「旅路の里」 がリニューアルオープン
大田 伊杜子(いとこ)
援助修道会

昨年の9月2日に新しい建物で「旅路の里」は再出発し、スタッフも代わりましたので、最近の様子を皆さまにご報告致したいと思います。まず責任者がイエズス会の梶山義夫神父から同会の英隆一朗神父に交代し、また長いこと「旅路」の現場を担ってくださっていた高崎恵子さんと早崎直美さんに代わって、福田紀子さん、そして援助修道会の私シスター大田伊杜子がアシスタントとして担当することになりました。
ところが私たちの会は、この春「カマ」(私は釜ヶ崎よりカマと言い慣れておりますので、以下カマと表記させていただきます)の使徒職を終えることが、先だっての総長訪問によってわかりました。その結果、私は3月に広島へ異動となり、私の後は江見玲子さんにバトンタッチすることになりました。ということで、ここに私の旅路の里の最後の仕事として、この3年半「旅路の里の建て替え」を横で見守って来た者として、この間の経緯を皆さまにお伝えしようと思います。
旅路の里は、六甲教会に異動となった薄田昇神父が、「ふるさとの家」でボランティアをしている中で、カマにイエズス会の建物を建てることを「時のしるし」として感じ、1982年に建てられました。ドヤとして使われていた建物を改修し、私がかつてよく訪ねていた40年前は、若者たちが大勢集まっていました。ここで過ごした若者たちの中には、現在のカマを支えている人が結構います。
また、私たちの会はシスター大野晶子がフィリピンでの体験学習の後、この「旅路の里」を頼ってカマに一人で来た後に、援助修道会の共同体をつくり、今日まで続いて参りました。特に若い養成期のシスターたちの実習場所として、援助会にとってはとても貴重な場所でした。
その頃私は枚方に援助修道会の共同体があり、そこのメンバーでしたので、青年会の人たちと月曜日の夜に、度々夜回りに来ていました。あの頃日本は高度成長期で、日雇いの人たちは新幹線の土台作り、大阪万博など大きな箱モノの建設に大勢関わって働き、とても活気に溢れていたカマでした。朝早く4時ごろから、今はずっとシャッターが降りたままになっている労働福祉センターの周りには、労働者を求めてやって来る建設会社の車で一杯。筋肉もりもりのよく働きそうな人たちから仕事が決まっていくのを、私は遠くから眺めていました。
そして思いがけなくイエズス会の梶山神父からの声かけをいただき、私は2020年7月末に旅路の里での使徒職に派遣されました。コロナがまだまだ蔓延していましたが、東京の共同体から思い切ってカマに動きました。久しぶりにカマに来てみると、改めて日本にこの町は絶対必要だと実感しました。日本の「セーフティーネット」として、困ったときにはカマに行けば何とかなるという町であり続けてほしいなと思いました。
さて、現在のカマの様子をみると、生活保護を受けてアパートに住む元日雇い労働者の方が多くなり、自転車でその方たちを介護するヘルパーさんたちで朝から溢れている町になっていて、40年前に枚方から来ていた頃とは全く様子が変わっていました。
私は「旅路の里」の建築がいつ始まるかわからない中で、土曜日の三角公園の炊き出しの野菜切りを手伝いに行ったり、三角公園で毎年行われる越冬闘争や夏祭りの実行委員会に入れてもらったりしながら、段々とカマに慣れていくことができました。もう一つ、守護の天使の姉妹修道会のシスター去来川久代たちに声をかけて、花園交差点で月一回の行動として「憲法9条守ろう!」の署名集めも同時に始めました。
2022年になると、4月になんと英神父が東京の聖イグナチオ教会から六甲教会に異動となり、旅路の里に関わって下さることになり、スタッフにとってとても有難い動きになりました。早速に高崎さんを交えて毎月一回ミーティングを4人ですることになり、しばらくしてからは「こどもの里」のスタッフさんたちとの合同の集まりをするようになりました。旅路の里は4階建ての建物で、1-2階を旅路の里が、3-4階をこどもの里が使うことに決まっていたので、合同のミーティングをした方がいいという運びとなったからなのです。
