気候非常事態、アマゾン熱帯雨林と私たちのライフスタイル
吉川 まみ
上智大学神学部准教授
地球温暖化と森林
16歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリさんがたった一人ではじめた「気候変動を訴える学校ストライキ」は世界中に広がり、9月20日「グローバル気候マーチ」が開催されました。教皇フランシスコもグレタさんに声援を送っています。「環境と気候の非常事態宣言」を出す自治体も世界中に広がり、9月1日時点で850の市町村が宣言を行っています。
2019年8月、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、「気候変動と土地に関する特別報告書」で、地球上の土地の状況と気候変動との関係についての最新の研究成果を発表しました。それによると、森林減少や農業などの土地利用によるCO2排出量が、世界の人為的な温室効果ガス総排出量の4分の1近くにもなるそうです。
気候変動の中でも温暖化を防ぐためには、二酸化炭素などの温室効果ガス排出量を抑えることはもちろんのこと、同時に、温室効果ガスの「炭素吸収源」として働いてくれる森林や海洋を健やかに保つことも不可欠です。地球上の森林は、陸地面積のほぼ31%を占め、「炭素吸収源」として毎年およそ20億トンもの二酸化炭素を吸収しています。また、たくさんの生き物の住処でもある森林は、私たち人間にとって不可欠な空気や飲み水、食べ物、薬など、生命を維持する役割も果たしてくれています。
生物多様性と文化的多様性の宝庫
森林の中でも熱帯雨林は、年間を通して高温多湿の低地に広がる常緑広葉樹林で、豊かな動植物種の生息地でもあります。“生物多様性の宝庫”ともいわれ、地球全体の生態系の健やかさも支えています。熱帯雨林では、何本かの樹木を伐採して地面に陽がさすようになると、周囲の樹々が枝葉を広げて日陰をつくり地面の温度を下げようと働くそうです。
いま、地球上に残る広大な熱帯雨林は、アフリカのコンゴ盆地、東南アジアのスマトラ、そして南米アマゾンの3つで、これらだけで、世界の森林面積の約4割を占めています。とりわけ、広大なアマゾンには、地球上のすべての陸上生物の10%が生息し、“地球の肺”とたとえられるように地球全体の大気循環や水循環を整える大きな役割も担っています。
また、熱帯雨林には、資本主義経済システムに拠らず、持続可能なアグロフォレストリー(森林農法)を営む多くの先住民族たちが暮らしています。伝統的な暮らしの中に、自然と共生する固有の文化を紡いできた民族の豊かさに注目すれば、熱帯雨林は“文化的多様性の宝庫”そのものです。
アマゾン熱帯雨林のSOSと大規模開発
本来、とてつもなく豊かな恵みをもたらしてくれる熱帯雨林ですが、鉱物資源の採掘、油田やダム開発、商用材の伐採、商用作物や家畜飼料穀物の大規模モノカルチャー(単一栽培)の農地開墾などなど、1970年代からの大規模で持続不可能な開発によってもう息も絶え絶えの状態です。「『そこを耕し、守る』(創世記2・15)という統治の任にゆがみ」(LS.66)が生じているのは明らかです。
――この姉妹は、神から賜ったよきものをわたしたち人間が無責任に使用したり濫用したりすることによって生じた傷のゆえに、今、わたしたちに叫び声を上げています。
LS.2
教皇フランシスコも回勅『ラウダート・シ ――ともに暮らす家を大切に』でアマゾンをはじめとする熱帯雨林で起きている問題について指摘していますが(LS.38)、大量生産・大量消費・大量廃棄の負の構造の中で、熱帯雨林は先進諸国の大量生産のためのあたかも原料供給地のようになっています。
今年の1月に誕生したブラジルの新政権は、開発重視の政策を推し進め、いまだかつてないスピードでアマゾン熱帯雨林の森林破壊が進んでいます。広大な熱帯雨林の中でも乾期のある森林地帯では、過剰な焼き畑や、違法伐採の隠ぺいのために放たれた火が燃え広がるなどして森林火災が多発します。特に、今年1月から8月までに、違法伐採によって破壊された森林の面積は6400平方キロに及び、昨年同時期の1.9倍に拡大しました。1月以降のアマゾンでの森林火災件数は3万9千件を超え、昨年同時期の1.8倍のペースで増加しています(「東京新聞」2019年9月19日版ほか)。
