イエズス会の東アジア・太平洋地域における社会正義の促進

―過去、現在、これから―

ボネット ビセンテ SJ
イエズス会社会司牧センタースタッフ

下川 雅嗣 SJ
上智大学総合グローバル学部教授、グローバル・コンサーン研究所所長

イエズス会の東アジア・太平洋地域の社会使徒職会議が、8月3日~7日、クアラルンプールで開催されました。イエズス会本部(ローマ)の社会正義とエコロジー事務局長Patxi Alvarez神父と、東アジア・太平洋地域協議会議長Mark Raper神父をはじめ、各管区と地区から39名のイエズス会員と協働者が集まりました。

今年のテーマは、「東アジア・太平洋地域における社会正義の歩み、イエズス会32総会第4教令からの40年」でした。最初に、安藤勇神父によって、1960年からのアジアにおけるイエズス会の社会問題とのかかわりについての歴史的な概観、「アジアにおける社会・経済的生活委員会(Socio-Economic Life in Asia Committee [SELA])が紹介されました。その後、3つの柱からなる全体のプログラムに入りました。

背景の写真は約44年前のSELA会議
一番左には、安藤神父が写っている
背景の写真は約44年前のSELA会議
一番左には、安藤神父が写っている

まず、「社会使徒職のイエズス会の霊性」で、Patxi Alvarez神父が「イグナチオ的霊性の視野」、Mark Raper神父が「東アジア・太平洋地域における正義の促進についての熟考」という題で、それぞれ考える材料を提供してくれました。

次に、「東アジア・太平洋地域の社会・経済の状況」で、Benny Juliawan神父(東アジア・太平洋地域の社会使徒職コーディネーター)が「社会分析への導入」と「変革のための社会運動」という難しいテーマを分かりやすく説明しました。そしてPark Mun-su神父が「北東アジアにおける紛争と平和運動」という題で、主に平和運動に関する韓国管区と日本管区との協働、韓国の済州(チェジュ)島と日本の沖縄における軍事基地への反対運動や、原子力発電所と核兵器への反対運動、平和教育について、インプットしてくれました。さらに移民や創造との和解などについての最新の動きに関する情報が紹介されました。

日本管区の代表者
左から安藤神父、小山神父、下川神父、ボネット神父
日本管区の代表者
左から安藤神父、小山神父、下川神父、ボネット神父

最後に、「正義のための私たちの活動を再度イメージする」ために、コア・チームに導かれて各自祈り、会議の内容を再考察した後、それぞれの管区や地区の代表のグループで話し合い、各グループからの発表などがありました。

マレーシアのNGO訪問

地元の社会運動の現場訪問のため、私たちは2グループに分かれ、それぞれのグループが4つのNGOを訪れました。その全部で8つの団体は、①環境改善のために活動するCETDEM(Centre for Environment, Technology and Development, Malaysia)、②イスラム女性の権利と力を促進する女性弁護士の団体であるSIS(Sisters in Islam)、 ③移民・難民・家事労働者などが受ける様々な被害に対して働くTenaganita(Women’s Force)というグループ、④公正な選挙のために戦うBERSIH 2.0という84のNGOからなる連合、⑤現代世界に合うイスラムの改革と刷新を促進するIslamic Renaissance Front、 ⑥マレーシアにおける人権尊重の監視とその実行のために活動するSUARAM、⑦同じように人権の促進のために働くKOMASという団体、そして、⑧法による秩序・自由市場・個人の自由と責任などの原理を促進するIDEASというシンクタンクでした。

会議には深い内容があり、45年あまりの歴史を振り返ることができました。またこの地域の多くのイエズス会員と協働者をよく知る機会となり、彼らが正義の促進のために行っている様々な活動の報告を聞くことができた、実り多い会議でした。

会議の参加者
会議の参加者

バングラデシュからの移民労働者

全体のプログラムの他に、最後の夜、インドネシアとバングラデシュからの移民労働者を、それぞれ小さなグループで訪れる機会がありました。各グループの参加可能人数は限られていたので、日本代表からは一人だけが、バングラデシュからの移民労働者と直接会うことができました。以下は、その体験についてのコメントです。

