天皇の「代替わり」をキリスト者としてどう捉えるか
星出 卓也
日本長老教会西武柳沢キリスト教会牧師
Ⅰ.日本国憲法下に残る「国家神道」
「天皇の代替わり」というテーマを考えるにあたって確認しなければならないことは、「戦後」も「戦前」と全く変わらない連続しているものがあることです。断絶しているように見えて、実は、地中深く「古層」のように、「基調低音」のように隠れていたものが、「代替わり」をきっかけに表に現れてくる。そのような、戦前と戦後を通じて「連続」しているものを確認しなければなりません。
戦後、国家神道体制の解体は、建前上は行われました。1945年の「神道指令」は、国家神道体制の解体のために定められ、神社は内務省管轄の国家機関から、宗教法人神社本庁へと変わりました。キリスト者にとって「上智大学靖国神社参拝拒否事件」に象徴されるように、神社参拝を強要されそれを容認した歴史があるゆえに、教会は神社参拝に関しては敏感なセンサーを持っていると思います。しかし国家神道体制において一番中核に位置していたのは、「神社」である以上に皇室を中心に行われる宮中祭祀でした。その一番の中核である天皇が行う祭祀に関しては、戦後も手を付けられず続いている現実があります。天皇の「人間宣言」はなされても、皇室祭祀を担う天皇の職務は依然として今現在も継続しています。
戦後において、天皇が年間を通じてどのような仕事を行っているのかはあまり知られていません。天皇がするべき仕事は、日本国憲法に書いてあるのです。憲法第4条で「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ」と書いてあり、その内容は7条に記されています。しかし「国事に関する行為のみ」と記されながらも、実際には天皇は国事行為以外の沢山の仕事を精力的に行っています。外国訪問や追悼の旅等は「国事行為ではないが公的なもの」とされて、新年一般参賀や宮中晩餐会、各地への訪問等もこれに当たります。これらの行為はマスコミによって報道され、人々の間で最も知られ、宣伝されている行為でありながら、実は何ら法的な根拠を持っていません。これらの憲法に規定がない天皇の行為。しかし「公的行為」なる何ら法的に根拠のない名称までも付いてしまった、この憲法の規定を越えた天皇の仕事に関する問題は、今回は扱わず、別な機会に譲ります。
さて、「国事行為」にも「公的行為」にも含まれない「私的行為」と分類されているものがあります。「私的」なのだから、「天皇のプライベート」と思うかもしれませんが、実はこの「私的行為」の中に天皇にとって最も重要な職務と位置付けられているものがあります。それが「宮中祭祀」です。この宮中祭祀こそが、天皇が皇居の中にある宮中三殿〔写真〕という場所を中心に年間を通じて行っている神道行事なのです。
「宮中三殿」とは、天照大神を祀る「賢所」(かしこどころ)、歴代の天皇・皇族の霊を祀る「皇霊殿」(こうれいでん)、天神地祇(てんしんちぎ)・八百万神(やおよろずのかみ)を祀る「神殿」(しんでん)の三つの総称のことです〔下図参照〕。天皇は、この宮中三殿にて記紀神話に記された天照大神を始めとした八百万の神々への宗教的祭儀を、年間を通じて祭司として執り行っているのです。
戦前の「神権天皇制」下にあった大日本帝国憲法下にあっては、皇室祭祀は天皇に関わる国家的祭祀として皇室祭祀令に定められ、年間を通じて行われてきた国家神道の中心的な行事でした。戦前において皇室行事を定めた旧・皇室典範を始め、宮中で行う祭祀を規定した皇室祭祀令、天皇の即位儀式を定めた登極令などの法令は、戦後の日本国憲法が施行される一日前の1947年5月2日にすべて廃止されました。これらは憲法の重要原則である国民主権や政教分離原則に明確に反するとされたからです。しかし、その翌日の新憲法施行と全く同じ日に、宮内府長官官房文書課長であった高尾亮一氏は「依命通牒」なる通達を出します。その通達には「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」とあります。「従前の例」とは、憲法施行の前日に廃止されたもろもろの旧皇室令の前例に従って、という意味です。つまり、戦後に旧皇室典範もろもろの皇室祭祀を定めた諸法令は廃止されながらも、この廃止されたはずの法律に基づいて戦後も戦前と何ら変わらない諸儀式が続くことになりました。