森林火災が発生すると、大量の二酸化炭素(温室効果ガス)が大気中に放出され、温暖化が進むだけでなく、先住民たちもさまざまな野生動物たちも住処を奪われます。特に、アマゾン地域の東部には先住民居留地に最大の原生林があり、そこでは伐採が禁止されているにもかかわらず開発や違法伐採が進み、先住民の中でも現代文明と接してこなかった「孤立部族」が密林を追われています。
先住民たちは土地に根差して生活しているからこそ、土地の生態系を守ることができます。彼らが土地を追われることは、生態系の崩壊だけではなく、先住民の叡智と生の営みの多様性の消滅であり、地球全体の大きな損失をも意味します(LS.145、146参照)。
遠いようで近いアマゾン開発と私たちの日常生活
アマゾンをはじめ世界の熱帯雨林の開発問題の背景には、「貧しい人々と地球の脆弱さとの間にある密接なかかわり」(LS.16)をもたらす貧困や格差が横たわっています。ゆえに、立ち止まる余裕のある側から、人間の尊厳を傷つけるような開発を進める産業側やそれを後押しするような政府に対して声を上げつつ、開発と環境のジレンマを克服するための経済的、法的支援や技術協力、人的支援など国際的で多角的な協力が不可欠です。
しかし、このことは1970年代後半にはすでに指摘されはじめ、地球環境の危機が伝えられながらも、なぜ、こうした持続不可能な開発がいつまでも成り立つのでしょうか。物事の多様なつながりを視野に入れてその原因を考えてみると、アマゾン熱帯雨林の開発の先に私たちのライフスタイルが密接につながっていることも見えてきます。豊かな食生活を彩るおいしい牛肉ですが、1kgの牛肉のために11kgもの穀物飼料が必要とされます。世界で毎日約4~5万人が飢餓で亡くなる一方で、世界中の農地の約7割がこうした家畜飼料の確保のために使われ、その多くが熱帯雨林の開墾で賄われているのはおかしなことです。
熱帯雨林由来の資源は、小型家電やスマホ、貴金属、肉類、加工食品や加工菓子など、先進国のプロダクトの原料としても多用されています。こうして市場にもたらされた品々は、私たちのライフスタイルに欠かせないものとして年々消費拡大しています。
より少ないことはより豊かなこと
2018年1月18日から21日まで、教皇フランシスコはペルーを訪問しました。
それを一面で伝えていたカトリック新聞の記事によれば、教皇はアマゾン川流域から集まった約2500人の先住民たちに対し「声に耳を傾けに来た」、「皆さんのいのちはその代償を推し量ることもできない生活様式に対する叫びです」と語りかけています。また、教会が「生命の擁護と地球の擁護、文化の擁護に全面的に取り組むこと」を確約し、教皇自らが召集し開催する2019年秋の「アマゾン地域特別シノドス」に向けてともに働くように先住民たちに求めたということです(「カトリック新聞」2018年2月4日4420号より)。
先進国に暮らす私たちは、無自覚であったとはいえ、これまでの豊かな消費生活の構造が少なからず先住民たちに犠牲を強いていたことの赦しを心で願いつつ、“先住民たちにとっての総合的なエコロジー”を生きる叡智に感謝と敬意を払いつつ、私たちの「消費への執着から解放された自由を深く味わうことのできる、預言的で観想的なライフスタイル」(LS.222)を真剣に築いていかねばならないと思います。
また、アマゾンは「わたしたちの生を分かち合う姉妹のような存在」(LS.1)であって、大量生産を支える“原料供給地”ではないと私たちは断言できるのに、現実の生活の中ではこれらの消費をやめることよりも消費する正当な理由を見つけようとしてしまう傾向が、残念ながらあるのは否めません。だからこそ、「より少ないことは、より豊かなこと」(LS.222)というキリスト教の霊的な宝と私たちのアイデンティティを思い起こしながら、“すべてのいのちを守るため”ともに心を合わせるようにと呼びかけられています。
カトリック教会として考える 「天皇代替わりと政教分離・信教の自由」
光延 一郎SJ
日本カトリック正義と平和協議会秘書
2019年4月30日、カトリック、日本キリスト教協議会(NCC)、日本福音同盟(JEA)、日本バプテスト連盟関係者による「違憲状態の天皇の代替わり儀式」に抗議する記者会見が、日本基督教団信濃町教会にて行われました。カトリック正義と平和協議会として、次のようにコメントしました。
