ランドマイン・モニター報告書2003年版の注目点

JCBLニュースレター2003年9月(北川泰弘)

2003年9月9日、JCBLは「ランドマイン・モニター報告書2003年版」を発表しました。この報告書は第5回目の年次報告書です。9月15目からタイのバンコクで開催される第5回対人地雷全面禁止条約締約国会議に出席する外交官に配布されます。今回は90カ国の110人のリサーチャーが各国の情報を収集して分析し、この膨大な報告書を作成しました。その中から注目される点をいくつかご紹介します。
「我々は世界から地雷を取り除き、人命と手や足の損傷を救うために大きな一歩を踏み出しつつある。しかしそれで満足してはならない。未だに地雷禁止条約に参加することを拒否し続けている国がある。地雷は依然として埋められ、世界のどこかで地雷犠牲者の数が増えつつある」(ICBL国際大使ジョディ・ウイリアムス)

世界地雷廃絶への動き

  • 対人地雷全面禁止条約が発効して以来・各国保有されていた対人地雷から5200万個が廃棄された。この1年間では69カ国で400万個が廃棄された。地雷生産国は過去の50カ国以上から15カ国に減った。1990年代の半ば以降、対人地雷の輸出で目立つものはなかった。地雷除去およびその他の地雷対策活動は拡大し、毎年の地雷による新規の死傷者数は減少した。
  • これまでに・136の国々が対人地雷全面禁止条約を批准または加入した。(訳註.報告書 では134カ国であるが、8月5日にガイアナが、9月3日にベラルーシが加入したので136カ国となる)この1年で11カ国が条約を批准または加入した。その中には世界で最も地雷が多く埋められているアフガニスタン(2002年9月11日加入)が含まれている。ベラルーシは400万個の対人地雷を保有しており、世界で最大の地雷保有国である。136カ国のほかに、条約に署名をしたが未だに批准をしない国が12カ国ある。
  • 地雷を使用する政府・非国家主体(NSA)の数は減少を続けている。対人地雷を堂々と埋めているのはミャンマー(ビルマ)とロシア政府だけである。2002年5月からの調査機関内では少なくとも6つの政府が対人地雷を使用した。すべて条約未署名の国々で、インド、イラク、ミャンマー(ビルマ)、ネパール、パキスタン、ロシアであった。イラク軍は米軍のイラク攻撃の以前とその最中に地雷を敷設したが、米軍と同盟軍はイラクで地雷を使用しなかった。2003年報告書の地雷使用国は6カ国であった。2002年報告書の9カ国、2001年報告書の13カ国からみて減少である。
  • トルクメニスタンは訓練用として69,200個もの対人地雷を保有している。この数字は許し難く、不法とも言える。訓練、研究開発用の対人地雷について、条約は「絶対に必要な最小限の個数」と述べており、多くの締約国は数百個から2~3千個を保有している。
  • 地雷除去、地雷回避教育、地雷生存者援助のための地雷対策援助費は2001年に落ち込んだが、2002年には3億900万ドル(371億円)と、前年比で30%の増加をした。1992年からの累計は17億ドル(2040億円)であり、1997年に条約への署名開始以来12億ドル(1440億円)である。(訳註:この中で、日本政府の2002年援助額は55億円、1998年からの累積援助額は103-4億円だった。)
  • しかしながら、2002年に増額された援助資金の3分の2がたった1つの国、アフガニスタンに向けられた。地雷対策費の大幅な増額と、費用効率の高いことは認めるが、不幸な事に、この援助は各締約国の埋設地雷の除去期限が近づいている問題と、条約の履行の遅れを取り戻すための援助に見合っていなかった。
  • 地雷の被害を受けている国が82カ国あり,その中で45カ国が締約国である。条約によれば、10年以内に埋設地雷を取り除かねばならない。それにも関わらず、2002年中 に、地雷被害を受けている16カ国からの地雷の除去の報告がなく、25カ国から地雷回避教育実施の報告がなかった。
  • 2002年から2003年にかけて、65カ国で新たに地雷死傷者がでた。その大部分の41カ国は戦争中でなく平時であった。2002年の死傷者のうち、軍人はたったの15%であった。
  • 2002年に擢告された死傷者の発生は減少したとはいえ、地雷は余りに多くの犠牲者を出し続けている。地雷で負傷し、生き延びている人の数が世界中で増え続けているのに、彼らのリハビリと社会復帰のための援助は絶望的に少ない。

日本の章の注目点

  • 日本の2002年の地雷援助額は54億9900万円(49.4百万ドル)で、EC委員会(38.7百万ドル)、ノルウェー(25.2百万ドル)、ドイツ(19.4百万ドル)を抜いて第1位。
  • その結果、1998年から5年間の累積が103億4000万円となり、1997年12月の小渕外相(当時)の公約の5年間で100億円を突破した。
  • 2002年の日本の援助額の48.3%がアフガニスタンに向けられた。2002年初めに外務省に通常兵器室が創設されたこと。室長の進藤雄介氏がドイツ大使館在勤中に、亡命中のカルザイ氏(現アフガニスタン暫定政府大統領)と同国の再建策を論じ合った仲で、2002年1月のアフガニスタン復興会議を東京に招致するキッカケとなったことは、この大きな資金援助と無関係ではないと思われる。
  • 4、 2003年に始まる5年間の地雷援助額を国際公約するよう、JCBLが小泉首相に求めたにも関わらず、正式回答がないばかりか、2003年3月にカンボジアで開催された地雷会議で日本政府代表は今後の援助額はプレッジせず、ケース・バ・イ・ケースで行う、と発表をした。
  • ケース・バイ・ケースの援助は、現在の0DAのべ一スである「要請に基づく援助」で、「保有地雷の4年以内廃棄」、「埋設地雷の1O年以内除去」を自力で実施できる見込みがない国に対する援助を、日本が積極的に行う態勢がないことの表れである。要請がなくとも、条約を履行する力のない国を援助する援助方式を作ることが望まれる。
  • 2002年9月の第4回締約国会議で、日本はカンボジアと共に「地雷除去、地雷回避教育、地雷除去技術、専門家会合」の共同報告者に選任されていた。来週9月15日からの第5回会議で共同議長に選任される。2004年11月にはケニアのナイロビで条約再検討会議が開催されるので、それまでの1年間で、最も重要な「地雷除公、地雷回避教育、地雷除去技術」に関する条約文の見直しについて、議長として、締約国の意見をまとめることが期待される。

日本の地雷関連の援助額の推移