そうこうするうちに2023年8月2日に竣工式を迎え、一か月後の9月2日に開所式を行うことができました! 隣人の「ウェルフェアマンションおはな」の西口宗宏さん、西成区長の臣永正廣さん、釜ヶ崎日雇労働組合(釜日労)の山田實さん、釜ヶ崎反失業連絡会(反失連)の吉岡基さん、「喜望の家」の秋山仁さんと大谷隆夫さん、大阪高松大司教区の酒井俊弘補佐司教、イエズス会の佐久間勤管区長、聖母被昇天会のシスターマリア・コラレスと大勢の方においでいただき、福田さんの名司会でお一人おひとりから旅路の里への思いの「分かち合い」をするという時間もあって、とてもよい時を共に過ごさせていただきました。
オープンした後、早速にイエズス会の社会使徒職の皆さまが一泊二日で来て会議をされ、年末年始は上智福岡高校を皮切りに多くの高校生たちの研修が始まりました。生徒たちは2階の会議室に布団を敷いて雑魚寝をしながら、一泊二日の日程で福田さんと一緒にカマ内を歩き、深夜の夜回り、三角公園の炊き出し、そして体験後の分かち合いなどをこなしていました。コロナ禍の中、ずっと学校へも行けなかったので、いろんなところへ行ってみたいと思ってこの体験学習に参加したと一人の高校生は言っていました。ということで、この年末年始はとても賑やかな旅路の里でした。全国から毛布、衣類、お米などの支援物資が山ほど届き、心から皆さまに感謝申し上げます。
また、月に一回、第三月曜日の夜7時から、英神父の「いやしのミサ」も始まりました。そして、旅路の里はカマの中にあるキリスト教関係のグループ、「キリスト教協友会」の事務所でもありますので、協友会のプリンターと印刷機と図書室が置かれていて、関係者が日常的に出入りし楽しい場所でもあります。ということで、旅路の里はとてもよい出発が皆さまのお陰でできたのではないかと思います。これからもどうぞお祈りと支えをよろしくお願い致します。
【追悼】太田道子さんをしのぶ
中川 克史(かつし)
カトリック横浜教区信徒

太田道子さんが亡くなられました。
大学卒業後、1950年代から米国、イスラエル、ローマの大学院や研究所で神学、オリエント史、聖書学を修め、砂漠での観想生活も送られた後、『聖書 新共同訳』(1987年刊)の翻訳・編集の中心的役割を担われました。
その後、全国各地のグループや学校などに招かれて聖書の読み方の手ほどきをされましたが、1991年の湾岸戦争勃発時、難民移送のための自衛隊機派遣が検討されたことに対して、民間機のチャーターを提唱。勉強会と並行して、後に創設したNGO「地に平和」では、パレスチナ難民女性の生業を支えるなどの活動をされました。
昨年10月、ハマスとイスラエルの衝突後は、気力、体力が激しく衰弱し持病も悪化。1月2日、入院先で92歳の生涯を終えられました。ガザへの空爆が激化した昨年11月にご自宅をお訪ねしたのが、お目にかかった最後でした。日本では双方の憎悪の本質はなかなか理解されないだろうと嘆くとともに、お世話したガザの女性や子どもたちが皆、命を絶たれただろうと思うと涙が止まらないと語っておられました。
道子さんにとり聖書は「世界最高の歴史的・精神的遺産である旧・新約全書」でした。あくまで「人間の書」だという意味で「全書」と呼んでおられました。ユダヤの民が編んだ旧約。その伝統に育まれたイエスが起こした運動を記した新約。全書とともに生きた道子さんには、ユダヤ人国家がパレスチナ勢力の殲滅に突き進むような姿は耐えがたいものだったに違いありません。
イエスの働きとは、創世記が「極めて良かった」とした世界を取り戻す運動だったのだろう。その目標を、シュプレヒコールのような形にまとめた「主の祈り」。網を捨てイエスに従ったシモン・ペトロの思いは、キング牧師との出会いで経験した「この人に付いて行こう」という圧倒的な直感に似ているのかもしれない。