1.今回の天皇代替わりに関連して、日本カトリック司教協議会は、すでに昨年、2018年2月22日に内閣総理大臣宛てに「天皇の退位と即位に際しての政教分離に関する要望書」とのメッセージを発表しています。それは、以下の通りです。
2019年4月30日に今上天皇が退位され、翌5月1日に新天皇が即位されます。
前回の天皇逝去と即位に際しては、皇室の私的宗教行事である大嘗祭を「宗教色はあるが公的性格をもつ皇室行事である」として、それに国費を支出し、三権の長が出席しました。また国事行為である即位の礼にも宗教的伝統を導入しました。これらは日本国憲法の政教分離原則にそぐわないと考えます。
そして昨日(2018年2月21日)の報道によると、今回の大嘗祭においても前回を踏襲する方針が示されました。私たちはそれを大変遺憾に思います。
日本国憲法の政教分離(憲法第20条)の原則は、日本がかつて天皇を中心とした国家神道のもとで戦争を行い、アジアの人々をはじめ世界の多くの人々の人権と平和を侵害した歴史への反省から生まれたものです。この不幸な歴史を決して忘れず、同じ轍を踏まないようにする責任を日本政府は負っています。
そのために、私たちは次のとおり要望いたします。
「天皇の退位と即位に関する一連の行事にあたって、日本国憲法が定める政教分離原則を厳守し、国事行為と皇室の私的宗教行事である皇室祭祀の区別を明確にすること」
2.前回の昭和から平成への天皇代替わりをふり返ってみれば、日本カトリック司教協議会からは、カトリック信徒宛て、カトリック教会の司祭・修道会宛て、そして内閣総理大臣宛てに、都合4回にわたり、主に政教分離と信教の自由を厳守することを求めるメッセージが出されました。
カトリック信徒に向けては、昭和天皇の在位期間に、天皇の名において行われた戦争において、日本を含むアジア・太平洋地域で2千万以上のカトリ人々が犠牲となったこと、その責任を天皇が担っていたことを思い起こしました。そしてカトリック信徒は、1981年に訪日した教皇ヨハネ・パウロ二世が広島で語った「過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです」との言葉に基づき「昭和における過ちを償う心をもって、世界の平和のために貢献する決意を新たにいたしましょう」と呼びかけられました。また天皇の「葬儀·即位の諸行事、それをめぐっての政治、社会の動きの中で、人間を神格化したり、人が作った制度を絶対化したり、特殊な民族主義を普遍化したりすることがないように注意を払い、究極的にはキリストにおいてこそ全人類の一致と交わりが達成されるという私たちの信仰を再確認いたしましょう」と言われました。
3.カトリック教会の司祭・修道会に向けては、もう一歩踏み込み、日本古来の神道と、明治以降、特殊なかたちで天皇制と結びついた「国家神道」が明確に区別されるべきことが訴えられました。すなわち「国家神道の時代には、日本人のみならずアジア諸国の人々までが天皇とその国に対する絶対の従順を強いられましたが、このように人間や人間の作った制度を絶対化することは、それがいかなるものであっても、私たちとしては認めることはできません」とします。
4.このように、カトリック教会は、かつて日本という国が、国家と宗教と武力を一体化し、本国のみならず、特にアジアの人々の生存と基本的人権、平和を侵害したこと、またカトリック教会自身も国家神道による天皇の神格化と皇国史観に基づく全体主義に屈服し、日本の軍国化と戦争遂行に協力したことへの反省から、日本国憲法に明記される「政教分離、主権在民、戦争放棄」の基本原則を政府が厳守し、それをもって日本が世界平和に貢献することを望んでいます。
今回の新元号移行と天皇代替わりにあたっても、それが政治利用され、戦前戦中のように、自らが選民であるかのようにみなす国家主義・民族主義、差別やヘイトをもたらす不寛容な力、また軍国主義によって人々が支配統制され、人間の尊厳と人権、そして自由と多様性が脅かされることがないことを強く求めるものであります。
カトリック教会と女性 ― 位階制教会と神の民 ―
弘田 しずえ
ベリス・メルセス宣教修道女会会員
