一歩一歩平和に向かって

レットさん

地雷犠牲者のレットさん

私のことを地雷犠牲者と呼ぶ人がいます。そうです。私は地雷犠牲者です。見方を変えれば、あなたも、そうなのです。私は地雷による傷を負っています。4万人の人が私のような格好をしています。もっと多くの人が腕や眼や片足を失っています。多くの人の体には、いまだに、地雷の破片が残っています。そうでない人も心に傷を残しています。それは、愛する人が殺された記憶であり、体が不自由になり役に立たない人間になってしまったという、心の傷です。

このような人皆に代わって再び話しましょう。1994年に我々仲問の4人、皆地雷で身体が不自由になった人たちですが、によって書かれた言葉を思い出します。

「以前は我々は敵対する4つの軍隊の兵士で、お互いの手足を吹き飛ばす地雷を敷設していました。いま我々は平和センターに共に住み、働いています。我々は地雷製造を止めるよう世界に向かって訴えます。地雷敷設を止めるよう世界に訴えます。地雷除去と開発のために資金を出してくれるよう世界に訴えます、そうすることで我々の生活、地域社会、村、国は、再建することが出来るのです。」

私は、しばしば、自分の国は障害を持った国だと表現します。そこでは、肥沃な土地に、米ではなく地雷が植えられています。そこでは女たちが薪を集めるのに怖い思いをしています。子どもたちは野原を自由に走りまわって遊ぶのを怖がっています。家族は住んでいた家から立ち退かされています。アンゴラ、スーダン、ボスニア、ルワンダ、アフガニスタンの土地はどこも地雷の被害を受けています。そこに住む人々は平和を求めて泣いています。死をもたらす兵器が彼らの土地から取り除かれるのを求めています。我々の国はひどい貧困のままです。一方、貪欲な地雷製造者は、我々の苦しみと引き換えに、金持ちになっています。このように「心の地雷」を持つ製造者、輸出業者、これらの存在を許している臆病な政府は、死と破壊の設計者である、と言えましょう。

覚えておいて下さい。我々がこのような体制が続くのを許すとき、我々が地雷の禁止や地雷除去を拒否したり、共同体や地雷の披害を受けた人々を助けるのを拒むとき、我々は皆、地雷の犠牲者となるのです。

私が、キャンペーンの仲間で友であり、国際運動の世話人であるジョディ・ウィリアムズと一緒にノーベル平和賞を受賞することを気にしている人たちがいます。北からの「尊敬すべき救援者」と東からの「役立たずで身体不自由な犠牲者」というように、世界が単にその外見だけを見るのを恐れているのです。それは違います。我々はそれぞれ、異なった才能を持ち、また多くの短所もある、キャンペーンの仲間なのです。

私のハンディは御覧の通りはっきりしていますが、次のことも思い出させます。我々すべてが持っている目に見えないハンディ、「心の地雷」のことです。それは我々を戦争に導き、嫉妬深くし、他を圧する無情な権力ヘと駆り立てるものです。もし地中の地雷と共に心の中の地雷を禁止するならば、貧しい者が必要としているものが富める者の欲求よりも優先されるようになり、支配される者の解放が強者の自由に優先されるようになります。我々は力をあわせることで、全ての人を犠牲者にしているこの「卑怯者の戦争」を止めることが出来るのです。

私のことを「地雷惨禍から生き残った者」と呼ぶ人もいます。それもまた本当です。しかし、あなたもそうなのです。意識が回復して最初に両足がないのを知ったとき、私は死にたいと思いました。自殺の方法を探しました。今では6人の可愛い子どもたちのために生き、より良い世の中を作りたいと望んでいます。私は、毎日、友人のフルブロスと共にシェムリアップという所を訪ね、地雷やポリオで傷ついた人々を見舞っています。我々は、一日40キロの道のりをバイクに乗って走ります。二人で足は一本なのですが。村人たちが食ベる米が無く、ある者は手足を失い、希望も失っているのを見ると、胸の締め付けられる思いがします。

世界には何千何万の地雷に傷ついた人々が生活を再建しようと努力しています。悲しいことに、この中のある人は、ベッドやマットに寝たきりであり、動くことができません。さらにある人々は、欺かれた気持ちになり希望も失い、世界中の商業地で乞食をしています。しかし、他の多くの地雷被災者が持っている勇気と快活さは、私にエネルギーと力を与えてくれます。去る6月、パリからブリュッセルまで車椅子で走りながら、タイ、アンゴラ、ボスニア、カンボジアからの地雷被災者で体験談を語り合いました。多くの者は、義肢製作や車椅子作りを手伝っており、他の者は、大工であったり、電気工であったりします。我々の世界ネットワークには、彫刻家、織物工、機械工、医者、大学卒業者、農民、母と子、学生と子どもなどいろんな人がいます。そして、これらすべての人々は、平和を望み、より良い将来を望んでいます。

将来に生きるためには戦争と強制退去を無くさなければなりません。地雷禁止国際条約は、全ての国が署名し実行するならば、平和と繁栄を阻んでいる主要な原因の一つを取り除きます。平和の樹木はその生えている場所で花を咲かせることが出来ます。そのような過程をたどって後に、我々は皆、「地雷の惨禍から生き残った者」となるのです。

私をキャンペーン使節と呼ぶ人もあります。そうです。私は足を失った使節です。あなたもまた、国際キャンペーンを支持するとき、キャンペーン使節となります。その目標は(1)地雷禁止(2)地雷除去(3)地雷の犠牲になった人々や地域社会の発展を図る、ことです。

平和を作り出すには叡智がいります。平和とは自覚的に選びとられる一つの過程であります。それは目的なくさまようことではなく、一歩一歩と踏みしめていく旅のようなものです。それは深い他者への同情を意味し、不正義に屈しない平和を求める心です。喜んで親切をつくすのが、平和への唯一の道であります。

我が国の伝統的な宗教的場所に、我々は、バイヨンという美しいシンボルを持っています。それは東西南北を向いた四つの面を持っています。一つの面は慈悲を表わし、一つの面は他者の優れたところを喜ぶおおらかな心、一つの面は偏りのない公平さ、一つの面は進んで親切をつくす優しさ、を表わしています。シェムリアップのアンコールトムにある最も有名なバイヨンは、平和を願って遠くの地雷原をじっと見つめています。近年、地雷で障碍を負った彫刻家達によって、もう一つのバイヨンが、その場所で亡くなった若いフィリッピン活動家を称えて建てられました。我々の地雷禁止署名活動はそこから始まりました。彼の流した尊い血の痕は太陽の昇る東を向いた面の下にあります。願わくは、明日が、我々皆にとって、平和と愛情こもった親切をささげる新しい時代の夜明けでありますように。

「地雷廃絶日本キャンペーン <NEWSLETTER No. 4, 1998 MARCH> 訳:高須洋一」