日本での「極少マイノリティー」であるキリスト者の自分が、どのように他人と違っているのかを確かめるために聖書の研究に進んだという道子さんの言葉を、改めて噛みしめています。
暗闇を歩む民は光を見た~今、私たちは何を呼びかけられているのだろうか?~
山内 保憲 SJ
上智学院カトリック・イエズス会センター

1月はいつも憂鬱になる。私のふるさとの神戸で大きな地震があったことを思い出すからだ。そして、今年の1月は、特に気が重い。元日に能登半島で地震が起きた。亡くなったかたや、今もなお困難な状況にある皆さんのために祈りを続けている。
神戸では、1995年1月17日の早朝に地震が起こった。私には当時26歳になる従兄がいた。1月16日の夜、従兄が何をしたかというと、彼は婚約式をした。婚約者のご家族と共に食事をし、人生で最も幸せな夜を過ごしたと聞いている。ほろ酔い気分でそれぞれの家に戻り、眠りについた。しかし、従兄はそのまま目を覚ますことなく、倒壊した家屋の下敷きになって死んだ。同じ家で寝ていた叔父も亡くなり、私の祖母も死んだ。
「どうしてよりによって元日の夕方に地震があるんだ!」「どうして婚約式の翌朝に地震が起きるのか!」と思わず叫びたくなる。「主は与え、主は奪う」(ヨブ記)。私たちの命は主から与えられて、そして奪われていく。地震などの自然災害に限らず、私たちは必ずこの命を返す時が来る。それがいつ、どのように返すのか、私たちには予測することも、コントロールすることもできない。それがこの地上で生きているという私たちの現実だ。
26歳。結婚して、人生いよいよこれから、という時に従兄は死んだ。震災の後、多くのかたがたから、「もったいない」「これからだというのに、もったいない」とお悔やみの言葉をいただいた。あんまり何回も「もったいない」「もったいない」と言われると、「26歳で死んだら、意味がなかったのか!」と言い返したくなるような気持ちにすらなった。私たちの命は、100歳まで生きる恵みもあれば、50歳で亡くなるかたもいる。26歳で亡くなる人もあれば、生まれて間もなく、主のもとに帰る人もいる。命というものは、短ければ意味がない、そんなものではないだろう。何歳であっても、この世で生きた、そのことがまず一番大切なことだ。
働いて社会の役に立つこと、恵まれた家庭生活を送ることなど、それらだけが人間の命の意味ではない。長くても、短くても、命を与えられ、それを返していく、そのこと自体に、私たちの想像を超える深い意味がある。そして、短命で主のもとに旅立っていった兄弟姉妹を思い起こすときに、残された私たちには「今、ここで生きている」ということを考える大切な機会が与えられているように感じる。私たちに確実に与えられているのは、「今」というこの一瞬だけだ。
震災から数日して、私は、死んだ家族のために葬儀ができる場所を探した。当時の神戸の教会は葬儀どころではなかった。親戚を頼って大阪の教会に行き、そこの司祭に私は葬儀の相談をした。するとその司祭はおもむろに手帳を取り出し、「ううむ。明後日から東京で会議があるからなぁ、葬儀はそのあとになりますねぇ」とおっしゃった。私はまだ若かったので、その神父にくってかかってしまった。「神父さん、隣の町で何千人も人が死んでいるのに、東京の会議が大切なんですか!」とかみついてしまったのだ。「目の前にいる、突然家族を奪われ悲しみのうちにいる信徒よりも、東京での会議が大切なのか!」と憤慨した私を、母親が「神父様に向かってなんて口のききかたをするのか」と叱ったことを思い出す。
しかし、その後にもカトリック教会の司祭のあまりにも冷たい態度に嫌気がさすようなことが続いた。私はしばらくの間、信仰を失っていた。教会に対する不満ばかり、会う人会う人に語っていた。ある時、一人の神父から、「あなたがずっと怒って、批判しているその教会は、あなたの教会であり、あなた自身ではありませんか? 神父だけが教会ではなく、あなたも教会の一部です。教会に不満を感じるのなら、あなたが少しでも変えていくように呼びかけられているのではないか?」と言われた。その言葉が心に引っかかってしまい、いつの間にか修道者になり、この道を歩むことになってしまった。