Ⅱ.「国事行為」として姿を現す宮中祭祀
普段は皇居の中に隠されて、市民の目には触れることの少ない宮中祭祀ですが、それが公の面前に登場する場面が、まさに今回のテーマである天皇の代替わり儀式です。「退位、即位に伴う式典準備委員会」三回目委員会にて、式典挙行の第二番目の基本方針を以下のように定めました。
「平成の御代替わりに伴い行われた式典は、現行憲法下において十分な検討が行われた上で挙行されたものであることから、今回の各式典についても、基本的な考え方や内容は踏襲されるべきものであること。」
この基本方針は、30年前の裕仁から明仁への代替わりの際の式典挙行において、「現行憲法下において十分な検討が行われた」と主張しています。しかし、その現実は、戦前の帝国憲法下にて、国家神道体制を具現化した皇室祭祀令や旧皇室典範下で定められた登極令にすべてならったのが実情です。具体的には、天照大神の神勅に基づいて、天皇が神的な権威を受け継ぐことを表す儀式がそのまま行われています。
また式典準備委員会の式典挙行の第一の基本原則には「各式典は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したもの」として行ったものとされた、と主張されています。「憲法の趣旨」とは具体的には、主には憲法20条3項の「政教分離原則」及び89条の「国の財政による宗教行事への支出の禁止」を指すものでしょう。つまり、「政教分離原則」と「皇室の伝統」が何らぶつからないものとなったということです。もっと詳しく言えば、戦前の国家神道体制下の法令通りの祭祀令に従って挙行された儀式が、政教分離原則から見ても合憲なものとされた、という意味です。
今まで隠されてきた宮中祭祀が、天皇の「私的」な行事ではなく、「国事行為」あるいは「公的行事」として市民の面前に現れ、そしてこれらの儀式が、政教分離原則とは違反しない前例として戦後二度目にダメ押しを入れるように定着するということです。これは宮中祭祀に関しては、どんなに宗教的儀式であろうとも、政教分離原則はもはや手が付けられない不可侵な領域となるということです。
Ⅲ.キリスト者として捉えるべきこと
宮中祭祀で祀られている神々は、聖書の世界観から見ると、これらを単なる「文化」や「皇室の伝統」と簡単には見過ごせない異教的礼拝であるということをキリスト者は聖書の教えからまずは受け止めなければなりません。創造主とは異なる神々を礼拝する儀式は、十戒の第一戒が創造主への礼拝との共存を許さないもの、私たちの神礼拝を損なうものであるということです。つまり、天皇の代替わり儀式を天照大神の神勅に基づいて行うことは、私たちの信仰の良心を損なう儀式を、日本政府が国家的行事として行おうとしているという問題です。いわば我が国は、バアルの礼拝を国家的行事として行う、そのような国に私たちは主の民として遣わされているという事実をキリスト者はまず受け止める必要があるでしょう。
マタイの福音書16章16節にてペテロがイエス様に答えた「あなたは生ける神の子キリストです」の意味は、「あなただけが」という意味が明確にあります。「あなたも神々の一人」という意味ではなく、「あなた以外には神はいない」ということを告白するものです。この同じ信仰を私たちもまたこの時代の中にあって告白するということは、「天皇は神的な存在ではなく、神に創造された人間に過ぎない」ということをわきまえることを意味します。戦前・戦中において「天皇は神ではない」と告白することは不敬罪をもって取り締まりの対象となり、「国体」(天皇を中心とする国家体制)に反する者として社会からも排撃されました。この社会の中にあって神よりも人を恐れたキリスト者は、「あなただけが神」の信仰告白にしっかりと立つことができませんでした。
天皇即位の儀式にて、天皇の神的権威が表現される中で「あなただけが生ける神の御子」と告白するということは、天皇もまた創造主の前に悔い改めるべき罪人の一人であることを明確にし、祝賀ムードに逆行して、宣伝される「天皇の神的権威」にNOを語る信仰が今日問われてくるでしょう。