「カトリック教会と女性」という表題は、色々な場所で、講演、記事として目にします。ただ、そもそも女性もカトリック教会のメンバーであるので、あえてカトリック教会と女性を併存する現実として考えることが、課題となり、問題となっている今の教会について考えたいと思います。この課題は、言葉を変えれば、「位階制教会と神の民」の問題と言えるかもしれません。
教会は「神の民」であるという宣言が、50年以上前に開催された第二バチカン公会議でなされました。これはまさに神の言葉であり、2000年たって、やっと本来のイエスの教会としての自覚が共有されたのだという喜びが、多くの「ヒラ信徒」の感じるところだったと思います。第二バチカン公会議の閃きは、その後、紆余曲折を経て、今フランシスコ教皇により、ふたたびカトリック教会の正面舞台に登場し、21世紀の世界においてイエスの言葉と行いに従う者の生き方として示されています。
教皇フランシスコは、就任後初めて発表された使徒的勧告『福音の喜び』で、「女性がさらにはっきりとその存在感を示すための場を、教会の中にまだまだ広げていかなければなりません。女性の才能は、社会生活のすべての場において必要とされています。・・・教会と社会構造の両者において、重要な決定がなされる種々の場への女性の参与が保障されなければなりません」(103、強調著者)と述べられます。
確かに、2013年の就任後6年間に、これまでの教皇の誰よりも、教皇庁の組織やプログラムへの女性参加の実現に努力されてきました。「信徒・家庭・いのちの部署」の次長職に女性2名の任命、2019年2月に、全世界の司教協議会の会長が参加して開催された「未成年者を守る集まり」には、3名の女性がスピーカーとして発言し、インパクトを与えたことは、記憶に新しいところです。教皇、枢機卿、大司教の列席するバチカンの会議で、2名の女性信徒と修道者1名が発言し、その内容が大きくメディアに取り上げられました。その後の記者会見で、この集まりの組織を担当したインドの枢機卿が、女性たちの発言は会議の方向性に質的影響を与えたと発言されたことも、注目に値します。
この集まりには、史上初めて国際女子修道会総長連盟から役員全員が参加したことについても、背景の理解が必要でしょう。国際男子修道会総長連盟は、すべてのシノドスにおいて、常に10名の代表が参加し、司祭である修道者には投票権が与えられていました。国際女子修道会総長連盟は、シノドスへの参加がほとんど認められず、2017年の家庭のシノドスでは、直接教皇庁に参加を求め、ようやく3名が参加を許されました。また、このシノドスにおいては、初めて司祭ではない男子総長連盟の代表のブラザーに投票権が与えられました。現代世界における教会の使徒職と在り方に意味ある影響を与えるシノドスへの参加と、さらに投票権を獲得することは、現在、教会における女性の働きかけを必要とする課題の一つとなっています。
さらに、教皇フランシスコと国際女子修道会総長連盟との話し合いにより、女性助祭についての委員会が立ち上げられました。最近では、シノドスの評議員に初めて3人の女子修道者と一人の信徒女性が任命され、教理省のコンサルタントとしても3名の女性が任命されています。
2016年の国際女子修道会総長連盟総会において、全世界の総長から寄せられた質問の中に、奉献・使徒的生活会省のメンバーに女性がいないことが指摘されました。全世界の修道者のほぼ80%は女性であり、修道生活を扱うバチカンの部署にたいして、意見、提案を提供する場に女性がいないという考えられない現実が続いているのです。この問いかけにたいして、教皇さまは驚かれたようでした。すでに、国際女子修道会総長連盟は、この問題についてもお手紙をさしあげていたのですが、やっと直接にお話しできる状況になり、ご理解いただくところに辿り着いた感じでした。その後、今年の7月に、6人の女子修道会の総長と在俗修道会の責任者1名が、奉献・使徒的生活会省のメンバーとして任命されました。ただ「重要な決定がなされる場への積極的な参加」までは、さらに祈りつつ、働き続ける智慧が必要です。