やがて、自分自身が司祭になり、学校で教えているときに、熊本で地震があった。生徒が私のところにやってきて、真剣なまなざしで「先生、ボランティアに行きましょう!」と言ってきた。私は、この時自分が言ったことが今でも信じることができない。私は、その生徒を前にして、手帳を取り出してしまったのだ。そして私は「今週は東京で会議がある」と言ってしまったのだ。その人の人間性というものは、一瞬の出来事で明らかになる。私は、司祭を続ける資格がないと悩んでしまった。
今、この瞬間、私たちはみんな生きている。今、この瞬間、私は何を識別するのかがいつも問われている。なぜ災害が起きたのか、そんなことに思いを巡らしても、もう時間は戻らない。なぜ、手帳を開いてしまったのかと悔いても、もう過去には戻ることができない。私たちにできることは、今、何をするかである。今、私は何をすべきなのか? 今、私に神は何を呼びかけていらっしゃるのか? 私はその呼びかけにどう応えていくのか? 今、しかないのだ。
2024年度の典礼暦のはじまりは、なぜ主イエスがこの地上にやってきたのか、ということを深く考えさえられた。主は暗闇を歩む民に、光を照らすためにやって来られた。人間の姿、それも暗闇のどん底にいる人間の姿になって生まれてきた。律法を破ったのではないかと、人々から疑いをかけられている聖母マリアは差別され、出産のための清潔な場所も与えられず、難民のような状態になってイエスを生んだ。
主の公現では、占星術の学者たちが主イエスを訪問した。クリスマスの聖劇では、三人の博士が宝物を運んでくる場面が美しく描かれる。馬小屋にも可愛らしい博士が置かれる。しかし、この後起こった出来事を知っていれば、私たちは喜んでほほ笑んでばかりもいられない。占星術の学者たちはヘロデのもとに帰らなかった。そして、自分の身が将来脅かされるのではないか、自分の立場が脅かされるのではないか、と疑心に陥ったヘロデは、二歳以下の男の子たちを大量虐殺してしまう。不安に思った、ただそれだけであまたの赤ちゃんが殺されるという悲劇が起こる、この人間の世界にイエスは生まれた。
今、イスラエルとパレスティナの出来事を見ていると、この二千年の間の私たちの歩みは何だったのかと、絶望してしまう。イスラエルはガザの子どもたちの命を守る気はないだろう。将来この子どもたちがテロリストになって、自分たちを襲うのではないか、その疑いと恐怖に駆られた人間は、また皆殺しを命じている。二千年の間、私たちは何も変わっていない。イエスは、こんな暗闇を歩む私たちの中に生まれたのだ。
神は、暗闇を歩む民の姿となって生き、殺され、その人生を通して、私たちに本当の「光」を伝えた。神は、ふわふわした雲の上でも、荘厳な神殿の中でもなく、戦争という暴力の恐怖に怯える人、災害によってすべてを奪われ絶望の中にいる人、すべての暗闇を歩む人々の中にいらっしゃる。
私たち信仰者は、イエスのミッションを生きている。それぞれの置かれた場所で、それぞれの形で、主の呼びかけを聴いている。個人として、そして共同体として、今この瞬間、私たちは識別するように求められている。多くの場合、私たちの目の前にいる、暗闇を歩んでいる人々を通して、私たちへの呼びかけは明確に示される。自然災害を前にして、世界中で続く戦争を前にして、人権が無視され迫害される人々を前にして、私たちは何を聴きとればいいのか? 多くの犠牲者のために祈りを捧げながら、「今」を生きている私たちに、「今」この瞬間、主が何を求めておられるか、私たちが正しく、主の声を聴くことができるように祈りたい。
部落差別についてお勧めの図書
「部落差別」について、最近は少なくなってきたという人もいるが、実はそうではない。インターネットなどを通じてさまざまな差別意識が拡散されている。また以前に比べて、部落問題が公教育の重要な要素とされなくなっている。そのような状況を踏まえて、次にあげる4冊の図書を推薦したい。 (編集部)
