オーストラリアにおける社会正義の問題
カロリン ライアン (イエズス会社会サービス プロジェクト担当者)
一見したところ、オーストラリアは人々が生活の最も高い質を楽しむ、非常に繁栄して安定した社会であるように思われています。多くのオーストラリア人はこのことを認識しており、自分たちが豊富な自然資源、政治の安定、美しい環境、そしてすばらしい天候に恵まれた「幸運の国」に住んでいる、という考えに強い愛着を持っています。
しかし、オーストラリアに住む全ての人が「幸運の国」に暮らすことからくる利益を享受しているわけではありません。豊かさの一般の水準の中に、深刻な社会の不正を経験し、人目につかない人たちや共同体が存在しています。イエズス会社会サービスは、こうした多くの人々や共同体と連帯しながら、公正な社会を作るために活動しています。彼らは、アボリジニー(オーストラリア先住民)を含み、難民と亡命希望者、精神疾患の人々、囚人、そして教育や仕事から排除されてきた人々です。イエズス会社会サービスの活動は、私たちのイグナチアン的伝統とカトリック教会の社会教説によって活気づけられ、それは、私たちがプログラムを実行する方法や私たちが達成しようとする目標の指針となっているのです。
不利益を経験している人々と共同体は、しばしば複雑で深く固定された問題に直面します。この記事ではこれらの社会問題をより詳細に探求していき、イエズス会社会サービスがそれらを克服するために行っているいくつかの活動を紹介していきます。
オーストラリアは繁栄しているが、深い不利益をその内に持っている
オーストラリアの物質的繁栄は、23年間連続成長した経済に下支えされています。多くのOECD加盟国と同様に、オーストラリアは1980年代と1990年代に、大きな経済改革に取りかかりました。しかし米国や英国と違って、オーストラリアの経済改革モデルは、労働人口の実生活の水準を改善することに強く焦点をおいたものでした。結果として、オーストラリア人は今日、世界の他の国々に比べて、失業率が相対的に低水準であること(OECD加盟国全体の7.8%に比べて5.8%)、そして所得の増加(1991年と2012年の間で33%の増加)を経験しています。
しかしこの数値は、全人口の12%以上の人たち(2,265,000人)が貧困の中で暮らし、多くのオーストラリア人が、深刻で絶え間ない不利益を経験している事実を隠しています。
イエズス会社会サービスによる革新的な研究の結果、貧困はしばしば特定の場所に固定化され、オーストラリア地区の3%が、経済的社会的福利の尺度において、広範囲にわたり極端な不利益を経験していることが分かりました。(参照:Vinson, Tony(2007),Dropping Off The Edge: The Distribution of Disadvantage in Australia, Melbourne and Canberra, Jesuit Social Services and Catholic Social Services Australia)
1980年代と1990年代の経済改革は、あまり技術を必要としない多くの仕事の消失が含まれ、より高度なレベルの資格をもった労働者の需要の増加を求める労働市場の構造的な変化をもたらしました。同時に、私たちの共同体の多くのメンバーが、成功するのに十分な教育を獲得することに失敗しています。その一例としては、ビクトリア州の刑務所にいる囚人男性の93%が高校を卒業していません。
イエズス会社会サービスは、これらの諸問題を克服するために、刑を終えた人たち、家を失う危険のある人たち、そして精神疾患を持っている人たちに支援を提供しています。私たちは、彼らと意味のある安定した関係を築き、安全な住まいを得るのを手伝い、そして彼らが経験している健康上の、かつ社会的な問題を克服することができるよう能力を養成することを通して、彼らと同伴しています。 私たちはまた人々に、教育と再びつながり、仕事を見つける機会を提供しています。イエズス会コミュニティ・カレッジは、あまり教育を受けてこなかった人たちに基礎的スキルを身につけさせる適切で、集中的な学習プログラムを提供して、さらに彼らの学習を支援しています。私たちのコミュニティ・カフェ店が提供している活気のある教室では生きた作業環境の中で労働の体験や訓練を受けることができます。最後に、私たちは共に活動している人たちが有給の専門職経験や継続的な雇用を得る機会を発展させるために、企業と協力して活動しています。(例えば、後ほど説明されるナショナルオーストラリア銀行はその一つです)