教皇フランシスコの言動において気になるのは、就任以来女性についての発言をされる時に、数回にわたって、フェミニズムについてきわめて否定的な表現のあることです。2016年国際女子修道会総長連盟との話し合いでは、「注意すべき誘惑は、フェミニズムです。教会における女性の役割は、洗礼の与える権利であって、聖霊によりカリスマと賜物を与えられます。フェミニズムの誘惑に陥らないでください。フェミニズムは女性の重要性を狭めるものです」と語り、今年2月の「未成年者の権利を擁護する会議」においては、「女性の発言を求めることは、教会的フェミニズムの導入ではありません。フェミニズムは、どのようなものであっても、結局スカートをはいた聖職者中心主義のようなものです。教会の痛みについて女性の発言を求めることは、まさに教会が自らについて、自らの傷について話すように求めることです」と発言されています。
昨年の「若者、信仰、そして召命の識別」シノドスは、1971年以来初めて、シノドスの参加司教団の声明を文書として発表していますが、女性が教会において決定のプロセスに参加する必要を強調しています。今年3月に発表された、このシノドスについての教皇の使徒的勧告は、この点には直接触れず、女性が正当に求める正義と対等の要求について、若者が耳を傾けるように勧め、さらに「教会は、女性の権利を尊重する招きを支え、女性と男性のより高い相反性を確信をもって支えるべきではあるが、フェミニスト・グループの提案するすべてに同意することはない」と述べられます。
教皇フランシスコの理解されるフェミニズムは、今の世界のどこにも存在していないように思えます。フェミニズムの問いかけは、父であり、母である神を信じ、イエスに従う私たちの生き方です。神はまず、土から人間、ハ・アダムーアダマ(土から創られたもの)を創られました(創世記2・7)。ハ・アダマは、男性でも女性でもない存在です。そして、ご自分の似姿として男と女に創られたと創世記(1・27)が述べています。私たちは、男性性に顕される神の姿と女性性に顕される神の姿を受肉させ、いのちが優先されない現代世界において、具体的な存在とする使命をもっています。優しさ、慈しみ、和解、解放する奉仕に飢え渇いているこの世界において、私たちは地球と人類を新たにし、癒し、解放し、養う神のみ業に参加します。対等の人間として、女性があらゆる場とレベルにおいて参加することは、この世界がより正しく、癒された場となるために必要です。フェミニズムとは、このような生き方と信念を意味しています。
教皇フランシスコの来日にあたって
安藤 勇 SJ
イエズス会社会司牧センタースタッフ
間近に迫った教皇フランシスコの来日に関して、様々な質問が飛び交っています。
教皇フランシスコは日本でどんな発言をするのでしょうか? 来日の日程は短期間ですし、教皇は自由で思いやりある宗教指導者として知られています。彼の発言は、世界中で重く受け止められます。
教皇は日本にいる間に、誰と会うのでしょうか? 教皇はバチカン市国の長であり、カトリック教会を代表する宗教指導者ですから、他の国を訪問したときのように、たとえ短い時間であっても彼の会う人々――たとえば若者、移民・難民、囚人など――は、象徴的で大きな意味を持つでしょう。
教皇はどこに行くのでしょうか? 来日の公式スケジュールはすでに決まっていますが、他の国では様々な状況に応じて、ロヒンギャ難民やホームレスの方々のもとにも訪れました。
カトリック教会の既存の構造の変化と教皇フランシスコ
私がここで焦点を当てたい重要なことは、日本では私たちカトリック教会の中でさえほとんど知られていないことです。それは、社会から排除された人々に対する、教皇のいつくしみ深い態度と真の優しさを示すものです。
第二バチカン公会議後、カトリック教会内の多くの部署での「アジョルナメント(現代化)」に従い、教皇フランシスコは、教会は絶えず刷新される必要があり、また現代世界にキリストの救いのメッセージをより良く宣べ伝えるために重要な変化を行う必要があると強く信じています。今日の世界の多くの構造的社会変化もまた、キリストによって与えられた使命に忠実であるようにと、教会に促しています。
9人の枢機卿から成る特別委員会(C9)はすでに教皇と共に、教会の確立されたグローバルな構造を変革し、新しい世界の状況に適応させるべく働いています。
人間開発のための部署