阿久澤 麻理子 (あくざわ まりこ)
『差別する人の研究 変容する部落差別と現代のレイシズム』 (旬報社、2023年)

大阪公立大学人権問題研究センター教授。上智大学法学部国際関係法学科卒業。大阪大学人間科学研究科博士後期課程修了(人間科学博士)。教育学、法学、社会学の学際的視点から、人権教育および変容する差別について研究。主な著書は、『フィリピンの人権教育 ポスト冷戦期における国家・市民社会・国際人権レジームの役割と関係性の変化を軸として』(解放出版社、2016年)、『地球市民の人権教育 15歳からのレッスンプラン』(解放出版社、2015年、共著)。
部落差別とレイシズム、マジョリティとマイノリティの関係性の根本的問題を指摘し、今後の課題を示している。著書の立場を冒頭の文章が示している。
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研究者となって四半世紀、この間、幾度となく、研究テーマをたずねられる経験をした。専門分野や方法論の説明を後回しにして、今ではごくシンプルに、こう答えることにしている。「差別する人(個)の研究です」。たいていは、怪訝な顔をされる。時に警戒される。なぜ差別「する人」を研究するのか。それは、差別をなくすためである。・・・差別は「する人(個)」の恣意であるから、勝手に作り替えられる。差別の現れ方も、それを正当化する理由も言説も、「する人(個)」によって、時代とともに変容させられてきた。 (プロローグより)
- 差別とは何か?
- 社会構築主義はマイノリティを無化するものか?
- レイシズム研究に手がかりをもとめて
―「逆差別」言説の研究を契機に - 社会システムに埋め込まれた差別
―「土地差別」を考える - 部落出身者判定の手がかりにされる部落の所在地情報
- 「全国部落調査」裁判 ―インターネットによる部落の所在地情報の拡散に向き合う
- ふたたび、言説の変容を考える
―「現代的レイシズム」とインターネット - 「現代的レイシズム」を強化するものは何か
―大学生の意識調査から - 終章 ―どこへ向かうのか
風巻 浩 (かざまき ひろし) / 金 迅野 (きむ しんや)
『ヘイトをのりこえる教室 ともに生きるためのレッスン』(大月書店、2023年)

風巻浩 : 東京都立大学特任教授。聖心女子大学非常勤講師。神奈川県立高校で社会科教師として勤務するなかで、川崎地域の外国籍住民の歴史発掘や高校生による多文化共生の活動に取り組んだ。専門は社会科教育、国際理解教育、開発教育、多文化共生教育。主な著作は、『社会科アクティブ・ラーニングへの挑戦』(明石書店、2016年)、『SDGs時代の学びづくり』(明石書店、2021年、共編著)
金迅野 : 在日大韓基督教会横須賀教会牧師、立教大学大学院キリスト教学特任准教授。マイノリティ宣教センター運営委員。専門は実践神学、多文化共生論と人権教育。さまざまな論文を執筆している。
「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」が施行されたのは、2020年7月1日である。主に在日コリアンに対するヘイトスピーチが頻繁に行われていたことが背景にある。この条例では、本邦外出身者に対するヘイトスピーチなど公共の場での行為を禁止し、さらに全国で初めて刑事罰を盛り込んだ。川崎市では、路上でのヘイトスピーチに関する違反はないという。この条例では、インターネット上の差別的投稿を禁止しているが、罰則はなく、その問題は解決されていない。この状況の中で、著者は特に10代や20代の若い人々を対象として本書を書いている。
“Men and women for others, with others”というモットーをよく用いる。そこで教育現場のすぐ近くのothersとは何かを、本書は問いかけている。
- ヘイトってなんだろう?