また、これらの課題は、キリスト者の信仰を守ることのみならず、神が建てられた社会が、健全な社会となるために大切なことです。戦前の国家神道体制下において、日本社会は天皇を拝礼しない人という例外を一人として許しませんでした。多様性を認めず、非国民として排斥しました。これはある特定の宗教を信じることを強制することによって国民を統合しようとしたことによる悲劇です。しかも人が創り上げた神は、人を造られた神とは違って、人によって支えられなければ成り立たない存在です。信じない一人の人が存在することによって、人が創り上げたものがもろい存在であることが露呈してしまうのです。参拝しない人が一人いることで、何かその場が空気が抜けた風船のように、炭酸が抜けたソーダのようになってしまうからです。人に支えられることを必要とせず、むしろあらゆるものを造られ支えられる神には、そのような必要はありませんが、人に支えられなければ成り立たない神を成り立たせようとする人々にとって、そうしない人の存在は、たった一人であっても脅威なのです。ゆえに例外を一切許さない不寛容な社会となるのです。
裏を返せば、真の創造主を信じ、まことの神への信仰を告白し、他の神々を礼拝しない存在はたとえ少数であっても、たった一人であっても、その存在は社会の偽りを明らかにする力があるということです。その少数者に何かの力も、権力も、勢いもありません。あるのは「この世界が神の言葉によって造られ、今も維持されている」という神を信頼する信仰だけです。その神の言葉を真っ直ぐに信じ、他の神々を礼拝しない者の存在は、不寛容な社会の在り方のゆがみを明らかにし、多様性を重んじ、全体の統合よりも、一人ひとりを大切にする、特に一人の人間の良心を重んじるという、社会の本来の在り方を教える重要な存在となるのです。
2019年4月1日の元号報道から始まり、これから天皇の退位儀式、即位儀式に向かって報道は天皇一色に染まるでしょう。「天皇の神的権威」を宣伝するためメディアを通して一大布教キャンペーンが張られることになるでしょう。そして同時に、天皇の神的権威に反対する者への非難や排斥が起こるでしょう。その中にあって「天皇は神に創造された一人の人に過ぎない」とその「神的権威」の主張にNOと語る者の存在は、ますますこの時代とこの社会にあって重要となるのではないでしょうか。
沖縄の小さな島で起こっていること
――宮古島からの報告――
坂口 聖子
日本キリスト教団宮古島教会牧師
宮古島(沖縄県宮古島市)は沖縄島から南西へおよそ300キロメートルに位置し、北東から南西へ弓状に連なる琉球弧(りゅうきゅうこ)のほぼ中間にある群島だ。那覇からは飛行機で約35分のところにある、人口5万5千人ほどの小さな島々である。宮古島は沖縄諸島の中でも特に素朴な自然が豊かに残り、そこに暮らす人々の心も優しく温かい、癒しの魅力にあふれる南の島だ。
宮古島は急激に軍事化への動きを見せ始めた。南西諸島島嶼(しょ)防衛を目的に、自衛隊ミサイル基地の建設が行われ、それに伴う様々な軍事施設が島のあちこちに建設されている。2019年3月には、基地内の住居が完成し、同時に380名もの自衛隊の先遣部隊が入居する予定になっている。
約4年前になるが、南西諸島の自衛隊配備が決定され、2017年11月に島嶼防衛のためのミサイル基地が建設され始めた。住民の反対を押し切り、新しい基地が建設され、島の自然が壊されていく様を目の当たりにした。宮古島は山がなく、標高の一番高いところでも約115メートル、飛行機から見ると島がいかに平たいかが良くわかる。そこにはかつての沖縄戦の時代から日本軍の基地があり、米軍統治の時代を経て現在は航空自衛隊の駐屯地がある。戦争が終わり、沖縄は日本に返還されても基地だけはそこに残っている。そこからほど近い旧千代田ゴルフ場に新しい基地が建設されている。
そこはミサイル基地であり、自衛隊員800名とその家族が暮らす住居もある。さらに建設当初には予定されていなかったヘリパットも作られ、保管庫と称した弾薬庫のような形状も設置された。この弾薬庫の数十メートル隣には燃料給油所があり、100トンの燃料タンク7機がすでに埋め込まれている。ここには車両用だけではなく、ヘリコプターのための航空燃料も保管される。しかしこの施設の真下には活断層が通っていることが、「宮古島のミサイル基地に反対する住民連絡会」から防衛省への資料開示請求で確認された。琉球大学の地質学と工学部の合同調査の解析によると、この施設の14メートル地下には明らかに空洞があり、その下には住民の飲料水も含めた生活用水の元となる地下水が流れている。宮古島の全ての水は雨水が蓄積された地下水に頼っており、さらに沖縄の中でも一番活断層が多い。この真上に基地が作られているのは異常な事態だ。大きな地震が来て、重油やミサイルの原料となる鉛が地下水を汚染すれば、水道法に抵触し、直ちに水が飲めなくなる。また地下水の汚染は、浄化されるまでに1500年もの期間を要する。
