)、貧困と絶望を乗り越えて 途上国の住民運動の最新情報(2006)、貧困者のエネルギーと創造的活動を生かして(2007)、スクォッター(不法に住んでいる人々)の居住運動の発展(2008)、貧困者と支援者による居住運動30年の歩み(2009)、途上国における居住改善プロジェクトの進展(2010)、スラム居住改善活動(2011)、スラム居住改善運動(2012-2013)、スラム改善(2014-2018)
アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの開発途上国のスラムでの「住民自身による」働き・運動を中心に、毎年、国や地域ごと・テーマごとに、多様な切り口で大いに語っていただきました。スライドやビデオを多用し、世界各地の取り組みや活動する住民・リーダーの様子が、毎回、生き生きと伝わってきました。
セミナーには、低コスト住宅や街づくりに共に関心のある建築研究者・建築家をはじめ、建築・土木関係者、街づくり等の自治体職員、学生たち、世界各地で活動するNGOsスタッフ、そして関心のある一般の方々も多く参加しました。中には著名な建築研究者も参加していましたが、「僕たちの仲間は貧しい人のための低コスト住宅つくりなので、他の華やかな建造物をつくる建築家のように脚光は浴びないんだ」と笑っていました。彼らは貧しい人を選びました。
アンソレーナさんは、何十年も、世界各地のスラム・コミュニティや草の根グループを訪問し、低コスト住宅つくりのアドバイザーとして活躍し、他の国や地域で行われている事例を紹介するなどして住宅建設や居住環境改善に取り組みました。1994年には、アジアのノーベル賞と称されるマグサイサイ賞(国際理解部門)を受賞し、SELAVIP(ラテンアメリカ・アジア居住奉仕団)のアジア代表としても活躍してきました。
アンソレーナさんの活動の原点
アンソレーナさんは、アルゼンチン生まれ。二十歳でイエズス会に入会し、日本に来てからも建築学、哲学や神学を勉強しました。第三修練でドイツに行く途中で、インドのマザー・テレサのところに1か月間滞在して一緒に働きました。一番困っている人はどこにいるのか。それで、ムンバイで働くことにしました。使っていない神殿で、男性100人・女性100人の死に瀕している人、路上に横たわっている人の世話をしました。政府も彼らを預かって世話してほしいと依頼していました。アンソレーナさんは、朝食の世話と、トイレが無かったので、汚物をきれいに清掃する作業をしました。大変な苦労でした。一日中、彼らの世話に明け暮れました。
ある日、ちょっと英語のできる人が、アンソレーナさんに話しかけてきて「You are a good boy」と言われてとても驚いたそうです。そして彼は翌日、息を引き取りました。その後、ドイツへ行きましたが、貧しい人に何かすべきと思っていました。
また、アンソレーナさんは、遡ること6歳の時、アルゼンチンの小学校で、貧しい女の子が「臭う」からと、他の子どもから仲間外れにされているのを見て、避けるのではなく10メートルだけでも彼女と一緒に歩けばよかったなぁ、と後悔したのを鮮明に覚えているそうです。そういう仲間外れは、違うな!と。
第三修練を終え、日本に戻ったアンソレーナさんは、東京のSJハウスでコルカタの話を1時間くらい話した後、ベルギー人の神父から、チリでの貧困者センターの話を聞きました。ある裕福な女性が、低コストの貧しい人のための家をつくりました。チリの貧しい人が来て、その人が低コストの家を買えれば買う、お金のない人にはソーシャル・ワーカーが間に入って無料で提供する、ということでした。その家は南米のペルーやコロンビアにもありました。そして、アンソレーナさんは、日本だけではなくアジアで働かないか、と誘われました。良いプロジェクトがあれば手伝うから知らせてほしい、アジア地域で貧しい人の住まいのために活動してほしいと頼まれました。
インド、タイ、フィリピン、韓国…で沢山の人が住まいに困っていました。各地を訪ね、そこの住民やリーダーたちと話して、安い土地を買って、各プロジェクトを助けるようになりました。貧しい人は、今日を生きるので精一杯です。自分の方からは、少し手伝います。スラムのリーダーができて、そうしてグループが広がっていきました。貧しい生活をしている人たちはグループをつくり、大きいプロジェクトになっていきます。
かつて、マザー・テレサの環境で働いていたとき、人には希望がありませんでした。そこで少し手伝います。スラム街を組織し、住民が自分たちに責任を持つようにします。タイでは建築家と出会い、それを通じてプロジェクトが始まりました。パキスタンのOPP(オランギ・パイロット・プログラム)は、300人以上の住民が自分たちで、低コストの下水をつくりました。そういう運動が広まりました。彼らは、小さな家ができたとか、冬に冷たいシャワーでなくお湯のシャワーが使えるようになったとか、トイレができたとか――特に女性にはトイレは重要で、スラム街に一つだけだったり、遠くて安全でなかったり――そういう一つひとつが生活の安全や向上につながります。ほんの少し希望を与えられます。話を聞きます。自分でできることはやり、できないこともあります。
かつて2年間ほど足立区に住んでいたとき、日本でも、外国から来て、自分で食べられない人が沢山いました。また特に戦後は、男性が戻らず、女性の生活は困窮していました。
貧困者が自分でやろうとすることが大切です。ごまかしたり、騙したりする人もいます。もらいたいと思う人は文句を言います。人やプロジェクトは、ちょっと試してみたらすぐに判ります。そういう時は止めます。直観が役に立ちます。少しくらい失敗しても良いのですが、このプロジェクトに希望はあるか確認しながら、そして互いに手伝い、ゆるしながら活動します。自分たち自身でエンパワーし、住民自身で働きかけます。少しの力とお金で。精一杯貧しい人を大事にすれば、応える人は多いのです。ホンモノはいます。聞く。見る。一人だけでなく、グループと接触すれば、自分の利益を求めているかどうか分かります。
貧しい人との関わりで、自分の存在に、二つの自分が現れます。一つは自分勝手で自分に甘い、自分の利益を求め、人をコントロールしようとする自分で、そしてある人は独裁者になっていきます。もう一つは、私の兄弟姉妹、自分の幸せだけでなく、3人くらいで幸せにならないと幸せではありません。貧しい人や死に瀕している人も自分につながっているのではないでしょうか。これは、どんな人の中にもあるのではないでしょうか。自分の利益を考え、自分の考えで支配したい、自己主義の自分と、そうでない自分とが闘います。スラムで協力する、共に存在する、やるべきことは、そういう自分につながっています。