オーストラリアのアボリジニ―(先住民)が経験している恥ずべき不利益
オーストラリア人は、アボリジニ―の窮状を深く恥じるべきです。私たちのアボリジニ―社会は多様であり、都会や沿岸、そして離島にある村に住んでいる数百の様々な部族や言語グループを含んでいます。アボリジニ―の福利レベルに関する統計は反省させられます。
- アボリジニ―とトレス諸島民の0歳から14歳までの子どもの死亡率は、非アボリジニ―の子どもたちの2倍以上です。
- アボリジニ―男性の平均寿命は67.2歳であり(非アボリジニ―男性よりも11.5歳低い)、アボリジニ―女性のそれは72.9歳です(非アボリジニ―女性よりも9.7歳低い)。
- アボリジニ―の労働人口は、その3分の2(65%)足らずであり、それに比べて非アボリジニ―はほとんど5人に4人(79%)が労働人口です。
- 刑事司法制度の中にいる10歳から14歳までの全ての子どもの46%が、アボリジニ―である。同じ年齢の人口のわずか5%以下であるにもかかわらず。
アボリジニ―の不利益は、植民地化のなごり、文化的紛争、政府やより広範な非アボリジニ―社会の彼らに対する扱い、雇用機会の欠如、そして健康と薬物乱用問題を含む、さまざまな要因の結果なのです。 数十年にわたるアボリジニ―の福祉の改善の努力は、この不利益を取り除くことができていませんし、いくつかの問題に関しては、実際にはさらに悪くなっています。
イエズス会社会サービスはアボリジニ―社会との異文化間対話に従事し、彼らの経験している問題を解決するために彼らの能力の養成に努めてきました。これには中央オーストラリアの遠く離れた砂漠のコミュニティ、サンタ・テレサにおける、様々な商売やサービス事業の会社を所有する地元の共同体のための社員教育が含まれます。主要都市メルボルンにて私たちは、刑事司法制度に巻き込まれている若いアボリジニ―の子どもたちへの家族ベースの支援サービスを発展させるために、アボリジニ―が運営する地域組織活動を支援しているところです。ビクトリア州では、釈放されて地域に戻ってきたアボリジニ―元囚人への過渡的な支援を提供するプログラムを運営しています。私たちのアプローチはエンパワーメントと文化的対話に焦点を置いており、アボリジニ―問題に対する政府の多くの対応を決めているトップダウンの官僚的アプローチとは対照的です。
船で亡命してきた人たちは非人道的な扱いを受ける
移住は、海外で生まれた人たちが人口の27%を占めるオーストラリア社会において、深い影響を与えてきました。これには、1950年代に入国し始めた東南ヨーロッパの難民、移民たちや、1970年代には南東アジア全体から、そして21世紀初期には、増加しているアフリカの難民やインドや北アジアからの留学生が含まれます。オーストラリアは、特に迫害から逃げてきた人々にとって寛容で友好的な国として誇るべき経歴をもってきました。しかし過去20年以上の間に、船でオーストラリアに入国する亡命希望者たちに対する非人道的な扱いの増加によって、この評判は落ちていきました。
現在の政府の政策の下では、船でオーストラリアに入国する亡命希望者たちは、オーストラリアに定住することが許されていません。入国の代わりに、隣接する太平洋の島国、パプアニューギニアやナウルにある収容所に移送されるのです。亡命の申請が成功したら、その太平洋の島国に定住させられます。政府はオーストラリアの領海に入ろうとする亡命希望者たちを乗せた船をできる限り返すように海軍に指示しています。
これらの政策が導入される前に、かなりの数の亡命希望者がオーストラリア本土に入国しました。彼らは非公開の収容所に無期限に置かれるか、学習または労働の権利なしでコミュニティの中に解放されます。イエズス会社会サービスはそうしたコミュニティにいる人々への支援をしています。この活動は、多くの人が希望を失ってしまったので、大変難しいものですが、私たちは依然として、連帯し続け、与えられるべき敬意を払っています。
政治的信条が異なる様々なオーストラリア政権は、船でオーストラリアに入ってくる人たちを思いとどまらせる手段として、亡命希望者を罰し続けています。これらの政策は非人道的であり、国際的な難民流出という、より複雑な問題の取り扱い方を欠いています。これは勇気あるリーダーシップから見れば、しばしば政治的利益の獲得を目的とする政治家たちの失敗を表しています。
精神疾患にかかっている人々の孤立と負の烙印