最初は、「移民労働者の現場に行く」という説明しかなかったのですが、実際には、バングラデシュの人々のほぼ奴隷労働、人身売買の現場への潜入でした。行く前に、「欧米人も女性もだめ。きれいな洋服も靴もだめ。サンダルかスリッパを履き、腕時計やできればメガネもはずすように」とかなり厳しい条件がつけられました。現地で、引率の活動家は、「貧しい労働者に見える人しか入れない。サンダルではだめで、スリッパか裸足にし、また、そこで殴られている人、レイプされている人を見ても、人が無理やりに連れ去られることが起こっても、騒がずに目を逸らすことを約束するように(そうでないと連れて行くことはできない)」というさらに驚きの厳しい前置きをしました。

活動家によれば、彼らは移民労働者の現場を、グリーンゾーン、オレンジゾーン、レッドゾーンの3つに分けていて、訪問したところはオレンジゾーンであり、レッドゾーンには入れないとのことでした。この現場がオレンジゾーンであるならば、レッドゾーンはいったいどんなものなのかと考えずにはいられませんでした。

現地には小さな掘立小屋のようなものが並んでいて、場合によっては家族で住んでいるようでした。活動家が関わっている何人かを呼んで、直接に話を聞いたのですが、将来の希望がまったくない目、怯えた目をしていて、ショックでした。彼らの中には、ロヒンギャの人々(ビルマからバングラデシュに逃げ出して、そこからマレーシアで働くためにボートで渡り、そのまま現場をたらいまわしにされている人たち)も多いそうです。

なお、このようなオレンジゾーン、レッドゾーンの(大規模建設現場ごとに次々に生まれる)状況について、マレーシア政府は知っていて、それを支えているので、どうしようもないそうです。政府の背後には大企業(中心は中国企業)がいて、大企業も政府も、これらの労働者がいないと都市開発が進まないと考えているようで、この問題についてのアドボカシー活動はほとんどできないということです。

ちなみに、行ったところは、首相官邸等が密集しているプトラジャヤという中心街のすぐわきで、新しい都市街として建設中のサイバージャヤ(外資系企業や外国からの留学生や観光客が集まる先進的なサイバー都市で、すでにかなりできているが、まだ拡大中の建設現場)でした。きらびやかさと労働者の現状とのコントラストは、ぞっとするほどすごいものでした。

また、マレーシアの活動家たちに、「日本の人身売買や奴隷労働よりマシであり、アフリカ以外では日本が一番ひどい。JITCO (国際研修協力機構)は問題だ」とさらりと言われ、日本の技能実習制度の問題(通信182号参照)の深刻さを感じました(マレーシアの活動家が、聞いた一部の情報を誇張した可能性がなきにしもあらずですが、私たちが知らないだけ、または隠されているだけなのかもしれません)。

日本政府は、東京オリンピックに向けて、2015年4月から2020年までの時限的措置で、大量の建設労働者を呼び込むための「建設分野における外国人材の活用に係る緊急措置」を開始しました。これは、技能実習制度の延長線上で、「特定活動」という在留資格で2020年まで建設労働をさせるというもので、現時点での技能実習制度の一部が世界で一番ひどい状態だとするならば、今後、マレーシアのオレンジゾーンやレッドゾーンと同じような状態になり、またはもっとひどい状態になっていくように思います。2020年に向けて、日本社会にとってのこの問題は、とても大きな闇ではないかと思うようになりました。

参考

「建設分野における外国人人材の活用に係る緊急措置」について閣議決定(2014年4月4日)されたものの簡潔なまとめは、以下を参照してください(pdf)
http://www.mlit.go.jp/common/001051428.pdf

また、これに基づいて、2014年8月13日にガイドラインが告示され、このガイドラインは2015年4月1日から施行されてます。
http://www.mlit.go.jp/totikensangyo/const/totikensangyo_const_tk2_000084.html