さらに弾薬庫と思われる施設は、防衛省は「小火機」としての施設だということをすでに認めているが、その施設と住民が暮らす地区とは100メートルほどで、明らかに火薬類取締法に抵触する。
また、基地ゲートの出入り口では、常にダンプなどの工事車両が出入りしており、タイヤに付着した泥を落とすためにタイヤへの散水が行われているが、使用されている水は作業員宿舎(数百名)の下水浄化槽のものである。浄化をしているから直ちに健康被害はないと防衛省の見解では言われているが、基地ゲート前の反対のためのスタンディング行動をしていると、汚水のような匂いが立ち込め、マスクをしていても喉の奥にピリピリした痛みを覚えるときもある。この仕事に従事する作業員の健康被害も懸念される。
さらには、基地内に御嶽(うたき)といわれる沖縄の民間信仰の拝み所があるが、7300㎡が維持されるところを現在は4000㎡しか残されていない。そこに暮らす人々の祈願の場だ。森を壊したらその機能を果たすことはできない。住民の願いもむなしく、森は縮小され、井戸は埋め立てられてしまった。
さらには多くの外国人労働者(技能実習生)も建設工事に携わっているが、ベトナムからの作業員の日給はわずか4500円ほどである。宮古島の作業員は日給1万円、日本本土からの作業員は日給2万円を超えるという。外国人労働者の明らかに不当な労働環境、生活環境も懸念される。しかし防衛省に問いただしても、主体は契約する業者に任せていると言い、実態は何一つ把握をしていない。
宮古島の抱える課題はこれだけに留まらない。島の東の保良(ぼら)という地域には大規模なミサイル保管庫の建設がなされようとしている。この地域にはカトリック教会もあり、弾薬庫予定地から白く美しい屋根とそびえ立つ十字架をはっきりと肉眼で確認できる。保良鉱山は元々は琉球大理石を掘っていた跡地だが、弾薬庫がここに建設される。この保良鉱山から住民が暮らす集落までは約200メートルしか離れていない。火薬類取締法の基準に照らせば、住宅地から400メートルの保安距離は必要にもかかわらず、法令を適応しない。
さらに、宮古島の平良(ひらら)港は現在クルーズ船を停泊させるための岸壁工事が急ピッチで進められている。これは単に観光のためではなく、海上自衛隊最大の護衛艦「いずも」を空母として改装し、垂直離着陸も可能な「F35B戦闘機」とともに運用する計画がすでに防衛省見解で明らかになっている。
宮古島と橋でつながっている下地島の空港はこの3月からジェットスター航空が成田との直行便を就航させるが、20年前は普天間米軍基地の代替地候補として挙げられ、当時の防衛大臣が視察にきていた。何度も軍民共用の空港が作られようとした空港である。
また、米軍と自衛隊の一体化した水陸訓練場が高野(たかの)漁港に作られようとしている。米軍と自衛隊が一緒に宮古島の有事の際にはこのようにミサイル部隊を配置し、攻撃をするという予測訓練の写真が米軍のFacebookページにも記載されている。
挙げればキリがないほど島のいたるところで基地建設が静かに進んでいる。陸、海、空のすべての軍事施設が整えられている。市長はいまだに国の専権事項と言って、新基地建設について住民に説明責任を果たしていない。
さきほど地下水のことを挙げたが、これは雨水が自然に地下に貯められたもので、住民だけではなく多くの観光客もこの水を利用する。島では大型リゾートホテルの建設も進んでおり、年間100万人近くの観光客が訪れ、2019年にはそれを上回る観光客が宮古島にくることが予想される。住民だけではなく自衛隊員800名とその家族が宮古島に移住すれば、いつかこの地下水は枯渇する可能性も十分に考えられる。新しい基地ができることは戦争を作りだすことであり、環境そのものが破壊される。この美しい島には誰一人として住めなくなってしまう可能性がある。