メンタルヘルスと自殺はオーストラリアでは重大な問題であり、およそ人口の20%の人がなんらかの種類の精神疾患を経験しています。度々、精神疾患は診断されず、また人々は必要な支援を提供されないので自殺に走ります。自殺はオーストラリアの44歳以下の男性と34歳以下の女性の主な死因です。過去10年間、精神疾患者のニーズに応じるにはいくらかの進展が見えました。精神疾患にかかるコストに関して認識が増した結果、地域ベースでのサービスと同様に臨床的治療を含むサービスへの重要な投資が行われてきました
依然として、大きな挑戦は精神疾患や自殺にまつわる負の烙印を克服することです。イエズス会社会サービスは、精神疾患を経験している人々のための地域ベースの支援プログラムと自殺後サポートプログラム(Support After Suicide program)を通して、この分野の活動に取り組んでいます。自殺後サポートでは、自殺で大切な人を失くした方たちのカウンセリングを提供しており、その一部には、自殺問題の認識を高めることや、死別のために地域社会から孤立した人たちに対する負の烙印を破壊することがあり、彼らに必要な支援をしています。
アフリカ系オーストラリア人包括プログラム-ナショナルオーストラリア銀行とのパートナーシップ
アフリカ系オーストラリア人包括プログラムは、6か月間の有給の職場体験を、オーストラリア最大手銀行の内のひとつで提供するもので、有能なアフリカ系オーストラリア人に対する専門職訓練プログラムです。このプログラムが2009年に実験的に試みられて以来、120人近くの人々がナショナルオーストラリア銀行(NBA)に雇われました。このプログラムは勢力を増し続けています。2013年11月には、メルボルンとシドニー全域で財務、科学技術、経営管理の役割を引き受けた参加者が12人いました。別の106人にあっては、社内定着率86%でこのプログラムを卒業しており、一方で、新規採用者を募集しています。
このプログラムの必要性は、有能なアフリカ系オーストラリア人のオーストラリアビジネス界における現地経験の不足が、彼らの雇用の重大な障壁になっていると指摘するアフリカ系オーストラリア人社会によって、証明されました。イエズス会社会サービスとNBAのこの共同対策は、研究に基づいてよく準備され、一般社会の多くの地域で賞賛されてきました。 このプログラムの目的は、参加者に商業経験を提供し、ビジネス上のネットワーク向上を含めて、学習の機会を提供することです。全ての参加者には、NBAの職場体験を通して、指導者と助言者が与えられます。また参加者には、職場体験の後半の期間に、面接の受け方や履歴書の書き方を含む幅広い就職支援も提供されるのです。
雇用の障壁を打ち壊すとき、働くアフリカ系オーストラリア人は若いアフリカ系の仲間の模範となる機会を持つのであり、それによって今度はその若い人たちが学校で勉強することと資格を取得することを動機付けられました。
アジア太平洋:危険な状態にある島々:
太平洋における気候変動
Dr Maryanne Loughry RSM (JRSオーストラリア、共同理事)
「私たちは、気候変動からくる有害な影響の絶え間ない恐怖の中で暮らしています。サンゴ環礁島の国にとって、海水面の上昇とより厳しい気候現象は、私たち全国民にとって増大する脅威として差し迫っています。その脅威は、現実的かつ深刻であり、それは、私たちに逆らうゆっくりと進行する形態のテロリズムとなんら違いはありません。」サウファトゥ・ソポアンガ ツバル共和国首相が第58回国連総会で語った言葉です。(2003年9月24日、ニューヨーク)
2011年4月11日シドニー ―― 過去十年以上にわたって、「気候変動難民(climate change refugees)」という新しい言葉が政策担当者とメディアの辞書に入ってきました。干ばつや土地の劣化、あるいはサイクロンのような重大な気候現象、そういった環境的な要因により引き起こされる人の移動は、新しいことではありません。新しいのは、そうした重圧に対し被害を受けやすいと考えられる人たちの数であり、そのような人の移動が現在注目されているということです。