- 差別の歴史の上に立つぼくら
- 「ともに生きる」ためのレッスン
寺木 伸明 (てらき のぶあき) / 黒川 みどり
『入門 被差別部落の歴史』 (解放出版社、2016年)

被差別部落をめぐる研究もこの20年、さまざまな展開を遂げてきている。本書は「入門」というタイトルであるが、その研究実績を基に読みやすく書かれている。寺木が前近代、黒川が近現代を担当している。
寺木伸明 : 桃山学院大学名誉教授。『近世部落の成立と展開』(解放出版社、1986年)、『被差別部落の起源 ――近世政治起源説の再生』(明石書店、1996年)、『近世大坂と被差別民社会』(薮田貫と共編著、清文堂、2015年)。
黒川みどり : 静岡大学教授。主な著作は、『つくりかえられる徴(しるし) ―日本近代・被差別部落・マイノリティ』(解放出版社、2004年)、『被差別部落認識の歴史 異化と同化の間』(岩波現代文庫、2021年)、『描かれた被差別部落 ――映画の中の自画像と他者像』(岩波書店、2011年)、『増補 近代部落史 明治から現代まで』(平凡社ライブラリー、2023年)。
<<前近代編>>
- 国家の成立と身分差別の発生・変遷
- 古代律令国家体制の成立と身分制度
- 中世社会の成立・展開と被差別民の生活・文化
- 近世社会と皮多/長吏身分(近世部落)の成立
- 近世の多様な被差別民衆
- 近世社会の展開と被差別民衆
- 近世社会の動揺・崩壊と被差別民衆
<<近現代編>>
- 近代における部落問題とは何か
- つくりだされる差別の徴表
- “発見”される被差別部落
- 帝国の一体化を求めて
- 米騒動/人種平等
- 自らの力で解放を
- 解放か融和か
- 「国民一体」とその矛盾
- 戦後改革と部落解放運動の再出発
- 「市民」をつくる/「市民」になる
- 「市民社会」への包摂と排除
- 部落問題の〈いま〉を見つめて
黒川 みどり (くろかわ みどり)
『被差別部落に生まれて 石川一雄が語る狭山事件』(岩波書店、2023年)

戦後を代表する冤罪事件の一つ「狭山事件」で、石川一雄さんは被差別部落に生まれたという理由で、殺人犯として逮捕された。貧困ゆえに無学であったため、「自白」を捏造され、32年に及ぶ獄中生活の中で文字を学び、部落問題に目覚め、無罪を勝ち取るために今も闘っている。その半生を振り返りながら、部落差別が冤罪を生み出したことを明らかにする。
- 狭山で生まれた少年 ――仕事と青春
- つくりあげられた「犯人」
- 文字の習得と“部落解放”への目覚め
――東京拘置所時代―― - 労働と闘いの日々 ――千葉刑務所時代
- 「見えない手錠」をはずすまで
化石燃料COP(気候変動に関する国際会議)の先にある危うい希望と信仰
ペドロ ウォルポールSJ
Ecojesuit コーディネーター

COP28は、気候変動に対する脆弱性の拡大が懸念される中、政府代表団や参加者がCOP28の成果に取り組むため自国に戻り、満足のいく成果を得ることなく閉幕した。閉会総会では、先進国が協定締約国の完全な段階的合意の達成を「妨害」していると、一部の途上国によって指摘された。化石燃料の段階的な廃止が、1.5〈訳注:産業革命期以前からの世界気温上昇を1.5℃に抑える努力〉を維持する唯一の方法であるという気候科学者の呼びかけは承認されたものの、最終合意はこの緊急性を反映していない。「化石燃料からの段階的移行」、「エネルギーシステムの転換」、「燃料の切り替え」といった抜け穴だらけである。
しかし、光が差す瞬間もあった。教皇フランシスコは、『ラウダーテ・デウム(LD)』の中で、COP28に参加する人々に対し、「特定の国や企業の短期的利害よりも、共通善と子どもたちの将来とを考慮できる戦略家」であることを求めた(LD 60)。
小島嶼国連合(AOSIS)や中南米諸国など多くの途上国は、この合意が南半球(グローバル・サウス)の気候実態に即していないとして、率直な意見を述べた。サモアの首席交渉官でAOSIS議長のアン・ラスムッセンは、閉会総会でCOP28がいかに失敗したかを強調した。「必要な軌道修正がなされていないという結論に達した。科学に依拠するだけでは不十分であり、科学が私たちに何をすべきか教えてくれていることを無視している」。