以上が2019年2月末の宮古島の現状であり、現在も島の状況は変化している。しかし、この事態は宮古島だけでは留まらず、隣の石垣島、更には奄美諸島にも同様の自体が起こっている。南西諸島の小さな島々が危機に晒されている。辺野古、高江と同時に動く、南の島の軍事化の問題を見過ごしてはならない。
ではキリスト者としてどのようにこの問題に取り組めばいいのか。残念ながら、小さい者の声は叫んでも消される、聞き届けられないという状況にある。同じ沖縄県下であっても、辺野古への道順を300キロも離れている私に連絡をくださるときもある。宮古島や南西諸島の軍事化を知る人々は少ない。
宮古島に古くから根付いた「愛(かな)す」という言葉がある。意味は「哀しいほど愛おしい」という言葉だ。それは主が「はらわたが痛む(スプランクニゾマイ)」と言った「憐れみ」につながる。
私は沖縄生まれではないが、最も小さくされた者(マタイ25:40)の視座に立ち続けたいと願う。私たちのできることは何か。まず「知ること」につきるのではないか。そこから、私たちが連帯する希望と方法が鮮やかに拓かれていくことを、私は信じている。
追伸
2019年中に私たちの教会では、ゲストハウス(安く)をオープンしたいと考えています。まずは気軽にお越しいただき、平和について一緒に考えていけることを、教会員一同心より願っております。愛を込めて。
福岡での体験から
~外国人技能実習生が皆、日本に否定的なわけではない~
田山 ジェシー
イエズス会社会司牧センタースタッフ(移民デスク担当)
2019年2月28日から3月2日まで、日本カトリック難民移住移動者委員会(J-CaRM)の全国研修会が福岡で開催され、司祭、修道者、信徒、宣教師など、全国から約130人が参加しました。
一日目は、4人の講演者がそれぞれ異なる問題について話しました。ベトナム人司祭のピーター・トアイ神父は、日本で暮らすベトナム人たちの生活をどのように改善できるのかを語り、山岸素子さんは2019年の4月1日から施行される改訂入管法について話しました。カリタスジャパン秘書の瀬戸高志神父の話題は、「排除ゼロキャンペーン」の展望についてでした。最後に美野島司牧センター所長のコース・マルセル神父が、薬物依存からの回復をめざすダルクの活動や、ホームレス、外国人の問題について話しました。
二日目には、三つのグループに分かれてフィールドワークを行いました。グループ1は「下関の強制労働の歴史と朝鮮学校の現在」、グループ2は「筑豊産炭地の強制連行跡地を訪ねて」、グループ3は「筑後川流域の技能実習生が働く現場見学」でした。
私は42人の参加者と一緒に、グループ3のコースに行きました。外国人技能実習生権利ネットワーク北九州の岩本光弘さんが案内役を務め、他にもACO(アセオ:カトリック労働者運動)メンバーで黒崎教会の有吉和子さん、福岡コレジオ院長の森山信三神父、J-CaRM事務局の吉田勉さんがサポートをしてくれました。
最初に訪れたのは、佐賀県神埼市にある原口牧場です。牧場オーナーの原口智治社長、ふれあい協同組合理事長の大塚力久さんと職員の木村貴則さんの3人が私たちを出迎えてくれました。牧場を歩き回った私たちは3人のベトナム人実習生と出会い、短い会話を交わすことができました。
次に、昼食をとるために聖フランシスコ・ザビエル小郡教会を訪れました。昼食後、大塚さんが技能実習生について話してくれました。彼は技能実習生を海外から日本に連れてくる会社を経営しています。当初は中国から実習生を連れてきていましたが、今ではベトナム人だけです。実習生を連れてくる企業の多くは法的条件を正しく守っている優良企業だ、と大塚さんは説明しましたが、悪い企業がいくつも存在するというのもまた事実です。それは実習生自身に関しても同じで、ここに働きに来る人の中には本当に良い人もいれば、そうではない人もいます。
「賃金が低いと会社に文句を言う実習生は、いくつかの事実を知る必要がある。福岡で働く人の賃金は、東京よりも低いのが普通だ(福岡県の最低賃金は時給814円で、東京都は985円)」。大塚さんはこのように、単に給与の額を比較するべきではないと説明しましたが、毎年全体の3%にあたる約5千人もの実習生が、ビザが切れる直前に職場から失踪しています。