JRS(イエズス会難民サービス)は日々の活動の中で、気候現象を含む多様な要因で退去させられた人たちに出会います。いくつかの場所では、気候現象が退去の主要な原因として言及されます。例えば、アチェ州において、他の場所でいえば、ダルフールやチャドにおいて、気候変動は、退去を説明する多くの要因の中の、十分に根拠あるもののひとつです。コフィ・アンナン氏は『静かなる危機の分析』という近年の報告書の中で、気候変動のために苦しんでいる数百万の人々、そしてそれが原因で追い立てられるか、あるいは永久に避難し続けなければならない数百万の人々について記述しました。国連難民高等弁務官のアントニオ・グテレス氏によると、紛争と自然環境と経済的要因による複合的影響のため、避難民をカテゴライズするのは難しくなってきているとのことです。
避難地図の作成
アジア太平洋地区のJRSは、気候による強制避難の問題に従事することにかなりの比重をおいていると言えます。この地区のJRSの活動範囲には、毎年何百万という人々が洪水で避難させられるイワラジ川、メコン川そして黄河の広大なデルタ地帯のいずれもが含まれ、同様に、世界の大部分の小島嶼開発途上国が含まれます。これらのすべての場所の環境は、とりわけ海水面の上昇による被害をうけやすいと考えられています。過去数年来、JRSオーストラリアは、隣接する諸国における将来の避難を理解しようとしながら先手を打って、予想するための試みとして、東ティモールと太平洋の避難地図作りをしてきました。この活動は、ニュージーランドや他の太平洋諸国との関わりを深め、JRSを亡命希望者や1951年の条約難民に優先的に焦点を当てることから引き離しました。
2009年5月に、JRSはニューサウスウェールズ大学准教授で国際弁護士のジェーン・マカダム氏と共にキリバスとツバルを訪れました。私たちは長年にわたりこの地域の強制移住について研究してきたので、太平洋における人々の移動に関する気候の影響を調査し、これらの人々が自分たちの状況をいかに特徴づけ、未来をどう見ているのか聞きたくなったのです。
沈む島
ツバルとキリバスという小島の国家は太平洋に位置しており、もしこれからの数十年で予想されたとおり海水面が上昇するなら、消滅する危険性が最も大きい2国としてしばしば言及されています。これらかつての英国植民地は赤道をまたいでおり、以前はギルバート・エリス島として知られていました。彼らはほんの30年ほど前に独立し、メディアの報道によって今世紀半ばには住めなくなる沈む島として特徴づけられてきました。メディアは、この国の人々は世界で初めての「気候難民」になると報じています。キリバスの人口は約10万人で、ほんの1万人で構成されているツバルは、バチカンを除いて、世界で最も小さい国です。
気候変動は明白に、平均海抜2m足らずのこれら低地のサンゴ礁島に影響を与えています。中央キリバスのタラワ環礁の主要道路を車でドライブすると、私たちはしばしば、一方にサンゴ礁を見、他方に海を見ることができました。環境の傷つきやすさの感じは明らかであり、脆弱性は、サイクロンもしくは超大潮などの大きな気候現象が発生した時、ますます深刻化します。
消えていく関心
話によると、キリバスとツバルで10年前、気候変動に関係する集会にはどんなものであれ、多くの群集が集まりましたが、近年において関心は下火になったそうで、私たちは大変驚きました。人々はグローバル温暖化と気候変動という概念に親しみを持っていることを話しましたが、これらが彼らの将来にどんな影響を与えるかについて、はっきりとしたことはわからないと認めました。多くの人は気候変動の背後にある科学的知識を極めてわずかしか持っておらず、大多数の人がそうであるように、専門家の常に変わる予測に困惑しました。年配の方々によれば、より教育を受けた人たちは、他の人たちよりもこの問題について関心を持っており、一方でサンゴ礁の外に住む人々、つまりメディアや地域の教育に触れることがほとんどない人たちはあまり困っていないとのことです。生き残りのために海と陸に依存している人々は、変動する気候とそれを乗り切る方法を熟知していたのです。
人々は自分自身の人生の中でかつて見た変化、沈没した沿岸地帯、塩気を増していく飲料水、倒れていくココナツの木、について話しました。稼ぎ手の人たちは、食べ物のために陸や海だけに頼っている困難さゆえに、高齢者と大家族を養うためにより一層多くの重圧に直面しました。多くの人々は信仰に基づいて、神様がノアにこれ以上洪水は起こらないと約束し、そしてこの約束を現在まで守り続けていると信頼しています。
意識レベルに関係なく、両国の多くの住民は、将来の万が一の場合の計画を作っていると言いました。これらの計画は若者に焦点を置いたもので、通説では、若者の多くは、教育や仕事のためにフィジーやニュージーランドあるいはオーストラリアに移る必要があるだろうということです。伝統的にツバル人やキリバス人は、誇るべきかつ文化的にふさわしい職業として海中農業に取り組んで、海外へ出ていきました。現今では、オーストラリアやニュージーランドにおける看護師や介護士そして調理師の需要は認められ、移住という選択肢を容易にさせており、従って十分な給与が保証されていますので、残された家族にその一部を送金することができます。