済州島体験記

山内 豊 SJ(神学生)

済州島の空港に降り立ち、車で江汀(カンジョン)村の聖フランシスコ平和センターに向かった。それは済州島や沖縄などの島々が連帯し「非武装平和の島」を構築していくための会議であるカンジョン平和カンファレンスに参加するため、そしてイエズス会日韓社会使徒職の協働に向けたミーティングに参加するためである。空港周辺の都市部を通り過ぎると、畑が広がるのどかな景色が見えてくる。平和に見えるこの島で、67年前に凄惨な事件が起こった。四・三事件である。

1945年、朝鮮半島は日本の植民地支配から解放されたが、北半分にソビエト軍が、南半分にアメリカ軍が進駐し、それぞれが新しい政府の樹立を目指した。南北分断の動きの中で、それに反対する運動も起こり始める。その運動を共産主義的なものとみたアメリカ軍は厳しく取り締まった。それに反発した分断反対派の人々が、1948年4月3日に済州島において武装蜂起することになる。ここから四・三事件が起こった。アメリカ軍は済州島をレッドアイランドと名付け、韓国本土から鎮圧のために陸軍を派遣し、1948年8月15日の大韓民国成立後も、李承晩大統領は引き続き鎮圧作戦を行った。そして作戦が終わる1954年までに、済州島民約28万人のうちの一般人を含む約3万人が虐殺されたのである。

その事件を車窓に映しながらしばらく行くと、聖フランシスコ平和センターがあるカンジョン村に到着した。カンジョン村は、今まさに韓国海軍が基地を建設している村である。韓国軍の基地はアメリカ軍が使用することができる。韓国軍の基地が建つということは、アメリカ軍も来るということを意味するのである。車から降り、あたりを見回すと、黄色い旗が村のあちらこちらに立っているのが見える。話を聞くと、カンジョン村に韓国海軍の基地が建つことに反対する家は意思表明として黄色い旗を掲げているのだという。

建設中の海軍基地を、黄色い旗越しに眺める
建設中の海軍基地を、黄色い旗越しに眺める

第2回カンジョン平和カンファレンスが始まった。このカンファレンスの目的は、済州島や沖縄などの島々を「非武装平和の島」にすることにある。済州島、韓国本土、沖縄、京都、東京などから多くの活動家、司祭、修道者たちが集まった。そこで専門家や活動家の話を聞き、小グループに分かれてディスカッションが行われた。「非武装平和の島」活動を東アジアの島々に広げていくことなど様々な案が出され、島々の連帯の可能性を模索した。

ここで私が感じたことは、カンジョン村における基地問題に関して済州島内で基地反対の連帯が出来上がってなく、運動を国外に展開していくことよりも、まず済州島内に反基地運動を浸透させていくことが差し迫った課題ではないかということである。聞いた話によれば、最近済州島で行われた知事選挙では基地建設推進派の知事が当選したという。それは済州島の多くの人が基地問題に対して基地建設賛成か無関心、あるいは基地問題が争点化できなかったことを意味するのではないだろうかと思う。まずは済州島内で基地反対のコンセンサスを得る必要があるのではないだろうか。

そして印象に残った出来事はもう一つある。私が聖フランシスコ平和センターの近くの店で買い物をしようと店に入ろうとした時のことである。基地反対の活動をしている活動家の人々から「この店で買い物はしない方がいい」と勧められた。彼女たちは空を指さし「この家には韓国の国旗が掲げてある。韓国国旗を掲げている家は基地賛成派の家だからここで買い物をすべきではない」と言った。ここで反対派の人々は賛成派の人たちに対して不買運動をしていることを知った。のちに聞いた話によれば、カンジョン村では基地反対派と賛成派の間では分裂があるのだという。基地建設は、住民の間に分裂をもたらしたのである。