2016年8月17日、教皇フランシスコは『ウマナム・プログレッシオネム(人間の発展)』と題した自発教令(motu proprio)において、バチカンの中に新しい部署(部門)を設立しました。2017年1月1日時点で、人間開発のための新しい部署には、「正義と平和評議会」、「開発援助促進評議会」、「移住・移動者司牧評議会」および「保健従事者評議会」が統合されました。
このバチカンの部署にはまた、慈善委員会、エコロジー委員会、保健従事者委員会も含まれていて、それぞれがその基準にしたがって運営されています。
部署の中の一つの部門では、移民、難民、奴隷制や人身取引の被害者に関する問題が具体的に取り扱われ、自国からの移住を余儀なくされた人々や亡命中の人々のニーズに関して、必要な注意を払っています。教皇は、部署の中に設けた移民と難民のための特別な部門を、「当面の間は」自らが指揮すると発表しました。教皇はカナダ人のイエズス会司祭、マイケル・チェルニー神父(最近枢機卿に任命された)とイタリア人のスカラブリニ宣教会司祭、ファビオ・バッジョ神父を、難民と移民に関する問題のための事務次官として任命しました。
その名のとおり、人間開発のための部署は、福音の光に照らして、また教会の社会教説の伝統のもと、統合的な人間開発の促進に取り組んでいます。
新しい部署の名前には深い意味があります。「人間開発(human development)」という用語は、聖パウロ6世教皇の1967年の回勅『ポプロールム・プログレシオ』の書き出しの言葉によって良く知られています。
諸民族の進歩は、教会にとってきわめて重大な関心事であります。特に、飢えや貧困、風土病や無学から逃れようと努めている民族、文明のもたらす成果にもっとあずかり、自分たちの人間的資質をもっと積極的に発揮させようと努力している民族、さらに固い決意をもって自国のより完全な発展のためにまい進している民族の進歩について、教会は深い関心をもっています。
「統合的発展(integral development)」という用語もまた、『ポプロールム・プログレシオ』のキーワードです。この用語は、開発を経済的、および物質的成長に限定することはできず、「各人および全人の開発を促進する必要がある」ことを明確にしています。人間こそが、私たちキリスト者にとっての中心事なのです(15‐17番参照)。
人間開発のための部署はまた、貧しい人々、病気の人々、排除された人々を含む、人類の苦しみに対する教皇の配慮を表明し、故郷からの避難を余儀なくされた人、無国籍者、疎外された人、武力紛争や自然災害の犠牲者、投獄された人、失業者、現代の奴隷制と拷問の犠牲者、その他にも尊厳が危険にさらされている人のニーズと問題に特別な注意を払います。また、人間開発のための部署は教会の社会教説を研究し、それが広く知られ、実践されるように働き、そのようにして社会的、経済的、政治的関係がますます福音の精神に適うものとなるようにします。さらに、また、正義と平和、人間開発、人間の尊厳や人権の擁護と促進の分野における情報や研究データを収集します。たとえば、未成年者の権利を含む、労働に関する権利、移住の現象と移民の搾取、人身取引や奴隷化、投獄、拷問と死刑、軍縮と軍備管理だけでなく、武力紛争およびそれらが民間人と自然環境に及ぼす影響(人道的自然法)などです。そして必要に応じて直接介入できるように、そうしたデータを評価し、導かれた結論を世界の司教機関に通達します。
世界的に拡大している人身取引は、移民や難民の若い女性や子どもを搾取することによって、今日収益性の高いビジネスの中心となっています。現時点では、新しい部署の活動の主要な焦点の一つです。その一方で、エコロジーに関する教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ』を、世界の司教協議会を通して地方教会でも促進し実行することは、部署に与えられた主な仕事の一つです。
教皇は、タイと日本という二つのアジアの国に短期訪問にやってきます。アジア地域では、紛争、貧困、自由の欠如のために数十万、数百万人もの人々が自国から去ることを余儀なくされ、しばしば外国の環境下で再び犠牲になります。
もちろん、教皇が日本を訪れる際には、平和のメッセージが期待されています。にもかかわらず、日本に来た数万人の若い移住者や難民は、より良い生活を強く夢見ています。社会から忘れられた他の多くの犠牲者と同じく、彼らの側に立つ教皇を見られることを嬉しく思うでしょう。