難民ラベルの拒絶
同じ問題に直面している一方で、ツバルとキリバスは気候変動に関連するその取り組みと重圧において同じではありませんでした。それにもかかわらず、両国において私たちが発見したことは、政治および社会の両方のレベルで、難民のラベルが全面的に拒絶されたことです。彼らにとって難民という呼び名は、無力感と尊厳の欠如を引き起こし、自分自身の強い誇りに矛盾しているので、侮辱的なのです。ある人たちはまた、難民であることは自分たち自身の政府に対して反対意見を要求することであると感じており、彼らはこのことを示すことを望んでいませんでした。
これらの人々は、人種や宗教、国籍、政治的理念または特定の社会団体のメンバーであるという理由で迫害されるという十分に根拠のある恐怖に直面しておらず、また彼らは祖国の外にいるわけでもなく、政府が彼らを守ることができないあるいはそれを望んでいないわけでもないので、法律的には彼らを難民と呼ぶのが不正確だったことを気づかされました。それでもなお、私たちはキリバスとツバルの人々がいかに強く「難民」というラベルを拒絶しているかに驚きました。彼らはJRSが難民について知っている強靭さや回復力を分かっていませんでした。むしろ彼らは望まれていない過剰な人間で、彼らはテントに入れない危険な状態にあるものとして、重荷であるように見られることを恐れていました。グローバルメディアがしばしば示すそのような難民の記述はこれらの遠い海岸にも届いていたのです。
気候変動だけではない
低地の環礁における気候変動の影響は過小評価されてはなりません。これらの小国家は将来大変大きな課題を抱えます。しかし、訪問している間に、私たちは気候変動のみに焦点を置くことは他の社会的な変化を覆い隠すという危険に気づきました。これらも合わせて、住民が環礁に居残るかまたは他の地へ移住するかという行動はもっと現実的な印象を与えます。このような取り上げ方は、以前からある社会的経済的かつ環境的な重圧を悪化させる転換点として気候変動の深刻さを認めます。国際的に脚光を浴びている中で、どうすればこれらの問題をよりよく概念化し、住民に意味のある選択肢を見つけさせられるかは、依然として非常に大きなチャレンジです。国際社会が気候変動の現実について討議する一方で、難民であろうとなかろうと、人々が常に減退していく環境の中で生き残りの闘いをしなくてもいいよう保証するためには、保護メカニズムの導入が必要です。
書評:『原発ホワイトアウト』
若杉冽 著 /講談社/2013年9月
山本啓輔(イエズス会社会司牧センター)
本書は、現在、霞が関の省庁に勤務しているという現役キャリア官僚が執筆した小説です。小説という形をとりながら、原発再稼働を推進しようとする、電力会社、官庁、政治家の真意を、あからさまに抉り出そうとした内部告発的な野心作です。そこには原子力ムラと呼ばれる既得権益を守ろうとする人たちの正体が赤裸々に語られています。本書を読むことで、企業人と官僚さらに政治家が、お互いの利益によって引き合いながら、癒着した構造を作り出している、そのありさまがはっきりと見えてきます。
しかし一方でこの小説は、その内部告発的な要素を色濃く持ちながらも、同時に、エンターテイメントとしての魅力を十分にあわせもった作品であるといえます。作品の中では、上にあげた原子力ムラの住民以外に、原発再稼働を阻止しようとして、自ら危ない橋を渡ろうとする元女子アナウンサーと、彼女と共謀して官庁内の秘密を告発する官僚とのロマンスも描かれています。作品の中の人物一人ひとりが、それぞれの異なる立場において、何を考え、何を感じているかが、具体的な描写を通して生き生きと表現されており、その人間模様は、読む者を飽きさせません。作者自身がキャリア官僚ということもあり、その記述には上から目線のきらいがあると言えなくもないですが、国の上部にいる人々の価値観やものの見方あるいは彼らの風俗の一端を知るという意味では、私には大変興味深く、それがまたこの作品の魅力ともなっているのではないかと感じました。