大塚さんの会社は実習生に、日本で働くために毎月2万5千円を払わせています。その金額には往復の航空券代と手数料などが含まれています。彼は毎年ベトナムから10人の実習生を連れてきます。大塚さんはさらに、企業側の観点から見る必要があると説明しました。なぜなら彼らは実習生たちの職場をチェックし報告するために、毎月出張しなければならず、それが会社の支出の原因となっているというのです。大塚さんは実習生を単に従業員としてのみ扱うのではなく、一緒に旅行に出かけたり、バーベキューパーティーのために自宅に招待したり、年末にお餅つきをしたりしながら、彼らにとって良いコミュニケーション環境を作り出しています。3年間の実習を終えた後の実習生たちは大抵、大塚さんに感謝しています。
3番目に訪れたのは安竹町の緒方農場で、農場長の緒方さんはそこで働いている5人のベトナム人実習生を紹介してくれました。冬の寒さや夏の暑さにもかかわらず、彼女たちは幸せそうに働いているようでした。一緒に行ったベトナム人の司祭やシスターたちが彼女たちとベトナム語でしばらく話していましたが、私たちが帰るときになると、何人かは泣き出してしまいました。実習生の中にはカトリック信徒も数名いますが、職場が教会から遠く離れているため、ミサに与ることも聖体を受けることもできないといいます。そのため、少し寂しく感じていて、カトリック信仰を持つ誰かと話がしたかったようです。
最後に訪れたのは、福岡の大刀洗町にあるカトリック今村教会(今村天主堂)です。今村天主堂は1913年に赤レンガで建てられたロマネスク様式の聖堂で、二つの塔が特徴的です。2015年には日本の重要文化財に指定されました。日本に現存している数少ないレンガの教会として、とても貴重なものです。
三日目には、グループに分かれてプレゼンテーションとディスカッションをしました。
まとめとして、グループ3のフィールドワークに参加できてうれしかったです。それは私にとって、真の状況へと目を開かせてくれる体験でした。私たちは時々、自らの目で見たり、実習生たちと接している人々に耳を傾けたりする必要があります。インターネットやメディアを通じて情報を入手するだけでは十分ではありません。しばしばそうした情報は、日本に働きに来る実習生たちを否定的な視点から描いています。しかし現実には、日本には従業員たちの面倒を見る良い企業もあります。
外国人労働者への門戸が開かれた
――新たなパンドラの箱
安藤 勇SJ
イエズス会社会司牧センタースタッフ(移民デスク担当)
日本では新年度が始まったばかりです。例年どおり、春のこの時期には桜が満開ですが、今年は日本社会に新たな社会変化の風が吹いています。
今年の新年度は二つの大きなイベントをもたらします。日本の天皇が退位し、古い伝統に従って、新天皇が即位する5月1日から新しい時代が始まるとされます。4月1日、「令和」という新元号が、伝統的な儀式の中で公式発表されました。その結果、5月1日に新天皇が即位すると、公文書の日付や暦などを変更しなければなりません。
もう一つの大きな出来事も、日本社会の様相を変えました。4月1日から、日本は近代史上はじめて、外国人労働者へと正式に「開国」しました。日本にはすでに多くの外国人労働者がいますが、4月1日からは「単純労働者」も日本で働くことが正式に認められました。さらに、私たちが入国管理「局」と呼び習わしていたものは、外国人労働者の増加に伴い、出入国在留管理「庁」という独立した機関に昇格しました。
2018年の10月以降、35万人以上の外国人労働者を日本に受け入れるという法案が、国会内で様々な政党によって激しく議論され、マスメディアでも注目を集めていました。政府は5年以内に受け入れるべき労働者の明確な数(35万人)を提案し、外国人労働者を受け入れるための二種類の在留資格を示しました。野党側は政府の政策を批判し、政策提案者は不満を漏らしましたが、企業は日本の人手不足を補うために若い人々が来てくれることを喜んでいるようでした。
一方で、政府は日本に馴染まない「移民」政策はとらないということを明言していますが、それには疑いの余地があります。実際、現実には何が起きたのでしょうか? 日本政府は門戸を開き、「日本へようこそ!」と言ってゴー・サインを出しています。しかし現実には、来日したばかりの人が日本で暮らし、生き抜くために必要な多くの構造は手つかずのまま残されています。