韓国国旗を掲げる商店
韓国国旗を掲げる商店

他にも分裂を感じる場面が多々あった。基地建設のためのトラックが出入りする門の前、反対派は座り込みをしているのだが、大きなクラクションを鳴らして通り過ぎていく車や、エンジンをけたたましくふかし威嚇しながら通り過ぎていく車がある。一方、この村にはレストランが一つしかないと言われていたのだが、あたりを歩いてみるとレストランはいくつかある。そのことについて尋ねてみると、基地反対のレストランは一軒だということであった。

毎日、ゲート前では座り込みのミサが捧げられる
毎日、ゲート前では座り込みのミサが捧げられる

イエスは「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」(マタイ10章34節)とおっしゃった。福音的価値はこの世の価値と摩擦を起こすことがあるとイエスはおっしゃろうとしているのだと思う。カンジョン村に起きている分裂、基地を作ろうとする勢力とそれを阻止しようとする勢力との間の闘い、これらは福音を地上にもたらそうとするとき必ず起こる。一方で、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」(ルカ6章27節)とイエスはおっしゃる。憎しみをあおる形が社会変革のセオリーとされているが、私たちキリスト者のやり方はそうであってはならない。敵対する人を愛することによって、平和の深い味わいによって、敵対する人々をも包み込んでいかなければならないと思う。

日韓社会使徒職の協働に向けたミーティングは、第2回カンジョン平和カンファレンスの終了後に行われた。これは日韓の社会使徒職の協働の第一歩となる画期的なものであった。それぞれが協働の難しさを感じながらも、どのようなことにおいて協働できるかを模索した。まずはお互いを知り合うこと、来年もこのようなミーティングを行うことで合意した。これからの日韓の社会使徒職は、「頭」の部分で連携を始め、「足」の部分に拡がっていくであろう。例えばセミナーを合同で開催することなどを通して連携を深め、その後「足」の部分、すなわち実際の活動を協働で行っていくことになるのだと思う。喜びと希望のうちにこのミーティングを閉会した。

日韓社会使徒職ミーティングの参加者
日韓社会使徒職ミーティングの参加者

カンジョン村にある聖フランシスコ平和センターとイエズス会の家は最近建てられたものである。これは基地問題に苦しむカンジョン村の人々にとって、一つの連帯の証になるのだと思う。ここにとどまり共に歩もうとするこの決意は、カンジョン村の基地問題に苦しむ人々にとって、大きな勇気を与えることであろう。カンジョン村が一つの平和のセンターとなり、東アジアの平和を希求する島々と連帯して平和活動を広めていってほしいと思う。

聖フランシスコ平和センター
聖フランシスコ平和センター

「正義と平和」東京大会と韓国カトリック脱核グループの福島訪問

光延 一郎 SJ
イエズス会社会司牧センター所長

「正義と平和」全国集会

9月21日(月)から23日(水)まで、第39回日本カトリック「正義と平和」全国集会2015東京大会が「戦後70年の今こそ、地上に平和を―痛みを知る神とともに―」とのテーマで開催されました。今大会には、韓国「正義と平和委員会」担当のユ・フンシク司教(テジョン教区)をはじめ、脱原発の運動に関わる司祭、修道女、信徒ら20数人もゲストとして参加しました。

初日は、東京カテドラル関口教会での開会式に引き続き、上智大学の中野晃一教授が「東アジアにおける平和と社会正義のために今」という基調講演をされました。すぐ前の週に国会で安全保障法案が乱暴に可決されたこともあり、600名以上の聴衆は、政治学を専門とする教授の鋭い分析に熱心に耳を傾けました。中野教授は、まず冷戦後に少数者が富と権力を独占する寡頭支配の体制が世界規模で広がった「グローバル化」の状況について話されました。そこにはしかし、逆接的に「ナショナリズム」の動きが連動し、日本では1990年代後半から「慰安婦」記述が教科書から削除されるなど、「歴史修正主義」が浸透しました。8月に発表された安倍首相による戦後70年談話もその流れのうちにあります。中野教授は、今回の談話が20年前の「村山談話」と決定的に異なるのは、語りかける相手がアジア諸国ではなく米国政府に向けられていることだ、と指摘されました。この談話に自らの歴史への根本的反省がないのは、米国の戦争への参加という究極の対米従属を結論とするからです。