アントニオ・グテーレス国連事務総長、アル・ゴア元米国副大統領(気候変動活動家)、メアリー・ロビンソン元アイルランド大統領(NGOエルダーズ議長)は、COP交渉プロセスが抱える限界に政治的に立ち向かい、最終合意がいかに最低限しか達成されていないかを何度も訴えた。
COP28の終盤、同じく産油国であるアゼルバイジャンのバクーに、次回COP29の開催地が決定された。アゼルバイジャンの人権および市民の自由についての実績が乏しいことから、この決定には懸念が呈された。
このような背景から、COP28、そして次のCOP29が産油国で開催されることは、人類の存続に関わる環境破壊が深刻化し、回復不可能な危機に瀕していることに対する産油国のしがらみを際立たせている。この結果、COP28以降も引き続き市民社会や各団体が関与し、団結していく必要性が高まっている。
2024年から2025年にかけ、各国は排出量削減と気候変動の影響への適応についての国家公約の概要を定めた、新たな「国が決定する貢献(NDCs)」を策定する予定である。市民社会の参加により、各地域の脆弱性をNDCs策定の中心に据えることが重要である。2026年のCOP31は、各国首脳が新たな法的拘束力のある国際条約に署名するため、極めて重要である。会議はおそらくオーストラリアで開催されるため、太平洋島嶼国は先頭に立って行動する必要がある。

この一連の過程を通して、私たちは宗教者の声が国際的な議論において支持を集めていることを実感している。バチカン市国は現在、交渉に参加することができる正式な加盟国である。COP28では宗教団体が集まり、今ではカトリックのCOPネットワークが形成され、エコロジーに関する今後の国際的な交渉プロセスへの関与を可能にしている。
カトリック教会は、このような国際関係に関与することの意義を理解している。ローマ教皇大使に率いられた教皇庁代表団は、COP28でカトリック団体と定期的に対話を重ね、協議文書への反映を求めた。教皇庁代表団が強調した主なポイントのひとつは、分野横断的なテーマとしての教育の役割と、環境保護における教育の重要な役割である。
教皇フランシスコは、世界気候行動サミットでの演説(教皇代理としてピエトロ・パロリン枢機卿が行った)で、次の点を強調した。「気候変動は、政治的変革の必要性を告げています・・・。この観点から、またすべての人が責任を負い、各自の貢献が土台であることからも、健全なライフスタイルを促進するだけでなく、教育やすべての人の参加を促す活動に深く関わっているカトリック教会の取り組みと支援を保証します」。
複数の講演において、教会指導者たちは地域社会の懸念を加盟国に訴えた。フィジー・スバ大司教区のピーター・ロイ・チョン大司教は、ツバルが主催した「化石燃料不拡散条約の取り決めを求め各国が力を合わせる」と題されたハイレベルの加盟国会合において、太平洋諸国の声を代弁した。ロイ・チョン大司教は、太平洋諸島の島民が海とともに持っている先住民の精神性、そしてこの条約は「人間の存在、アイデンティティ、そして尊厳を守るための一歩」であると述べた。教皇庁主催のサイドイベントである「人間開発およびエコロジーの共通理解による損失と被害への対処」では、再生可能エネルギー設備に必要な鉱物の需要に応えるための深海採掘などの行為が、いかに新植民地主義の一形態であるかを強調した。

『ラウダーテ・デウム』は、COP開催の過程において信仰の存在が増していることを強調し、その重要性をさらに知らしめた。これにより、COPにおける社会的な取り組みの可能性が影響を受けることになる。教皇フランシスコは、信仰を持つすべての人々に、被造物への配慮という共通の責任を思い出させた。「私たちの住まいである世界との和解のこの旅路に加わり、それぞれ固有の貢献で世界をより美しくしてください。そうした私たちの取り組みは、人格の尊厳と最高の諸価値とに関係があるのですから」(LD 69)。
私たちは、国際会議において、各国の現実を効果的に提起しなければならないという重大な課題に直面している。COPは、新植民地主義における国際関係を共通善の文脈でよりよく理解するために、信仰を持つ人々が関わり続ける重要な機会である。
- 本稿は、https://climatejustice.ecojesuit.comに掲載された原文「EcojesuitがCOP28以降の課題と希望を振り返る」に加筆修正して転載したものである。