日本側から見れば、このような政策の目的は単なる「経済的」理由です。日本経済は人手不足に苦しんでいます。それはとりわけ、介護、農業、漁業、建築、飲食、宿泊業界などの多くの分野で深刻です。数多くの中小企業では特に、若い労働者が不足しており、これが日本社会全体に深刻な影響を及ぼしています。私たちは、これらの新しい政策の裏にある考え方は、単に経済的な観点であるとはっきり言うことができます。それは文化の領域や教育訓練にまで及ぶものではありませんし、日本での就労を許可された労働者の利益に役立つものでもありません。
確かに、新たにやってくる労働者の大部分は、ベトナム、インドネシア、フィリピンなど東アジア諸国の出身者でしょう。こうした国の若者たちは、仕事に飢えています。自国は成長の途上にあり、農村部は依然として貧しいままです。このように、人手を必要とする日本と、働く機会を必要とするアジアの発展途上国との間で、お互いのニーズは一致しています。経済的に考えると、日本企業は経済成長を続けることができますし、外国人労働者は自分自身や家族を養うための収入を得ることができます。
こうした公式見解は、確かに現実ではありますが、決して十分ではありません。
パンドラの箱?
日本は外国人労働者に門戸を開き、彼らに何千もの雇用の機会を提供しました。これを信号でたとえるなら、政府はいわゆる「ブルーカラー」労働者が日本に入国するのを妨げていた赤信号を切り替え、多くの青信号を点灯させました。彼らを受け入れるようにはしましたが、既存の構造の大部分は変更されないままに残っています。言い換えれば、適正な契約、語学研修、生活施設、教育技能の向上、安全の保証、家族の呼び寄せといったことはどれもお金がかかるので、民間部門の裁量に任されています。外国人の若者は負債、つまり返済しなければいけない借金を背負って日本にやってきます。多くの人が日本語学校で日本語のさらなる学習を必要としていますが、どうやって学費を払うことができるのでしょうか?(東京での平均的な学費は通常、年間60万円以上します)
外国人労働者がビザ更新への影響を受けずに職場を変更することは可能でしょうか? 政府は外国人労働者が都市部に集中することなく、農業や漁業、建築業や家事労働に従事することを期待しています。日本の若者は通常、そうした労働条件の悪い仕事に就きたがらないからです。どうしてそのような規制が海外から日本に働きに来る若者たちにのみ課されているのでしょうか?
仕事に関しては、民間企業が、行われた労働と引き換えに給与を提供します。実際、外国人労働者に支払われる賃金は通常の日本人に支払われる賃金と同等でなくてはならないという法規制にもかかわらず、外国人労働者に与えられる報酬の額は、「利益」を主目的とする民間企業に委ねられています。労働者差別が存在していますし、経験から言っても、それがなくなることはないでしょう。
日本における働き方の構造的変化は、重要な社会問題となっています。より柔軟で多様な働き方が、今日の日本人の生活において極めて重要であると考えられています。馴染みのない環境に入るための準備がさほどできていない外国人労働者への要求は、結果的に新たな労働者により大きな負担をかけるでしょう。
これらすべて、また他の多くの状況が、私にはまるで「パンドラの箱」のように見えます。予期せぬ現象が詰まっているからです。
日本政府は「移民」政策はとらないと正式に主張しています。確かに、社会構造に深く触れることなく新しい政策がどのように実施されているかを単純に分析するならば、単なる「一時的な」歓迎を示しています。けれどもその背後に隠されている考えはまるで、「来て、しばらくの間働いて、そうしたら自国に帰れ」と言っているかのようです。
それにもかかわらず、人手不足を補うために日本社会で働きたいと願う多くの外国人が到来することは、必要な社会変化をもたらし、社会に様々な文化的交流を生じさせるための重要な課題です。
カトリック教会はすでに外国人コミュニティーとの多くの活動を始めており、そしておそらくこれからはさらに重要な課題に直面することになるでしょう。