ご自身、安保関連法に反対する学生の運動でスピーチするなど、若者たちの勇気を賞賛される中野教授は、これらの学生の中心メンバーにキリスト教系学校出身者が多いことに触れ、全国であらゆる層の人々を巻き込み大きなうねりとなった現政権への批判運動は、個人の尊厳や生命を守るという点において教会の目的と一致し、その点から市民と教会は連携しうると述べました。

分科会

22日は、4カ所に分かれて分科会で活発な議論がなされました。自死、海外援助、HIV/AIDS、部落差別やハンセン病への差別、憲法、原発、貧困、外国人・民族問題、沖縄、戦争、性暴力など多岐のテーマに及び、映画上映や諸展示参加者を含め、参加者は3日間で延べ2170人に上りました。

私は、正義と平和協議会「平和のための脱核部会」長を担当しているので、「東アジアにおけるカトリック教会の脱原発の連帯を考える」分科会に参加しました。ひとたび一方の原発が事故を起こせば、双方の影響が不可避である日韓両国にとって、脱原発運動の連帯はとても重要な問題でしょう。

この分科会には、70名を越える人々が参加しました。午前中は日本の状況について、まず、たんぽぽ舎という市民団体で原発問題をずっと注視してこられた柳田真さんによる「日本における脱・反原発運動の現状と今後」というお話がありました。次に、ご自身原発事故の被災者であり、その経験から、事故を起こした東電関係者の責任を問う裁判にも関わっておられる武藤類子さんの「福島 今―原発事故 終わらない―」との講演を聞きました。

柳田さんの話に耳を傾ける分科会参加者
柳田さんの話に耳を傾ける分科会参加者

午後は韓国の脱核(脱原発)の活動の現況について、カトリック教会の各団体を束ねる「創造保全連帯」担当の司祭、男女修道会代表、また釜山近郊のコリ原発とミリャンの送電塔建設問題、サムチョク市で原発誘致反対運動に参加する市民らの発表を聞きました。一人の女性は、娘から「脱原発運動なんてやっても無駄だし、負けてみじめな思いをするだけだ」と言われていたけれど、福島原発事故以後、その娘も行動に参加するようになったと話していました。

世界を見渡せば、脱原発をテーマに挙げるカトリック教会は、ヨーロッパの一部と韓国、日本くらいです。環境・エネルギー問題を扱った新しい回勅『ラウダート・シ』でも、核エネルギーへの言及は微かにありましたが、「脱原発」の語はとうとう語られませんでした。バチカンにこの問題について語らせるのは、日本とその近隣教会の責務でしょう。今後の近隣教会相互の連帯が期待されます。

最終日の23日には、『現代世界憲章』発布50周年を記念するシンポジウムが開かれ、日本カトリック正義と平和協議会会長の勝谷太治司教(札幌教区)、カリタスジャパン責任司教の菊地功司教(新潟教区)、また日本カトリック難民移住移動者委員会の松浦悟郎司教(名古屋教区)という社会司教委員会のメンバーが話しました。

韓国カトリック脱核訪問団(東京カテドラルにて)
韓国カトリック脱核訪問団(東京カテドラルにて)

代々木公園・福島へ

「平和のための脱核ネットワーク」の人々と韓国からの脱核訪問団は、カテドラルでの派遣ミサがすむと、代々木公園で行われた「さようなら原発 さようなら戦争 全国集会」に向かいました。韓国からの人々は、ここで全員が登壇。釜山からのキム・ジュナン神父が代表として、脱原発の運動には国際連帯が不可欠だとスピーチし、韓国で集めた署名の束を主催者の鎌田慧氏に手渡し、場内は盛んな拍手に包まれました。