物語後半の道行きは、破滅的な方向へ一気に進みますが、それは同時に、作者自身の現状への危機感のあらわれと受け取れます。原発再稼働が、現政権下で、公然と推進されようとしている現今において、その中核にいる人々に焦点を当てて、物語を構成し、彼らの具体的なありさまを、公に可視化してみせたことは、大変時宜を得た、大いなる批判精神と評価されていいと思います。多くの人にとって、本書を手に取ることは、真実を知ることの助けになるはずです。
オーストラリアでのカルチャーショック
小暮 康久 SJ
叙階後、昨年春に上智大学での神学研究を修了し、イグナチオの霊性を勉強するためにメルボルン(オーストラリア)に来て、10ヶ月が過ぎようとしています。これまでの養成の期間にも、様々な国々-インド、韓国、フィリピン、ベトナム、マレーシアなどの他のアジアの国々や、加えていくつかのヨーロッパやラテンアメリカの国々-を訪れ、異文化を体験する機会がありました。それらの異文化体験のすべては、それぞれに気づきや視野の広がりをもたらしましたが、ここオーストラリアでも、以下に述べるような点で、固有のカルチャーショックを体験しています。
まず、こちらで体験した中で一番印象深いことは、オーストラリア人の労働観というものです。それは彼らの休暇の取り方ということにも関係しています。一例をあげてみたいと思います。今、オーストラリアは夏季休暇の季節の真っただ中にあるのですが、彼らの多くは、クリスマスの前から1月末まで、少なくとも3週間かそれ以上の夏季休暇を取ります。オーストラリア人にとって、家族や友人などの大切な人たちと一緒にこの数週間を過ごすことはとても大切なことです。オーストラリア人にとって、休暇にはとても大切な意味、特別な価値があります。“休暇”は最優先事項です。ここでは、“休暇”という言葉には、まるで水戸黄門の印籠のような権威があります。
休暇を取ることに関しては、日本の労働者の状況とはまったく異なります。オーストラリア人にとって、休暇の文化は彼らの労働観を表すものです。こちらではしばしば、“人生(生活)の質quality of life”(※)という表現を耳にします。私たち日本人もこの同じ表現を使い始めてはいますが、しかし“ブラック企業”における長時間労働など、まだまだ過酷な労働条件が根強く残る日本においては、“人生(生活)の質”は、依然として理想の域に留まったものと言えるでしょう。しかし、ここオーストラリアでは、この「人生(生活)の質」という価値観は、個人の考え方やスタイルだけでなく、社会のシステムにまで、共通の価値として浸透しています。オーストラリア人はいつも、仕事と休暇の適切なバランスというものを考慮しているように見えます。“働きすぎ”はここでは決して称賛されることではありません。何故なら、それは、家族と時間を過ごすというようなもっと大切なことを犠牲にしていると見なされるからです。こちらに来て、週末になると、街のどんな小さな公園でも、どれほど多くの父親たち(もちろん母親も一緒)が子どもたちと遊んでいるのかを見るにつけ、その光景に深く考えさせられます。
さらに、このほかにも、オーストラリア人の労働観を示すものがあります。一例をあげるならば、私はこちらに来て、オーストラリアの最低賃金が時間当たり$16 (¥1600)であるという事実を知った時は本当に衝撃を受けました。はじめは信じられませんでした。何故なら現在の日本での時間当たり最低賃金はオーストラリアの約半分の¥750で、なおかつ(非正規雇用の拡大など)さらなる賃金の削減の議論が続いているからです。
外食産業(街中の個人経営のアジア系レストランなど)に見られるようないくつかの例外はあるにせよ、実際に、オーストラリアの労働条件は、日本やアメリカ、イギリスなどの他の先進国と比較すると相対的によいと言えます。それ故に、私が出会った友人たちも含めて、毎年、多くの留学生がこの良好な労働条件を求めてやってきます。ある留学生たちは、すでに母国で、専門の技能職や職業-例えば看護師など-に就いているにも関わらず、こちらで同じ仕事を得ようとやってきます。それは母国での労働条件との違いのためです。“人生(生活)の質”にとって、より多くの賃金を稼ぐことだけではなく、仕事と休暇のバランスも大切であることを彼らは知っているのです。この労働観がオーストラリア社会に根付いた価値であることを、この留学生たちの数が示していると言えるでしょう。
それぞれの国は、それぞれに異なった極めて固有の条件下にありますし、浅薄に比較することは適切ではないことは十分承知の上で、それでもなお、“人生(生活)の質”という価値観が、どの国においても、人間を幸せにするものだと強く感じさせられています。