 代々木公園でのアピール
 代々木公園でのアピール

この後、日韓40数名の「脱核」グループは、バスで福島現地学習の途に。いわき市に宿泊し、24日は早朝旅立ち、飯舘村から南相馬市、まだ居住制限の続く浪江町から福島第一原発の脇を通っていわきに帰るという長丁場でした。

飯舘村では避難生活中の村民の方にガイドしていただき、除染の状況、またその廃棄物が詰まったフレコンバッグの山に驚きました。南相馬ではカトリック原町教会と同慶寺で、信者の方々や住職からお話をうかがいました。住民の方々は、放射能について語ることも難しいそうであり、そのような人々の心の葛藤に思いをいたしました。

さらに一行は、いまだ放射線量が高い浪江町へ。モニタリング・ポストが「毎時1.8マイクロシーベルト」を表示しているその足元で、手持ちの計測器では毎時7マイクロシーベルトが検出されるなど、「ホットスポット」の実在を体験しました。

また福島第一原発に程近い浪江町・請戸地区へ。ここは、津波被害の生存者がまだ残っていたにもかかわらず、原発事故による退避命令により救助作業を中止せざるをえなくなった場所です。その津波来襲の時から文字通り時計が止まっている小学校の光景には驚きました。瓦礫は片づけられてはいるものの、なにもない荒野のただ中に、さまざまな記憶を飲み込んだまま立ち続ける小学校の二階教室には、児童書の本棚やオルガンがそのまま残っていました…。

25日は、午前中、いわき市の宿舎で地元の市議会議員と労働組合の方から原発労働者の問題についてお話をうかがいました。午後、ちょうど韓国のお盆にあたる祝い日(チュソク)のために急ぎ帰国する人々に成田空港で別れを告げ、東京に帰ってきました。元気と好奇心旺盛な人々は夕方、ちょうど金曜日で、国会前で行われている反原発行動にも参加しました。

こうして原発の問題について、実にさまざまな視点から豊かな学びの時間をもつことができました。なにより、一週間近く時間と体験を共有した参加者には、たしかな友情が芽生えました。9月初旬、チェジュ島で開催されたイエズス会社会使徒職交流会に引き続き、今回また、韓国イエズス会員と協働者たちと一緒に行動できました。こうした交わりを通して、福音に従う者として、さまざまな溝や壁を越えて新しい世界に歩み出す経験を共にしたことがなによりの恵みでした。

ブックレット:『イエズス会の大学における正義の促進』

ブックレット「イエズス会の大学における正義の促進」(表紙)

イエズス会社会正義とエコロジー事務局 から発行された同題名の文書が、この度、日本語訳のブックレットになりました。

イエズス会は、教会の望みと一致して、イエズス会の大学が、信仰とその本質的な要素である正義を促進するための道具であるよう、強く主張してきました。特に1975年の第32総会以来、正義が、イエズス会の目指す重大な価値となりました。

本書の目的は、大学が、正義のための献身的な働きを深め続けられるようにすることです。5章から成り、方向性だけでなく、世界各地のイエズス会の大学での、具体的な実践についても紹介しています。大学を含む高等教育の目的・アイデンティティは何か?学生の養成に、正義が、なぜ重大な要素なのか?学生が、どういう人間になってほしいのか?研究は、「誰のために、何のために」なされているのか?そして、不平等をもたらし持続可能性を妨げる状況を、なぜ研究の重点にすべきなのか?大学の一人ひとりは、なぜ大学の、貧しい人々を受け入れる社会的プロジェクトの貢献者であるべきなのか?そのために、どのように協働していくのか?
社会の周辺に追いやられた人々や貧しい人々の、問題とチャレンジに力を注ぐため、大学として、共同体として、あらゆる力を使うよう、語られています。

大学の教職員、教育に携わる方々はじめ、様々な分野の皆様にも、広くお読み頂きたい一冊です。本書は、個人で読み、または共同で考察して討論するために使われることが望まれています。
このブックレットをご希望の方は、イエズス会社会司牧センターまでお知らせください。1冊実費300円(A5版/100ページ、送料別途)です。

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